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光の翼

休息の翼 夏休みの登校日

作者: シリウス

この話は拙作「光の翼」の番外編として考えた「休息の翼」の1つ、「夏休みの登校日」です。

作者が中学1年生の時にただ1度だけ出くわした登校日という行事を思い出しながら、作ってみました。




拙作「光の翼」本編のような戦闘シーンは一切ありませんが、そちらで戦火に追われるキャラクター達が本来過ごせていたであろう平和な時間を楽しんでいただければ、幸いです。

休息の翼 夏休みの登校日






「…暑い…。」






8月3日の日曜日、午前8時10分のこと。

世間の学校が夏休みに浮かれる真っ盛りに、俺は体操服を着て軍手と水筒を持ち、重い足取りで学び舎へと向かっていた。






それというのも、今日が海園中学校の登校日であったためである。

何故にそのような今時珍しい行事が自分の学校にあるのか、折角の夏休みにどうして帰宅部が学校に行かなければならないのかと、腹の中で不平不満を膨らませながら登校しているところであった。






まだ朝方なのに、激しく照りつけて来る太陽が恨めしくて仕方がない。

命さえ危ぶまれる程の猛火が地上へと一直線に降り注ぎ、歩を進める者たちの行く手を塞ぎにかかる。

お陰で全く走っていないのに、俺は額にも首にも背中にも、大量の汗を浮かべていた。

(朝の8時でこんなに暑いようじゃ、昼間はどこまで暑くなりやがるのやら…。)

むさ苦しい熱を放つ朝日の勢力に心底辟易して、俺は半ば本気で、背中の翼を動かして空を飛んでしまおうかと考えた。

しかし、人目を考えれば、おいそれとそんな真似をするわけにもいかない。

(…歩くか…。)

俺は結局、10分ほど生真面目に歩き続け、学校へと辿り着いた。










2年4組の教室に辿り着いた俺は、自分の席に腰かけ、ぼんやりとしていた。

今日も平常授業の日と同様、8時30分までは教室での待機を言い渡されている。そのおかげで、なかなかに手持ち無沙汰で退屈だった。

普段なら読書用の本を置きっ放しにしてあったのだが、そうした私物は夏休みに入る前に自宅へ持ち帰るよう義務付けられていたため、今は机にも何もなければ、手荷物も少なく、暇つぶしに使える物は何もない。

そのため俺は、特にやることもないと漫然としていた。






しかし周りの連中は、そんな俺とは全く異なり、飽きもせず下らない雑談に花を咲かせている。











「ねえねえ。今日、お昼の予定ある?」


「ううん、特にないよ。」


「じゃ、どこかに遊びに行こ!プールとか、どう?」


「あー、いいねー!暑いもんねー!」


「えー、プール?ウチ、海行きたいんだけどー!」


「あたし、海の方がイヤだ!海水さわったら、体ベトベトになるもん!」


「じゃ、ここは間を取って、カラオケでどう?」


「プールと海から間取ったのに、なんでカラオケになったん!?」


「いや、最終的にインドアもありかなって思って―」






「昨日やってた『ビックリアワード』っての、見た?」


「見た見た!あの、自分の家から手作りのスライダーで滑ったヤツ、すげーバカだったな!」


「ああ、あれな!滑った後で思い切り転んで、デカい石に頭ぶつけてたの、マジ笑ったわ!」


「へー、そんなにウケたのか。…オレも『ガチホラー』なんか見てないで、そっち見ればよかったな。」


「え!?あんなCG感しかないやつ、見てたのか!?」


「いや、本当それ!出るやつがどれもこれも、どう見てもウソだろって感じでさ!長いこと見て、すげー後悔したんだよ!」


「そんなにショボかったのか。うちの妹なんか、それ見てマジでビビってたけどな―」






「昨日猫カフェ行ってきたら、すっごいなついてくる子がいてさ!ホント、かわいかった!」


「えー、いいなー!」


「写メとか撮ってないの!?写真見たい!」


「あるよー。えっと…ああ、これこれ!」


「うっわー!!かわいいー!!!」


「ホントだ、めっちゃかわいい!このコ、どこの店にいるの!?あたしも寄ってみたい!」


「あ、うちも行きたい!猫って、サイコーにかわいいよね!」


「何それー!犬だって、チョーかわいいしー!」


「あ、犬っていえば、今朝通学路に犬がいてさ―」











(やれやれ…年がら年中うるせぇ連中だ…。)

平和ながら鬱陶しい無駄話が絶えないクラスの連中を見ていても、溜息くらいしか儲かるものもない。

この無機質なくせに騒々しい空間をしげしげと眺めているよりはましだろうと、俺は窓際に寄りかかって、外を見渡してみる。






すると、登校中は殺人的な暑さの中で時間に追われていたために気付く余裕もなかったものが、数多く目に付いた。






吹き交う生温かい風に、木々の葉は揺らめき。




油を揚げるような賑わしい声を上げて、蝉が鳴き。




虫籠や虫取り網を手にした数人の小学生達が、仲睦まじく走り去り。




綿菓子のように真っ白な入道雲は、群青の空を泳いでいる。






俺は身体を流れる汗のことも、屋内まで入り込んでくる熱気のことも忘れたように、そこはかとなく風情のある眼前の景色に見入っていた。











「風くん…おはよ~…。」






「どわあ!」

そのとき、氷華がいきなり声を掛けて来て、俺は大袈裟でなく、半歩ほど飛び退いた。

さながら幽霊でも目にしたような無礼な反応をしてしまったが、それもこの瞬間に限っては、無理からぬことだった。

何せ、俺に負けず劣らず汗をかいているくせに、氷華の顔は臨終間際の病人の様に、生気が乏しかったのである。

声も暗い上に重く、普段の明るく軽快な氷華の姿とは似ても似つかないほど、ひどい有様だった。地獄から死者が這い上がってきたのかと思い違えるほど、不気味な雰囲気を漂わせている。

「お前、そんなになってまで、よく真面目に出てきたな…。」

「そんなの…学校行事だし…あたりまえ…だよ…。」

口先では強がっているものの、もはや一言発するのにも、息も絶え絶えという状態だった。

「…茶、飲むか?」

俺は見るに見かねて仕方なく、持参した水筒を氷華に持たせてやった。

その矢先、氷華は俺の水筒の蓋を取り外すと、水筒を両手で持ち上げて逆さに向けた。

「あ、こら…!」

俺の抗議の声に耳も貸さず、大量に流れてくるよく冷えた麦茶を舌で受け止め、喉を潤す。

「ぷはっ…あー、おいしい!ありがとう、風くん!ボク、生き返った気分だよ!」

「…そりゃ、良かったな。随分と遠慮なくいきやがって、貴様…。」

氷華を復活させてやることはできたものの、手持ちの茶を半分程飲み干され、自分の先行きが不安になった。






―キーンコーンカーンコーン…






ちょうどそこで朝のホームルームの時間を告げるチャイムが鳴ると、眼鏡をかけた壮年の男性―数学教師にして2年4組の担任である日杜(ひもり)先生が、扉を開いて入室してくる。

日杜先生はそのまま教壇に立つと、各々の座席に着いた俺達を見据えて、月並みな挨拶を始めた。

「えー、皆さん久しぶり…って言っても、まだ1週間とちょっとか。まあ、ともかく元気そうで何よりやね。えー、今日はこれから清掃活動をやりますからね。暑い中だけど、しっかり水分取って、体調崩さないように気を付けて―」

(はあ…早く帰ってゲームやりてぇな…。)

俺は段々真面目に聞くのが面倒になり、目線だけは教卓の方に向けつつも、頭の中では遊ぶことばかりを考えるようになっていた。











ほどなくしてホームルームも終わり、いよいよ登校日の清掃活動が始まった。

もっとも、仰々しく清掃活動などと言っても、実際の内容は、クラス毎に分かれて校庭の草むしりをやるだけのことである。

しかし、誰もが音を上げるほどの炎天下に、まるで日陰もないグラウンドに駆り出されるというのは、身体的にも精神的にも結構な重労働だった。






実際、暑いだのだるいだのと、早々に余計な文句ばかりこぼしている輩が、大勢見当たった。

そんな愚痴を言ったところで、気温が下がる訳もなければ、作業が楽になる訳もないのだが。











「ふう…。」

周囲の連中の愚痴に士気を削がれたこともあり、俺は立ち上がって、軍手をした右手で汗を拭いながら、一息ついた。

ふと空を見上げると、先程見かけた入道雲が、ゆっくりと流れていくのが目に留まった。

「…。」

いつしかすっかり上空を凝視するようになり、俺の手は見事に作業を忘れて、静止していた。











「あー!風くん、何サボってるんだよ!」






「てめっ…サボってる訳ねぇだろ!ちょっときつくなったから、体勢変えてただけだ!」

いきなり現れた氷華の大声でようやく我に帰った俺は、とっさに誤魔化しながらしゃがみ込み、再び雑草相手の戦争に身を投じた。

否応なしに全身への負荷が蘇り、心身への苦痛が増加する。

「ぐっ…まったく、傍迷惑な行事だな…。」

「ホントだよね。ボクなんか今朝から、いつ干からびちゃうかって、気が気じゃないよ。」

「その割にはさっきより元気良いな…ん?」

あまねく生物達がうだるほどの蒸し暑さの中、文字通り涼しい顔をして、鮮やかな手際で雑草を仕留め続ける氷華。

その姿を観察していると、決して浮かんでほしくなかった疑惑が、俺の脳裏に誕生した。

温度計を見ることすら憚られる程の猛暑だというのに、こいつは汗の一滴も流していない。あたかも冷房を効かせた室内に居座っているかのように、平然としている。

「…もしかしてお前、魄能使った?」

「…分かっちゃった?実は教室を出る前に、こっそり身体に冷気を集めてたんだ。おかげで、この暑さでも平気…。」

氷華の卑怯な生き様に、俺は奥歯を噛み締めた。

「何度も何度も、ふざけた真似しやがって…!てめぇ、教員連中に突き出されてぇのか!」

「えっ、ちょっ…それだけはカンベンしてよ!魄能持ちだってバレたらひどいことになるし、ズルしたって言われちゃう!」

「ズルした自覚があるなら、今すぐ魄能解け!」

「うぅ…分かったよ!解けばいいんでしょ、解けば!」

氷華は半ば開き直ったように、身体に集めた冷気を捨て去った。






「う…わっ…めちゃくちゃあついよ~!!!」






その瞬間、氷華も周囲の生徒と同様、熱中症を引き起こすほどの暑さに参る破目に遭った。






「あつい、あつい、あつい~!!」

「うるせぇ黙れやかましい!ただでさえ暑いのに、無駄に騒ぐんじゃねぇよ!余計暑くなるだろうが!」

「しょうがないじゃんか!だって、あついものはあついんだもん!!」






「何だ、相変わらずうるせエな…。」






氷華が気が狂ったようになってわめいていたところに、第三者からの声が聴こえて来た。

「暑いのは全員同じなンだゼ。ガタガタ騒ぐほど余裕があるなら、口より手を動かせや…。」

それは、額の汗を左手で拭いつつ、俺達の近くを通りがかった天城の言葉だった。

だが、毅然とした言葉を喋ってはいるものの、その口の動きは普段と比べて実に鈍く、呼吸の音も荒い。

天城もまた、熱気によるダメージを目一杯受けているようだった。

「…あー…この暑いのに、よりによって一番見たくない顔が来ちゃったよ…。」

「…フン。そいつはお互い様だ。」

嫌味たらしく意気消沈する氷華に、天城は至極冷静に対応し、そのまま立ち去った。

普段は犬猿の仲という諺を絵に描いたような不仲ぶりである両名も、今日のこの暑さの中では、くだらない諍いに割ける力すらないようだった。

(この方が、静かで助かるぜ…。)

他ならぬ俺も、燃え盛る太陽には体力を奪われているため、奴等が無用な騒動を起こさずに収まってくれたのは幸いなことだった。











「はあ…いくら抜いてもまるで減らねぇな…。」






今更な愚痴ではあるが、そうぼやかずにはいられなかった。






どの雑草も、抜けない程の長さではなく、始末すること自体は容易かった。

しかしながらその量は、普段は砂埃の舞う殺風景なグラウンドが、万緑のカーペットになっている程に多いのである。

面白味に乏しい砂漠のような元の姿に戻そうと思えば、些少の労力では日が暮れるどころか、1年が過ぎ去ってしまいそうだ。

「ホント、嫌になってきたね…終わるのは、何時ごろだったっけ…?」

「…確か、9時30分だったな。」

俺と氷華は荒い息を吐きつつ、校舎に備え付けられた時計を見てみた。






するとその文字盤は、9時20分を指していた。






「あー、よかった!あと10分で終わりだよ!」

「おお…もうすぐ帰れるぞ…。」

苦行の終わりが見えて、氷華はこれまでの弱りようが嘘のように活力を取り戻し、俺は戦場を駆け抜けて無事に生き延びた戦士の様な気分で、安堵の息を吐いた。






時を同じくして、方々から話し声が聴こえて来る。

周囲を見やってみると、ほとんどの生徒達が、既に作業を放棄して駄弁っているのが見て取れた。

「もう終わったつもりなのか…まったく、気の早い連中だな…。」

俺は腹立ちと呆れの混ざった思いでいい加減な連中を一瞥すると、自分は奴等と同類にはなるまいと心に誓い、改めて定刻まで眼前の雑草の群れと戦うことにした。






「ねぇ、風くん。」

「ん?」

そんな折、ふいに氷華が両手で雑草を次々に抜きながら、俺に声をかけてきた。

「宿題、もう終わった?」

「いや、まだ数学と歴史と自由研究が残ってるな…。」

最も時間を要する自由研究は後回しにして、先に5教科を始末しようと決め、夏休み初日からこつこつとやって来た。

その甲斐あって、国語と理科と英語は既に終了し、数学と歴史もそれぞれ全体の半分程まで進んでおり、残りを片付けるのには多少の余裕ができている。

「え!?それじゃ、国語と理科と英語は終わったの!?」

「…ああ。」

驚いているような言葉とは不釣り合いに、何故か輝きの増した氷華の瞳に嫌な予感を覚えながら、俺は鈍い返事をした。

「すごいね~。ボクなんかまだ、国語と数学と理科と歴史と英語と自由研究が残ってるよ。」

「ほう、国語と数学と…って、一つも終わってねぇじゃねぇか!もう8月なのに!」

「えへへ…お恥ずかしい。それで、このままだと夏休み中に終わらないかもしれなくてさ…。」

氷華は長々と前置きを喋りつつ、こちらに秋波を送って来た。その目つきは、清純な雰囲気の強い彼女が見せているものだとにわかに信じられないくらいには、十分に艶めかしさを含んでいる。

しかし、不吉な予感が確信へと変わった身としては、呑気にその眼光に見とれることは、到底できはしなかった。

「…言っとくけど、絶対手助けしねぇからな。」

「えー、何でさー!?風くんのケチー!!!」

突きつけられる要求を見越して先手を打った俺に、氷華は周囲の視線が集中することも意に介さず、大声で文句を垂れた。

「宿題なんだから、自分でやらなきゃしょうがねぇだろ!」

「そんなこと言わないで、助けてよ~!!今年だけ!ほんの、ちょっとだけでいいから!」

「…去年も一昨年も、そんなこと言ってたな。」

「ああ、そうでした…じゃ、言い直します!今回で最後にするから、ちょっとだけ、手伝って!」

「無理だな。こっちだって完全に終わってるわけじゃねぇんだ。そんな状況で、他人の面倒見てる場合じゃねぇよ。」

哀願する氷華を、俺はきっぱりと拒絶した。






世の中、協調性というものは随所で求められる、重要な力ではある。

だが、それも時と場合を選ばなければならない。成し遂げるにあたって複数人が集わなければどうしようもないこともいくらもあるが、逆に自分が1人で片付けなければならないことも、ごまんと存在する。

宿題という代物は、そのうちの後者に類するものの代表格。その処理について、他人と貸し借りの関係を築くことは、協調ではなく馴れ合いでしかない。

そんな真似をしていれば、お互いのためにならないのだ。






「むむ…あ。それじゃ、ギブアンドテープってことでどうかな!?」

しかし、俺の考えなど察する様子もなく、氷華は全く聞いたこともない言葉と共に、なおも迫って来た。

「…それって、ギブアンドテイクって言いてぇのか?」

「…あ、それだった…。」

俺の指摘に、氷華は明らかに暑さとは異なる要因で顔を真っ赤にして、俯いた。

「テイクとテープを間違うって、とんでもねぇド間抜けだな…。」

「もー、うるさいなー!!誰だってそれくらい、間違えることあるでしょ!」

「間違えんわ。」

一層汗が噴き出すことにも構わず叫び倒す氷華に、俺は簡潔な一言で応じた。

何だかんだと言ってもそれなりに話し相手がいる身だが、この脳髄に刻まれた記憶の限り、「テイク」と「テープ」を間違えた輩は目の前のこいつ以外に誰一人いない。

実に稀有な知識の持ち主であると言って、差し支えないというものだった。

「…とにかく、ボクが風くんの数学と歴史と自由研究のテーマ決めを手伝うからさ…。」

「俺にもお前の手伝いをしろってことか?」

「そう。もちろん、全部お願い、なんて絶対言わないよ。風くんがここまでならって思う範囲でいいから…ね?」

「…。」

俺は言外に遠慮を促そうと、氷華の懇願に対して口を動かすことはせず、ただ固い表情で沈黙してみせる。

だが、氷華は全く気圧される様子もなく、むしろ両の手を合わせて、お願いします、と、なおも畳みかけて来る始末だった。

「…ふっ。」

そのあまりにも必死な姿に、俺は思わず失笑した。

「あ、ちょっと!人が真剣な話をしてるのに、何笑って―」






「…分かったよ。」






「…え?」

氷華は鳩が豆鉄砲を食ったような顔で、俺を見る。

「宿題の手伝い。少しだけ、手貸すぜ。」

「え…ホント!?ホントにいいの!?」

「…本当は良い事じゃねぇんだけど…でもお前、俺がここで断ったって、ずっと手伝えって言い続けるだろ?」

俺が問い質すと、氷華はぎょっとした顔になった。

あくまでも憶測にすぎない見立てだったのだが、見当違いであってほしかったこんな場合に限って、的外れとはいかなかったらしい。

「えっ、いやっ、そんなっ…そんなことないってば…!」

「…やる気だったな。」

反論しようとするも、呂律も回っていなければ、声も上ずっている。そんな氷華の姿が、何よりもの証拠だった。

ともあれ、これほど懲りずに食らい付いてこられては、どうあっても振り切れそうにない。

「夏休みの間ずっと手伝えって言われてたらこっちの頭がおかしくなりそうだし、俺もさっさと宿題片付けて、思う存分遊びてぇからな。…一緒にやろうぜ。」

どうせ不潔な同盟を強制されるのならば、後々になってようやく承諾するより、今この場で応じてしまった方が良い。

そうすれば、その関係を解消できる日は多少なりとも早くなることだろう。

俺はそう結論付け、ついに氷華の頼みを飲んだのだった。






「ああ、よかったー!風くんに手伝ってもらえるなら、もう怖いものなしだよ!」

「また、大袈裟な。」

冷めた目で突っ込みを入れる俺に、氷華は、大げさなんかじゃないってば、と、首を横に振る。

その仕草自体もまた、無意味に大仰だった。

「だって風くん、成績優秀なんだもん!これ以上頼りがいのある人なんて、他にいないじゃんか!」

「…いつもは成績の話なんかしねぇくせに、こんな時だけ持ち上げよって…調子の良い野郎だ…。」

「えへへ…調子のいい女で、ごめんなさい…。」

俺が苦い笑みと共に上っ面でだけ軽く非難すると、氷華も口頭では謝罪しつつ、その顔には申し訳なさそうな色のものとはいえ、微笑みを浮かべていた。

「…いや、そこは別にいいけどな。それより、ギブアンドテイクの約束なんだから―」

「だいじょぶ、安心して!ボクだってちゃんと、風くんのお手伝いするから!2人でやれば、宿題だってきっと1週間くらいで全部片づくよ!そしたら、夏休みが終わるまで、いっしょに思いっきり遊ぼうね!」

「…ああ。」

両の手を握り拳に固めて力強く言い放った氷華に、俺は迷いなく首肯した。

確固たる信念を持って協力しないと口にしていたはずが、結局それを自分で捻じ曲げたという後ろめたさは、間違いなく俺の胸に存在していた。






だが、俺の返事を聞いて、眩しい程の満面の笑みになった氷華を見ていると、そんな些細な罪悪感は脳裏からも胸中からも綺麗さっぱり消し飛ばされ、むしろ手を貸す方が良いとさえ考えるようになってしまったのだった。











「それじゃ、解散!次は2学期に会いましょう!」

日杜先生の一声でバラバラと同級生たちが散って行くと、すぐさま下らない話の数々が、グラウンドに騒々しく響いていく。






「あー、終わったー!」


「いやー、ダルかったなー!」


「つーか今日、マジ暑いわ!」


「本当な!喉渇いたし、水筒は空になったしで、キツいわー!」


「じゃ、コンビニでも寄るか!」


「ああ、それいいな!」


「よっしゃ!じゃ、着くのが一番遅かったやつは、全員にジュースおごりってことで!」


「は!?何だよ、それ!」


「あ、てめっ…勝手に決めて、勝手に始めんなよ!」






「ねー、昼からどっか行こうよ!」


「どっかって、どこ!?すっごいアイマイじゃん!」


「どこでもいいでしょー!とにかく、みんなでどっか行きたいのー!」


「何、このいいかげんな女!言い出しっぺなんだから、どこに行くかくらい提案しなさいって!」


「っていうかいきなり言われたって、こっちは昼から部活なんですけどー!」


「え、あんた部活行くの?あたし、サボる気満々だけど。」


「うーわ!サイテーだよ、こいつー!」











(さて、さっさと帰るとするか…。)

不必要に群れる奴等の騒ぎをよそに、俺は軍手を雑に丸めてズボンの左ポケットにしまい、水筒を右手にする。

ようやく面倒な行事が終わったと心底安堵しながら、家路を辿り始めた。




いつもの道の、折り返しが始まる。











「…。」






俺は今日の帰り道も、周囲の様子を眺めながら歩いていた。






登校中はやかましく思えた蝉の声も、定刻に追われていない今は、心にゆとりを持って聴くことができる。




生暖かい風が吹く地上から空を仰げば、朝方と同様に、典型的な形の入道雲が泳いでいる。




虫籠や虫取り網を手にしている数人の小学生達は、活きのいい昆虫を捕まえられたのか、いずれも誇らしげな笑みを浮かべて歩いている。




通り道にある家の前には、玄関口の植木に水をやりながら、地面にも水を撒く人もいる。




暑い暑いと繰り返しながら扉を開き、室内に逃げ込む人もいる。






いずれもまさに、夏ならではの光景だった。




冷房の効いた屋内にいては味わえなかった光景をたくさん拝めたことや、氷華と平和で呑気な会話ができたことを考えると、休みの日に登校する破目に遭ったのもまんざら悪いことばかりでもなかったな、と俺は思えた。




一瞬、視界に映った自分の腕に目をやると、学校に行く前よりも少し肌が茶色がかっている。

真上に昇った太陽にやられて、日焼けしていたらしい。






「…暑いな…。」

俺は、朝から衰えることなく大地を燃やす夏の日差しに疲弊混じりの笑みをこぼしつつ、水筒に残った茶をあおる。体力は7割方使い切っていたが、夏休みの最大の懸念だった登校日という行事が無事に幕を下ろした今、内心ではかなり浮かれていた。




家に帰ったらシャワーを浴びて昼飯にしよう、メニューは何にしようか、などと他愛もないことを気にかけながら、俺は自宅近くの交差点の横断歩道を渡った。











家に辿り着き、昼食も終えた午後12時42分。






―プルルルルルルル…。






「ん?」

電話が鳴った。

居留守を使おうかとも思ったが、よく見ると淡く光った液晶に「ユキハラヒョウカ」と表示されていたため、俺は慌てて応答することとなった。

「はい、蒼空―」






「あ、もしもし、風くん?雪原だけど…。」






右耳に当てた受話器から、氷華の声が響いてくる。

「ああ、どうかしたか?」

「いや…さっきの、宿題を手伝うっていう話なんだけどさ。その…今から、風くんの家にお邪魔してもいいかな…?」

氷華は切り出し辛そうにしながら、用件を伝えてきた。

「え、今からか!?また、急だな…。」

まるで予想していなかった話に、俺は思わず仰天し、頭を掻いた。

「兄貴も家で飯食うはずだから献立考えなきゃいけねぇし、スーパーのタイムセールもあるし…今日からってのは、無理だぞ…。」

「うっ…そこを何とか!だいぶダラダラしてたから、1日だって惜しいんだよ~!」

「無茶言うな…って言うかダラダラしてたんなら、行き詰まったの自業自得じゃねぇか…。」

学校の時と同様に、これでもかと食い下がってくる氷華を、俺は今度こそ拒もうとした。

「そう言わずに!お願いします!おみやげに、水ようかんでも買っていくから―」






「よし、分かった。いつでも来ていいぜ。」






しかし氷華が賄賂、もとい土産を付けると約束した途端、俺は頭で言葉を考えるよりも先に、そう口にしていた。

「…変わり身早いなぁ…。」

「何か言ったか?」

「いえ、別に…。」

こちらの手の平返しに氷華が呆れていることはひしひしと伝わって来たが、俺はその点に触れることはしなかった。

「…で、何時頃こっちに来る?」

「そうだね…えっと…今から身じたくして、途中で水ようかん買ってからだから…13時30分くらいになるかな?」

「ああ、分かった。じゃ、待っとくぜ。」

「うん!おいしい水ようかん選んで行くから、大歓迎してよね!」

氷華の明るく弾けた声を最後に、通話は終了した。






(それにしても、即日実行するとは…あいつも、どれだけ追い詰められてるんだか…。)

受話器を元の位置に戻した俺は、仕事を終えた電話機を見詰めつつ、胸中で苦笑した。

もっとも、学業面で窮地に陥っていない氷華の姿など、長年交流してきた中で、全く見た記憶はないのだが。

(…おっと、ボーッとしてる場合じゃねぇな。台所片付けて、服着替えて…ああ、軽く掃除機もかけとかねぇと…。)

仮にも客を迎える以上、だらけ切った服装や雑然とした部屋を披露するわけにはいかない。






俺は手始めに台所に立ち、放置したままだった食器の片付けを開始した。

昼食は冷麺で済ませたため汚れ物は少なく、また、付着した汚れにも油のようなしつこいものはないため、手早く終わりそうだった。






(13時30分、か…まあ、間に合うよな。)






俺は右手に握り締めたスポンジを忙しなく動かしつつ、壁に掛かった時計を確認する。






その文字盤は今、12時50分を指しているところだった。

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