我が魔王は、
我が魔王は、まるで僕を非難するかのようにねめつけた。
せっかくの風呂あがりだというのに僕は冷えた床に正座をさせられ、ボディシャンプーのさわやかな香りに包まれながら、射るような真っ赤な視線に耐えなければならなかった。
「ねぇ! わたしよりも、そんなに、あの子のことが大事なの?」
真っ赤になった目に涙をためて、鼻水をすすりあげ、彼女は僕に問いただした。
僕は返答に詰まる。
たまたま行きずりに道端で出会い、家まで連れてきて、一緒に風呂に入って、事ここに至るわけだ。
今日はじめてであったあの子のことが、今目の前にいる彼女より大事かというと、そんなことはないとはっきり言えるのだ。言えるのだが、言ったところで彼女はそれを信用しないだろうことは想像に難くない。
それは、僕がとんでもないミスを犯していたからに相違なかった。
あろうことか、彼女のお気に入りのバスタオルにあの子はその身を包んでいたからだ。僕があの子を見ると、片手でぎゅっとバスタオルを胸元に引き寄せて、何も言わずに瞳を閉じた。
「ねぇ、ユウヤ。あなた今回で2度目よね?」
僕を下の名前で呼び捨てにするときの彼女は、大抵頭に血の気がのぼっているか、ベッドの中でナカヨシをしている最中だ。
今は後者ではないな、と僕はくだらないほどに冷静に考察した。
そうでもしなければ、真っ赤になった彼女の視線に耐えられはずもないからだ。
彼女は続けて言葉を紡ぎだす。
「あの時わたしがなんて言ったか覚えてる? もう、2度と、この家に、連れ込まないで。そう言ったよね?」
「でもここは僕の部屋だ」
堪らず反論をしてしまった。
これがまずかった。
彼女が僕に怒りをぶつけてる間、ずっと抑えつけていた左腕の袖を捲り上げて、彼女はその左腕を僕の目の前に突きつける。
僕はその動きに驚いて咄嗟に身構えた。
「この左腕をよく見なさいよ」
彼女は搾り出すように呟く。
僕は言われるがままに彼女の左腕を凝視し、普段とは違い醜くなった様に驚いた。
まさか彼女がここまで身体に変化を及ぼすなんて思いもしなかったのだ。
「ごめん。僕が悪かった。だから、その腕をしまってくれないか」
「この腕を見て恐れをなしたの? わたし、これを抑えつけるのに必死なのよ?」
普段から我慢強い彼女だから抑えつけることができるのだろう。僕にはとてもそんなことはできない。
しかし、だからといって引き下がるわけにも行かない。
すでに夜の帳も下りている。初秋の寒空の下にあの子を放り出すことなんてできなかった。
「せめて今夜だけでも引き下がってくれないか。明日には部屋もベッドもクリーニングするから」
「は? マジで言ってんの? この期に及んで、一緒にベッドで寝るつもりしてんだ? あきれた……」
彼女は今まで見せたこともない表情で僕を蔑むように見下ろした。
でも、それが楽しみであの子を連れてきたのだからしょうがない。
彼女は怒り心頭といったように唇を噛み締めていたが、堰を切ったようにまくし立てた。
「わかった、もういい。あなたとは今日限りで別れますから! もう一切連絡もしてこないで。この部屋にあるわたしの私物は捨ててもらって構いません。じゃあ、そういうことで、さようなら。お幸せにっ!」
ドスドスと音を立てんばかりの歩き方で、彼女は玄関へと向かう。
僕はたかがこの程度のことで別れるなんて到底納得がいかない。
「待ってよ!」
思わず彼女の左腕を掴む。
ザラっとした肌の感触に、僕は思わず手を離してしまった。
彼女はさらに大粒の涙を溢して僕をにらみつけると、それ以上何も言わずに部屋を出て行った。
静かになった部屋で僕はこれからなにをなすべきかを考えた。
僕は彼女──マキを失いたくない。
あの真っ赤な目や鼻水、そして肌の感触までも変わってしまった腕。
マキがあの子を目の仇にするのもよくわかる。
僕とマキの仲を引き裂いてしまうほどであるあの子は、まるで魔王とも言うべき存在だ。
我が魔王は大きな耳をぴくぴくと揺らして、柔らかいバスタオルの中で寝息を立てている。
僕はスマホを手にすると迷わずマキの番号にダイヤルした。
果たしてマキは通話に出てくれ、落ち着いた口調を聞かせてくれたから、僕は我が魔王を起こさぬようにと静かにマキへの謝罪の言葉を口にする。
「ごめんね。マキの猫アレルギーがそんなにひどかったなんて、僕はまったく考えもしなかったんだ──」