第5話 『有翼蛇』
第5話 『有翼蛇』
南瞑海 異世界
2012年 12月16日 8時38分
赤く塗粧されたガレーが、その細長い船体を穏やかな海に預け、揺られている。
船首楼で腕を組む〈バンガコルマ〉号艦長は、その鼻に風に混ざる様々な匂いを感じていた。
島々から香る果実の甘く熟した匂い。魚影の濃い海からの潮の匂い。使い込んだ索具から漂うタールの匂い。左右三十六対の櫂を漕ぐ筋骨たくましい漢たちの汗の臭い。船上はとにかく様々な匂いがした。
全ての匂いが、喧しく感じられるほど強く自己主張していた。照りつける太陽の光すら匂う気がする。ここは、そんな海であった。
艦長は、海がいつも通りであることに安心した。無精ひげに覆われた赤銅色の顎を右手でひと撫でする。
彼の耳に、船首楼で見張りについていた船員の報告が聞こえた。
「お頭ァ! 『門』の様子が変ですぜ!」
「莫迦野郎ッ! 俺のことは『艦長』と呼べと何度言ったらわかるんだ手前ェ等は!」
「す、すいやせん。つい、癖で……」
艦長の怒鳴り声に、見張りは首を竦めた。漕ぎ手や弓手達が下品だが陽気な笑い声を上げた。彼らはほんの数ヶ月前まで、通行税の徴収と私掠──海賊を生業にして来た漢達である。使い慣れた言葉は簡単に直るものではない。
「『艦長』どの。俺達にお行儀良い言葉でしゃべれったって、そりゃ無理だ。こいつらの顔を見てくだせぇよ」
漕手台に並ぶのは、皆ひと癖もふた癖も有りそうな面構えだ。ヤニで黄ばんだ歯を剥き出しにして笑っている。
漕ぎ手達の足に枷と鎖は無い。
他国のガレー艦隊で見られる、奴隷を漕ぎ手に用いるやり方は、コストの面では有利である。しかし、消耗品である彼等に高い練度は期待できず、逆に常に兵の一部を割いて反乱に備えなければならない。また、劣悪な衛生環境から自然に航続距離は短いものとなった。
これに対し、カサードの艦隊は全て自由人で編成されていた。
専門職となった漕ぎ手は、熟練度と体力を高める事で彼の軍船に自在な機動性を与えた。また、彼等は切り込み要員としての役割を担ったため、常に敵より兵員数で優位に立つことが出来た。
唯一の欠点である高いコストについては、海上交易がもたらす莫大な富がこれを解決した。彼らは艦隊の維持に充分な金穀を得ることが出来たのだった。
カサードの艦隊は、浅く穏やかな多島海において、無敵を誇る存在となった。〈帝國〉の侵攻を受けて組織された『南暝同盟会議』が、彼と彼の艦隊を水軍主力として抱えた事は、当然の判断であろう。
事実、開戦以来彼の艦隊は、逃げ遅れた商船や私掠船(その多くが帝國西方諸侯領内の商人達である)を容易く血祭りに上げ、同盟会議に数少ない勝利をもたらしている。
「まぁ、そうか」
艦長は、船員達とそう変わらない顔をしかめ、同意した。『門』に目をやる。確かに発光がいつもより激しい。彼は太陽を見上げた。使節団の先触れが予告した時刻に近いようだ。
彼は配下に警戒を強めるよう指示を出すと、二浬先の『門』を睨みつけた。彼の〈バンガコルマ〉号を始め、計八隻の軍船が周囲に展開している。
「左舷前方二浬。『門』より船影ひとつ! いや、四つ!」
見張りがよく通る声で報告した。艦長が素早く視線を『門』に向ける。明滅を繰り返す陽炎の向こうから、奇妙な船が姿を現した。
なんじゃい、ありゃ? 艦長は思った。現れた船は彼の艦より大きかった。船体は全て灰色に塗られている。船型は見たこともない。用途の分からない突起があちこちに付いていた。
何より奇妙な事に、たった一本の帆柱は斜めに傾ぎ、帆は無かった。白地に赤い太陽の意匠を施した旗が揚がっている。船を進める櫂も無い。であるのに、その船は前に進んでいた。
「艦長、けったいな船が四バイ、見たとこ帆も櫓櫂も無い。兵も見えん。叩きやすか?」
掌帆長が言った。気味が悪くて仕方がないという態度だ。
灰色船は、静かに進むと行き足を止めた。船尾の海面が泡立っていたが、船が止まると消えた。
「突っ込みやしょう! ここは俺達の海だ。怪しい奴らは鱶の餌にしてやるべきですぜ」
弓手指揮官が、戦意に溢れた顔で進言した。囲むか。艦長は、正体不明の船に対し包囲を命じようと口を開きかけた。
だがその時、彼の目が二浬先の灰色船上によく知った顔を見つけた。
「待て。ありゃ提督じゃねえか? 見張り、見えるか? 左から二番目だ」
「へぇ……艦長、確かにカサード提督です!」
「やっぱりか。だが変な格好をしてるな」
彼のよく知る上司は奇妙な赤い短衣を着込んでいた。この暑いのによくやる。だが、灰色船の上でこちらに手を振るのは、紛れもなく南暝同盟会議水軍アイディン・カサード提督であった。
どうやら、異界の軍船を連れて帰ってきた様だ。あんな『門』に飛び込むだけでも恐ろしいのに。艦長は、見てくれはどうあれ、カサードに対する尊崇の念を新たにした。
「あれに見えるは、カサード提督だ。出迎えるぞ。鼓手用意! 櫂備えッ!」
艦長の号令で、艦の両舷から突き出たオールに漕ぎ手が取り付き、水面ギリギリに突き出された。鼓手が構える。
「両舷前進三分の一。『門』に向かえ!」
鼓手がゆっくりとしたリズムで船尾楼の太鼓を叩く。漕ぎ手は、三人一組で太鼓に合わせて漕ぎ始めた。見事に呼吸の合った三十六対のオールが、水を掻き始めた。
しかし、あれで戦えるのか?
力強く進む艦上で、彼はどこか力の抜けた気分に包まれていた。異界の船は図体こそ大きいが、それだけだ。帆も櫂も無い。あれでは戦うために最も必要な素早さを得られない。
また、船上に大型弩弓などの武器は見えず、兵を矢から守る置盾も無さそうだ。大きいだけの鈍重な船が四隻有ったところでどうにもならん。
掌帆長や掌漕手長も同じ意見の様であった。口々に不満を述べている。
彼は、話に聞こえる帝國軍の猛威を思い、暗澹たる気分になった。このままじゃあ、負けちまう。一体提督はどうする気だ?
その時──。
「右舷後方、龍が見える! 騎数三!」
鋭い警告が響いた。艦長の背筋に冷たい感覚がよぎる。まさか。ここは同盟会議の内懐だぞ。だが、次に聞こえた禍々しい鳴き声が彼に現実を突きつけた。
鳥の鳴き声を数倍野太くかつ攻撃的にした様な響きが空に響く。艦長は、右舷後方を見た。
「……有翼蛇!」
青空に現れた羽根の生えた蛇の様な生物。ワイアームと呼ばれるそれは、狂える神々の座を越え南暝同盟会議に攻め寄せた〈帝國〉南方征討領軍の姿であった。
南瞑海上空
同時刻
眼下に広がる翡翠色の海上は、まるで木の葉を散らした様だ。間抜けな南蛮どもの軍船はようやくこちらに気付いたようだった。
大層な名を名乗っていても、所詮蛮族か。
〈帝國〉南方征討領軍飛行騎兵団に所属する操獣士は、手綱を引き翼龍の行き足を緩めた。照りつける太陽を背に、海面を見下ろす。
海上に遊弋していた軍船は、大慌てで船足を早め戦の支度を整えようとしていた。遅い。操獣士は、革製の龍騎兵帽の下で嘲りの表情を浮かべた。
彼は、厚手の革製外衣と騎兵ズボン、手袋で身体を覆っている。常夏の地であれ空を往く者は薄着ではいられない。風が体温を容赦なく奪うからだ。
南方征討領軍は、三月前に『双頭の龍』を戮殺した後、その要塞を拠点に南部沿岸地域に侵攻を開始していた。
初戦で悲惨な殲滅戦を見せつけられた周辺の村落、そしていくつかの都市は早々と〈帝國〉に降った。〈帝國〉軍はそれらから糧秣と兵を徴収し、更なる侵略に用いた。
反撃は、微々たる物であった。
南暝同盟会議の足並みは乱れ、諸都市が自己を守るので手一杯という有様であった。北辺の守りの要を失ったことは、彼等にそれ程の衝撃を与えていた。
南暝同盟会議諸国は、統一軍の編成すらままならない体たらくであった。わずかの間に三つの都市国家が陥落し、無数の村落が消え去った。
勿論、全てがされるがままであった訳では無い。冒険商人達はその情報網を用いて、〈帝國〉軍の兵力がさほど多くないことを突き止めていた。また、有力都市は速やかに自警軍を編成し、跳梁する〈帝國〉軍先遣隊の捕捉殲滅を試みた。
だが、効果は上がらなかった。
〈帝國〉軍は、部隊を魔獣や翼龍で編成していた。これらの軍は機動力に優れ、兵力に勝る都市国家自警軍を翻弄し続けた。〈帝國〉軍は決戦を避け、兵站を脅かし、時には空き家となった都市を襲った。
南暝同盟会議諸国は、盗賊の様に戦う〈帝國〉軍に、ずるずると消耗を強いられ続けていた。
南方征討領軍飛行騎兵団は、最近では蛮族の本拠地付近まで足を伸ばしている。少数の翼龍で、散発的に各地を襲っているのだ。操獣士が翼龍と共に海上に現れたのは、そうした現状を表していた。
「今日はあれを喰うとしよう」
操獣士の背中側で低い声がした。風に紛れて聞き取り辛いが、若い男の声である。眼下の軍船を沈めようと言っている。
「分かった。派手に頼むぞ」
操獣士は、その声に応え翼龍を風下へ水平飛行に入れた。浴びる風が弱い方が後ろの男は集中出来るのだ。
「心得た」
そう言った後席の男は、操獣士と同様の服装に身を固めた身体を僅かに反らし、目を閉じた。精神を高める化粧を施した顔が、僅かに痙攣する。
男は『魔獣遣い』と呼ばれる者であった。特殊な魔術の一種を用い、魔獣を操る。主に〈帝國〉内の東部山岳地帯に住む民族に多い。
幼龍と共に育ち、成人後は龍騎兵として軍役に就く操獣士とは、また異なる異能を持つ民であった。操獣士は思った。
上は大したことを思いつくものだ。我等を組み合わせる事で、その力何倍にもなる。
〈帝國〉軍は、翼龍を用いる龍騎兵に『魔獣遣い』を同乗させていた。龍騎兵により機動力を与えられた『魔獣遣い』は、その魔術を敵の奥深くに用いる事が出来た。
太陽を反射しギラギラと照り返す海面の近くを三本の黒く細長い影が猛烈な速度で飛んでいるのが見えた。 、
操獣士が目を凝らすと、それらの姿が明らかになった。翼を持つ蛇──有翼蛇またはワイアームと呼ばれる魔獣だ。三匹が鏃のような隊形を組んで蛮族のガレーに向かっている。
人を乗せていない。その速さは生半可な兵どもでは目で追うことすら出来まい。そう思えるほど鋭い飛び方であった。
『魔獣遣い』に使役された三匹は、ガレーまで僅かの距離に近付くと、荒々しい叫びと共にその口から火球を放った。
火球は狙い違わずガレーに吸い込まれて行った。
右隣の僚艦が激しい炎を吹き上げた。忌々しい鳴き声と共に火球を吐いたくそったれの蛇どもは、既に矢の射程外に飛び去っている。
火球を受けた僚艦は、主檣に喰らった一発によって、良く油の染みた索具と帆が燃え上がり、まるで巨大な松明の様な有り様だった。
悲鳴と共に、火達磨になった人間が海に落ち、水柱を上げた。彼等は暫くもがいていたが、すぐに動かなくなる。僚艦は行き足を止めていた。艦長が居たはずの船首楼にも火球が命中している。
くそ、あれじゃ助からん。
艦隊は大混乱に陥っていた。完全な奇襲である。だが艦長は、流石に手練れであった。速やかに指示を出す。
「前進全速。弓手射撃用意! 奴を近付けるなッ!」
鼓手が激しく太鼓を叩き始め、漕ぎ手が筋肉を膨らませ力の限り櫂を漕いだ。止まっていてはやられる。艦長は、瞬時に判断した。
周囲の艦の内、三隻は彼と同じ行動をとった。だが、残りの三隻は速度より反撃を選んだ。弓手を船縁に集め、弾幕を張ろうとしている。海賊衆らしい勇敢さであると言えた。
──だが。
「左手正横、龍が突っ込んでくる!」
見張りの悲鳴。艦長は、即座に指示を出した。
「取舵一杯! 左櫂上げ! 右全力で漕げ!」
左舷側の漕ぎ手が櫂を海面から上げる。右は全力で漕ぎ出した。〈バンガコルマ〉号は急速に左に回頭する。敵に横腹を曝すまいという動きであった。
左に位置していた僚艦が、矢を放った。だが、ワイアームは矢を軽々とかわすと停止していたそのガレーに次々と火球を放った。
轟音。火柱。魂を消し飛ばす様な凄まじい悲鳴が上がる。櫂がバラバラと水面に落下した。弓手の放つ矢は全く当たらない。
「駄目だ! 敵が速すぎる」
弓手指揮官の悔しげな叫びが聞こえる。ワイアームは、一撃を加えるとあっという間に飛び去ってしまう。
二隻目を屠った蛇どもは、再度襲ってきた。各艦は全力で回避しつつ矢を放つ。しかし、効果は無い。辛うじて三撃目は回避したものの、火球をくらうのは時間の問題であった。
畜生、全滅しちまいかねん。どうしたらいい?
この船では、奴等には勝てない。
南瞑海
2012年 12月16日 9時21分
眼前で繰り広げられた惨劇に対し、〈はやぶさ〉艇長の対応は素早かった。
呆然とする周囲をよそに、彼は情報を集め脅威評価を下していた。
対空目標。サイズと速度はヘリ程度。我に友好的では無い可能性が高い。火力は本艇に脅威足り得る。
彼は命令を下した。
「対空戦闘用意」
隣では、商人然とした異世界の男が腰を抜かしそうになっている。指輪を通した彼の言葉は「まさか、こんな所まで……」「一体どうしたら」という呟きであった。〈魔法〉とやらは、男の茫然自失な様子まで正確に伝えていた。
男の狼狽ぶりは、信じられない事態に遭遇した常人の反応としては概ね平均的なものであった。
だが、命令を受けた自衛官達は、弾かれたかの様に行動を開始していた。警報が鳴らされ、LM500-G07ガスタービンエンジンが全速力に備え唸りを上げる。レーダー員が探知目標に番号を付与する。数十秒後、艇は戦闘態勢を整えた。
訓練でできないことは、実戦では絶対にできない。訓練は実戦の如く。実戦は訓練の如くだ。
部下の動きを見ながら、加藤三佐は昔仕えた艦長の言葉を思い出した。今のところ、自分が鍛えた〈はやぶさ〉は満足すべき練度を発揮している。
「ガレー船、さらに一隻被弾! 炎上中!」
行き足を止めていたものから叩かれている様だった。足を折られたミズスマシの様な、無残な有り様を晒している。無事な船は五隻まで減少し、必死に回避運動を続けていた。打ち上げられる矢の勢いは、乗員の動揺を表すかのように貧弱で何の効果も無い。
「目標機数3。更に後方に1機、旋回中」
レーダー員の報告を聞きながら、鮮やかな青空に目を凝らす。双眼鏡では視界が狭まり追いきれないためだ。艇長の目には、目標は航空機でもヘリでも無い様に見えた。それは奇怪な生物に見えた。
「……蛇? 火を吐く蛇がいるのか?」
「あれは、有翼蛇です。マルノーヴ各地に生息する魔獣。しかし、ああまで見事に使役されたところを、わたくしは見たことがありません」
リューリが、真っ青な顔色ながら気丈にも加藤に説明した。
「使役? 操られていると?」
加藤が訊ねた。リューリが、天井を見上げながら答えた。
「有翼蛇は、人に馴れません。ですが、『魔獣遣い』は術によって使役すると聞きます。〈帝國〉軍はあの様な魔獣を軍に用いているのです」
重い口調で語った彼は、艇長の目を見つめ、切り出した。 船長殿。願わくばわたくしとカサード殿にボートをお貸しくださいませんか?」
傍らには、憤怒と焦燥に髪を逆立てたアイディン・カサードが拳を握りしめ立っていた。眦はつり上がり、苦戦する配下達を見つめている。
「……あなた方は本艇の大切な客人だ。お貸ししたとして、どうされるお積もりか?」
加藤の言葉に、カサードは態度で答えた。炎上するガレー船を指差し、反対の手で目の前の壁を力一杯殴打した。金属を叩く硬い音がブリッジに響く。乗員達が驚いた表情を見せた。加藤三佐とレーダー員だけは顔色を変えなかった。
リューリが、カサードの代わりに言った。
「海将カサードは、部下と共に在ることを望んでいます。しかし、異国の方である貴船に参戦の名分はありません。ボートをお貸し頂ければ、我等は配下の軍船に漕ぎ寄せ指揮を執る所存です」
「リルッカさんは、使節団の団長でしょう? あなたまで行く必要が?」
艇長はリューリを気遣った。指揮官が戻ったとして、ガレー船が自在に空を駆ける有翼蛇に勝てるとは思えなかった。
リューリはにこりと笑った。
「わたくしは南暝同盟会議に連なる者。敵たる〈帝國〉軍により味方が窮地に在りし時にただ黙って見ている様では、わたくしの幹も根も腐ってしまいます。拙い精霊魔法でも何かの役に立ちましょう」
大した口上だった。だが加藤は、リューリの足が震えているのを見逃さなかった。カサードが今にも海に飛び込んでしまいそうな様子であることにも、共感を覚えた。彼は部下を案じている。
加藤は、その身の内で血が沸く音を、はっきりと聴いた。
「お二方の御覚悟、了解しました。暫し待たれたい──通信!」
そう言って艇長は、通信員の手から無線の送話器をひったくった。だが、同時にスピーカーから声が聞こえた。
『群司令より、各艇長。意見はあるか?』
加藤三佐は機先を制された形になった。群司令の問い掛けに、無線からは各艇長の返答が次々と聞こえてきた。
『〈わかたか〉艇長、戦闘行為を制止すべきと考える』
血の気の多さで知られる〈わかたか〉艇長が、戦闘への介入を進言した。きっと狭いブリッジの中を熊の様にウロウロしているだろう。
『こちら〈くまたか〉。現状は武器使用要件を満たさない。戦闘停止を呼びかけつつ、部隊の保全に努めるべきと考えます』
〈くまたか〉艇長の冷静な声が聞こえた。治安出動下令前に行う情報収集として派遣された彼らは、武器使用に制限があった。改正自衛隊法第92条の5は、対象を「自己又は自己の管理の下に入った者」に広げたものの、危害要件を『正当防衛』『緊急避難』に限っている。
『〈うみたか〉艇長。被攻撃船の乗員は、「日本人」の可能性がある。救援を進言する』
奇妙な事だが、『門』を越えたこの世界は、法律上日本国内らしい土地として扱われていた。政府は『南暝同盟会議』を主権国家であると確認するまでの間、あくまで国内における活動として自衛隊を運用するつもりであった。
そのため、眼前で戦うガレー船の乗員は、『未発見の』日本人の可能性がある。〈うみたか〉艇長はそう言っていた。
「こちら〈はやぶさ〉艇長。ガレー船乗員は、『南暝同盟会議』所属との情報を得た。本艇これより近接し、難船者救助を実施したい」
無線のやり取りに唖然とするリューリ達を尻目に、〈はやぶさ〉艇長は進言した。内心、無茶かなと思っている。救助のために近付けばまず攻撃を受ける。それは、様々な問題をクリアするが、更に多くの問題を生み出すだろう。
日本国として、それを許容出来るのか? その判断を現場がしても良いのか?
無線は約十秒、沈黙した。
『群司令了解。〈はやぶさ〉は、ガレー船に近接し、難船者の救助に当たれ。〈うみたか〉は〈はやぶさ〉を援護せよ。〈くまたか〉〈わかたか〉は「門」を確保せよ』
群司令の声はやけに明るかった。ミサイル艇を指揮する指揮官達は、その兵器特性からか即断即決を重視する傾向があると思われている。群司令もその例に当てはまるようだ。
『〈はやぶさ〉了解』
加藤三佐は、自分の声も明るくなっている事に気付き内心で苦笑いした。だが、手には既にじっとりと汗をかいている。今からは命のやりとりになる。そう思うと膝が笑いそうだった。
「船長殿! 早く我らを降ろしてください!」
じれた様子でリューリが言った。加藤は彼に答えた。
「リルッカさん、カサードさん。ボートはお貸しできません。本艇これより貴船団の救助に向かいます」
「無茶です! 危険すぎます! 船では火球を回避できません。いくら鉄船と言えども……」
「──我、強要! 降りる!」
この船では不可能だと言い募る異世界の住人に対し、加藤は胸を張った。
「リルッカさん、本艇の名前を覚えていますか?」
「……〈はやぶさ〉です」
「そう、『隼』です。今から、我ら四艇が猛禽の名を名乗るその理由を、御覧にいれましょう」
艇長は爽やかに笑いながら、リューリの細い身体をレカロ社製シートに押し込んだ。手早くベルトを締める。そうしてから正面を向く。彼は大きく息を吸い命令を発した。
「本艇は只今から救助活動のため、ガレー船に近接する! 第二戦速!」
タービンが一段甲高い音で、ブリッジの空気を震わせる。艇尾が激しく泡立ち、〈はやぶさ〉は満載240トンの船体を力強く前進させ始めた。
地理的関係についてです。
異世界『アラム・マルノーヴ』の地形をイメージするに当たっては、我々の地球をベースにするならば
〈帝國〉 ヨーロッパからアジアまでのユーラシア大陸過半を制する大国
『南瞑同盟会議』 東南アジア地域に点在する諸国家連合
『双頭の龍』 ヒマラヤ山脈東南側くらい
でイメージして頂けると分かりやすいかと思います。〈帝國〉軍は峻険な山岳を越えて、南進してきている状況です。
いつか地図を用意したいとおもいます。いつか。