第23話 『相克(3)』
今回は〈帝國〉とバールクーク王国の動きがほとんどです。
書き始めると長くなってしまい、自衛隊の出番をお待ちの皆さんには冗長ではないかな、と心配になります。
バールクーク王国遠征軍本営 ハウド丘陵 ディル市北方
2013年 3月3日 14時15分
「姫様が?」
熱心に書き物をしていたバールクーク王国軍軍師ナグゥ・ヘクマタールは、自分を呼ぶ声に三度気づかず、四度目でようやく顔を上げた。アイシュワリヤー姫の側仕えが困った顔で自分を見上げている。また、やってしまった。彼は反省し、揺れる駱駝の上で器用にインク壺と羊皮紙を片付けた。
「すまないフィッダ。ついつい熱中してしまってね」
申し訳なさそうに頭を掻く26歳の若き軍師の姿に、フィッダは呆れたようにくすくすと笑った。この頼りないお姿のどこにあのような智慧が詰まっているのでしょう。それに揺れる駱駝の上でよく文字などお書きになれますのね。
「いえ、いつものことですから。それよりも姫様がお召しですわ」
「また、退屈なされたのかな。わたしはそんなに暇そうに見えるのだろうか?」
ナグゥの問いに、フィッダがさらりと答える。
「お暇であっても、そうでなくても、すぐにはせ参じられるからではありませんか?」
確かにその通りだ。ナグゥは納得した。自分は立場からすれば危うく思われるほど自分に懐いた態度をとる姫君のことを、ことさら大切に思っているようだ。それは何故だろう? そう考えているうちに姫の輿にたどり着いた。跪いて礼を示す。
バールクーク王国二百万の民を統べる王の後継者に相応しく、アイシュワリヤー姫の輿は豪奢に飾られており、周囲には20名を超える側仕えが控えている。その周囲を固めるのは一人一人が剛勇と忠誠を認められた親衛警護隊の騎士たちだ。金色に輝く麟鎧と兜に身を固めた男女が油断なく辺りを警戒している。例えよからぬことを考えたとして、ナグゥなどあっという間に首をへし折られることだろう。
長々とした挨拶を述べていると、輿の中から焦れたような声がかけられた。
「直答さし許す。ナグゥ、おそい」鈴を転がしたような声色には不満の色が見える。幕が上がり、アイシュワリヤーの可憐な姿が露わになった。戦野にあるにもかかわらず、絹のように艶のある長い髪にも、雪のような真っ白な肌にも一点の曇りもない。
はしたない。と言いたげな表情を鉄面皮の裏から覗かせた筆頭側仕えのハミーダが、じろりとナグゥをにらんだ。ナグゥはそれに気づかないふりをした。
「申し訳ありません姫様。戦況について纏めておりましたゆえ」
「順調なのでしょう? お父様の勇士は負け知らずと聞き及んでいます」
アイシュ姫は王位継承順位第一位である。戦についても学べと、王から言われていることから、機会を見ては戦況を聞きたがった。
「はい、先陣を担うアンガブート卿を始め、王下諸隊は砂漠の嵐のごとく敵を攻め立てておりますれば、間もなくカルブ自治市の地にて敵との決戦に臨めましょう」
「ひとつ尋ねて良いかしら」アイシュが言った。
「何なりと」
「王国軍三万の将兵を養うのは難事である、ナグゥはそう話してくれましたね」
「はい。敵を打ち破るより難事である、と我が師は申しておりました。まことにその通りでございます」
「──であるならば、退き際にすべての糧秣を奪い去った〈帝國〉軍の所業により、我が軍が飢えていないのはなせ?」
ほう、姫はそこに目が向く御方ですか。ナグゥは笑みを浮かべ、腰の袋から『カンパン』を取り出した。
「これは『カンパン』という名の兵糧にございます。兵が食す堅焼パンのようなものですが、味もよく小さい上に形が食べやすいと評判になっております」
「『カンパン』……見慣れぬ食べ物ですね」
ナグゥが『カンパン』を目の前に掲げると、それを追ってアイシュの視線が動いた。たべたい、と言っているようなものだ。もちろん王国の姫君がそんなことを言い出すことはできない。ナグゥは心中だけでこっそりと微笑んだ。
「〈帝國〉軍の徴発により、本隊と後備えはともかく、先鋒と左右の軍は一度進撃を止めねばならぬ程兵糧に苦労することになりました。ところがこれにある『カンパン』を含め大量の兵糧が届けられたのです」
「ブンガ・マス・リマ軍でしょうか?」アイシュが首をかしげた。
「いえ、二ホン軍の手によるものです」
「二ホン? あの奇妙な異国の軍勢ですわね。お父様も皆も取るに足らない者たちだと気にも留めていませんでしたけど」
それは違います、と言いかけて危うくナグゥは踏みとどまった。慎重に言葉を選ぶ。
「偉大なる我が王の軍勢は敵に遥かに優り、戦意は天を衝くほどです。王の御心はただひたすら大業を見据えておられます。些事にかかる事柄に目を配るは我ら幕下の役目」
ナグゥは姫に問うた。
「姫様、兵糧の手立てで大切なことは何でありましょう?」
アイシュは胸に手を当て少し考えて言った。「……皆に十分な量を手立てすること?」
「一つはその通りにございます。そしてあと二つ」ナグゥはそう言うと手に持っていた『カンパン』を姫の側仕えと自分の従者に一つ一つ渡して行った。受け取った者たちが怪訝そうな顔をしたが気にしない。
「必要な量を、必要な時に、必要な場所に手立てすること。これが誠に難しく──これを行った二ホンの力はなかなか侮れるものではございません。有用な御味方を活用すること。姫様におかれましてはどうか心にお留め置きください」
恭しく一礼し、ナグゥはアイシュを見上げた。そこでぎょっとする。明らかに紅潮した頬を膨らませ、眉根を寄せている。まさか、そこまで『カンパン』が欲しかったのでしょうか?
ナグゥは腰の袋から色とりどりの小粒を取り出した。球形だが角がついている。一つ口に放り込むと舌の上でじんわりと優しい甘味が広がった。残りをハミーダに手渡す。
「これは?」ハミーダが尋ねた。
「『コンペイトウ』という名の砂糖菓子と聞いております。どうぞ姫様に」
ハミーダはあからさまに難しい表情を浮かべたが、アイシュ姫の方を見て小さくため息をつくと一つ口に含んだ。何しろ彼女の小さな主人はこの上なく真剣な表情で『コンペイトウ』を見つめているのだ。口中の甘みを感じつつ、ハミーダは思った。差し上げないなどと申し上げたらどうなることか。
「どうぞ姫様」
ハミーダが恭しく差し出した『コンペイトウ』を、アイシュは表面上は優雅に取り繕ってはいるが、早く食べたくてしょうがないというのがまる分かりな様子でそれを受け取った。
「このような砂糖菓子を一兵卒の食す兵糧に用いることができるというのはなかなかのものですよ。では、姫様。わたくしは之にて」
申し出たナグゥの視界の隅にこちらに近づく偉丈夫の姿が見えた。
「許します。よい話が聞けました」
上機嫌で許しを与えたアイシュ姫の視線を背に感じながら、ナグゥは相次いでこの世を去った王子たちを思い浮かべた。何れもひとかどの人物であり、王国の将来は明るいと誰もが思っていた。だが、戦と疫病は貴種たる彼らにも容赦しなかった。おそらく姫様は、今は亡き兄たちの姿を私に重ねているのかもしれない。ナグゥはそこに親しみと危うさを覚えた。
「コーシャセナ閣下、どうしました?」
「おお、ナグゥよ。いや何ほどのことはない。些事が積み重なって面倒なので、そなたに差配させようと思ったのだ。先を行くドゥーハン槍兵隊とジュアルの戦象が道を崩しおってな。今日はこれ以上進むことは難しそうだ」
「ふむ」ナグゥは空を見た。あと二刻ほどで日も落ちる頃合いだ。しかも、雲行きが怪しい。直に雨が降るだろう。
「雲行きも良くありません。この付近は少し見通しも良い。ここで本営の足を止めましょう。親衛騎兵団をあちらの丘上に。剣兵を周囲に配したいところですが、少し距離が開いてしまったようですね」
「道が細く分かれねば進めぬのがやっかいだ」コーシャセナが髭をしごきながら言った。
「東の森が深い。斥候を多めに出します。ジャラード剣兵団が追いついたならば、東の抑えに置きましょう」
今日はこの地で野営し、先鋒部隊との合流は明日以降になるだろう。その後、敵に決戦を強要する。
「王に進言して参る」ナグゥの献策を受けたコーシャセナは馬首を翻し、王のもとへと駆けて行った。
バールクーク王国軍本営西4キロ付近 ドフターの森
2013年 3月3日 15時27分
「敵本営の位置が割れました」
密林の泥に片膝をついた兵が報告した。兵の前に立った隻腕の男が無言で続きを促す。密林を長時間行動してきた男の軍装は泥に塗れている。それは周囲を固める兵たちも同様だった。
「敵本営は我らより西に約一里(約4キロ)を北に進んでおります。護衛は歩騎合わせておよそ千五百」
その後ろで、くぐもった悲鳴が上がる。捕らえられたバールクーク斥候騎兵がとどめを刺されていた。血だまりが泥に吸い込まれ、死体は襤褸布のように打ち捨てられた。その様子に心を動かす者はいない。
「敵の斥候の後をつけ、ようやく見つけましたな」
身体にぴったりと馴染んだ皮鎧を身に着けたパウクが長い手足をくねらせ、ひひひ、といやらしく笑った。ジャイアントスパイダーを使役する操獣騎兵の長だ。
「敵の側衛は、わしとパウクの部下で穴を開けてある。いつでも行けようぞ」
パウクとは対照的な短躯の背を丸めるように立つポイズントード操獣騎兵の長、グーシカがぐふふ、と笑った。
彼らを率いる隻腕の男──〈帝國〉南方征討領軍元先遣隊主将にして現強攻部隊指揮官レナト・サヴェリューハは、あくの強い部下の笑い声に対し、満足げに頷いて見せた。焼け爛れた顔の右半分がひくひくと痙攣する姿からは、美丈夫で鳴らした以前の面影はない。
いいですねバールクーク。慢心、油断、功名心。昔の私を見るかのようです。せいぜい、糧となってもらいましょう。
現在のサヴェリューハの立場は、懲罰部隊の長、というものである。先遣隊を率いて商都ブンガ・マス・リマに侵攻し一敗地にまみれた彼は、復権のため生還の可能性が低い『敵本営への浸透攻撃』という危険な任務を買って出ざるを得ない状況であった。
その為に彼に与えられた兵力もまた、強力だが特殊な兵種だ。
彼に与えられた『獣騎兵団』は〈帝國〉南方征討領軍にいくつか存在する特殊部隊のうちの一つである。太古より人に仇なす存在であった魔獣を使役し戦争に活用するために編制されたこの兵団には特殊な訓練を受けた魔導士が配置されている。かれらは魔導によってポイズントードやジャイアントスパイダーを使役し、その背に乗ることで密林を高速で移動できる。一方、戦闘時は魔獣を降り、やや離れた位置からこれを使役することで、樹上や沼地における隠密戦闘・待ち伏せ攻撃等を得意としていた。
一方、魔導によるコントロールが難しく、しばしば使役主が魔獣に食い殺される事故が発生すること。魔獣の生態から通常の戦闘には投入しづらいこと(何しろ、軍馬や一般兵を襲いかねない)。そしてそもそも『魔獣遣い』が常道の軍人たちからは蔑まれる対象であることなどから、魔獣を使役することに抵抗の薄い南方征討領軍でも持て余され気味であった。
しかし、サヴェリューハはこれを喜んで借り受けた。
〈帝國〉軍の構想は以下の通りである。
1. 優勢な兵力をもって攻勢に出るバールクーク王国遠征軍に対し、各都市守備隊による防御戦闘を継続しつつ主力は温存する。これにより戦線は押し込まれるが、徹底した徴発により敵軍の食糧調達を妨害する。
2. カルブ自治市付近まで敵主力を誘引し、兵站線が伸び切ったところで側面──ソーバーン、ドフターの森方面からの浸透攻撃により敵本隊を急襲する。
3. カルブ自治市からの主力部隊をもって混乱する敵本隊を撃滅する。
「導波通信傍受によれば敵軍の兵站線は長く伸び、悪路に阻まれて部隊は相互の連携を失いつつあります。ただ、一向に敵が餓える気配がないのが解せませぬ。いかなる手を用いて兵站を維持しているのか……」
参謀魔導士が頭を捻りつつ言った。並の手段では三万の兵を食わせていくことは困難である。サヴェリューハも将帥としてそれは理解している。だが、今は理由を探る時ではない。敵が餓えていないという結果を判っていればよい。そう考え、報告の続きをうながす。
「獣騎兵団による敵斥候の追尾と排除は順調です。敵の配置は判明し、接敵進路は開かれております」
「よくやってくれました」
「御意」サヴェリューハのねぎらいに、異形の騎兵を率いる二人は短く答える。
現在、強攻部隊の前衛にはポイズントード・ジャイアントスパイダー騎兵が展開し、後続する剣歯虎兵大隊及びヘルハウンド中隊に近づく敵斥候の排除を隠密裏に行っている。
「我らの北東にはアダモフ男爵の槍兵隊二千が攻撃発起線への展開を終えました。我らに続き攻撃を開始できます」
部下の報告にサヴェリューハは嘲るような笑みを浮かべた。危険が無いかを確認したのち、美味いところを持っていこうという腹でしょうね。あまりにもあからさまですが──獲物を残すつもりはありませんよカローヴァ閣下。
サヴェリューハはゆっくりと振り返り、彼に従う将兵を見回した。何れも普段疎まれているか、罪を償わなければ将来がないか、とにかく日陰者の集まりだった。だが、負け犬ではない。負け犬はサヴェリューハがすでに処断している。そこにいたのは獣じみた瞳を爛々と光らせた男たちだった。
「いいですか。我らの目の前には丸々と肥え太った豚が、わき腹をさらしてのそのそと歩いています」
揶揄するような響きに小さく笑い声が上がる。
サヴェリューハは鋭い声色に切り替え、言い放った。
「強攻部隊諸隊はこれより敵本営を急襲する! 狙うはバールクーク王の首ひとつ!」
「応」
それに応える部下の声は、地獄の底から響いてきたかのように低く、すぐに密林に紛れて消えた。
戦闘団偵察隊 マワーレド川支流 ディル市南方15キロ付近
2013年 3月3日 16時12分
河畔のやや開けた地点に到着した戦闘団偵察隊の87式偵察警戒車は、砲塔を旋回させ南側の渡河点に25mm機関砲を指向した。約1キロ先には煌びやかな軍装に身を包んだバールクーク王国遠征軍騎兵の姿がある。こちらに気づいた様子はない。
「あれは、ヤースーフ軽騎兵団ですね。渡河を開始しました」
「本隊に合流を図るんだろう」
状況を確認していた車長は、そこで違和感に気づいた。渡河中の騎兵の近くの水面が盛り上がり始めている。
そして、次の瞬間それは姿を現した。
「な、何者かが水中から出現!!」
偵察員が上ずった声で叫ぶ。水中から何者かに襲われた騎兵はあっという間に大混乱に陥っている。
水煙と逃げ惑う騎兵の姿に交じって、何か巨大なものが激しく暴れているのが見えた。
「落ち着け──あれは……恐竜!? いや、巨大なワニだな。全長3、いや5メートルはあるぞ」
水中から現れた複数の巨大なワニは、軍馬や騎兵に食らいつくとその身体を回転させ、あっという間に水中に引きずり込んでいく。やばい。生身であれは無理だ。
車内の全員が等しく恐怖を覚えた。そして、頑丈な戦闘車両に乗っていることを思い出した。今日ほど普通科でないことを有難いと思ったことはなかった。
「救援に備える。前進用意」気を取り直した車長が指示を出す。いすゞ製水冷4サイクルV型10気筒ディーゼルエンジンが回転数を上げ、車体の振動が大きくなった。
「射撃はまだですか?」砲手が焦れたように言った。一方的な虐殺はまだ続いている。
「今撃てば味方に当たる。砲手、弾種徹甲、射撃用意」
「弾種徹甲、射撃用意よし」
25mm機関砲にAPDSが装填され、射撃用意が完了する。車長をはじめとする乗員の意識が1キロ先の凄惨な戦闘現場に集中する中、ひとり通信手だけは通信量の増大に気づき、異変を感じ取っていた。
次回も早めに投稿したいものです。
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