8.魔法の世界へようこそ
朝のバシレウスの町に、ぽつぽつと雨が降っている。木々の葉から水が滴り落ち、下にある花の葉に大きな水滴が転がる。ミラは水滴を弾くときに、葉が少し躍動するのをぼんやりと見るのが好きだった。しかし今日はそれを見る余裕もない。
ミラは真新しい制服に身を包み、何度も何度も深く呼吸をした。そうしていないと心臓が外に出て1人で歩いてしまいそうなくらい、気が高ぶっている。昨日は全く眠れなかったのに、目が冴えて仕方がない。ミラは鏡の前に立ち、自分の姿を見た。そこには、興奮した動物のように目をらんらんとさせ、緩む口を隠し切れない姿が映し出されていた。
興奮するのも仕方がないことだ。今日は魔法学校の入学日。
ミラの夢を現実のものにする時が、ようやくやってきたのだから。
カーターに声をかけられ家を出発し、辿り着いたのは昨日の時計塔だ。
「あれ?雨だと魔法学校見えないんじゃなかったっけ?」
「ええ、そのはずです。しかし、学校側から指定されたのはここなんですよね。」
魔法学校へ入学する時は、入学する本人とその保護者しか立会い出来ない規則があり、カーターも見たことがないという。2人は時計塔の入り口でどうしようかと話をしていると、中から青いシンプルなドレスを着た女が現れた。
「はじめまして、ブラウンさん。私はエブリン・パーカー。エブリンって呼んで。私は貴女を学校まで案内するように言われている者よ。」
2人が挨拶を返すと、さぁいらっしゃいと言いながらエブリンは塔の中に入っていく。ミラは唾を飲み込み、カーターの服の裾を少し握りながら時計塔の中へと足を踏み出した。
昨日来たばかりだというのに、まるで別の場所みたいだとミラは思った。生憎の雨だからか、はたまたミラの心境の違いがそう見せているのかは分からない。3人以外誰もいない空間は、靴の音だけがやけに大きく響いていた。
「はい。展望台に到着。お2人さん、今日の魔法学園の姿は普段見ることが出来ないとっておきよ。」
エブリンの謳い文句に心奪われ、駆けるように展望台に足を踏み入れた瞬間、ミラとカーターは言葉を失った。
「雨が……学校を避けてる……?」
まるで意思を持った魚のように、雨は学校に近付くと跳びはねるようにその場から逃げているようだ。通常は、雨が降ったら霞んで学校は見えなくなる。しかし今日は特別な入学式。新入生のために、在校生が魔法を使って雨を遠ざけているとエブリンは言った。そして、ここに着いたことを知らせなくちゃとエブリンは呟き、手を空に向かって高く上げた。その瞬間、手の平から光の玉のような物が打ち出され、眩い光が曇天を明るく染め上げた。その光景にミラは歓声をあげた。
「可愛い反応で嬉しくなっちゃうわね。」
エブリンが嬉しそうな口ぶりでそう言うと、これからが本番だというように、学校から雨を避ける空間が迫ってきた。あっという間にその空間は展望台を飲み込み、展望台に溜まっていた水をも吹き飛ばした。ミラが口を開けて呆然としていると、エブリンはもう傘を畳んでいいと言った。
エブリンは手に持っていた傘の柄を両手で包むと、傘はピアスへと姿を変えていた。そして傘のピアスを付け、歩き出し展望台の柵に手を置くと、柵の一部が変形し、階段のように姿を変えた。エブリンは階段を上がり、そのまま宙へと足を踏み出した。ミラが危ない!と叫び駆け寄ろうとしたが、エブリンの身体は落ちていない。エブリンの足元には階段から続くように道ができていたのだ。これを渡るのは怖いかなとエブリンは呟き、つま先を1回地面に打ち付けると、道と同じ材質の手すりが地面から現れた。
エブリンは2人の方へ身体ごと振り返ると、目をこれでもかと輝かせるミラを見て口の端を少し上げて笑った。そしてスカートの裾を摘み、腰を少し落とし、ゆっくりと手をミラに差し出して言った。
「魔法の世界へようこそ。私達は貴女を歓迎するわ。」
一連の光景はまるで物語の1ページのように、蟲惑的だった。ミラはまるで誘われるように、エブリンの手を取った。そして、よろしくお願いしますと生き生きとした瞳で言った。
ここから先に保護者は行くことが出来ないとエブリンから聞いたミラは、1回カーターの元に戻り、カーターに抱き着いた。感謝の気持ちが伝わるように、少し腕の力を入れた時にカーターが笑った音がして、ミラはそのままの姿勢で顔を上げた。そこには、少し困ったように眉を下げて、目元柔らかく微笑むカーターがいた。ミラはもう1度カーターの胸に顔を預けた。そして、カーターから身体を離して元気良く言った。
「カーターさん、いってきます!」
「ええ。行ってらっしゃい、ミラ。」
カーターは優しくミラの頭を撫でた。ミラは満足そうに笑うと、エブリンの待つ階段を駆け上がって行った。そして、エブリンと共に魔法学校へと続く道を歩んで行くのであった。
ミラの姿が見えなくなると、道と階段が元の姿に戻った。途端に雨を避ける空間が無くなり、魔法学校もその姿を隠してしまった。カーターは慌てて傘を差すと、全く魔法使いは自分勝手だと溜め息を吐いた。そして時計塔の中へと姿を消すのであった。
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