再会
第一話『再会』
サツキは
『暑い…』
そう言いながら、バッグからハンカチを取り出し額の汗を拭いた。
ビルの谷間
なぜこの暑い中を徒歩で営業周りしなければならないのか、ほとほと疑問に感じていた。
紺色のレディーススーツも汗で色が薄くなっている
東京は丸の内のど真ん中
三万円のリクルートスーツに身を包み五千円で手に入れたスーツに合わせた紺色のビジネスバッグを肩にぶら下げ今日も新規開拓の営業に励む…。
就職活動には正直言って失敗した…
何も考えずに私立の大学を4年で卒業したはいいが内定をとれたのは2社
1・某大手製薬会社の管理事務
2・中小建設会社の営業
はげた上司に媚びをへつらって茶を汲むくらいならと後者の会社に就職したが事実は想像を絶する地獄のブラック企業だった
残業は当たり前、休日出勤を無言で迫られる仕事量、成績不振を理由としたボーナスカット
『少し我慢してお茶汲みでもしてりゃあ良かったな』
つい口から言葉が出たと同時に雨が降り出した。
近くの喫茶店に駆け込むと上着を脱ぎエアコンの効いた店内にほっと肩を撫で下ろす。
『ホットのミルクティーください』
注文を聞きに来たウェイトレスにそう言うと
窓一面に広がる今にも虹がかかりそうな雨上がり間際の空に目をやった
『あの人も中に入ればいいのに』
一人の男が喫茶店の軒先で雨宿りをしているのが目に入ったのだ
テーブルの上に届けられたホットミルクティーを飲みながら何か気になるのか、その男から目が離せずにいた。
どこかで見たことがある・・・
見覚えのある横顔に思いを馳せているとふと街中に背を向けた男と真正面に目が合った。
『カンタ…』
思わず席を立ったサツキに男も驚き、数秒の間を置きガラス越しに口を動かせてみた
『サ・ツ・キ?』
おそらく声は発していないであろう言葉がサツキには届いた
男は肩の雫を手でパンパンと払うとゆっくりと喫茶店の中に入る
『サツキなのか?』
一直線にサツキの前まで進んだ足跡にはまだ濡れたままの服から滴り落ちる雨粒が店内を濡らした
『カンタ…』
両手で口元を隠し、驚きを隠しきれないのか切れ長のサツキの目から笑みがこぼれる
2人の雰囲気を察したのかウェイトレスが水を差しださずに絶妙な間で二人を見守るのに先に気が付いたのはサツキだった
『カンタ座りなよ』
と同じ席の椅子を引き座ることを促すとカンタは言われるがまま席に着いた
『こういうとこ何頼んでいいのかわかんねーよ』
頼りなくメニューに目傾けるカンタに少しの笑みを浮かべながら
『あんたの好きなコーラで良いんじゃない?』と、からかいながらサツキは言った
『そんなもん東京の喫茶店にあんのか?』
『世界中の喫茶店にあるわよ』
ウェイトレスも二人の会話を聞きながら少し肩を揺らした
『コーラで宜しいですか?』
少し戸惑いながらも両手でメニューを閉じながら大きい体に似合わない声で小さく
『ハイ』
とカンタはオーダーを済ませた
『あんた何で東京に要るの?』
『いや、仕事の関係で』
『仕事は順調なの?』
『あぁ、大きな取引先が決まってな。挨拶するのに東京まで出てきたんだ』
ウェイトレスがそっとカンタの前にコーラを差し出す
『ごゆっくりどうぞ』
カンタは自慢げに企画書の様な物をサツキに見せた
『見ろ!俺の作ったグラスがこの東京の店頭に並ぶんだぜ』
カンタはサツキとは違い田舎に残り親の陶器制作の家業を継いだ。高校を出てすぐのことだったので2人は6年ぶりに顔を合わせる
『凄いじゃない!どんなの?』
自慢気なカンタを後押しするように企画書に目をやるサツキ
『作りがいいってので、噂を聞いた東京の大きな商社の人が七国山まで足運んでくれてさ』
『うんうん』
大きな体の両側から上下左右に手を動かしながら仕事の話をするカンタに頬杖を付いて相槌を打つサツキ
話を途中でやめたカンタが口をモゴモゴしながらサツキの顔を見た
『おふくろさん亡くなったんだってな』
カンタに気を使わせまいとサツキが間髪入れずに答える
『うん。4年前にね。笑って逝ったよ家族全員に見届けられながら』
『そうか。葬式は東京でしたのか?』
『そうだね。親戚が東京の方が多かったし最後は東京の大学病院に入院してたから』
七国山は東京から離れた町
歩けば建物より田んぼや畑を目にすることが多い、いわゆる田舎町だ
サツキの母は病気がちで体が弱く、サツキが小さい頃から何度も入退院を繰り返していた
七国山に見舞いに行くのも時間がかかるので近くの家を父が安く購入し小学生の時に東京から引っ越したのであった。
『おふくろさん笑って逝けたのか。良かったっていうのも違うかもしれんがおふくろさんらしいな』
『そうだね』少し目元を抑えながらサツキは頷いた
『あたし仕事に戻らなきゃ』
『仕事中だったのかよ』
『この格好見ればわかるでしょ』
そういって大人になった姿をカンタに見せたかったサツキに
『お前少し太ったな』
と気の利かない一言を置き去りにしたカンタは誰もが認める鈍感な男だった
『あんた本当に変わらないわね』
支払いを済ませたカンタに『ごちそうさま』と肩をポンと叩くと続けざまにサツキは
『また東京に来るときは連絡してよ』と言い残しその場を後にしようとしたがカンタの意外な言葉に耳と体を傾けた
『まだ言ってなかったけど俺さ、東京に越してくるんだわ』
『えっ!?いつ?』
『来週』
『先に言ってよ!!』
『なんでいちいちお前に報告しなきゃなんねーんだよ?』
『まぁ、そうだけど…』
『家決まってるの?』
『あぁ、アトリエの近くに家借りた』
『そうなんだ、じゃあ越して来たら挨拶に行くわ!!』
『おう!落ち着いたら連絡するな』
『絶対だよ』
また会えるという近い未来にサツキは心を躍らせてカンタに手を振った
そろそろ再会から一週間が経とうという頃、相も変わらずサツキは新規開拓の営業周りに駆り出されていた
『暑い…って言うと更に暑く感じる』
特にこれといった成果もあげられず、上司に嫌味を言われ一人暮らしのマンションに真っすぐ帰宅する午後22時の帰り道
『外食って気分でもないしなー』とコンビニでお酒を数本とつまみを買い
袋にぶら下げ家へ帰ると
怪しげな男が自分の家のドアの前に立ってインターホンを鳴らして首を傾げている
『あれ?おかしいなこの時間でもいねーのか?』
恐る恐る近づき声を掛ける
『あの、すいません。どちら様でしょうか?』
でかい体の男は廊下の蛍光灯の光が当たる場所まで来て
『今度隣に引っ越してきた狭山カンタと言います』
『カンタ??』
『サツキ!!久しぶり…でもねーか。隣の人ってまさかサツキ?』
『隣に誰か越してきたとは思ったけど、まさか』
こうして二人の少し奇妙で悲しい物語は始まる