第五章『学ランの少年』
資料館を出ると、あたりは茜色に染まっていた。
いま僕の隣にいるのは本山さんだけだ。他の二人はどうしても電話をしなければならないと言い残して、公衆電話のある交番のほうへ行ってしまった。最初は僕もつき合うと言ったのだが、遅くなるといけないと釘を刺され、僕だけ本山さんを連れて旅館に帰ることになった。
「……なんだか気味の悪い話でしたね」
本山さんが話しかけてくる。資料館から二人きりになって、会話のきっかけを掴め損ねていた僕は、きっかけができたことに単純に喜んだ。
「『妖姫伝説』のこと?」
資料館で『妖姫伝説』の話をしてくれたおじさんの顔を思い出す。割とグロテスクな内容であったにも関わらず、顔色一つ変えずに話す姿には感心してしまった。
「人間が食べられてしまうなんて、ほとんどホラーじゃないですか」
「たしかにね。でも、今日の話を聞いて、僕にはいくつかわかったことがある。
単純に恐怖話だと思っているらしい彼女に、僕はいままで見てきた資料をもとに自分の見解を披露してみようと思ったのだ。
「僕があの話でいちばん気になったのは、オチがないことなんだ。普通、どんなお話にもオチがつくはずなんだよね。ほら、演劇だって、終わるときには幕が下りるだろ。でも、今日のお話にはそれがない。それって物語としては、おかしいよね。
あと、よくある説教話にしたって破綻してるんだよね。だって、高僧は娘に堕落させられたんだ。要するに、高僧の強い信仰心が娘に打ち負けたってことだろ。それに説教話にするなら、堕落する過程か、娘に打ち勝つっていう場面があるはずなんだ。なのにどちらにも触れられていない。つまりこの話が伝えたいことは、そんなことじゃないってことになる。
じゃあ、なんなんだってなったときにヒントになるのは、やっぱりオチがないことだと思うんだ。オチがない――終わってない。話はまだ終わっていないってことじゃないかな」
「じゃああの話には、まだ続きの話があるってことですか?」
「ん~……。それだとちょっとニュアンスが違うんだよな。うまく説明できないけど」
なにかが頭に引っかかるような感触だった。その答えが喉まで出かかってるのだが、うまく捻り出せない。それがなんとももどかしい。
「こんばんわ」
僕が頭を抱えて唸っているときだ。そのあまりに涼やかな声に、僕は思わず顔をあげた。
目の前には高校生くらいの少年が立っていた。夕方とはいえ、夏も真っ最中な時期に学ランを着こんでいる。それなのに額には汗一つかいていない。その瞳は涼やかで、透明感があった。
「旅行に来られた方ですか?」
「ええ。大学の研究の一環でして」
不思議な少年だった。外見のことだけではなく、その雰囲気も。なんというか清涼感があるのだ。
「そうでしたか。ああ、申し遅れました。僕はこの村の者で、阿咲涼貴です」
阿咲涼貴と名乗った少年はそう言って、僕に握手を求めてきた。特に断る理由もなかったので、僕はその手を握りかえした。
そして阿咲くんは律儀に、本山さんとも握手をかわした。
礼儀正しいというのか、奥ゆかしいという印象を受ける少年であった。
「ところで、なんの研究でこの村へ?」
「この村に伝わる『妖姫伝説』についてです。僕の師事している教授がその専門でして」
自分でも不思議なのだが、あきらかに年下のはずであるこの少年に対して敬語を使ってしまう。妙に落ち着きを払った雰囲気が歳不相応なせいだろうか。
「そうなんですか。それと関係があるかはわかりませんが、我が家にも古い伝承がありましてね。我が家に立ち寄るような機会でもあるなら、お話できると思いますよ」
「ホントですか?」
研究に関係あるなしに、そういった話を聞かせてもらえるのは大歓迎だった。『妖姫伝説』関連の資料というのは少なくて、研究者も少ないというマイナーもいいところの分野なので、少しでも手掛かりがあるなら、そこから攻めていくしかないのである。
「ええ。今日はもうさすがに日も暮れますので、後日以降ということになりますが……。僕ならいつでも家にいますので、ご都合の合う日にいつでも訪ねていただいたら結構ですよ。僕の家は神社の境内にある丘のすぐ下にありますので」
「わかりました。ぜひお伺いしますよ」
「あとお節介かもしれませんが、黄昏はあの世との境界が薄れる時間帯です。早く宿に戻られたほうがいいかもしれませんよ」
阿咲くんはそういいながら一礼すると、その場をあとにする。
僕らはなぜか彼の言葉が気にかかり、家路を急ぐことにしたのだった。