23無知
微笑で勝利したガブリエルにエステルは尊敬の眼差しを送る。
「エステル?解りましたか?」
「はいお祖母様!」
微笑で勝負。
あくまで自分は冷静に余裕で勝利する。
「常に笑顔で相手の弱点を突くのです」
「はい」
「敵の弱みを握ることを忘れず、周りにも脅しをかけて勝利してこそですわよ」
ガブリエルの言葉に重みと説得力がある。
「当主となるのであれば必要ですわ。特に女性が殿方と渡り合うにはね?」
「はいお祖母様」
「それでよい」
男尊女卑が激しい世の中で生き抜くのは常に頭を使い先の先の先を読まなくてはならない。
「これから貴方には敵と戦わなくてはなりません…その敵は貴方の両親と妹です」
「私の両親はアルスター侯爵夫妻ですわ」
例え生みの母でも温かみを感じたことはない。
「エステル…」
ぎゅっとヴィオラの手を握る。
過去のことを忘れることもできないけれど憎いとは思っていない。
ただ、守りたい場所がある。
守りたい人達がいる。
「私は戦います」
「それでいい。戦う覚悟なくして何も守れはしないのだから」
もう心は決まっている。
道を探し、見つける為にも進むしかないのだから。
(私はもう決めたのだから)
何かを選ぶと言うことは何かを捨てなくてはならない。
ならば過去を捨て生きて行く。
この先待っているのが辛い道であっても突き進むためにエステルは前だけを見据える。
広間に進むと既に多くの貴族が待機している。
ロバートはガブリエル達と席を外し、ヴィオラと待っていた。
「ミシェル様…」
「ごきげんよう。エステル嬢」
エステルがミシェルを見つけ声をかけると礼儀正しく頭を下げる。
「ごきげんよう」
辺境伯爵の嫡男として礼儀はきっちり通すミシェルは普段とは異なりきっちり挨拶を交わす。
「ごきげんよう、ミシェル様」
「お声をかけていただき光栄でございます。アルスター侯夫人」
紳士らしく礼を尽くす。
「先日の演奏お聞きしましたわ。とっても素晴らしかったですわ」
「ありがとうございます」
「北の大地を守護する方は表現力が深くて感服いたしました」
先日の演奏会でも評判だったミシェルにヴィオラは賛美する。
「ミシェル…アルスター侯夫人!」
「ごきげんようサイレス伯夫人」
早速挨拶するヴィオラに緊張するサイレス伯爵夫人。
「娘がミシェル様にはお世話になってるようで…これからも娘と仲良くしてあげてくださいませ」
「いいえ、御礼を申し上げなくてはいけないのは私達の方です」
視線を低くして、サイレス伯爵夫人はお礼を言う。
「エステル様、ミシェルと仲良くしてくださりありがとうございます」
「え?」
「この子はこの通りの性格で友人がいなくて…ですがサロンで貴方様と演奏をした時はどれほど驚いたか」
「母上!」
恥ずかしくなり声をあらげるミシェル。
「辺境の地出身と言うことで偏見の目もありましたし」
「まぁ」
「これからもミシェルとなかよくしてやってくださいな」
「はっ…はい」
ブロンドの髪に美しいアクアマリンの瞳。
あたかも海の女神のように美しい人で見惚れてしまう。
「ちょっと、ママに見惚れてんじゃないわよ」
「美しいって罪ですね…危ない扉が開きそう」
「開いてんじゃないわよ!」
ぽーっとなるエステルといつものようにコントをする。
「まぁ、すっかり仲良しですわ」
「本当ですわね」
母親同士は微笑ましく見守る。
第三者から見てもじゃれ合っているようにしか見えなかった。
そのやり取りを見た他の貴族達は…
「見て、北のサイレス家ですわ」
「あの深海を守護する一族と…」
サイレス家は海を守護する一族故に重要な役職を得ている。
辺境伯爵という地位は侯爵と同等、もしくはそれ以上の役目を持つので無視はできない。
その貴族と親し気にするということは味方につけていると判断されかねないのだがエステルにその自覚はなかった。
「今日の演奏ミスしたら許さないわよ」
「はい、王太子様のお誕生日ですから」
「そうだけど…クロード様が聞きにいらっしゃるのよ!私は命かけているんだから!」
エドワードを祝う気持ちは勿論だが、近くでクロードが聞いているならば最高の演奏をしなくてはならない。
「音楽で愛を囁くわ」
(愛か…)
かつて愛をこめて曲を贈ろうとしたエステルからしたら複雑な気持ちだった。
「もしその愛が受け入れられなかったらどうするの?」
「関係ないでしょ?」
「え?」
実らない恋に身を焦がすのは苦しいものだと解っているのにミシェルは笑っていた。
「だって私はあの方に出会えただけ幸せなんですもの」
「出会えただけで?」
「好きになってもらえたら嬉しいわ…でも私はクロード様を思うだけで幸せなのよ」
ただ静かに見守るだけの愛情も存在する。
見返りを求めることなく離れた場所で相手を愛することも。
(出会えただけで幸せ…)
なんて深い愛なんだろうか。
ミシェルがクロードに抱く思い憧れだけでなく尊敬も込められている。
「とにかく私の王子様に‥‥」
「お姉様!」
ミシェルの言葉を遮る声が響く。
「ごきげんようお姉様」
「ごきげんよう」
空気が一気に冷たくなる。
(この馬鹿、頭おかしいでしょ!)
社交の場で堂々とマナー違反をするヘレンに周りはざわめく。
社交界のルールでは自分の地位より身分の高い女性に先に声をかけてはいけないのだが、ヘレンはエステルに声をかけた。
「ごきげんようヘレン」
「ええ…」
短くそっけない返事をするヘレンにさらに空気は悪くなる。
「ヘレン待ってくれ」
後を追いかけるように現れるカルロにさらに状況は悪化する。
「エステル」
「お久しゅうございます」
微笑を浮かべながら失礼のない様に挨拶をする。
不安そうに見つめるヴィオラを見て大丈夫だと目で訴える。
「ミシェル殿?」
「ごきげんようカルロ様」
殿とは呼ばずにあくまで貴族として対応した。
「ミシェル様!ごきげんよう」
「ええ…」
さらに怒りを覚えるがミシェルは場を弁えていたので思い留まっているが不愉快だった。
「お姉様と一緒にパーティーに参加できてうれしいですわ」
「そう…」
「だってお姉様は夜会にもほとんど参加されませんし。もう少し貴族の娘として自覚を持っていただかなくては」
ピキッと青筋が浮かびそうになるミシェル。
「サロンで演奏する暇があるなら社交界に出る方が大切ですわ」
「道楽も程々にすべきだぞ」
この場の空気をさらに悪くする発言を繰り返す二人に頭が痛くなる。
サロンはただの交流の場ではなく哲学や政治に芸術を語り合い、若い世代が身分問わずに交流して奉仕活動をする場でもあるのに二人は意味がない、道楽だと馬鹿にした。
逆に言えばサロンを主宰する貴族を馬鹿にしていることになるのに気づいていなかった。




