第25話 『別離』
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ハウド丘陵上空
2013年 3月3日 16時45分
『アタッカー01、『対象アルファ』に近付きそうな〈帝國〉兵を叩いてくれ』
「アタッカー01了解──弾ちゃん、あの蜘蛛を叩こうか」
「はいな。わし、足のいっぱいついた虫嫌いですねん」
教来石信美三等陸佐の操るAH-64D〈アパッチ・ロングボウ〉は、一度戦場上空を駆け抜けると、十分な距離を取って敵に向き直った。機首先端の〈アローヘッド〉センサーが昆虫を思わせる挙動で敵を見定める。
発砲。
M230 30mmチェーンガンが重厚な発砲音を響かせる。結果は破滅的だった。先ほどまでバールクーク王国兵を食い千切り、踏み潰し続けたジャイアントスパイダーが、体液をまき散らして四散する。射撃を受けた『魔獣遣い』は何が起きているのか把握できないまま、跳ね上がる泥とともに耕された。
「標的1から4撃破」ガナー席の高坂弾二等陸尉が努めて冷静さを強調した声色で報告する。
「了解。次行くぞ」
教来石が繊細な操作で機体を移動させ、次の目標に対する射点につける。戦場を睥睨する鉄騎を阻むものは、マルノーヴの空には存在しなかった。
バールクーク王国軍 本営 ハウド丘陵
2013年 3月3日 16時52分
30メートル先で、巨大な蜘蛛とサーベルタイガーの群れが射撃を受け泥の海をのた打ち回っている。
空挺隊員を乗せた『ヒリュウ01』──UH-60JA一番機は、熟練した操縦士の手によって地表50センチの位置に舞い降りた。強烈なダウンウォッシュが下草を泥ごと吹き飛ばし〈帝國〉兵をひるませる。
キャビンドアに据えられた12.7mm重機関銃M2の銃弾が剣歯虎を血肉の塊に変え、ガンナーズドアから両側に突き出された5.56mm機関銃が軽快な射撃音とともに弾丸をデリバリーすると、アイシュ姫を包囲していた〈帝國〉兵たちが糸の切れた人形のようにバタバタと斃れた。
状況を確認した小隊長が命令を下す。
「円周防御! 『対象アルファ』を確保する!」
小隊長の命令を受けた隊員たちは、慎重な足取りで進んだ。構えた89式小銃から丁寧に撃ち出された小銃弾が、ピンセットで不要なものを取り除くかのように、アイシュとナグゥを取り囲む〈帝國〉兵を排除していく。ルルェド攻防戦ですでに戦場の洗礼を十分に受けた第1空挺団の隊員たちは、冷静に任務を遂行していた。
今しかチャンスはない。
恐怖に震えるアイシュ姫を懐に庇ったナグゥは、確信した。突然空中から降り立った異装の軍勢は〈二ホン〉のものだ。遠目で見たことも、ブンガ・マス・リマ市の兵たちから話を聞いたこともあった。だが、実際に自らの目で見たその姿は衝撃以外の何物でもなかった。『智慧の泉』と称される軍師は、眼前の軍の実力を正しく理解した。姫をこの地獄から救い出せるのは彼らしかいない。
ナグゥは走り出した。〈二ホン〉兵に姫を。ただそれだけを思い、くるぶしまで埋まる泥の中をよろばいながら巨大な竜のもとに向けて、必死に足を進めた。
(あのヒョロイ兄ちゃんが大事そうに抱えているのがお姫さんだな)
その姿は、分隊陸曹の目にすぐに認識された。
「おい! こっちだッ! 頑張れ!」
ローター音と銃声に負けないほどの大声で叫ぶと、相手──ナグゥがすがるような眼をこちらに向け、必死に走ってくるのが見えた。流れるような動きで弾倉を交換する。発砲。周囲に迫った〈帝國〉兵が倒れた。
「永田! あの兄ちゃんを援護しろ。お姫さんだ!」
「了解。あと10メートル」
単射で放たれる5.56mm小銃弾が、確実に敵兵を打ち倒す。
ちっ、奴らも気づきやがった。
〈帝國〉兵がこちらを指さしている。指揮官に命じられたらしい。槍兵たちがナグゥを目指して走り出した。
「早く、早く来い!」
分隊陸曹が叫ぶ。周囲の蛮声はますます密度を増した。敵が多すぎる。舌打ちした分隊陸曹の後方で、祈りのような声が聞こえる。
「万物の根源、万能の力。電光となりて疾く迸れ」
青白い閃光が分隊陸曹のすぐ側を走り、〈帝國〉兵に突き刺さった。驚いて振り返ると、キャビンの中でマリケが肩で息をしている。〈帝國〉兵を吹き飛ばした閃光は彼女の仕業らしい。驚いた。本当に魔法使いだぜ。分隊陸曹は舌を巻いた。
ナグゥまであと3メートル。可愛らしい顔を泥に塗れさせ気を失った少女の顔がはっきり見えた。畜生、急げ。
「総員搭乗! 『対象アルファ』を回収次第空に上がるぞ!」
小隊長が叫んだ。89式を連射に切り替え、小銃弾をバラまきながら隊員たちが後ずさりする。確保していた陣地が狭まり、その分〈帝國〉兵が迫った。あと1メートル。回転数を上げたエンジン音が変わる。
「よし、お姫さんをこっちへ!」搭乗員がナグゥに手を伸ばし、アイシュ姫を受け取った。援護していた隊員たちが滑り込むようにして機内に乗り込む。機関銃の銃声が悲鳴のように聞こえている。
「掴んだぞ」
機内から伸ばされた何本もの逞しい腕が彼を捕まえた。強引に機内に引き上げられる。
「よ、よろしくお願いいたし……ます」
真っ青な顔にわずかに安堵の色を浮かべたナグゥは、息も絶え絶えな様子で分隊陸曹に頼み込んだ。その顔が表情を失う。
一瞬の空白の後、分隊陸曹は理解した。
全身ずぶ濡れの青年の胸元から突き出た、剣の切っ先。何者かが投擲したそれは、ナグゥの血をUH-60JAのキャビンにあふれさせている。糸の切れた人形のように、ナグゥは崩れ落ちた。
ふと目を開けると、満開の花をつけた李の木の下で恰幅の良い父親が微笑んでいた。
「おとうさま、どうなされたのですか? ……おにいさま?」
気が付くと、数年前に戦と流行り病で死んだはずの兄たちが父親と並んで微笑んでいる。
「アイシュや。可愛い我が娘。どうか健やかであってくれ」
「ぼくたちはお前にもう何もしてあげられないよ」
その微笑みはどこか悲しげだった。どうしてそんな顔をしているの? そう思っていると、父と兄たちはゆっくりと歩き始めた。
「──アイシュ。かわいい妹。お前を見守っているよ」
次第に離れていく父たちを追いかけたいのに、足が動かない。まって。おいていかないで。焦るアイシュのことを振り返ることなく、大切な家族の姿は舞い落ちる花びらの向こうで、次第におぼろげになっていった。
「──さま。おとうさま……」
アイシュワリヤーは、朦朧とした意識の海の底から引き戻された。顔に温かい液体が勢いよく降り注いだからだった。鉄錆びのにおいがする。
目を開けると、目の前にナグゥの笑顔があった。
「……姫様。よか……った。御無事ですね」かすれるような声だ。アイシュワリヤーは、なぜこんな声なのかしら。顔色も真っ青だわ。と思った。そして気づいた。ナグゥの胸から剣が突き出ている。顔に降り注いだ液体はナグゥから溢れた血だ。彼の命だった。
目の前が真っ赤に染まる。アイシュワリヤーの叫びが悲しく響き渡った。
「衛生! 衛生! ──畜生! 嬢ちゃん何とかならんか?」
慌ててにじり寄った衛生員が応急措置を始める隣で、分隊陸曹は困り果てた声をあげた。暴力的な勢いで空へと駆けあがるUH-60JAの揺れに翻弄されながら、マリケは首を左右に振った。
「わたしは魔導士──精霊使いでも司祭でも神官でもないもの。治癒魔法は使えないわ」
「くそったれめ! おい、地上を掃射できないか?」怒りを覚えた隊員の一人が、機関銃を構える搭乗員に問いかける。
「……もう撃てる目標がいない。敵味方が混ざりすぎているよ」
「我々の任務は『対象アルファ』の確保だ──帰投する。どのみち……機上では手の施しようがない」
任務を完遂したはずなのに、酷く暗い気分だった。少女の悲痛な叫びを聞きながら小隊長が言った。
3機のヘリコプターは地上からの攻撃が届かない高度を確保し、水平飛行に移っていた。操縦席では無線のやり取りが行われている。
「ドラゴンズ・ネストこちらヒリュウ01、『対象アルファ』を確保。『対象ブラボー』は行方不明。送レ」
『ドラゴンズ・ネスト了解。ヒリュウ01、02、アタッカー01は任務完了、帰投せよ』
「……ヒリュウ01、帰投する」
『ヒリュウ02、了解』
『アタッカー01、了解。護衛任務を継続しつつ帰投する。終ワリ』
「行きましたか。アレは危険極まりない存在ですね……」
素早く樹木線の内側に退避していたサヴェリューハは、西の空へと飛び去る巨大な影を見送りながら、呟いた。空になった腰の鞘を僅かに気にしたあと、昏い笑みを浮かべる。〈二ホン〉の軍勢を悉く屠るためには、正攻法では上手くいかないでしょうね。しかし、面白い。
「サヴェリューハ殿。この後どうする?」
剣歯虎の三割を喪う大損害を受けたことに衝撃を隠せない剣歯虎大隊指揮官が、丘陵部を眺めて言った。依然、戦闘は継続している。
「国王も将軍も軍師も居なくなった軍勢です。あとはアダモフ殿にお任せすれば良いでしょう」
「充分戦果は挙げた、ということですか」
「その通りですよ」
そう言ってにっこり笑うサヴェリューハの視線の先には、少なくとも十以上の首が布に包まれてあった。
「カローヴァ閣下は勢いに乗って前進し、敵を追撃するでしょう。──しかし、危うい。敵に『あんなもの』がいるのではとても……」そこまで言ってサヴェリューハは言葉を濁した。
「貴方の部隊も再編成の必要があるでしょう。少し、下がりませんか?」
「……確かに。我々には部隊の再編成が、要りますな」そう言った剣歯虎大隊指揮官は顔にひどく卑しい笑みを浮かべた。
2013年3月3日夕刻。ハウド丘陵地帯での一連の戦闘により、バールクーク王国軍本営は壊滅、国王アルアルク・バールクーク及び、王国大将軍シンハ・コーシャセナは討死した。これにより王国軍の命令系統は失われ、攻勢は頓挫することとなった。
奇襲に成功した〈帝國〉南方征討領軍総大将ヴコール・ルキーチ・カローヴァ将軍は反転攻勢を号令し、勢いに乗った〈帝國〉軍はディル市の奪回に成功した。
3月10日現在。
〈帝國〉軍はマワーレド川を渡河し、主力をモース市東方に集結させ、再度の侵攻を企図している。
一方のバールクーク王国軍は、先鋒部隊が西方に撤退中ゴブリン軽装歩兵団の追撃と飛行騎兵団の襲撃を受け消耗を重ねており、本営残余は戦闘能力を喪い、再集結すらままならない状況にある。右翼に至っては二個槍兵隊が遊兵化し何ら戦局に寄与できない有様である。
ブンガ・マス・リマ市自警軍及び諸都市徴募軍がかろうじてモース市近郊に陣を張っているものの、戦意は低い。
そんな中、松永一佐率いる陸上自衛隊第5連隊戦闘団は、一部幕僚が立案した阻止攻撃を実施することなく、所定の陣地を占領し待機命令に従っていた。
バールクーク王国軍は、四散しました。このままでいくと核となる存在がいないため再集結は難しいです。一方〈帝國〉軍は勢いに乗っています。
自衛隊の活動が姫の救出のみで低調な理由は、次回をお待ちください。次回以降、出番だと思います。なお、3月3日に主力部隊が日本を出発しました。
御意見御質問御感想お待ちしております。




