後編
そして、翌朝。
「エレナ!
エレナ起きて!」
「……ん?
ティア?」
ドアを激しくノックする音でエレナは目が覚めました。
ドア越しに聞こえるティアの声はなんだかとても焦っているようでした。
「……どうしたの?
こんな朝早く」
エレナが寝ぼけ眼でドアを開けると、ティアとルーファスが青い顔をして入ってきました。
「この家に魔女がいることがバレたわ!
窓の外を見て!」
「……え?」
エレナはティアの言っていることを理解しきれませんでしたが、おそるおそる窓の外に目を向けてみました。
「魔女だー!
ここに魔女がいるぞー!」
「魔女を出せー!
魔女は異端だー!」
「ひっ!」
エレナが窓の下で声をあげる人々を恐れて身を引くと、ドアの奥、玄関の方からも大きな声が聞こえてきました。
「我らは都から派遣された憲兵である!
この度、この家に魔女が潜伏しているという報告を受けた!
魔女以外の者は速やかに魔女を差し出せ!
さもなくば、この家にいる者すべて同罪とみなす!」
「そ、そんな……」
それは魔女狩りの部隊の人間でした。
「なんで、なんでバレたの……?」
エレナは訳が分からずにオロオロしてしまいましたが、その時、窓の外に見たことがある人物がいることに気が付きました。
「……あ」
それは、昨日エレナが助けた老婆でした。
そして、その老婆が憲兵から何かが入った大きな袋を受け取っているのを見ました。
老婆はそれを受け取り、一度だけ窓の方を見ると、袋を大事そうに抱えて消えていきました。
「……わ、私のせいだ」
エレナはその光景にひどくショックを受けました。
老婆にどんな背景があるのかをエレナは知りません。
ですから、老婆に売られたのだとエレナが思ってしまっても、それは無理からぬ話でしょう。
ありがとうと言って笑ってくれた。
それを、こんな形で裏切られるなんて。
エレナの中にあった人を信じたいという気持ちが大きく揺らいでしまった瞬間でした。
「……レナ。
エレナ!」
「……あっ!」
エレナはティアに揺さぶられて、ようやく正気に戻りました。
「……ご、ごめんなさい。
私のせいで……」
エレナは昨夜の出来事を話しました。
ティアとルーファスはそれを真剣な顔で聞いてくれました。
「……そう」
話を聞き終わったあと、ティアはそれだけ呟きました。
「あ、あの、本当にごめんなさい。
2人が頑張って隠していたのに、私のせいで……きゃっ!」
ひたすらに頭を下げるエレナをティアは優しく抱きしめます。
「あんたは悪くない。
人を助けようと思って動いたあんたはそれを間違いだったなんて思っちゃいけない」
エレナはおそるおそる顔を上げます。
背丈は同じぐらいなはずなのに、エレナにはティアがとても大きく見えました。
「魔女は結局そういう風にしか生きられない。
人を助けるために在るのが魔女。
だから、あんたのその気持ちは大事にしなきゃ。
ね?」
「……うん」
にっこりと笑うティアに、エレナは涙を堪えるので精一杯でした。
「おい!
応答しろ!
ドアをぶち破るぞ!」
「ひっ!」
再び玄関から聞こえてきた怒号にエレナは現実へと戻されました。
「ど、どうしよう」
玄関も窓の外も塞がれてる。
他の出入り口も同じでしょう。
「そうだ!
空を飛んで逃げれば!」
「……ムリよ。
あいつらは屋上にもいるわ。
飛んで出た瞬間、網を投げられて落ちちゃう」
「……そんな」
かすかな希望も否定され、エレナは顔を青くしました。
「……ルーファス」
「……ああ、そうだな」
「……?」
ティアが決意を固めた顔をしてルーファスの方を見ると、ルーファスもそれに頷き返しました。
エレナは訳が分からずに首を傾げます。
【燃えよ焔
唱え湖
栄華の檻の
荊の鳥に抱かれて……】
そして、ティアが突然、呪文を紡ぎだしました。
【……光の射手よ
蒼天を穿て】
「え? きゃっ!」
ティアが右手をかざすとそこから光の矢がいくつも放たれ、それは窓を割り、空へと飛んでいきました。
「魔法だ!
魔法を使ったぞ!」
「危ない!
離れろ!」
魔法に驚いて窓の外がざわつきます。
そして、魔法を放ったティアはいつの間にか窓に近付いていました。
その右手には、まだ魔法の残滓が残っていました。
「あれを見ろ!
魔女はあいつだ!」
「あの赤毛!
ティアだ!」
「ティアが魔女だったのか!」
群衆のその声を聞くと、ティアは再び窓から離れました。
「……な、なんで」
自分から魔女であることを人々に晒した?
いったいなんのために?
エレナは困惑しながらも、なんだかとても良くない感じがしていました。
【燃えよ焔
唱え湖
栄華の檻の
荊の鳥に抱かれて
標から標へ
迷いし鳥を運びたまえ】
「この魔法、そうか!
空間を跳べば!」
そして、ティアが再び呪文を紡ぐと、転移の魔方陣が足元に現れました。
エレナの足元に、エレナだけが入れる大きさの魔方陣が。
「……え?」
エレナがその魔方陣を見てから顔を上げると、ティアもルーファスも、とても優しい顔をしていました。
「ごめんね、エレナ。
空間を跳ぶ魔法はすごい魔力を使うの。
昨日も3人運んじゃったから、今日はもうそんな魔力は残ってないのよ。
1人を運ぶので精一杯」
そう言って、ティアは優しく、ただ優しく微笑みます。
「……ダメ。
だめだめだめ!
ダメだよ!
私のせいなの!
私のせいなんだから!
私が残らなきゃ!
2人は幸せにならなきゃ!」
エレナは必死に動こうとしますが、魔方陣から立ち上る光はエレナを掴んで離しませんでした。
「……いつかはね。
こうなる気がしてたのよ。
永い永い時を生きる魔女。
限りある時間を生きる人。
そんな2人だもの。
一緒にいる時間を。
その一瞬一瞬を、精一杯謳歌しよう。
私とルーファスはそう誓ったの。
いつ、世界が2人を別つ時が来てもいいように。
だから、私たちに悔いはないのよ」
「そういうこと」
そう言って微笑む2人は、本当に幸せそうに笑っていました。
「……お願い。
せめて、私も一緒に……」
ようやく出会えた自分以外の魔女。
優しく面倒を見てくれた魔女。
そんな魔女を愛した人。
そして、自分に優しくしてくれた魔女と人。
そんな2人となら、自分も……。
エレナの中には、そんな感情が芽生えていました。
「……それはダメよ。
あなたはまだ生きなきゃダメ。
あなたにはまだ使命があるもの」
「……使命?」
地面にうなだれるエレナは耳だけでティアの言葉を聞きます。
「今はまだ分からなくてもいいわ。
でも、あなたには果たさなければならない役割があるのよ。
その終着点にたどり着くまでは諦めちゃダメ」
「……そんな」
エレナがすがるような目で顔を上げると、ルーファスが口を開きます。
「……人である僕の勝手なお願いも言っておこうかな。
どうか、人を信じることを諦めないでほしい。
どうしようもない人も多いけど、それでもやっぱり人は優しい。
僕はそう思いたい。
いつか、君を愛してくれる人がきっと現れる。
その人に、ティアに見せたような素敵な笑顔を見せて上げられる日が来ることを楽しみにしているよ」
「……ルーファスさん」
エレナの頬にはもうとっくに滴が伝っていました。
「……っ!」
その時、玄関の方ですごい音が聞こえました。
どうやら、玄関が破られたようです。
憲兵たちが家の中を走る音が聞こえてきました。
「もう時間がない。
跳ばすわ」
ティアが魔方陣に手をかざすと、魔方陣の光が大きくなりました。
エレナの視界が歪んでいきます。
それは涙のせいだけではなく、空間自体が歪んでいるからです。
「ティア!
ティアぁぁ!」
「……ばいばい。
かわいいエレナ」
小さく手を振るティアの笑顔を最後に、エレナはその場から消えました。
「……悪かったわね、ルーファス。
あなたも付き合わせちゃって」
エレナが消えたあと、叩かれるドアの音にかき消されながらも、その声はたしかにルーファスに届いていました。
「今さら何を言ってるんだか」
ルーファスは困ったように笑いながらティアを抱きしめます。
「健やかなる時も病める時も、どんな時も僕たちは一緒だ。
あの小屋でそう誓っただろ?」
「……ふふ。
変な人」
優しく微笑むルーファスに、ティアも嬉しそうに微笑みます。
そんなティアのおでこに、ルーファスは口づけを落としました。
「……ルーファス。
私、あなたと一緒にいられて、とっても幸せだったわ」
「……もちろん、僕もだ」
「……愛してるわ」
「……愛してるよ」
その言葉を最期に、ドアは盛大な音を立てて破られたのだった。
魔女は1人で旅をします。
とうに涙は枯れ果て、目元は真っ赤に染め上がっていましたが、それでも魔女は今日も1人で空を行きます。
笑顔を託されたから。
願いを託されたから。
人を信じたいから。
魔女を愛する人を信じたから。
人を愛した魔女を信じるから。
「……東の、始まりの魔女」
今日も、魔女は1人で旅をします。
その頬に、もう涙は流れていません。
魔女が可愛いと言ってくれたのは笑顔の魔女だったから。
だから、魔女は今日も笑顔で旅をするのです。