31後日
あの騒動から一年が過ぎたが、社交界でエステルが批難の目にさらされることはほとんどなかった。
逆に憐れみの視線はあれど攻撃の的にされることはない。
あるとすれば婚約者の心を繋ぎ留められなかった哀れな侯爵令嬢だというぐらいだ。
「聞きましてアルスター伯爵家の話」
「ええ、妹が姉の婚約者を奪ったのですって?」
「まぁ…でも姉君はそんなに魅力がなかったのかしら?」
貴族の令嬢は面白く騒ぎ立てる。
他人の事情など知らないのでいいたい放題だった。
「なんでも妹君が姉君の婚約者に懸想したとか?」
「ご両親は妹君を溺愛されていたので婚約者を譲るように言ったそうですわ」
「有名な話ですもの。アルスター伯爵ご夫妻が姉君を疎んでいることは」
「ええ…放火事件でしょ?」
ただしすべてが偽りではなかった。
二年前の放火事件に、サロンでの騒動は事実だった。
「聞けば妹君に爵位を継がせたいがための犯行らしいですわ」
「まぁ…怖い」
「それで公爵様が引き離したのね」
放火事件のことを知る貴族は多い。
その犯人は未だに捕まっていないのだが既に国外に逃亡したか、捕まるのを恐れ自殺したのでは?などと色々噂は流れていても真実は闇の中だった。
「社交界はアンタと妹の噂でもちきりね」
「そうですね」
「半分が妄想ね」
「そうですね」
他人事のエステルにミシェルは苛立つ。
「ちょっと!聞いているの?」
「はい」
「人の話を聞きながら本なんて読んで‥って、また難しい本を」
領地経営に経済学の本を読んでいる。
基礎から応用編とグレードアップしている。
「しかも何よ、この本は!」
「コペルの定義です」
「数学学者が読むマイナーな本じゃない!」
コペルニクス・ピッカリーナ。
優れた数学学者で数式の神様と謳われる優れた学者であり科学者だった。
「サロンで偶然知り合ってお話を聞かせていただきました。経済学の神様にもお会いする予定です」
「アンタ、貴族の令嬢からドンドン遠ざかってるわね」
優雅に紅茶を飲みながら読書する本には似つかわしくない。
「そう言えばアンタ貴族院には通わないの?」
「はい」
この国の貴族は通常貴族院に通うのが習わしだったがエステルは貴族だけが通う学校に通う気はなかった。
「メトロ学園にしようかと思ってます」
「あの絶対実力主義学校?」
「ええ」
貴族の令嬢や令息は貴族院で学んだ後、家の跡を継ぐか嫁入するかのどちらかだ。
貴族院を出て大学で学ぶ生徒もいるがごく一握りだった。
官僚を目指す者もいるが競争率が半端なく採用枠も少なかった。
貴族院に通えない貧しい貴族は宮廷に侍女と仕え、そのまま侍女となるぐらいだ。
選択権が狭く、視野も広げることができない。
「アルカディアの95%は国民です。貴族絶対主義の時代はいつか終わりますわ」
「そうね…」
「なのに王都は未だにその考えを覆すことはありません。税金を払うのは国民だけで私達はどうです?」
国庫は赤字が続き、政策にも資金がいる。
モントワール侯爵夫人と言えど国庫を潤すにも限度がある。
「いかにモントワール侯爵夫人が優秀でも限度がありますわ」
「辺境の地でもそれは問題視されて…じゃなくて!」
「私達はあまりにも無知です」
貴族社会とは閉鎖的なものでどうしても視野が狭くなってします。
(広い視野で見なくては…)
悠長なことを言っている時間はない。
運命の時まで時間は押し迫っているので一刻も無駄にできない。
「あー!!もう!!」
「どうしました?」
(どうしてこうなのよ!)
ミシェルは解っていたとは言えど、苛立つ。
婚約騒動からしばらくしても社交界での噂は耳にする。
正直に言うと、今すぐヘレンの胸ぐらを掴み、海に投げ込んでやりたい。
エステルがどれだけ傷ついたかヘレンは知らない。
(あの性悪カップル)
あろうことにもあの後エステルは二人の愛を祝うべく演奏させられたのだ。
これほどの屈辱はない。
例え表向きエステルが二人の婚約を許し祝福したとしても少しは遠慮すべきなのに元両親も率先して祝わせようとした。
(よくまともに育ったわね)
ミシェルなら捻くれて妹を憎んでもおかしくないと思った程だ。
社交界での噂は直接的にエステルを攻撃していないが、気持ちのいいものではない。
「それに、王太子様の騎士になる為にも哲学、音楽、経済と最高の教育が必要です!」
「ちょっと…」
「王太子様の名に恥じない従者になります!」
ぐっと拳を握りドヤ顔をする。
「騎士か御付き侍女にしなさい!なんで従者なのよ!」
ミシェルは前言撤回ををした。
(この子もまともじゃないわ!非常識よ!)




