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改善案

エッセイカテと批判

作者: とびうお君

 いい加減長文タイトルがーーって話ばかりなのにうんざりしてきた。いやその話の批判じゃない。その根底にあるなんでこんなどうでも良いことを必死に話すのか?になる。私もたびたび長文タイトルは画面面積を取るから自分勝手だと書いてきた。全く問題がないように擁護する人たちがいるけど、それは違うだろ?って思うから。


 典型的な自分さえ良ければ良いって発想じゃないか。と思うのだが、そうなると私は否定派なのか?と言うとそうでもない。全く何も悪くなくて逆に良いことだみたいな開き直りはちと違うんじゃない?って言いたいだけで、根本的にはくそどうでも良い事なので敢えて言うならってだけにすぎない。


 何故どうでも良いのか?批判側に正当性が全くないから。敢えて善悪を持ち出すと無いことはないってだけ、私のような意見皆無。何故か?まずまねするの恥ずかしい?私これ割烹でしかまともに語ってないと思う。偶然の一致にすぎない。だが誰も思いつかない。何故か?そもそも善悪の問題として書いてないから。


 じゃ書くなよって言いたくなる。ただの無意味な愚痴なんだ。愚痴を愚痴として書くのは良いが、どうもそこに正当性があるような書き方をするエッセイが目立つ。それで以前からの不満が一気に爆発してしまう。なろうは知的な正当性より感情的な愚痴の方が創作論で人気になりやすい。


 むしろ正当性より感情論の方が受けやすい。それはそれでいいが、それで正当性を語るなと言いたい。ただの感情論の愚痴らしく意味なんてないが感情的にむかつくから言いたいとなる。


 そこで立ち返って今度は擁護の人を見てみて、文句は言ったが水源さんのこれも受けた結果だという意見が納得できる。たとえ感情論でも法律とかで裁くじゃないならある程度多数派の感情の総意を無視するべきじゃないと思う。で水源さんの意見に戻ると多数派はそれが良いものとして受けてるから良いのじゃないか?となる。


 皆何してるの?となる。書くのは勝手だが正当性は無いからね。私は唯一の例外である多数派の総意ならすべて正しいのか?に疑問をつけて書いてる。受け手としては多数派の総意でも作り手にとっては長文タイトルを使わない人は損をするから。多数派の相違がすべて許されるわけじゃない。環境の問題とかってこれに近いと思う。総意でレジ袋が無料が良くてもそうならない。


 でも、長文タイトルに文句言ってる人はそのケースじゃない。長文タイトルへの文句について語りたいわけじゃない。多数派の相違でもないのに声だけ大きいマイナー集団の正当性ってどう扱えばいいかな?って話になる。私がこればかりやってると思う。ずっと書いてる5chで批判が多いが、配信は元気ななろう系は内容批判があり、それについてよく使用みたいな上から目線目立つが、なんで受け居られてるものを否定されて改善されないといけないの?となる。


 さも多数派の総意のようにすり替えてそれらを正当性があるように語る愚痴ばかりになってしまう。エッセイの総意は読者の相違とかなりズレると思う。何故か?目の肥えたとは使いたくないがマニアックな煩い読者作者が固まってできた歪な集団が多いと見てるから。そのくせ感情論の愚痴が受けると言う多数派と同じ性質…。


 結局何が言いたいのか?と言うと知的に刺激されない感情論の愚痴ばかり上位にきてうんざりなんだよってのが言いたいことになる。ファンタジーカテゴリーのようなものとは違う。現実の正しさ求められるものをある程度書いてほしい。創作なんて虚構で大切なテクニックと結局は創作論も変わらないと言うのがとても残念。


 エッセイの偏りは多分まともな平均的読者は創作論なんて読まないからだと思う。当然だろう。総意なんてあるわけがないのに、いったい誰に向かって正当性のある問題提起をしてるんだ?となる。ただの感情論の愚痴ならそれらしく振舞ってくれ最初から相手にしないから。それをさも総意のように正当性のある問題提起のように語るからつい読んでしまってがっかりしてる。


 なろうの創ることへの批判的言及って大半がゴミだと思う。その理由は、正しくあろうとする根底が欠けていて、根っこは感情論の愚痴ばかりで、質の悪いことにそれがこの偏った集団の中では大いに受けるから問題だと思う。それ同意する人こんなに多いじゃないか?となる。そりゃそうだ偏った歪な読者しかエッセイカテにはいないからね。私も含めてね。


 自分でも書いてて、今の物語に必要なものって書いてる内容と全く違う自分の態度に矛盾やブーメランを感じている。ただ、役に立つ意味がファンタジーカテゴリーとは違うと思ってる。ただ楽しいだけで役に立つものとは違う。何かしら未来の知的な積み重ねに貢献できるような予測性の高い意見が述べられてるか?を重視してる。


 方法論は私も多分に思い込みの入った主観だが、それでも根底は感情論の愚痴を書いたことは一度もない。これからも多分変わらないと思う。根本的にはファンタジーカテゴリーのランキングと変わらないので、総意としてその点は変わらないと思う。ただ正当性が必要がないただ楽しめればいい虚構と創作論が同じであるとは思ってない。


 正当性を述べなければ別にただの愚痴なのでどうでも良いのだが、何故自分の意見が正当で問題のあるタイトルは是正されるべきだみたいな意見が目立つのか本当に困ったものだ。多分ただの愚痴でするーしてもらう境目が平均的な日本人は分からないのだろう。日本文化そのものの裏返しのようだ。


 正当性を語る場合は多数派の感情論の総意では問題の出るケースも多々ある。正当性を同意の数を正義に語るのは勘弁してほしい。これは長文タイトルへの批判の意見じゃない。エッセイカテそのものが毎回テンプレめいた知性の欠ける批判が多いのでそれに対する苦言だ。手法の話じゃない根底の姿勢に問題があるから書いてる。


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