第24話 『相克(4)』
バールクーク王国遠征軍 本営 ハウド丘陵
2013年 3月3日 16時22分
〈帝國〉南方征討領軍強攻部隊による襲撃は、一帯に降り始めた雨が強まり、戦場にいたすべての者が視界を失うなかで実行に移された。本営への合流が遅れていたジャラード剣兵隊の態勢が整わない隙を突いて、まず『獣騎兵団』のジャイアントスパイダー騎兵12騎が敵陣に躍り込んだ。雨中、突如樹上から巨大な蜘蛛に襲われるという悪夢のような状況に、精鋭を誇った剣兵たちも逃げ惑う以外の行動はとれなかった。
続いて『獣騎兵団』がこじ開けた突入口に強攻部隊主力が突入した。主力を構成するのは、『魔獣兵団』剣歯虎大隊とヘルハウンド中隊である。『魔獣遣い』が使役する数十頭の剣歯虎を先頭に押し立てその後に槍兵が続く。一撃で軍馬を屠る剣歯虎の群れに襲われたジャラード剣兵隊は、ひと呼吸ほどの間に潰乱した。
一方のバールクーク王国遠征軍本営の初動対応は混乱の中で泥縄式に行われることになった。王を護る親衛警護隊はかろうじて円周防御陣形を取ることに成功したが、雑役軍夫、輜重隊、従軍商人たちのキャラバンは放置され、ただ逃げ惑うしかなかった。また、本営を救援するはずのジュアル戦象隊とドゥーハン槍兵隊は行軍路の崩壊で移動を阻害され、テムサーフ剣兵隊は未だ本営の南一里の位置を北上中である。
防御指揮を執るシンハ・コーシャセナ将軍の手元にあるまとまった兵力は親衛騎兵団の重騎兵五百騎のみであり、すぐには援軍の当てもない。
熱帯特有の激しいスコールで水煙が舞い、視界を奪う。雨音が戦場音楽すらかき消してしまう。まるで霧の中で戦うようなものだ。苦労して親衛騎兵団をまとめ上げたコーシャセナは、どこへ向かうべきか必死に探っていた。
抜かったわ。
ハルゾーナ槍兵隊から『敵を海岸線に追い詰めた』という導波通信が入ったのは半刻ほど前のことだった。コーシャセナは、ハルゾーナが抜け駆けを悟られぬようギリギリまで報告を怠ったと理解した。利敵行為と言ってよい。ハルゾーナが目の前にいたならば、すぐさま首を刎ねていただろう。
「閣下!」側に控えていた参謀魔導士が切羽詰まった声を上げた。「本営が援軍を求めております。敵が迫っているとのこと」
ジャラードは討たれたか。コーシャセナは一瞬だけ同僚のために祈った。
「皆の者、我に続け! 親衛騎兵団は敵を迎え撃ち、王を安んじ奉る!」
この場は、大将軍ではなく一介の武人として戦う他に手は無いようだった。
ハウド丘陵の地を混乱の坩堝に叩き込んだ張本人であるサヴェリューハは、ひどく冷えた頭で部下からの報告をさばいていた。彼にしてみれば念入りに準備した計画を淡々と実行に移したに過ぎない。
「敵右翼剣兵潰乱」
「先鋒より『敵本営発見。円形防御陣形ヲ組ミツツアリ』──いかがなさいますか?」
サヴェリューハは醜く爛れた顔面を華のようにほころばせ、言った。
「増上慢で膨らみ切きった腹はさぞ食いでがあるでしょう? 大隊指揮官」
「存分に空腹を満たしてまいります」サヴェリューハとそこそこ付き合いが長くなってきた剣歯虎兵指揮官がにやりと笑う。
「では、往きなさい。王の首をあげるのです」
「御意」指揮官は一礼すると部下に向き直った。「第1中隊いるか? ──よし貴様らは密集突撃隊形で正面から敵に当たれ。一番槍をくれてやる。敵前二十でひと吼えさせろ。2・3中隊は俺と来い。崩れたところを左から回り込むぞ」
剣歯虎兵指揮官は小柄な体躯を精力的に駆け回らせると、あっという間に部隊を掌握し雨中へと消えていった。
水桶をひっくり返したような豪雨の中に、野獣の咆哮が響き渡る。怯えた軍馬が棹立ちになり、精鋭無比を誇った重騎兵たちが混乱する隙を突いて、巨大な虎が本営に躍り込んだ。
(〈帝國〉がここまで巧みに戦を運ぶとは……いや、余の慢心か)
バールクーク王は、地面に降ろされた輿の上に座していた。ゆったりとした姿勢と表情は崩していない。王としての矜持が彼を支えていた。甲高い声で、右往左往する本営付の将校に矢継ぎ早に命令を下す。
「はよう兵を落ち着かせよ。東側に隊列を組め。長槍を並べ付け入りを阻むのじゃ!」
「陛下! ご無事で?」
「おお、コーシャセナじゃな。親衛重騎兵は馬を降りよ。もはや馬は役に立たんぞ」
「はッ。重騎兵と警護隊を再編成し、陛下の護りに付けます──ここは危険です。陛下は退きください」
「余のことはよい。それより、それよりアイシュはどうしておる?」
剣戟の音が間近に迫る中、王のその問いは自らの身の危険などよりよほど真剣な響きを持っていた。コーシャセナが大声で答える。
「姫様はナグゥとともに南へと逃がしました。あとは陛下を御護りしつつ、この場を離れまする」
「──そうか、それならばよい。余のことよりアイシュが無事であればよい」
(アイシュのことは必ず護り、王国を継がせるとあれの母親にも約束したのでな)
心中で可愛い一人娘の姿を思い浮かべる。一人では立ち上がることもままならない王は、自らの運命を配下に託すことにした。
猛獣の吼え声が戦場に響き渡ると、必死に防戦に努める護衛兵たちの戦列が乱れた。その隙間を縫って巨大な蜘蛛が兵を蹂躙しつつ王に迫る。輿の周りにはわずかな手勢と将校たちのみ。黒々とした八本の足を振り回し迫る大蜘蛛にコーシャセナが立ち塞がった。大長刀を振るい、足を3本まとめて斬り飛ばす。泥を撥ね上げて大蜘蛛が地に斃れる。体液が雨に混ざって地面を濡らした。
「怪異をけしかけるだけか! 本物の武人はおらぬのか!」
蜘蛛に止めを刺し、コーシャセナが吼えた。次の瞬間──
巨大な影がコーシャセナに飛び掛かった。長刀を突き出し、それ──剣歯虎を打ち払う。悲鳴をあげて虎が弾き飛ばされる。だが、それでは終わらなかった。
「ぐっ、おのれ……」
次々と影が襲い掛かる。如何に万夫不当を謳われる武篇といえども限界は訪れた。右腕が食い千切られ、胴が爪で引き裂かれる。よろめきながらも尚長刀を振ろうとする王国の大将軍は、数頭の剣歯虎に圧し掛かられ泥の中に消えていった。
突如雨が弱まった。それはあまりに唐突で、一瞬の静寂をもたらしたかのような錯覚を覚えた。雲間から光が差し、戦場の霧が晴れる。静寂などなかった。雨音が去ると、戦場音楽──怒号と悲鳴。猛獣の咆哮。足音と武器打ち合わせる音──が帰ってきた。
兵たちが絶望の声をあげた。
(なにごとです?)
アイシュワリヤー姫を護りつつ逃走を図るナグゥは、思わず後ろを振り返った。
「おとうさま!」
アイシュの悲痛な声が木霊した。(ああ、なんということだ)ナグゥの視線の先で王権の所在を示す巨大にして美麗なバールクーク王の旗が、ゆっくりと地面に落ちていく。その様子は、まるでバールクーク全軍の運命を暗示しているようだった。
陸上自衛隊第1ヘリコプター団 ハウド丘陵上空300フィート付近
2013年 3月3日 16時28分
『現場到着まで1分』
「あと1分だ! 装填して安全装置をかけろ! 野郎ども、気合い入れなおせ!」
操縦士からの情報を、小隊長がUH-60JAのキャビンに待機する第1空挺団員に大声で伝達する。開け放たれたガナーズドアとキャビンドアから突き出された5.56mm機関銃 MINIMIと12.7mm重機関銃M2に初弾が装填された。
『ヒリュウ01、ヒリュウ02準備よし。送レ』
『ヒリュウ1了解。状況が判明するまで現地点で待機、送レ』
『02了解。終ワリ』
2機のUH-60JAは空中でホバリング状態に移行した。両機はそれぞれ5名ずつの空挺団普通科隊員を機内に収めている。眼下では人と猛獣の凄惨な殺戮が繰り広げられていた。
分隊陸曹が地表を覗き込み、顔をしかめた。背後を振り返る。
「この位置で届くか!? 嬢ちゃん」
呼び掛けられた相手は恐る恐るキャビンドアの外を見た。「ひぃ」情けない悲鳴が上がる。
「大丈夫だ。ちゃんと命綱がついてるし、俺が支えるから」
娘に言い聞かせるような声で分隊陸曹が言うと、ブンガ・マス・リマの魔導士マリケは少しだけ落ち着きを取り戻した。とんがり帽子に無理やり顎ひもをつけさせられ、杖と必要最小限の装備品だけを持たされて半ば拉致同然の体で空中に連れてこられた不幸な彼女は、分隊陸曹の厳つい顔をひと睨みすると、目を閉じた。(ギルド長から目いっぱいふんだくってやるんだから)精神を集中する。淡く紅を引いた薄い唇から、詠唱が流れる。肩まで伸ばした赤毛がほんのりと光を帯びて風に舞った。
「始まった? 魔法を使うのかな?」
「静かにしろ。集中が乱れる──『対象』は発見できそうか?」
ざわつき始めた隊員を制して小隊長が搭乗員に尋ねた。5.56mm機関銃を構えた搭乗員は大きく首を振った。
「敵味方入り乱れて泥まみれです。視界は開けましたが、まだわかりません」
「敵に追われている集団を探してくれ」
「了解」
「居たわ」半眼のマリケが言った。その瞳はどこも見ていないように見える。
「どこだ!!」
小隊長が勢い込んで尋ねた。高校生くらいの見た目の魔導士がゆっくりと指を差した。隊員の視線が集中する。ヘリから約500メートル先の地表。人の集団が川に向かって走る後方を、巨大な虎と犬を引き連れた軍勢が追いかけているように見えた。
「間違いないか?」小隊長が尋ねる。マリケは表情を戻すと、少し怒った素振りで答えた。
「教えられた魔力と指輪。それの位置はあそこで一致するわ。わたしに言えるのはそこまで。でも、感知に間違いはありません!」
「そうか……まぁ『まほうつかい』がそういうならそうなんだろう。視認状況はどうだ!?」
小隊長は頷くと、部下に確認した。マリケが示した方向に双眼鏡を向けた隊員が、周囲の轟音に負けないよう怒鳴り返す。
「集団の中央に複数の女性を確認──ひとりは少女です。『対象アルファ』です!」
「よし、決まりだ! 発動する!! 各機に伝達!」
「嬢ちゃん、ありがとな。これで始められる」
小隊長が猛烈に指示を出し始める横で、分隊陸曹がマリケを労った。その言葉に、マリケは少し機嫌を直した。
空挺隊員たちは気づいていなかったが、彼女の技量は中々のものである。上位古代語魔法である『魔力感知』と『指定物探知』を同時に、しかも発動距離を大きく拡大して用いたのだ。彼女に予め渡された動画と写真、そして魔術師協会とブンガ・マス・リマ首脳部から(ひそかに)もたらされたアイシュワリヤー姫の装身具と魔力の『色』の情報は、荒れ狂う嵐の中から一粒の宝玉を見つけ出す大きな助けとなっていた。
(松永一佐が言い出したときは胡散臭いと思ったが、役に立つものだな)
小隊長は思った。「戦場での『対象アルファ=アイシュワリヤー姫』の捜索に、陸自保有装備に加えて現地友好勢力を活用する」戦闘団長松永一佐の命令は、陸自組織とブンガ・マス・リマ首脳部の中を滑らかに泳いだようだ。出撃前の駐機場には協会魔導士マリケ・サウテンデイク嬢がちょこんと待機していた。
結果として、我々は魔法で位置を絞り込んで、目視で『対象』を発見した。大幅な時間短縮があったと小隊長は評価している。これ、他にも活用できんかな? そんなことを考える。
「ひゃぁ」
機体が大きく傾いた。空挺隊員たちは手近な物に掴まり身体を支えたが、マリケは意表を突かれキャビン内を転がりそうになった。分隊陸曹が慌てて首根っこを掴む。涙目のマリケを腰にしがみつかせた分隊陸曹他を乗せたUH-60JAは、眼下の地獄に向けて機首を大きく巡らせると、勢いよく前進していった。
バールクーク王国遠征軍 本営 ハウド丘陵
2013年 3月3日 16時37分
周囲は既に<帝國>兵と獣で満ちている。退路は断たれ、僅かに残った味方は呼吸一つするたびに減り続けていた。荒い息をつきながら、ナグゥは側仕えのフィッダに抱えられたアイシュ姫を気遣った。
「おとうさま、おとうさま」
目を真っ赤に腫らしたアイシュが、細い腕を必死に伸ばして泣き続けている。その手の先には王はいない。だが、ナグゥはそれを伝えることはできない。
逃げ惑ううちに進退が極まっていた。
「あれはバールクークの姫だぞ!」
「捕らえろッ! あとは殺せ!」
〈帝國〉兵から声が上がる。すでに素性も割れてしまったようだ。何とかしなければ。姫だけでも………わたしの失態が敗北を招いたのだ。ナグゥは必死に考えた。
「どうしました? 逃げないのですか?」
嘲るような問いかけに、ナグゥは気づいた。その余りの近さに愕然とする。顔を上げると10メートルほど先に、醜く顔面を焼け爛れさせた隻腕の将校が立っている。
「バールクーク王国アイシュワリヤー姫とお見受けします。側にいるのは軍師殿ですかね……『智慧の泉』ナグゥ・ヘクマタール」
<帝國>将校は、にやにやと笑った。高位の武将だとすぐに分かった。何とか交渉で姫の安全だけでも──ほんの一瞬だけ考えを巡らし、すぐに否定する。だめだ。あの目はだめだ。ナグゥは剣を抜いた。
「おや、抵抗する気ですか。貴方の腕でどうにかなるとでも?」
「貴殿の慈悲にすがるのは、どうにも良い考えだとは思えないのですよ──フィッダ、兵たちと川へ逃れなさい」
背後に姫を庇いつつ、ナグゥは一歩前に出た。剣など使ったこともない。背後から悲痛な叫びが聞こえた。
「ナグゥ! ナグゥ! だめです。だめ。おにいさまもおとうさまもわたくしをおいて行ってしまった。ナグゥもいっしょに逃げるのです」
「お逃げください。敵の奇襲を受けたのは我が失態。わたしは責任を取らねばなりません」
「なりませぬ! もう嫌なのです。いっしょに逃げて!」
「麗しい主従のやりとりですが……安心なさい。姫は殺しませんよ」そう言って<帝國>将校──レナト・サヴェリューハは顎をしゃくった。
「ひぅ」
「いやぁああああ!」
鈍い音が響き、背後で人の倒れる音がした。側仕えのフィッダと護衛の兵たちが矢を受けハリネズミの様になっていた。放り出されたアイシュ姫が泥に塗れる。ナグゥは慌ててアイシュを抱き上げた。見たところ無傷だ。腕に温かい体温を感じながら、ナグゥは必死に後ずさった。
「まぁ、生きていればよいので、五体満足ではなくなるかもしれませんが。うふふふふ」
外道め。歯噛みするナグゥに槍の穂先が迫る。恐ろしい剣歯虎とおぞましい大蜘蛛がその背後でうごめいている。敬愛する君主と、父のように慕った大将軍と、密かに妹のように想っていた姫と、それに連なるすべての者たちを喪う絶望に、ナグゥの精神が囚われようとしたその時だった。
血煙をあげて<帝國>兵が弾き飛ばされた。矢ではない。見えない何かが兵を打ち倒している。混乱するナグゥの頭上を、轟音と暴風をまとった巨大な影が飛び越えていく。それが何なのか彼は知らなかった。万物に通暁する賢者として名高いナグゥ・ヘクマタールですら、初めて見る代物だったのだ。
ほんのひと月前までは。
「〈二ホン〉軍?」
呆然と空を見上げるナグゥと、目に見えぬ攻撃に逃げ惑う〈帝國〉兵。そして歓喜と憎悪に顔を歪ませるサヴェリューハの上を陸上自衛隊第3対戦車ヘリコプター団所属AH-64D〈アパッチ・ロングボウ〉が、轟音とともにフライパスした。
王国軍は進退窮まりました。
本来、救援その後まで書こうかと思っておりましたら、想定より長くなってしまったため(いつものことですが)いったん切ります。うぬぬ。次回も早めにお届けできたらよいなと思います。
御意見御質問御感想お待ちしております。




