2.洗礼式
今日は朝からしんしんと雪が降っていた。村中から音が消えたかのように、とても静かだ。村人達は神託を受ける2人が楽しい気分になれるようにと、朝から2人の家に訪れてはささやかな贈り物をしていた。ブラウン家では楽しい色合いの花束や、手作りのお菓子、手編みのぬいぐるみを貰ったミラが嬉しそうに、時折寂しそうな表情をしてその時を待っていた。
「ミラ。カーターさんが来てくださったよ。」
エミリーが玄関を開けた時に、鼻を赤くした眼鏡の男が中に入ってきた。男は白い衣に金糸の刺繍が編み込まれた服を身に纏い、品のある佇まいを醸し出している。ミラは柔和な笑みを浮かべるこの男のことを良く知っていた。
「ようこそ!カーターさん。外は寒かったでしょ。今日は特別よ!おばあちゃん特製スープがあるの。温まるから、よかったら飲んでいきませんか?」
「久しぶりですね、ミラ。今日はおめでとうございます。特製スープとは、とても魅力的ですね。一杯お願いできますか?」
「喜んで!」
ミラが台所に駆けていくのを2人は目で確認し、いつものように椅子に腰かけた。
「ついにミラも洗礼式を受ける年ですか……。早いものですね。エミリーさんもお元気そうで何よりです。体調でお困りのことはありませんか?」
「健やかに育ってくれました。ふふふ。私は元気だけが取り柄ですからね。どこも悪いところはありません。まだまだ現役ですよ。」
男の名前はエバン・カーター。教会本部から神託を授けるために派遣された男である。村人が少ないズーマ村では、毎年神託を授かる子どもがいる訳ではない。しかし毎年村に訪れ、体調の悪くなった村人がいないか一軒一軒訪問している奇特な人だった。当然、村人達はそんな彼を慕っていた。
「お待たせしました!熱いから気を付けてね。」
台所から戻ってきたミラは、手に持っていた木の器をカーターに差し出した。器の中身から白い湯気が立ち、仄かな玉ねぎの香りがカーターの鼻孔をくすぐった。
「とても美味しそうですね。ありがとうミラ。いただきます。」
カーターはスープを飲むと、ほっと息を吐いた。これはジャガイモのポタージュだ。エミリーが育てた野菜の旨味が良く出ていて、とても美味しい。カーターは冷えた身体にスープが染み渡っていくのを感じた。
「どう?どう?」
「凄く美味しい。エミリーさんの料理は最高ですね。これは特別な一品です。」
「でしょう!喜んで貰えてよかった。」
ミラは鼻を膨らませて手を叩いた。
ブラウン家では楽しい時間が流れ、ミラは先程の寂しい気持ちを今だけは忘れることができた。
「長居してしまい、申し訳ありませんでした。また2時間後にお会いしましょう。では失礼します。」
カーターが深々とお辞儀をして去っていくのを、2人は姿が見えなくなるまで見送った。
エミリーは、さて!とミラの肩を叩き洋服を取り出した。綺麗なレースがあしらわれた長袖の黒いワンピースと黒いローブを身に纏ったミラを見て、エミリーは満足そうに微笑んだ。
「娘が洗礼式で着た服をお直しした物だよ。ミラに良く似合っている。今日はおめでとう。」
「おばあちゃん……お洋服嬉しい!本当にありがとう!」
ミラは嬉しさのあまり、エミリーの胸に飛び込んだ。エミリーはミラを優しく包み込み頭を撫でると、ミラは一層嬉しそうに笑ったのだった。
そうして何分か経った時、もうそろそろリースとの約束の時間じゃなかったかな?というエミリーの一声に、ミラはハッとした顔をして、いけない!遅れちゃうわ!と慌ただしく準備を始めた。そして元気良く家を出たのであった。
「おばあちゃん、行ってきます!」
「はい、行ってらっしゃい。気を付けるんだよ。」
そんなミラの後ろ姿を見てエミリーは自分の娘の姿を重ねていた。
「そういえば、あの子の時もこんな雪景色だったね。……あの子の顔も名前すらも、ぼんやりとしか思い出せないなんて。年かねぇ。」
エミリーの呟きは、雪と共に溶けていった。
教会までは神託を受ける子ども達だけで行かなければならないという村の掟に従い、ミラとリースはお互いの家と家の中心にある噴水の前で待ち合わせる約束をしていた。ミラが噴水の側に着く頃に、丁度リースもやってきた。ミラに気付いたリースは、太陽のような笑みを浮かべて手を振っていた。
「こんにちは、リース!昨日は緊張してよく眠れなかったわ!」
「やぁ、ミラ。それはミラらしいな!今日はあいにくの雪だと思っていたけど、黒い服が雪に映えてなんかいいな。似合うぜ!」
「ありがとう!リースも素敵よ。まるでお貴族様みたい。」
「それは言い過ぎだって!なんか恥ずかしいぜ。」
2人は笑い合い、教会へと歩みを進めた。村人達はすれ違いざまに2人に行ってらっしゃいと声をかけていく。ミラは進むたびに夢の欠片を落としているような、不思議な気持ちになった。神託を授かり運命が決まってしまうという現実が、すぐそこでミラの夢を食べているのだ。耳飾りを触っても、今日は気持ちを落ち着かせてはくれない。ミラの心の中が不安で埋め尽くされた時、リースがミラの頬を両手で挟んだ。
「ミーラ!!大丈夫だって!信じるんだ。俺の言葉を忘れたのか?」
ミラの目の前には、いつもの自信で満ち溢れたリースの顔があった。いつでもリースはミラの心を軽々と救い出す。なんで考えていることが分かるのかしら?まるでリースが私の魔法使いみたいだわと、ミラは思った。
「忘れるわけないよ。……うん。もう大丈夫!ありがとう!」
こんなにも心強い味方が側にいるのだ。もう信じるしかないとミラは自分の心に言い聞かせた。
ついに、その時はやってきた。教会の門からカーターが2人を迎えに来たのだ。教会の中には神託を授かる子どもと教会の人間だけが入ることが許されている。後から来たエミリーとリースの両親は見守ることしかできない。
「おや。2人とも先程とは顔つきが変わりましたね。良い顔です。」
カーターは2人を見て笑みを深めた。
「それでは参りましょう。女神様の奇跡が、あなた達の未来を照らすその場所へ。」
カーターの言葉と共に教会の扉がゆっくりと開かれた。教会の中は美しい女神様を描いたステンドグラスで彩られ、太陽が出ていないのにそこから光が差し込み、なんとも幻想的な光景が目の前に広がっていた。あまりの神々しさに2人はため息しか出なかった。
「では始めましょう。」
カーターの声に弾かれるように、2人は背筋を伸ばした。
「リース・ホワイト。前へ。」
生まれの早い順に儀式を行うため、リースの名前が先に呼ばれた。内陣に立つカーターの場所へと向かうリースの顔にも緊張の色が見え、ミラは心の中でエールを贈った。そしてリースの夢が叶いますようにと心から願った。
「髪を一本、この盃の中に入れなさい。女神様は私たちの髪で、個人を識別しています。」
リースは髪を1本抜き、盃の中にそっと落とした。何かを唱えたカーターが盃に手をかざすと、淡い光と共に髪の毛が浮かび上がった。その髪の毛の中に螺旋状の何かが2つ光に透けて見えたと思った時、突然螺旋状の何かの間に黄色い小さな玉が出現し、光と共に盃の中に消えていった。
「リース・ホワイト。貴方の神託が下りました。
商人になりなさい。」
その瞬間リースは弾けるばかりの笑顔を見せた。リースは夢の大事な一歩を踏み出すことができたのだ。
「ミラ・ブラウン。前へ。」
ドクンと大きく脈打つ心臓の音が、ミラには終焉を告げる鐘の音に聞こえた。震える足をなんとか踏み出しリースを横目で見ると、リースの目はまるで次はお前が叶える番だと言っているかのように見えた。カーターの前に着いても、世界が心臓になってしまったかのように鼓動の音ばかり響いて、近くにいる人の声すら、ちっとも聞こえやしない。
「ミラ?」
自分を呼ぶカーターの声に急に意識を引き戻されたミラは、震える手で髪の毛を抜き、恐る恐る盃にそれを落とした。
神様。女神様。お願いです。どうか私の願いを奪わないでください。まだ、まだ夢を見ていたいのです。知らない世界を知りたいのです。お願いします。お願いします……。
カーターが盃に手をかざしている間も直視することができず、ミラは頭の中でただ祈りを捧げていた。
永遠に感じる祈りの中、ミラはそっと目を開け髪の毛を見た。
玉の色は黒だ。
「これは……。ミラ・ブラウン。貴女の神託が下りました。
魔法使いになりなさい。」
ミラは頭の中が真っ白になり、その場で音もなく泣き崩れた。
いたずらな女神様の気まぐれか。いや、何でも良い。
叶わない、叶うはずのないと思っていた夢が今この時、ミラの手の中で小さく芽吹いたのだ。
雪が止むことを知らぬこの小さな村で、雪解けを待つ草花のように、少女の夢もまた、日の目を浴びる日を今か今かと待ちわびていたのだ。
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