第26話 『いざない』
なんだか長くなってしまいまして、戦闘開始直前まででいったん投稿します。戦闘をご期待くださった方には申し訳ないです。
第5連隊戦闘団本部 レノボ市近郊
2013年 3月10日 09時33分
第5連隊戦闘団本部の宿営地は、日に日に慌ただしさを増していた。〈帝國〉軍の圧力は日増しに強まり、近隣に駐屯する南瞑同盟会議軍が動揺を見せている。戦闘団本部には、隷下部隊からの報告が次々と集められ、それを捌くために本部管理中隊は盆と正月が一度に来たような騒ぎになっているのだった。
「お姫様のご機嫌はどうだ?」
「ずっと、泣き続けていますよ。そりゃあショックでしょう。家族と身近な人たちを全て亡くしたのですから。ただ、もう一週間になります……」
戦闘団長松永一佐の問いに、作戦幕僚の高山三佐は痛ましそうな表情を浮かべて答えた。
「そうか──」松永は空を見上げた。「うん、ちょっと顔を見てくる」
松永がそう言うと、高山の表情が、痛ましさから嫌そうなものに変わる。
「……何しに行くんですか? 連隊長」
「なに、人生の先輩としてのアドバイスだよ。こんなおじさんだってたまには役に立つさ」
ほんの少しだけ傷ついたような、それでいて何かを企んでいるような笑みを浮かべ、松永は右手をひらひらと振った。
救出されたアイシュワリヤー姫は、メディカルチェックを受けたのち大天幕の一つを与えられていた。王国の姫君を迎え入れるには質素すぎる代物だが、それに文句をつけたであろう姫の側仕えたちは、ことごとく泥土に斃れたか、良くて奴隷の身となっている。
今は衛生科の女性隊員が一人と、諸都市徴募軍から借り受けた臨時の側仕えが二人いるだけだ。
「入るぜ」
出入口を固める完全武装の女性隊員にぞんざいに告げたあと、松永一佐は天幕をくぐった。
ずかずかと天幕内に入ってきた異国の軍人の姿に、側仕えの二人はそろって不安げな表情を浮かべた。大ぶりのクッションが中央に置かれ、その上にはゆったりとした衣装を身にまとった少女が、その華奢な身体を横たえている。
艶やかな金髪。新雪を思わせる白い肌。その可憐な姿は依然と変わりないように見えたが、その表情には昏い影がまるで血糊のようにべったりと張り付いていた。生気がない。アイシュワリヤーの陰鬱な表情は、一目見てその精神状態が悪いことを松永に理解させた。
「アイシュワリヤー姫、松永です。御機嫌麗しからぬ様子。心中お察し申し上げる」
普段の不遜な態度とは異なり恭しく問いかける松永の言葉に、アイシュワリヤーは真っ赤に泣きはらした瞳を微かに反応させたが、そのままクッションに顔をうずめ、静かに泣き続けた。
もう一週間もこれか。松永はそっとため息をついた。これはただの少女だ。
「姫様、あえて直言させていただく。貴女は王国の姫君なのです。いつまでも悲しんでばかりではなりませんぞ」
松永の言葉に、アイシュワリヤーの肩がピクリと震えた。顔は上げない。声は聞こえているようだ。松永は右手を振って側仕えを退出させた。続けて、衛生員に声をかける。
「君も出ていてくれ」
「しかし」
「いまから姫と重要な話をする。退出しろ」
衛生員が天幕を出ると、松永は声色を明るく切り替えて、投資話を薦めるやり手の営業マンのように話し始めた。
「聞きたくないでしょうが、そのままお聞きください。私が姫様にお示しする道は2つです。どちらを選ばれるかは貴女次第」
返事はない。松永は話し続けた。
「一つは安穏な道。貴女は国に戻られるか、この地に陵墓を建てるか。ともかく、御父上の霊を慰めていればよろしい。〈帝國〉軍は我々が打ち破って差し上げましょう」
「もう一つは苦難の道。御父上の掲げた旗は今、地に墜ちています。これを掲げ直し、一敗地にまみれた軍を立て直し、敵に立ち向かう道です。我々は貴女を助け、〈帝國〉軍を打ち破るでしょう」
そこまで言って松永は沈黙した。大天幕に静寂が満ちる。アイシュワリヤーは泣くのをやめていた。
たっぷり5分間は沈黙があった。
「どちらの道も、そなたは〈帝國〉軍を歯牙にもかけないのですね」アイシュワリヤーが泣き疲れて掠れた声で言った。
「当然です。我々にはその力がある。あんな連中は、ただのかかしですな」
「かかし」
松永の傲岸不遜を体現したような答えに、アイシュワリヤーの声色に微かな怒りが宿った。
気づいたか。〈帝國〉軍が『かかし』なら、それに敗れたバールクーク王国軍はなんだ、ってことになるからな。
松永は構わず続ける。
「安穏を求めるならば、我々は、姫様の御身に一指も触れさせるつもりはありません。ただし──王国は他の手に渡ります」
「王国が?」
「王に血縁の者が全くいない、というわけではないでしょう? 有力な領主は? はたまた主筋たるザハーラ王はどのようにお考えになるか──私の所にも色々と話が聞こえてきております。国王陛下の御逝去に際し、その後継争いは燎原の火の如くすぐさま燃え上がることでしょうな」
挑発するような声だった。気が付けばアイシュワリヤーは身体を起こしている。よく整った顔を紅潮させ、松永を睨む。
「そのようなことはあり得ませんわ。臣は皆忠誠に厚く、おとうさまを支えてきたものたちばかりです」
「確かに、家臣に二心無く、王はよく国を治められてきたことでしょう──いままでは、ですが」
「今もです! おとうさまの治世はたやすく揺らぐものではありません!」アイシュワリヤーが叫ぶ。
「ですが、その偉大なる王は既に神の御下に旅立たれました。腹心であるコーシャセナ将軍も戦場の露と消え、失礼ながら姫様の御身を警護する兵すらおりません」
松永の言葉に、アイシュワリヤーは両こぶしを握り締め、天幕内を見回した。松永は両手を大きく広げ、天幕内を歩きながら言葉を紡いでいく。
「人は現金なものです。姫──貴女はまだ何も成し遂げておられない。ただ美しく咲く花のようにそこにあるだけだ」
松永は囁くような声色で、アイシュワリヤーに告げる。
「ひとびとは思うでしょう。『あの姫のもとで果たして我が領地は守られるのか?』『幼い姫君などよりも、もっと力のある者が国を治めるべきではないのか』と」
「王国の者がわたくしを裏切るというのですか? そのような無礼な──」
「四散した軍を纏めることができたであろうヘクマタール殿も、いまだ生死の境を彷徨っております。今の貴女には何の力もない」
ナグゥの名前に、アイシュワリヤーが言葉を詰まらせる。怒りは影を潜め、悲しみが再度その表情を曇らせた。うなだれた両目から大粒の涙がこぼれ、両ひざを濡らす。
「姫様──力が欲しいですか?」
いつの間にかアイシュワリヤーのすぐ側に近付いた松永が、小さな声で尋ねた。
「もし、姫様が望むのであれば、我々はそれに応えましょう」松永の声は、するりとアイシュワリヤーの心の中に滑り込んだ。
力。おとうさまやコーシャセナ、側仕えの皆を惨たらしく殺した〈帝國〉を討つための『力』。
「ひとつ尋ねます」アイシュワリヤーは松永の目をまっすぐ見つめて言った。
「なんなりと」
「なぜ、〈二ホン〉はわたくしたちに力を貸そうとするのです? あなたの得る見返りは、何?」
「見返り、ですか」松永の口が笑みの形に歪んだ。「我が国は〈帝國〉から同胞を取り戻さなければならないのです。そのためには貴女のような『旗印』があった方が助かる」
「それだけ?」
アイシュワリヤーの瞳には、いつの間にか強い意志が宿っているように見えた。
「公的には、それが全てです。そうですな。個人的な理由があるとすれば──私が姫様の仇討ちに力を貸したいと思ったのですよ」
そう言って笑った松永の表情の裏側に何があるのか、アイシュワリヤーは読むことができなかった。
〈帝國〉南方征討領軍本営 モース市近郊
2013年 3月10日 11時21分
〈帝國〉軍はモース市東方に布陣した。
二個オーク重装歩兵団千名と、精鋭部隊であるアダモフ・バジョーヴァ両槍兵団合わせて四千、計五千の歩兵部隊をもって重厚な横陣を敷き、特殊部隊である『獣魔兵団』にこれを支援させている。その後方には弓兵部隊の配置が完了し、諸隊は前進の命令を待つのみであった。
士気は旺盛である。
ディル市において大規模な略奪を行い、獣性をあふれさせた〈帝國〉軍の本営で、総大将ヴコール・ルキーチ・カローヴァは、上機嫌に笑っていた。
「大儀であった。貴様もしぶといな」
「はっ。恐悦至極にございます」
カローヴァの前に跪くのは、バールクーク王国遠征軍本営を急襲し、これを撃滅する功績をあげた将レナト・サヴェリューハだ。
「ですが、我が手勢は少々痛手を受けました。情けのうはございますが、此度の戦では後詰に付かせていただきたく存じます」
弱弱しい響きすら感じさせる声でサヴェリューハが言った。諸将が嘲りの表情を浮かべる。
「少々功績を挙げたとはいえ、貴様はその程度よ。あとは我ら常道の軍に任せて引っ込んでおれ!」
髭面の槍兵団長アダモフが、辛辣な言葉を投げかけた。周囲もそれに迎合する。彼らにとってサヴェリューハの存在は、手柄を奪い合う邪魔者でしかないのだった。
そんな様子を見ていたカローヴァは、鷹揚に頷いた。
「貴様は、手勢をまとめ後詰に付け。あとは我らでやる──その後ろの包みはなんだ?」
「有難き幸せ。これは、バールクークの者共にございます」
そう言ってサヴェリューハは背後の包みをカローヴァに差し出した。それは塩漬けにされたバールクーク王たちの首だった。虚ろな表情を浮かべた腐りかけた顔が、並んでいる。
「おう、バールクークの王よ。哀れな姿に成り果てたな──その首は前衛に与え、槍の穂先にでも掲げさせよ。戦わずして逃げ出すやもしれんぞ」
「閣下の武威に、敵は恐れをなすことでしょう」
総大将の言葉に、居並ぶ諸将が追従の言葉を述べる。そんな雰囲気になるのも当然であった。南瞑同盟会議軍は各地で打ち破られ、モース市近郊には戦意の低い数千の兵が布陣しているに過ぎない。勝利は間違いないとだれもが考えている。
「〈二ホン〉とかいう連中がいるという話だが、どんな連中だ?」
「数百の兵がモース近郊にいるという話よ。さしたる脅威ではないでしょう」
〈二ホン〉軍については、要領を得ない報告ばかりで、さっぱり正体がわからない。だが、精々数百の兵力では、常識的に考えて数千を超える〈帝國〉軍に対抗することはできない。軍監として夫を支えているプレシャ・サーク・カローヴァが、嘲るような笑みを浮かべた。
「ヴゴール、皆逸る気持ちを抑えられなくなりそうよ。頃合いだわ」
「うむ」カローヴァは大きくうなずいた。板金鎧に包まれた巨体が、勢いよく立ち上がる。
「全軍に伝えよ。半刻の後、総攻撃だ。モース市を焼き尽くし、敵軍を殲滅するまで足を止めるな」
「はっ!」
「いよいよですな。目にもの見せてくれん!」
「あのような弱敵など鎧袖一触だ!」
本営が蛮声で満ちた。総大将の命を受け、諸将が鎧を鳴らしながら己の軍勢に駆け戻っていく。しばらくして進軍の合図が鳴り響き、〈帝國〉軍はモース市攻略の軍を発した。
大地を踏み鳴らす音が周囲を圧し、色とりどりの軍旗が風を受けてはためく。
南瞑同盟会議領域を巡る戦いは、最終段階を迎えようとしていた。
次回こそ、〈帝國〉南方征討領軍と第5連隊戦闘団の戦闘です。
御意見御質問御感想お待ちしております。




