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とあるミミカキストの話

作者: きのめ

耳掻きする方の話です。専門家ではないので、医学的におかしな所があってもご容赦ください。

僕と同期入社のコイツとは、そこそこ親しいって表現が一番しっくり来ると思う。

一週間の研修の後、部署が違ってしまってからはなかなか顔を合わす機会がなく、それこそ最初のうちはちょくちょく仕事終わりに飲みにも行ったが、今はそれぞれの部署の仲間と飲みに行くことが多くなった。

寂しくもあったがまぁ、そんなもんだ。

それが、今日突然ちょっと付き合ってくれ、なんて連絡があったから、何かあったもんだと思って勇み足で待ち合わせの喫煙所へ向かったのだ。



彼は僕を見つけて笑うと、「久しぶり」とタバコをふかしてないほうの手を上げてから、吸っていたタバコの火を消し、灰皿スタンドに捨てた。



一瞬だけ入った喫煙所を出ながら、僕は彼に「どうした?」とだけ促す。

彼は「あー、」と歯切れの悪い返事をして、「後で話すわ」と肩を落とした。うなだれているようだ。


「なんかあったんだ?」



「そう、あったんだよ」


予想は的中したらしい。しょんぼりしている彼をエレベーターに押し込んで、一階のフロアを押す。



「まぁ、付き合うよ…」



「お前のそういうとこ、優しいよな…」



なんだ素直で気色悪いな、なんて思っても言わない。弱っているな、これはかわいそうだ、とにかく話を聞いてやらないと。



駅近の居酒屋に座らせてウコン飲料を飲ませ、とりあえず生中、そしておでん。カチリと中ジョッキを合わせてからグビリ。落ち込む彼に先は思いやられるが、とりあえず仕事終わりに飲む最初の一口は(はなは)だ旨い。彼はジョッキ半分くらいをグビグビ飲んでいる。


「あー!もぅ!」


「落ち着いて、音量落として…」


いわく、彼の所属する営業二課の営業事務の女の子と、いい感じだったらしい。

そしていよいよ彼女の家にお呼ばれして、手料理を食べ、いい雰囲気のまま彼女のほっぺにキスをしたそうだ。そして彼女もお返しに彼のほっぺにキスを、ということろで、



え、耳、汚ないよ



「って言われて」



「うわぁ」



「彼女はあっ、て顔して謝ってくれたんだけど、出直してくるって言って逃げてきてしまった」



「それはひどいな…」



笑い飛ばしてやればよかった。途中までなんだノロケかくそ、くらい思って想像しながら聞いてたから、つい正直な感想が出てしまった。



彼は「こんなこと営業部のやつらには相談できないしー」なんて言ってテーブルに突っ伏してる。笑えない。おでんが冷めてゆく。



しかし、そんな状況の中で、僕はただひとつどうしても気になることがあった。



「なぁ、お前そんなに耳が汚ないの?」



そう、営業事務の彼女がつい口走ってしまうほどの、耳の汚さ。


彼がむくりと起き上がって胡乱(うろん)げな視線を寄越してくる。


「なんだお前、傷に塩を塗るような真似をするんじゃない」


わかっている。今するべき話はこれじゃない。多分正解は「彼女も謝ってたし連絡してみろよ」とか、「落ち込んでる暇があったら彼女をフォローしろよ」とか、そんな声をかけてやるべきだ。


だが、彼の落ち込みの原因が「耳が汚ない」だなんて。だってそんなの、何を隠そう僕は、


「ごめん、僕はミミカキストなんだ」


「え、耳掻き…なんだって?」


「ミミカキスト。耳掻きが好きで好きでたまらない人種なんだ!」


「人種ってなんだ!?そんな人種あってたまるか!」


「お前の耳をきれいにしたい!」


「はぁー!?」



しまった、勢いで言ってしまった。彼は私の突然の勢いに驚いて若干引いているようだ。


そりゃそうだ。同僚に恋の相談をしたら励まされるでもなく、叱咤されるでもなく、お前の耳を掃除させてくれだもんな。


でも、ミミカキストっていうのは自分の耳はすぐに掃除してしまうから、汚ない耳にいつも飢えてるのだ。

もはやここまで言ってしまったんだ、絶対に掃除したい。



「お前は耳が汚ないから彼女に引かれたんだろう、ならきれいにすれば完璧じゃないか。出直すんだろ?」


ちょっと早口で捲し立てると、すごく嫌な顔をしていた彼がここで少し逡巡(しゅんじゅん)し始める。僕は焦らず、奴を落とす言葉を顔に出さず考え始めた。もはや、彼の恋愛相談などどうでもよくなってきた。そもそもノロケを聞くのは好きじゃないのだ。ならばこれは正当な報酬と言えなくもないんじゃないか?いや、

ともかくだ。



「自分で掃除しても見えないのが耳掻きだ。だったら人にやってもらうのが一番いい。僕がやればそれはもう完璧に仕上げてやる」



うーん、と彼は悩んでいる。これはもう一押しで行けると見た。



「このあとすぐやってやる。そんで明日からの週末に、彼女に連絡してリベンジしてこい!」



「…わかった!」



決意を胸に秘めた熱い眼差しの彼と、僕は内心ガッツポーズで固い握手を交わしたのだった。









* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *



僕の部屋に場所を移して少したった。


彼は今、居心地悪そうに僕のベッドに寝転がっている。僕はそれを横から、耳穴を覗きこむような感じで座っている。これは僕もまあまあ気まずい。


「では、掃除をはじめます」



「…お願いします」



重苦しい空気だ。

しかし、彼の耳に耳鏡(じきょう)をあてがった途端、そんな思いは消え去った。


「冷たっ」



「ごめん、耳鏡、よく耳鼻科の先生も使う耳専用の鏡なんだけど、漏斗(ろうと)の形を鏡で細い方を耳にいれる。そうすると耳の中がよく見えるんだ」


そう、よく見える。これはすごい、すごいぞ。

彼はいわゆる乾燥耳で、カリカリに乾いた粒がびっしりと耳の壁についている。これは苦労しそうだ。耳毛も、ふわふわと粉っぽい汚れがついている。そして僕の心をここまで踊らせるのが、耳の奥に鎮座ましましている、茶色を凝縮したような塊である。


「すごい、汚ない、宝の山って感じだよ」



「貶すか誉めるかどっちかにしてくれ…」



「バカいえ、すごく誉めているのに」



「………」



彼は黙ってしまったので、作業に集中する。僕は横に置いた仕事道具の中から、先端が稲妻のように曲がったピンセットを取り出した。手が邪魔で耳の奥が見えなくなることがない、優れものだ。



「まず、大きな汚れをとっていく」



無言で進められると怖いだろうと思い、

実況しながらやることにする。

そろりとピンセットをめぼしい汚れにあてがい、ゆっくり挟んだ。



「うおっ。ガサッ、っていったぞ!」



「汚れを摘まみ出すからな、うごくんじゃないぞ」



カリカリの汚れは、しっかり摘まめるが力をいれれば崩れてしまうだろう。ギリギリのさじ加減で、ぐぐっと引っ張る。



カチッ、カチッ、パリッ



取れた、ゴマ粒くらいの大きさだが、厚みがすごい。皮膚のようについていた汚れも一緒に少し取れたようで、ひょろりと薄い皮のようなものもとれている。



興奮がすごい。楽しい。これを後何個も取り出すのか。




「ゴマくらいの大きさのが取れたぞ、あと10個くらいとれそうだ」



「剥がれる瞬間すごくすっきりしたんだけど、まだあるのか…」



「ある。まだまだある」



微妙な顔をする彼はさておき、再び耳に視線を移す。



先ほどはがしたところから、ぴらりと剥がれかけの汚れがある。ここからいけばいくつかまとめてとれるのではないか?



カリカリ…クリッ…ペリ…ペリ



剥がれた面積が大きくなってきた。

上手にまとめるように掴んで、ゆーっくりと引っ張る。



ペリペリペリ…ガサッ…コツッ…ガサッ、ペリリっ



柔らかなゴム素材を丸め込むような形で、一気に汚れが取れた。

剥がされた後の皮膚はつやつやしていて、少し赤らんでいる。


「すっごい…」


僕は思わず呟いて、稲妻ピンセットの先におわします戦果を目の上にかざしてしげしげと眺めた。


すごい、蛍光灯にかざすと透けてるところと質量がすごいところと良く見える。


小指の爪くらいある。こんなのとれるなんて、こいつはいつから耳掻きをしてないんだ?



「おい、見てみろよ…」


「え、嫌なんだけど…きたなっ!!」



自分の耳から出てきたものに興味はないのか、お前は。

眉間にシワを寄せる彼から耳垢の塊を離して、広げたティッシュの上にそーっと置いた。

後でゆっくり見よう。



「あとちょっとだから、まだ動かないでよ」



耳鏡を今一度あてがって、耳の壁、天井のほうに張り付いて残ってる汚れと、奥にまだ残ってる焦げ茶の塊に狙いを定める。



と、ちょっと作戦変更して、僕はイナズマ型のピンセットを置いて、小さい匙タイプのものに持ちかえた。



それを、そーっ、と塊の横に差し込む。



ぐらっ



「うわっ、なんか湿った音がする!」



「動くなってば」



彼が驚いたのか身じろいだので、ピシャリとしかりつけて僕は細く息を吐いた。耳の奥、特に奧が見えない状況では、皮膚を傷つけないために細心の注意が必要だ。


ぐらぐら、ぐらぐら、うん、これなら引っ張れそうだ。



僕はまたピンセットを持ちかえて、そろりと耳の中へピンセットを運んだ。こんどは先端が鉤爪状になってて、固まりに刺した上に挟めるタイプの物だ。



ぷつり、ぐ、ぐいーっ



よーし、いいぞ、そのまま



パスッ



鉤爪が汚れを破ってしまった。

しかし慌てない。破れたところを、こんどはまたイナズマ型のピンセットに持ち替え、しっかりと摘まむ。



ぐ…ぐ…ぐいーっ、



慎重に慎重に、たっぷり時間をかけて、揺らしながら出口まで運んでいく。彼も緊張が伝わっているのか、随分と静かにしている。



…ずぽっ



「とれた…」



これは大きい、今までで一番大きい。そして、一番汚い。

茶色っぽいつやつやした面に隠れていたのは、黄色い粉の吹いた一角で、そう、いつか田舎で集めたのユリ科の植物の花粉を彷彿とさせる。

ほぼ完全な形で取り出してやった。すごい、心地よい達成感を感じる。

そして、同時に彼の耳掻き事情がすごく心配になった。



「…お前、これからこまめに掃除しな」



神妙な面持ちでとれた汚れを横目で見ていた彼は、僕が言うとすごくばつの悪い顔をした。



「それか、彼女にやってもらうとか」



聞くやいなや、デレッと崩れる彼の頭を僕は無性に叩きたくなった。そうしよう、叩こう。



「いたい、痛いって!」



「では続きをします」



ちくしょう、僕も彼女がほしい。



耳鏡を耳に突っ込み黙らせてから、残りの張り付いた汚れをチョイチョイ、と取ってしまう。



「よし、汚れは取れたぞ。最後に拭き掃除をするからな」



僕は自前の大きい綿棒に精製水で薄めたティーツリーオイルを染み込ませ、彼の外耳にそっと当てた。



「すーっ、とする」



そうだろう、ティーツリーオイルはアロマオイルの一種で、ユーカリに似た清涼感のあるすっきりとした香りがする。強い殺菌作用があり、その面から炎症を押さえる効果もある。



外耳に沿って、そっと何度も拭き取るように拭う。

ひだの(すぼ)まりは汚れが溜まっているので強めに。耳の中は皮膚が薄いのでそっとなぞるように。

すっかり拭き取ってしまえば、彼の左耳は赤ちゃんの耳のようにプリプリになった。



「あー、これは気持ちいい」



彼はうとうとと眠そうだ。耳は迷走神経が通ってるから、刺激したりすると眠くなったり、よだれが出たりと気持ちがいいらしい。

僕もその感じをよく知っている。なんせミミカキストなのだから。



「右もやるけどな、寝てもいいぞ。終わったらたたき起こすけど」



ベッドの反対側に移り、右の耳を覗き混む。ふむ、こちらも大量だ。



彼は、おー、と気のない返事をして、ぽつりと呟いた。



「お前、こんな特技あったら、彼女すぐできそうだな」



ばか野郎、どこに耳を掻いてくれるからって彼女になってくれる人がいるというのだ。

というかだったら僕は耳掻きをされたい。



呆れてなにも言わない僕に、彼はかまわずイビキをかいて眠りに落ちたようだ。

まぁ、こんな宝のやまを採掘させてもらってるんだ、今日はゆっくり寝かせてやろう。












結論から言うと、彼は叩いても、揺らしても、鼻を摘まんでも起きなかった。

僕はというと、決して広くない部屋の大きくないソファーで質の悪い睡眠をとらざる得なくなったわけだが、僕の耳掻きの腕が良すぎたんだろうと自分自身に言い聞かせることにした。



後日、彼の恋は辛くも実り、晴れて彼と彼女は結ばれることとなる。

そして、この付き合いがなんと僕に春を運んでくることとなるのは、また別の話である。



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― 新着の感想 ―
[一言] 男どうしであることを除けば、この上無く気持ち良かったです。
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