変化
年末年始はバイトに明け暮れた。
幸い面接に行った会社は人手が足りなくて、履歴書も見ないで採用が決まった。
時期も12月でお歳暮に助けられたみたい。
何とかバイトが始まって、最初は怒鳴られて固まってたけど、半月もすると慣れた。
違う、『辞めます』って言う勇気が無くて辞めたいのに辞められなかっただけ。
あれから何回か講義や学食で中嶋くんに会った。
話し掛けたそうにして目も合ったけど、話し掛けては来なかった。
あやみからも電話無いから、2人で相談して中嶋くんも話し掛けるのは止めようと思ったんだと思う。
そんなある日バイト先で、急に来なくなったバイトの子の話になって、『ばっくれる』って初めて知った。
私も知ってたら次の日から来なかったと思う。
知らなかったお陰で、続けられた。
大学が終ってから夜の8時まで。
最初終電までって言われて、思わず首を振ったら、舌打ちされて言われた。
「だから女子大は」
女子大じゃなくて共学なのに、相手の口調がきつくて言い返せなかった。
続いた『女子寮は門限が煩いからな』に助けられた。
なのでバイトは夜の8時まで、それを過ぎると門限に間に合わなくなる。
1つ悪知恵を覚えた。
それでも大学とバイトの両立は厳しかった。
最初の頃は疲れきって部屋に寝に帰る毎日で、あやみも中嶋くんも頭の中に無かった。
やっと生活のリズムが出来て、気持ちと体に余裕が出来たのは年も明けて1月も終わり掛けていた。
そんな時、広太が来た。
久し振りの休みで爆睡してて、チャイムで起きた。
「はい」
「…俺」
初め何なのか分からなかった。
「俺って誰?」
寝起きの頭で聞き返した。
面倒でインターフォンを切ろうとしたら慌てた怒鳴り声が聞こえて、そこで広太と声が重なった。
「早く開けろよっ!ぶち破られたいのかよ!」
つい、ふっ、って笑いが出た。
どうしてこの声が怖かったんだろう。
開けなければ済んだのに。
ここに戻って来るって事は、みゆきやあの時のコンパに来てた子達みんなに振られたのかも。
今はどうでも良い事だけど。
「どうぞ、通報するだけだから」
「ここで騒いで困るのはお前だぞ!」
「別に困らないよ」
押し問答に疲れてインターフォンを切っても、広太は玄関の外で怒鳴っていた。
暫く待っても立ち去りそうもなくて、困ってたらパトカーのサイレンが聞こえてきた。
近いな、って思ってたら玄関で言い合いが聞こえた。
またチャイムが鳴って、覚悟してインターフォンに出たらやっぱり警察だった。
「住民から通報があって、外の男性を尋問したらそちらの知り合いだと言ってるんですが」
「中学の先輩ですが、女1人で暮らしてる部屋に入れろと言われて困ってます」
「知り合いなんですね」
「そいつは俺の女だっ!」
広太が叫んでるのが聞こえた。
広太の必死さに笑いそうになった。
「そう言ってますが」
「家に上げるほど親しい間柄じゃありません」
「知り合いなんですよね」
ああこれ、テレビで良く見る場面だ。
そう思ったら、波が引くみたいに冷静になれた。
「知り合いなら女1人で暮らしてる部屋に入れなきゃいけないんですか?それでもし暴行事件になったら責任取れるんですよね」
「いや、それは…」
「あなたの名前と階級を教えて下さい。万一の時は両親から弁護士を雇って訴えますから」
「いや、そんな大袈裟な」
警官がもぞもぞ言い出した。
「ここからの会話は録音させていただきます。スマホを持ってくるので少しお待ち下さい」
「いえ、その必要は、彼は署で話を聞きますので」
警官は広太を連れて行ってくれた。
念のため、手帳に今日の日にちと時間を書いた。
警察にも家に来た記録は残るはずだから、もしもの時は使えると思った。
広太の事が私を少し変えてくれた気がする。
あの時、言い負けないで警官に言い返せた事が、私の自信になっていた。
気持ちに余裕が出来てきたら、ふわっと『資格』の文字が頭に浮かんだ。
図書館のパソコンで就職に有利な資格を探して、まず『TOEIC』を受けようと決めた。
次に『日経TEST』と『MOS』欲張りすぎは駄目だと思いながらも本を買い漁って勉強を始めた。
試験まで日の無いのもあって、3つ掛け持ちはきつくて途中で投げ出しそうだった。
それを踏み止まらせたのはバイトのお陰。
毎日毎日怒鳴られた、今でも怒鳴られてるけどお陰で根性は着いた気がする。
就活が始まる9月までに書ける資格が欲しい一心で、無茶苦茶頑張った。
救いだったのはTOEICは年に2回だけど他は毎月に近く試験がある事だ。
3つ全部は受からなくても1つでも合格すれば、自分を変えられる気がした。
そんな2月の初めに、中嶋くんから中嶋くんの友人を紹介された。
中嶋くんと同じ4年制の友人だと言った。
「こいつは長谷川。みずきを学食で見て、付き合いたいって言うんだ」
思ってもいなかった話に直ぐには返事を返せなくて、友達から始めよう、で押し切られてしまった。
「バイトしてるから、大学の中だけなら…」
立ち直るのが遅くてやっとそれだけ言い返した。
「バイト?何時から?」
何故か中嶋くんが食い付いてきた。
「12月から」
「どんな仕事?」
「倉庫の在庫管理」
中嶋くんの隣にいた長谷川くんが顔を横に向けて、嫌そうに口をへの字にしていた。
「そうか…みずきがバイトか…」
まるでショックを受けたみたいに呟かれて内心複雑だったけど、今までを考えたら仕方無いか、と思った。
「バイトって休みの日は無いの?」
長谷川くんが聞いてきた。
「やっとお歳暮のお返しが終わったとこだけど、これからはバレンタインと入学のお祝いが始まるみたい」
「シフト制なんだろ?」
「シフトなんて無いよ。学校の試験の時は休むけど、それも嫌味付き」
「辞めちゃえよ」
話に割り込んできた長谷川くんの言い方にムッとした。
「自分で決めて始めたバイトだから辞めたくない」
はっきり言ったら中嶋くんも長谷川くんもびっくりした顔をしていた。
その日から、ほとんど毎日学食で会った。
1週間もすると、中嶋くんたちが私に時間を合わせてる事に気が付いた。
話題はほとんど中嶋くんが振って、それに長谷川くんが何か言って、私は頷くだけ。
ぎくしゃくした時間が流れる。
少しずつ会話は増えるけど、3人に共通なのは一般教科だけで、後が続かない時が多かった。
講義が休講だったりすると近くでお茶しよう、とか誘ってくるようになって、話始めて半月近くなったら中嶋くんが段々来なくなった。
2人だけになれば、それでなくても弾まない会話がもっと無くなった。
今までこんな状況に置かれたら沈黙が怖くて馬鹿みたいに話題を作ろうとしてた。
でも今は、沈黙はそんなに怖くない。
長谷川くんに疑問を聞いてみたいと思った。
何で?って。
聞いたら逆に外で会いたいとしつこく誘われた。
「外でデートするなら教える」
何度かそんな不毛な会話を繰り返して、何度目かでああそうか、中嶋くんは私と長谷川くんが付き合うよう仕向けてるんだ、って気が付いた。
でも、なぜ急に?
それが分からなかった。
まだ「してあげる」なのかな?
それから少しして、やっと中嶋くんと2人で話せる機会があった。
「私も長谷川くんも話す方じゃないから2人にされても会話なんて無いよ」
暗に付き合わない、って言ってるのに中嶋くんには通じないらしかった。
「長谷川からは良い雰囲気だって聞いてるけど?」
「休みの日に会おうって言われるけど、私はバイトがあるし時間が取れない」
私なりにはっきり言ったつもりなのに、中嶋くんは1日くらい休んで付き合ってやれと返してくる。
うんざりしてる私に気付いたのか、中嶋くんがその日のお昼は同席した。
わざとだと思うけど、中嶋くんは自分からは話さず黙々と食べていた。
そんな中嶋くんを見て、長谷川くんが話を振ってきたけど続くはずもなくて、重い沈黙が流れた。
「話と違うな」
「中嶋が居るから緊張してるんだよ」
長谷川くんが『な』って言ってくる。
返事が出来るはずもなく、中嶋くんに肩をすくめて見せるしかなかった。