見据えた先
クニッツと秘密の特訓を重ねながら、侯爵令嬢としての勉強も並行して行わなければならなかったが、二回目なのでそこまで苦労しなかった。
(無駄ではなかったわね)
前回で学んだことは、全て無駄にならなくて良かったと思う。
「平和だわ」
久しぶりの平和な時間を満喫し、この後時間が空いたらまたクニッツに剣術の稽古をつけてもらおうと思った矢先だった。
「お待ちください!!」
セレナの声が聞こえ、エステルは嫌な予感がした。
「何故かしら?すごく嫌な予感が」
平和とは何時もいきなり崩れて行く。
「入るぞ!」
「殿下」
ノックもなく入って来るクロードにため息をつく。
「お待ちください殿下!」
「気にするな」
「セレナお茶を」
このままでは口論になると判断したエステルはお茶を持ってくるように頼む。
「かしこまりました」
セレナが部屋を出るのを確認してからエステルはクロードに尋ねる。
「殿下、本日はどのような御用で?」
「暇だから来ただけだ」
(だからどうして我が家に来るのかしら?)
暇だと言ってもアルスター家に来なくてもいいのに。
「宮殿にいると面倒だ」
「はぁ…」
(逃げて来たのね)
堅苦しいことが苦手なクロードは礼儀作法の勉強から逃げて来たのだと察した。
「こんな日にまで読書か…って、哲学書?」
「何か問題が?」
「いや、お前お嬢様だろ?」
貴族の令嬢が読むには相応しくない本にクロードは驚くが、さらに驚いたのは栞が挟まれていることだった。
何度も読み返したことが解る。
「それに見事に政治の本ばかりだな」
「無知程恐ろしいことはございません」
「まぁな」
本棚には難しい本ばかりで幼い少女が好んで読む本じゃない。
「お前は財務大臣にでもなる気か」
「とんでもありません…ただ」
言いかけて止める。
「何だ?」
「いいえ」
政治のことに女が口出すなんて、でしゃばり過ぎだと思い口を閉じるが、クロードはそれを許さなかった。
「言え」
「ですが…はい」
有無を言わせない視線に従わざるを得なかった。
「国の財政が気になったのです」
「何故だ?」
「貴族と平民との貧富の差があまりにも酷いように感じて、国の財政をちゃんと知りたいと思いまして」
嘘は言っていない。
事実、国の財政が気になっていた。
経済学を学びちゃんとお金の回り方を知りたかった。
「隣国とは未だにらみ合いが続いていて、いつか戦争になれば財政は悪化しますわ」
表向きは平和でも、何時戦争になるか解らない情勢だというのに、王都の貴族達は呑気にも優雅な暮らしを続けている。
「貴族としての特権を持つ以上は…出過ぎたことを」
本音がポロリと出そうになり思いとどまる。
王族を批難するような言葉を言うべきではないのに失言をしてしまった。
「かまわない。母上も同じだ」
「え?」
「俺の母は寵妃でありながらも政治に口出しすることが許されている」
普通は公妾が政治に口出しすることはご法度だったが、クロードの母は類まれなる美貌と才知を持ち、女でありながらも政治に口出しする権利を与えられている。
「母上は常に政治問題と貴族達の贅沢振りに目を向けていたからな」
クロードも第一王子でありながら母の教えで政治に関心を持つように言われていた。
「隣国とは停戦状態となっておりますが、戦争にならないとは限りません」
「停戦なんて口では言っているが」
「兵を戦場に向かわせるにもお金がかかります。重税を課せば国民の不満は募ります」
国民の不満が爆発すればクーデターを起こし国内で血が流れる。
「同じ国同士で争うようなことにならないか…」
前世での過ちを繰り返したくないと思う一方で。
貴族の贅沢が原因で国内でクーデターが起きたことを思い出す。
(まだ始まっていない…でも!)
数年後の未来を知っているエステルは最悪な末路を迎えることになるのを防ぎたかった。
「何故だ」
「はい?」
クロードは思わず言葉を放った。
「それほどに聡明でありながら…何故泣き寝入りしている」
「あっ…あの」
何を言っているか解らなかった。
「お前の噂は社交界でも耳にしている。優秀なのに、誰もお前のことを知らない。知ろうとしない」
音楽の才能に貴族の令嬢としての気品を持ち合わせながらも認められることはない。
「これほどに優秀でありながら」
「仕方ありません。私は…」
ぎゅっと胸を抑え込む。
傷つくことはないと思っていても胸の奥が痛む。
「この髪ですから」
金髪に翡翠の瞳が美人とされ、白銀の髪は老婆のようで老婆姫と呼ばれてしまった。
「美しい髪なのにな」
「え‥‥」
そっと髪に触れるクロード。
この髪の所為で酷いことを言われて来た。
「殿下?」
二人の距離が近くなろうとした時だ。
バァン!
「お茶をお持ちしました!」
タイミングを見計らったかのように部屋に入って来たセレナはお茶の用意をする。
「殿下、お戯れも程々になさってくださいませ」
笑顔だったが目が笑っていない。
(この害虫が!)
言葉に出さないがセレナはクロードを敵と判断した。
「俺は王子だぞ」
「存じておりますわ」
「そうか…」
通常であれば王族に対する不敬罪として罰せられるのだが、セレナはエステルの身の安全が第一だったので退かなかった。しかし、その反抗的な態度が余計にクロードを喜ばせることになるとは誰も知ることはなかった。