空き地――怖くて悲しいお話たちより
どこへも持って行き場のない悲しみは、この世に一つの念となり、いつまでもこの地に、そして私の心に留まり続けた。
空き地
もうずいぶんと遠い昔のことになる。
昭和30年初頭から40年代後半まで、わが国が高度経済成長期と呼ばれていた頃のこと。都会のあちこちにビル建設予定地、いわゆる空き地がたくさんあった。
NHK教育の子供向けドラマでは、度々空き地が登場したし、藤子不二雄の漫画でも土管を並べた空き地が必ず出て来た。
今ではそんな空き地は滅多にないし、たとえあったとしても安全を考慮して高い塀に囲まれて中へは入れない。
ちょうどその頃、遊び盛りの小学生男子だった私たちは、学校が終わると、別に集まる約束するわけでもなく、一人、また一人とが空き地へやって来る。
本当はその頃の私たちにとって遊び場所なんてどこだって良かった。交通地獄などと揶揄されていた当時、都会っ子の私たちは、「道路では絶対に遊ばないこと」と、それだけは親や先生から口を酸っぱくして言われていた。実際に子供の交通死亡事故は日常的にあった。道路に飛び出して跳ねられると、飛び出す方が100%悪いと言われた時代であった。
空き地に着くと、簡易囲いの隙間からこっそり侵入して、待っていればそのうち必ず友達がやって来て、やがてその数は増え、野球こそできなかったが、ボール遊びをしたり、草ぼうぼうの中での探検ごっこや虫取りをしたり、その元気に駆け回る隅っこでは、ビー玉、メンコ合戦などに興じる子供たちもいる。みんな、それはそれは時を忘れるほど熱中して遊んでいた。
今日は何して遊ぼうか、もう誰か来ているかな? と、ワクワクしながら毎日空き地へ通ったものだ。
高度経済成長も後半に入ると、その勢いに陰りが見え出した。
空き地はたくさんあったが、その多くはすぐに建設が始まることはなく、半年、一年、長いものでは3,4年ぐらいは空き地のままずっと放置されていていつになっても建設が始まらない所もあった。だから、大人たちにとっては好まざる輩もけっこう住み着いたりして、度々問題になっていた。
今で言うところのホームレスたちだ。彼らは、管理者が来ないことをいいことに、いつの間にか掘っ立て小屋を立てて、火をおこし、煮炊きしてその空き地にすっかり居ついてしまった。
小屋の数は日増しに増え、それはまるで小さな貧民窟のようになっているところもあった。
当然大人たちは、子供にそこへ行ってはいけないと言う。
しかし道路では危なくて遊べないので、子供たちの安全な遊び場はそうそうあるものではなかった。だから行くなと言われても、子供は自然とそこへ集まって来る。
やがて成り行きでホームレスとの縄張り争いが始まったりするわけだ。
そしてホームレスもいろいろな人がいた。私たちが空き地に入ると、頭ごなしに出て行けと怒鳴るオッサンもいれば、何も言わずにただ子供たちをじっと見ている人、逆にやさしく声を掛けてくれる人など様々だった。みんながみんな子供を敵視しているわけではなかった。本当はいい人もきっとたくさんいたはずだ。
その中で一人、今でも強く印象に残っている人がいる。汚いボロを纏い、頭に薄汚れたタオルの鉢巻きを巻いて、いつも酔っぱらっている。顔も真っ黒、白髪交じりのヒゲをぼうぼうに生やしたいかにも小汚いオッサンだ。そして足が悪いらしく、いつも杖をついてひょこひょこ歩いている。
もちろん名前は知らないので、私たちはそのオッサンのことを見たままに、ヒゲボウボウと名付けて恐れていた。
ヒゲボウボウは、私たちを見つけるといつも大声で怒鳴り散らし、手に持った杖を振り上げ、時には石や物を投げつけて来たりして私たちを空き地から追い出しにかかる。
でも私たちも負けてはいない。子供に取っても貴重な遊び場だったので、ヒゲボウボウとはいつもちょっとした戦争ごっこのようになっていた。
煽るだけ煽って、足の悪いヒゲボウボウがひょこひょこ追いかけて来ると、皆、わーっと蜘蛛の子を散らすように逃げ出すのである。まったく禄でもない悪ガキたちだった。
ある日、その空き地へ行くと、やはりヒゲボウボウは居た。
「おい、ヒゲボウボウ、いてるで」
「せやな。今日はこんなん持って来たで。追いかけて来たら投げたんねん」
「うわっ、爆竹や。それ禁止やぞ。センセに怒られるで」
「アホか、そんなことあいつに通用するもんか」
などと、けっこう楽しんでいる。まあやんちゃな男の子たちである。この頃すでにその戦争ごっこはかなり過激化していたと思う。
でもその日は少しいつもと様子が違う。
柵の隙間から侵入した私たちの姿を見つけても、いつもみたいに石を投げたり、怒鳴ったりしてこなかった。ヒゲボウボウはたった一人、土管の上に座り、遠くを見ていた。
凶悪犯に、にじり寄る警官隊さながらに、私たちは、じわりじわりとその距離を詰める。しかし反応がない。
「あれ、あいつ変やぞ」
「ほんまや」
その時、ヒゲボウボウは、いつもの怖い顔ではなかった。
時折、どこで拾って来たのかもわからないような一升瓶の液体をラッパ飲みしながらずっと遠くを見ていた。
「おい、ビゲボウボウ、泣いてるで」
「あ、ほんまや」
あっけに取られる私たち。
と、その時、ヒゲボウボウが私たちに気付いて立ち上がった。
私たちはその一挙一動を見ながらすぐに逃げられる態勢を取るが、ヒゲボウボウは、物を投げるでもなく、怒鳴るでもなくただ、大声で、私の顔を見ながら「サブロォ! サブロォ!」と叫び、やがてオイオイ泣き出してしまった。
「誰や三郎って? お前か」
「俺ちゃうで」
皆、顔を見合わせて口々に言う。
「さぶろおおおお、許してくれえ」
とうとうヒゲボウボウは号泣しながら私たちに迫って来た。
「うわっ、来た、逃げろっ!」
せっかく持って来た爆竹を投げることも忘れて、私たちは一目散に逃げ出してしまった。
それから数日後、学校の帰り道、私は偶然、路上で座り込んでいるヒゲボウボウと遭遇した。
ヒゲボウボウは、いつもの薄汚れたタオルを頭に巻いたまま、私を見てにっこり笑い、たった一言「三郎」と言った。私は後ずさる。と、その次の瞬間、ヒゲボウボウはその場に、崩れるようにしゃがみ込み、酷く咳き込んだかと思ったら、口から何か吐き出した。溝に音もなく落ちるそれは、どす黒く、どろどろした液体だった。
私は逃げることも、ましてや声を掛けることもできずに、ただ黒い物体をだらだら吐き出すヒゲボウボウをじっと見つめていた。その光景は決して今でも忘れない。
やがて体を起こしたヒゲボウボウは、私の方を見て、ニヤッと笑って、くるりと背を向け、不器用に杖をつきながらどこかへ行ってしまった。
私は目の前をひょこひょこ歩いて去って行くヒゲボウボウの後ろ姿をじっと見ていた。その時、衝撃が走った。ヒゲボウボウは足が悪いのではなく、その左足がくるぶしから下がなかった。なぜ気付かなかったのか。溝の黒い塊は陽射しを受けてコールタールのように光っていた。ただ私は怖かった。
翌日、私は再び空き地へ行った。私のほかにも何人か友達が先に来ていた。
「おい、あかんで。行くな。お巡りさんおるわ」
友達が私を止める。数人の警察官の姿が見えた。私たちは中へは入らず、塀の隙間からこっそりと中の様子を窺っていた。
やがて救急車がやって来て、救急隊員が人を担架に載せて運び出す様子が見える。
「あ、あれ……」
担架で運ばれているのはヒゲボウボウだった。
ヒゲボウボウはピクリとも動かない。口元には黒い、おそらく昨日見たものと同じものがべっとりと付いていた。
「死んだんかな」
「あれ、血ぃやろ」
「あんな黒い血ぃあるんか」
「あるで俺知ってる。おれのじいちゃんもあんな黒い血ぃ吐いたことあるで」
おそらく、ヒゲボウボウは重い胃癌か肝臓癌を患っていたのかもしれない。
空き地に残されたホームレスたちは、運ばれて行くヒゲボウボウを心配そうに見ていた。その中の一人が警官に駆けより「巡査さん、どうかヨシゾウを助けてやってください」とすがって彼の命乞いをする。
ヒゲボウボウ、ヨシゾウ言うんや……。
その時私は初めて男の名前を知った。ヨシゾウにどんな過去があったのかは知らない。でもきっとずっとその辛かった過去を引きずって生きてきたであろうことは、子供だった私にも何となくわかった。
「なあ、もう行こうや」
ぽつりと誰かが言った。私たちは意気消沈して空き地を去ろうとした時、囲いに見慣れない標識プレートが貼られていることに気付いた。
『建築計画のお知らせ 名称 仮称○○、着工〇年〇月 建築主 ○○工務店』
ああ、いよいよここもビルが建つのだろう。大事な遊び場がなくなる。あそこに住んでいる人たちはみんな追い出されるのか……。
ヨシゾウを乗せて、サイレンを鳴らしながら去って行く救急車の後ろ姿を眺めながら、私は、いや私だけでなくその場にいたみんなが、何だかとても淋しい気持ちになった。その時、私たちは何とも言えない苦い感覚を味わっていた。それが罪悪感であると、その時には幼い私たちにはわからなかった。
それから数日が過ぎ、その空き地はいよいよ新しいビルが建つらしく、隙間だらけの囲いは撤去されて頑丈な高い鉄板の壁が立てられた。もちろんホームレスたちも皆追い出されてしまった。
そして私たちは、ヨシゾウの姿を二度と見ることはなかった。
また何週間かが過ぎ、空き地には大きな重機がやって来て、いよいよビル建設が始まった。
私たちは、ガードマンが見張る搬入口の隙間から土を掘り返すショベルカーをじっと見ていた。
「こら、お前ら危ないからどっか行け! 遊ぶんやったらよそで遊べ!」
ガードマンに追い立てられつつ、私は中の様子を見た。何台ものダンプが停まっている。
ゴーッガーッと黄色い怪物が唸る。
と、その時だった。
――さぶろぉ、さぶろぉ、すまなんだ、さぶろぉ……。
その重機の轟音に交じって私の耳にはっきりと男の声が聞えた。ヨシゾウだ。私はあたりをきょろきょろ見回した。でもヨシゾウはいなかった。ただ重機の音がけたたましく響いているだけだった。
――あの声はなんだったのか。あれはきっとヨシゾウがここへ残して行った、どこへも持って行き場のない深い悲しみだったのではないか。子供ながらにそんなことを思っていた。
後日、私は母親からヨシゾウの話を聞いた。
――ああ、あの片足のないおっちゃんか。あのおっちゃんはな、そら気の毒な人なんやで。
母はそう言ってヨシゾウの話をしてくれた。彼には家はなく、包丁や刃物などを砥ぐ仕事をしていた。よく昼間に「砥ぃ」と言う掛け声と共に、ひょこひょこ杖をつきながらうちの近所へもやって来ていた。その腕は良く、使い古した包丁も裁ちバサミも彼の手に掛かると新品同様の切れ味を取り戻したのだと言う。母もよく包丁を砥いでもらっていたらしいが、その時に身の上話も聞いたのだろう。
さて、彼がどこからこの地へ流れて来たのかは知らないが、元々ヨシゾウは戦争で負傷して国に戻った傷痍軍人だったそうだ。その怪我のために片足が義足になったが、再び出征することはなかった。そして当時、ヨシゾウにはまだ3つになる子供がいた。
名前は三郎と言う。気の毒なことに、三郎はかつての大阪大空襲の犠牲者である。
ヨシゾウの目の前で三郎は焼け死んでしまった。足の悪いヨシゾウは、必死で自分に救いを求める三郎をどうしても助けることができなかった。
きっとその自責の念だけで生きていたに違いない。私は彼の気持ちを思うととても悲しかった。
こんなにも悲しい話が、自分のすぐ傍にあったことが信じられなかった。知らなかったとはいえ、そんなヨシゾウを皆でいじめていたことが辛かった。大きな罪悪感を初めて知った日でもあった。そして私は、平和な世に生まれたことを心から感謝した。
今ではその地に大きなタワーマンションが建っている。
セレブそうな住人たちは皆、昔、ここにそんな人たちが住んでいたことなんか知らない。
了