第4話 『渡海』
第二章 「渡海」
東京都千代田区永田町 首相官邸 国家安全保障会議
2012年 12月10日 10時27分
「現在、東シナ海において、中国側に特異な動きは見られません。尖閣諸島周辺には海監所属の公船が二隻確認されていますが、接続水域の外側を遊弋中です」
情報本部情報官の一佐が、各部隊から上がった情報をスクリーンに映し出した。
「今のところ、中国は東シナ海で新たな行動に出る兆候はない。うちの現場部隊からもいつもの挑発以外に動きはないと報告が上がっている」
国交相が言った。海上保安庁の巡視船隊は今このときも尖閣諸島近海に張り付いていた。
「尖閣は現状維持だ。優先は別にあるからな」
首相が、はっきりとした意志を込めて言い放った。安全保障政策に長けていることを売りに政権を奪取し維持してきた首相だが、就任以来の激務により頬はこけ疲労の色は隠せない。
しかし、その瞳には断固たる決意が宿っていた。いや、以前にも増してその光は強く輝いているのではないか。内閣情報分析官の祝重孝は、報告の準備を進めながら思った。
自分の得意分野で戦っている人間は、キツくても気力は充実しているからな。
「一昨日、青森県むつ市付近に発生した大規模〈特定雲〉は本日8時に消滅しました。しかし、大湊湾上に陽炎のような現象が観測されています。現在、海上保安庁が海域を封鎖しています」
「陽炎?何だいそりゃ?」
「報告によれば、幅100メートル、高さ50メートルに渡って、空気の揺らぎのような現象が発生しているようです。厚みは数メートルといったところで、一部発光を伴います。例えるならオーロラが海面付近に現れているような景色だそうです」
祝が手元の資料を読み上げた。現場では気象庁職員を始めとする専門家チームが、様々な機材を持ち込み、調査を開始している。
「一方、〈特定雲〉の発生と併せて出現した『南瞑同盟会議使節団』を名乗る集団ですが、現在むつ市警察署で外務省と警察庁による聴取が続いています。お手持ちの資料をご覧ください。」
「どこの、与太者かね。また、詐欺師の類では無いのかね?」
党の重鎮を自認する総務大臣が、不機嫌な声で訊ねた。
無理もない。
異世界からの使者、神の使い、原理を解明したと売り込んでくる研究者、役に立たない防災用品を売りつける業者などは、東京湾を埋め立てられるほど巷に溢れていた。
テレビも、ここぞとばかりに煽り立てている。総務相の不機嫌さはその辺りにもあるようだった。
「結論から申し上げますと、彼らが『本物』である可能性は高いと考えます。まず第一にその形質上の差異。さらに、証言内容に矛盾点が無く、また通常知り得ない情報を保有していたこと」
祝の発言に、参加者の視線が資料に落ちる。写真には尖った耳を持つ少年が写っていた。その下には、壊れたスマートフォンの写真。調査の結果、持ち主は綾部市で行方不明となった女子高校生であった。
「そして、彼が示した『魔法』が、現時点で科学的な説明がつかないことです」
「魔法、か」
すっかり薄くなった髪を丁寧に撫でつけた警察庁次長が忌々しげに言い捨てた。警察は昨年来、その魔法により多くの殉職者を出しているのだ。
「彼らの使う言語は、昨年の事案で逮捕した者とほぼ同一です。ですが、意志疎通が出来ている。これは『通詞の指輪』の力であると彼らは言っています。また、こちらの映像をご覧ください」
プロジェクターに、動画が映し出された。会議室の中央に薄緑色の長衣を纏った少年が立っている。彼は、カメラに向けてキラキラとした瞳を向け、何事かを話していた。カメラが気になるらしい。
彼は促されると、右掌を腰の横で上に向け、目を閉じた。小さな声で何かを唱える。
掌の上に、青白く光る火の玉が出現した。
参加者が唸った。誰かが叫ぶ。
「プラズマだ!」
「彼はこの火を使役しているそうです。実際これがプラズマだとして、このような芸当が可能な技術は我が国に存在しません」
映像の中では、火の玉が少年の示すとおりに部屋の中をゆらゆらと飛び回っていた。
「では、彼らを『異世界人』だと仮定して、我が国がどう扱うべきかという話になるのだが……彼らのもたらした情報と要求は?」
首相の言葉に促され、祝は聴取により知り得た情報を報告した。マルノーヴ大陸の過半を制する〈帝國〉と、その侵略を受ける『南瞑同盟会議』について。〈帝國〉領内に連行された捕虜の噂。異界への扉を開く『古代魔法王国』の遺跡について。
「ちょっと待て。では『南瞑同盟会議使節団』と名乗る連中は、〈帝國〉とやらと同じ手段で地球に来たというのか?」
国家公安委員長が神経質そうな声色を響かせた。彼のこめかみには血管が浮いていた。
「彼らの話では。また、特定雲の発生状況等も過去の事例と相関が取れます。同様の遺跡は帝國領内に多数存在するという話です」
「では、奴らが去年の騒乱の一味でない証拠はどこにある? あの携帯電話も奴らが拉致した国民の所有物かもしれん。何も信用出来んぞ。即刻拘束すべきだ」
そう考えるよな。俺があなたの立場なら同じ主張をするよ。祝は内心で同意した。何名かが国家公安委員長の発言に頷いていた。
「現状、情報源は彼らのみです。また、彼らは『南瞑同盟会議』への軍事的な支援を要請しています。見返りは、拉致された国民の救出への協力です。彼らは自前の情報網を活用し、拉致被害者の消息を追跡できるとしています」
「情報が足りねぇなあ。情報源があの連中だけってのが気にいらねぇよ」
財務相が言った。仕立ての良い三つ揃えをスマートに着こなし、腕を胸の前で組んでいた。
「現在、外務省の担当者が『通詞の指輪』を借用できないか交渉中です。捕虜の尋問や辞書の作成に絶大な効果を期待できます」
祝の言葉は、最も有効な手段を避けていた。それは、内閣情報分析官の職責を超えた所にあるからであった。
首相は机の上で組んだ手をじっと見つめていたが、何かを決意した様子で顔を上げた。参加者を見渡す。
「少なくとも、彼らが異世界人であることに間違いは無いだろう。私は拉致被害者を取り戻す為に、行動を起こしたい」
首相は、まず国交相と警察庁次長を見た。
「下北半島を封鎖しよう。警察はむつ市に繋がる道路を封鎖、市民には避難勧告を出す。陸奥湾への外国船舶の進入も禁止する」
「では、青森港を不開港とし、海保で平舘海峡を封鎖します」
「よろしく頼む。下北半島及び陸奥湾内は特定雲の発生に伴い、立入制限区域とする」
首相は次に外務相に視線を向けた。
「『南瞑同盟会議』及び〈帝國〉が主権国家であるかどうかは、不明だ。だが、交渉に備え必要な人員を手配してほしい。また、本件は公開しないが米国政府には筋を通す必要がある。準備を頼む」
「分かりました」
次に、総務相に向き直る。
「党内と野党への根回しが必要になるでしょう。信頼できる人に渡りをつけていただけますか」
総務相は、恰幅の良い身体を震わせ、頷いた。首相は最後に全員を見渡した。
「彼らを信用はしない。だが、門前払いもしない。まずは情報だ。各省庁は、調査団の派遣に備え所要の準備を為すこと。海保と自衛隊は部隊の選抜を開始してくれ」
首相はさらなる情報の収集と、その先にある異世界へのコミットを決断した。祝は、その意志決定の早さに舌を巻いた。過去の政府に比べて果断と言って良かった。
考えてみたら、この政府は南スーダン撤退作戦、北近畿騒乱に隠岐占拠事件等、安全保障に関して言えば、戦後最も経験値を積んだ政府なんだよな。
祝は早速官僚に指示を出し始めた大臣たちを眺めながら呟いた。
「さて、忙しくなりそうだ」
国家安全保障会議の決定を受け、日本政府は下北半島を近川~冷水峠付近──丁度まさかりの柄の部分で封鎖した。
また、青森港を不開港とし、外国船舶の陸奥湾への進入を禁止した。住民には避難勧告が出され、むつ市は警察と自衛隊が防備を固めた。
対外的には、『北近畿騒乱』と同様の事象に備えた措置とされた。報道機関の立ち入りも制限されたが、世論はこれを当然の処置と受け取った。
首相の命の下、政府の各機関は全力で動き出した。目的を与えられた官僚組織は、その巨大な力を投入し、猛烈な勢いで準備を整え始めた。
祝は正しかった。
彼はそれから暫くの間、家に帰ることは無かった。
青森県むつ市 大湊湾
2012年 12月16日 8時22分
「前進微速」
船長が命じた。鉄船の底からハーピーの甲高い叫びのような音が微かに聞こえてくる。鉄船はその体を震わせると、ゆっくりと進み始めた。
海は穏やかだが、周囲は〈雪〉で真っ白に染まっていた。彼の故郷では有り得ない景色。それは天から降るという。確かに、これだけ寒ければ天から降るのは雨水ではなく、氷になってしまうのだろう。今も〈雪〉は降り続いていた。
リューリは、危うく彼の仲間たちを凍えさせてしまうところだったこの異界の景色を、それでいて好ましく思っていた。
彼の故郷は、暑く騒々しい森と海。ここは、故郷とは対照的に静謐だった。鉄船が進む水音さえも、真っ白な空が吸い取ってゆく。
自分たちとは異なる世界。自分はまだ何も知らない。それがリューリには嬉しかった。リユセの森、西の一統に連なる妖精族は、好奇の心を貴ぶ。伝統と調和を至上とする東の一統とは、真反対の思想である。
彼が樹冠長によって使節団の長に選ばれた理由の一つは、間違いなくその心映えにあった。
もっとも、適任たる一族のおとなたちが、すでに役目を与えられ各地に散っていたという事情もまた、現実であった。
「おお、櫓櫂も帆もなく鉄船が進むか。たいしたものだ。未だに信じられん」
感じ入ったとばかりに副団長のアイディン・カサードが言った。自身が熟練の海将である彼は、鉄船がひとりでに動く姿に心を奪われている様だった。自前の短衣の上から、『ニホン』の人々に借りた赤い防寒衣を羽織っている。
水鳥の毛を薄皮に包んだ防寒衣はもこもことしていて不格好だったが、その暖かさは格別のものらしかった。しかもとても軽い。
リューリ自身は風の精霊に力を借りているので寒さを感じることは無かったが、カサードはその暖かさを大変気に入った様だった。
「おやおや。カサード殿はすっかりご機嫌ですな。来たばかりの頃が嘘のようだ」
笑いを含んだマスート・ロンゴ・ロンゴの言葉が、傍らから聞こえた。彼も〈ダウン・ジャケット〉を着込んでいた。
「うるさい。あれは仕方なかろう。その様に聞こえたのだからな!」
カサードが顔を赤らめ口髭をふるわせた。彼は、当初この国に大きく失望したのだった。〈ニホン〉の者と軍についての話をした彼は、リューリにこう言った。『リルッカ! 駄目だ、この国では〈帝國〉には対抗できぬ。軍すら持っておらぬと言うぞ!』
「早とちりも甚だしいですぞ」
「それはだな! 儂が『この国の軍や水軍はいかほどか?』と聞いたら、『我ら、持つ、無い、軍勢。我ら、持つ。自ら、見回る、群』と返ってきたのだ。自警団しかないと思って当然ではないか!」
「……もう少し良い指輪を用意すべきでしたな」
リューリたちが異世界人との交渉に用いている『通詞の指輪』は、元々は交易商人の道具である。異国の地で取引を行う商人たちが、魔導師に造らせた魔導具であった。
当然、安い代物ではない。また、術師の実力や、支払う代金によってその力には大きな個体差が存在していた。リューリの指輪は、樹冠長が持たせてくれた逸品だが、見たところカサードのそれは粗悪品一歩手前の安物である様だった。
事実、余りの落胆振りに慌てたリューリが、改めて訊ねたところ、「我が国は侵略の為の武力を持ちません。代わりに国を護る為の〈自衛隊〉があります」との答えが返ってきたのだった。
「そう言うなら、商館からまともな指輪を貸す位のことはしてもよかろうに……」
カサードがぼやいた。
「まあまあ、カサード殿。少なくともこの国は軍を持ち、我らを門前払いにしなかった。何よりも!」
上気した顔をテカテカと輝かせロンゴが言った。
「この国は豊かだ。呆れるほどに。この防寒衣。この鉄船。食事に用いられた香辛料の量。あの建物を暖める為にどれほどの金がかかることか。この極寒の地で毎日湯に浸かることすら庶民の日常だと、誰が信じられようか!」
ロンゴは商人としてこの国を見ていた。それ故に三人の中で最も早く、〈ニホン〉の異常さに気付いていた。何気ない調度品や人々の暮らしぶりから、彼はそれを可能とするために必要な国力を予測し、戦慄に近い感情を抱いていたのだった。
「商売気を出すのは、鮫どもを追い払った後にするがいいぞ」
「無論、役目を忘れてはおりませぬ。こうして〈ニホン〉の船隊を招くことが出来たのです。帝國の暴虐ぶりをつぶさに見てもらわねば──」
その言葉を聞きながら、リューリはこれからのことを考えていた。
こちらの手札は、帝國の捕虜となったであろう〈ニホン〉の民、その持ち物といくらかの情報。加えて帝國の情報。それを用いて〈ニホン〉を引き込む。
どうやらそれは、上手く行っている様だった。自分たちが信用されていないのは分かる。彼らから見れば、我等は〈帝國〉と同じ『門』を用いて現れた異世界人だ。簡単に信用する程度なら、逆に〈帝國〉と戦うことなど能うまい。
恐れていたのは門前払いだったが、あの〈ケイタイ〉なる品を見せた途端、彼らは食い付いた。『拉致被害者の重要な手掛かりだ! さらなる調査をすべきです』危うく、帝國の手の者と誤解されそうになった程だ。
彼らは人族国家としては不思議なほど、同族を大切にしているらしい。
「おお、間もなく『門』をくぐるぞ。しかし、この鉄船は確かにたいしたものだが、今少し速く走れぬものか。この辺り我らの戦さ船が勝っておるな」
「いやいや、人が走る程の船足ですぞ。これだけ出れば充分でありましょう」
〈ニホン〉は、南暝同盟会議の申し出に対し更なる情報が必要であると回答した。そして僅か数日の間に船団を組むと、アラム・マルノーヴへリューリたちと共に向かうことを決めた。リューリたちの乗る鉄船の周囲には、さらに数隻の鉄船がいる。
それにしても──
私は〈ニホン〉について何も知らなかった。それは、水軍のカサード殿も総主計のロンゴ殿も同じ。下手をすれば帝國よりも非道い相手であるかも知れぬのに。
だが、樹冠長は我らを送り出した。
リューリはリユセ樹冠長の齢二百を超えるとされる、柔和なかんばせを思い出した。彼女は『正直に乞うてまいるがよい。彼の地には優しき鬼達が住まう。嘘偽りなく乞えば、無碍には扱われぬであろ』と、笑っていた。
あの確信はどこから来たものだろう? 事実、彼らは求めに応じてくれた。私は彼らの問いに、半分も答えられなかったのに。
そのとき、船長の声が狭い操舵室に響いた。緊張を隠せない硬い声だった。
「間もなく『門』に突入する。総員衝撃に備え」
目を外に向けると、すぐ目の前に光のカーテンが見えた。
賑やかな連中だ。
海上自衛隊第2ミサイル艇隊所属。ミサイル艇〈はやぶさ〉艇長、加藤明三等海佐は、ブリッジの中であれこれとしゃべっている客人を眺め、思った。
狭苦しいブリッジ内では、白い第三種夏服の上から分厚い防寒外衣を着込んだ隊員たちが、配置に付いていた。彼自身も全く同じちぐはぐなスタイルでいる。正直、底冷えがしてたまらなかった。
目的地が、真夏のシンガポール並だっていうんだから仕方がないだろう。
隊司令はこう言い放った。『南暝同盟会議』の議長国、交易都市ブンガ・マス・リマは、『使節団』によれば常夏の地らしい。俄には信じがたい話だが、隊司令だけでなく地方総監までが大真面目に言うならば、従わざるを得ない。
調査団派遣が決定し、部隊編成を命じられた防衛省は選定に頭を悩ませた。行く先は海。それは分かったが、まともな情報が存在しない。
「海図もGPSも無い。天測も出来ない。そんな海域に護衛艦は出せない」
護衛艦隊の幕僚が目をむいた。
「聞けば、多島海だそうじゃないか? 座礁の危険が大き過ぎる」
「だが、出来ませんとは口が裂けてもいえないぞ。海自が無くなっちまう」
統幕と海幕の幕僚が顔を見合わせ頭を抱える。会議出席者は口を揃えて言った。
そもそも、人が生きていける世界なのか?
その答えを得るべく、『使節団』出現以来『門』の周辺は厳重な警備態勢が敷かれ、光の早さで飛んできた各機関により、調査が進められている。
まず、陸自の小型無人偵察機FFRSが投入された。鼻息も荒く新型の投入に踏み切った陸自幹部は、機体が『門』を通過した途端遠隔操縦がダウンし、肩と顎を派手に落とすことになった。
様々な機関が持ち寄った機材の全てが、一つの答えを出していた。
『あのベールの向こう側は、一切の観測を拒んでいる』
次に有線ならばと、小型ボートにレスキューロボットが乗せられた。ボートは『門』へと進み、姿が消えた。しかし、ロボットからはデータが送られ続けていた。放射線量、大気組成サンプルその他多くの情報が得られた。
小躍りした経産省の担当者と数多の学者、専門家たちは映像データを期待した。異世界をその目で見たい。
彼らの熱い視線を受けたモニターの映像は、しかし、蒸気で曇り何も見えなかった。
経産省の担当者は、人生で最大の罵声を浴びる羽目になった。
だが、様々な失敗を繰り返しながらも、調査は進んだ。原発対応型のロボットが投入され、クリアな画像と更に多くのデータが得られた。
研究チームは、次にモルモットを始め、様々な動物を『門』に送り込んだ。彼(又は彼女)たちは、震えながらベールの向こうに消え、そして還ってきた。
帰還した哀れな動物たちは、農水省消費・安全局動物検疫所、厚労省健康局検疫所、国立感染症研究所特別チーム、理研筑波研究所、陸自第102特殊武器防護隊等、地獄から湧き出た悪魔の様な外見の集団により全身をくまなく調べられることになった。
併せて、過去の事案での逮捕者から得たデータ、更に青森県警鑑識課が収集した『使節団』のデータも参照された。
丸3日間の議論を経て、専門家たちの出した結論は、『異世界において、人類は生存可能である』というものであった。
調査結果を受けて、海自内の調整は進められた。
「海洋観測艦を派遣したらどうだ?海洋の調査はしなきゃなるまい」
「ならば、掃海艇も必要だろう。EODも役に立つ」
「莫迦な。向こうには何が待っているか分からんのだぞ。護衛も無しに危険すぎる!」
「だが、護衛艦を出しても、浅い海で身動きが取れなければ、逆効果だ」
「だったら、丸裸で出せと言うのか!?」
統幕と護衛艦隊の担当者がにらみ合う中、自衛艦隊の幕僚が顔を上げ言った。
「有るじゃないか、浅い海で戦える、小回りの利く戦闘艦が」
「──そうか!」
こうして、『日本国マルノーヴ調査団』は編成された。艇長が指揮する〈はやぶさ〉は、この第一次隊に含まれている。
編成は以下の通りとされた。
旗艦 掃海母艦〈ぶんご〉
第1、第2ミサイル艇隊
〈わかたか〉〈くまたか〉〈はやぶさ〉〈うみたか〉
第1掃海隊
〈いずしま〉〈あいしま〉〈みやじま〉
海洋観測艦〈すま〉
海保巡視船〈てしお〉〈おいらせ〉
測量船〈海洋〉〈明洋〉
設標船〈ほくと〉
「群司令より各艇宛て。『0830〈門〉ヘ進入セヨ』以上です」
通信員が報告する。加藤は、左右に並ぶ僚艦を見やった。四隻のミサイル艇は、尖兵となり異世界へ乗り込むのだ。
44ノットの高速を誇る機動力と、全長50.1メートルの船体に76ミリ単装速射砲、90式 SSM発射筒、12.7ミリ重機関銃を搭載した重武装で、まず『門』の安全を確保する。
自らに課せられた使命の重さに密かに身震いすると、加藤は艇内に命令を発した。
「間もなく『門』に突入する。総員衝撃に備え」
穏やかな大湊湾の水面を、四隻のミサイル艇が起こすウォータージェットの飛沫がかき乱した。猛禽の名を与えられた四隻は、滑らかに前進していく。
見上げると、光のカーテンの様な、また陽炎の様な、『門』の姿が間近に見えた。刻々と変わるその色彩は、名状し難い。
「『門』進入一分前!」
乗員は全て艇内に入り、身を硬くしていた。咳払い一つ聞こえない。石川島播磨重工製LM500-G07ガスタービンエンジンの駆動音と、航海科員の秒読みだけがブリッジの空気を震わせていた。
「進入五秒前! 4、3、2、1、進入!」
その瞬間、周囲が灰色に染まった様に思えた。同時に全ての者が、自分が何かの膜を潜り抜けた様な感覚を覚えた。だが、それは刹那のことであった。
加藤の目の前で光が爆発した。
正確には、彼の視界に入った余りに極彩色な光景が、彼の知覚を強烈に刺激したのだった。
「異状の有無を確認しろ! 僚艦は無事か?」
彼は命じながら、周囲を見渡した。あっという間に曇った窓ガラスの向こうに、知らない海が見えた。
日本近海では見られない、翡翠色の海。冗談のように青い空には、雲一つ見当たらない。周囲に点在する島々の木々は、全力で溢れんばかりの生命を主張していた。何もかもが原色の景色。
ここは、日本では無い。
加藤は、それを実感すると眩暈を覚えた。彼は「ショックのせいか?」と思ったが、すぐに急激な温度差によるものだと気付いた。
「対水上レーダー異状なし」
「機関異状なし」
「武器システムにエラー発生。気温差による結露の可能性があります」
加藤が落ち着きを取り戻しつつあった頃には、部下からの報告が次々と上がり始めていた。
「〈わかたか〉〈くまたか〉〈うみたか〉 健在。全艦健在です!」
「周囲に船舶多数。全て木造船。あんな船型は見たことがありません」
見張りの報告した船は、最も近いもので約4000ヤードの距離にあった。加藤は、その姿にもう一度眩暈を覚えた。何てこった帆走ガレーがうじゃうじゃいやがるぞ。
「戦闘態勢を維持しろ。警戒を厳重に行え。目標は敵対行動をとっているか?」
加藤が命令を下していると、いつの間にか隣に来ていた長い耳の少年が優しげな声で言った。すぐ後ろで警務官が困った顔をしていた。
「船長殿。あれは、我が『南暝同盟会議』水軍の船です。カサード殿の艦隊にて、敵ではありません」
「間違いありませんか?」
「間違いありません。あの色の帆と船体は彼の軍船です」
ガレー船のマストでは、真っ赤に染められた横帆が風を受けて膨らんでいる。船体も朱色に塗られ鮮やかだ。船足は緩やかで、こちらへ急に近付く様子は見られなかった。
「宜しいでしょう──通信、〈わかたか〉に報告『周囲ノ船舶ハ〈南暝同盟会議〉所属ナリ』だ。各員態勢を維持したまま、交代で防寒衣を脱げ。空調を冷房に切り替えだ……こりゃ暑くてたまらんぞ」
急に汗が吹き出始めたことに気付いた彼が、少しおどけた口調で指示を出したそのとき、レーダー員の鋭い声がブリッジに響き渡った。
「対空目標探知。方位020、距離5マイル。機数4、敵味方不明」
次回、ようやく自衛隊と異世界の〈帝國〉軍が戦闘に突入します。