第21話 『相克(1)』
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アンガブート槍兵隊野営地 モース市外
2013年 2月24日 11時32分
「これはまた……情熱的なお客様ですな」
儲け口を逃さぬという断固たる決意の下、進軍中の軍勢すら掻き分ける勢いで最前線の地に訪れたその従軍商人は、待ち受けていた兵たちの様子に気圧されたように言った。
特別誂えの荷馬車の車列から下男たちが煮炊き用の釜と鍋を降ろす暇すら与えるのが惜しいといった様子で、兵たちが周囲を取り囲んでいる。
「──ふむ。まぁそうであるやも知れんな」商人の前に進み出た槍兵隊附主計官は、口ひげを撫でた。「喜ぶがよい。間違いなく、お主が売れ残りを心配することは無かろう」
「ええ、そのようで──ところで、お代についても安心してよろしゅうございますでしょうか?」
商人は上目遣いでたずねた。見たところ自分の運んできた荷は大歓迎を受けているようだった。安く買い叩かれてはたまらない。
「もちろん適正な価格で、偉大なるバールクーク王の軍が買い上げよう。ただし──」主計官はそこで言葉を切ると、ゆっくりと背後の兵を見渡したあと、商人を睨み付けて言った。
「値段交渉をしている時間は、無いぞ」
従軍商人は、心の底から主計官の言葉に同意した。
モース市。レノヴォとディルの中間に位置する人口一万余りの中継都市であり、二日前にバールクーク王国遠征軍の手に奪還されたばかりだ。
進発開始から10日。常に軍の先頭で、鋭い槍の穂先のごとく敵を蹴散らしてきた槍兵隊長アンガブートは、その精悍な顔に苦味を浮かべて、主計官の報告を聞いていた。
「どうにか兵どもに一息つかせることができました。騎兵のかいばも周囲の土地から調達できそうです」
「いかほど保つ?」アンガブートは言葉を惜しんだ。
「今日の腹は満たされました。商人から買い上げた食糧が二日分。腰兵糧が残り一日。合わせて三日分にございます」主計官は汗を拭った。
「それだけか……〈帝國〉も姑息な真似をする」
普段は極めて楽天的なアンガブートも、先行きに不安を覚えざるを得なかった。
彼と彼の主計官が頭を悩ませている原因ははっきりしている。〈帝國〉軍から奪還したモース市には、余剰の食糧がほとんど残されていなかったのだ。市倉庫からの補給を当てにしていたアンガブートの目算は、脆くも崩れ去った。
「このままでは市民もろとも飢える羽目になります」主計官が暗い声で現実を告げた。
「後続の従軍商人はどうなのだ?」副官が主計官にたずねた。
「今回到着した商人は、なかなかの剛の者でした。並みの商人はまだレノヴォ辺りをうろついておりましょう」
主計官は、後続は期待できないと言っていた。
「荷駄隊は?」
「本軍に早馬は飛ばしました。荷駄隊は進発しているはずですが……」主計官は口ごもった。「到着がいつになるかは」
いかがなされますか? 無言で問いかける副官、騎兵隊長、主計官の視線を浴びたアンガブートはひとしきり唸ったあと、にっこりと笑って言った。
「前進する! ディルを陥とす」
「し、しかし食糧はあと三日分ですぞ」主計官が慌てて言った。
「ここに留まっても飢えるだけだ。ならば前進して付近の集落から食糧を調達しつつ、敵を撃破する。敵が後退する前に叩くのだ」
兵站線が確立されていない軍を維持する唯一の方法は、動き続けることである。その土地が疲れ果ててしまう前に移動し、現地調達で自活するのだ。兵力規模と滞在期間が土地の地力を超えてしまった場合、悲惨な結果を招きかねないが、この世界の軍事常識からかけ離れた手段ではない。
「一度後退し、レノヴォで補給を受けるという手も……」副官が恐る恐る進言した。
「駄目だ」アンガブートは首を振った。確かにレノヴォ辺りまで下がれば従軍商人か輜重段列から補給を受けることは可能だろう。しかし、先鋒がそこまで下がるということは軍全体の進撃が停滞することを意味する。
そんなことはできぬ。王は放胆な戦果の拡張を命じておられるのだ。我が名にかけて命に背くことなどできぬ。
「勝算はある」
アンガブートは決然と言い放った。
事前偵察と捕虜の情報によりディルを守るのはゴブリン一個兵団約千名と、アーサ市軍五百名と判明している。周辺には他に小部隊が点在しているようだが、戦力的にはこちらが優位に立っている。ゴブリンの如き弱卒と士気に問題を抱える徴用兵相手に負ける心配はない。敵が何かを企む前に陥としてしまえば良いのだ。
楽天家であるアンガブートは、敵野戦軍さえ叩いてしまえば自分の部隊が消耗しても良いとまで考えていた。俺の槍兵が疲れ果てようが、本軍が到着するまで耐えれば良いのだ。そしてそれはそう日数のかかる話ではない。アンガブートはそう心に決めると、明快な態度で命令を発した。
「騎兵斥候はディル周辺の敵陣の位置を解明せよ。槍兵隊は直ちに進発、ディルへ進軍する」
「御意」
命令が下れば嫌も応もない。積極的な行動命令に騎兵隊長は腹を決めたらしい。素早く礼をすると駆け足で自分の部隊へと戻っていった。続けてアンガブートは主計官に命じた。
「荷駄隊を切り離す。レノヴォまで下がれ」
「し、しかし」
「この先は運動戦だ。荷馬車は足手まといになりかねん」
「ですが……」
「一個槍兵中隊を護衛に残す。貴様は食糧を調達したならば我らの後を追え」なおも言い募ろうとする主計官に、アンガブートは白い歯を見せた。「頼んだぞ」
「……はッ! 必ずや糧秣を閣下のもとへお届けいたします!」
背骨に鉄心を通されたような態度で主計官が叫んだ。アンガブートはその態度に満足すると、副官を伴って槍兵たちの元へと歩き始めた。
俺は負けん。陛下の王軍の征く手を塞ぐものは全て蹴散らしてくれる。
2月24日正午過ぎ。
さらなる進撃を決意した指揮官の命令を受け、アンガブート槍兵隊約千四百名は前進を再開した。
〈帝國〉守備陣地 アーサ港湾市
2013年 2月24日 15時27分
鬨の声が地鳴りのように響く。その全てが自分に向いているような錯覚を覚えそうだ。
「敵勢、前進を開始した!」
物見の報告を受け、〈帝國〉軍アーサ市守備隊指揮官ドロフェイは陣前に視線を向けた。美麗な軍旗が無数にはためき、槍の穂先が陽光を反射してギラギラと光っている。懲りない奴らだ。彼は嘲笑した。一見して士気軒昂に見える敵軍だが、よく見れば槍の穂先が乱れている。
すなわち、隊列の維持に問題が生じているのだ。
乱れた隊列の先頭が、陣地まで100メートルに達した。土砂が堆積した浅い川の中を、水しぶきをけたてながら前進してくる。
「敵勢、川岸に達しました!」
ドロフェイは敵軍が十分に川に入り込んだことを確認すると、指揮官らしく大音声で言い放った。
「川を敵の血で染め上げろ! 各陣、放てェ!」
彼の命令は、伝令と指示旗によりすぐに防御陣地諸隊へ伝達された。アーサ港湾市守備を命じられ、河川地帯に設営された陣地に配置された〈帝國〉軍──一個オーク重装歩兵団、一個ゴブリン軽装歩兵団、ディル衛兵隊(徴用兵は母都市とは異なる場所に配置される。当然、反乱を警戒してのことである)合わせて二千五百余のうち敵を射程距離に収めた部隊は、一斉に矢をつがえ約45度の角度で空中へ放った。
「敵陣地、射撃開始! 矢が来ます!」
悲鳴にも聞こえる報告が上がった。
「盾を掲げろ!」
「隊列を崩すなァ!」
「弓隊、打ち返すぞ。放てェ!」
下級将校たちが、己の部下を叱咤する叫びが響く。その声をかき消さんとするかのように、風切り音と共に無数の矢が降り注いだ。
悲鳴。怒号。倒れる兵士の立てる水音。反撃の弓鳴り。矢が降り注ぐ度に様々な戦場音楽が辺りを満たし、数名の兵が討たれていく。
飛来する矢の本数に比べて、倒れる兵の数はそれ程でもない。矢の威力が弱いからだ。おそらくゴブリンの放つ矢が多いのだろう。
アルバーイン槍兵隊先手百騎長は、それでも暗澹たる思いを覚えた。敵が多すぎる。それに加えて敵は陣地に籠もり、俺の兵どもは堂々と身をさらしておる。これでは──
「左翼、崩れます!」
騎士が報告した。自軍左翼の槍兵隊列が崩れている。士気が保たないのだ。敵陣までの100メートルの間には、逆茂木、馬防柵、胸壁が立ちふさがり、寄せ手にとっては永遠の距離に見えていた。
陣鉦が虚しく鳴り響いた。後退命令だ。
「くッ! 退け、退けェ!」
百騎長が命令を下すと同時に、槍兵たちはズルズルと後退を開始した。潰走にはなっていないものの、紛れもない完敗だった。
「見よ! 何度来ようが同じことだ! 蛮族どもに我らの堅陣は抜けんぞ」
ドロフェイは沸き立つ部下に向けて拳を突き上げた。川向こうに退いた敵勢の数は約二千。敵の方が精鋭だが数の上では自軍が優位に立っている。陣地に拠っている限り敗北する事はない。
逆に消耗させてから逆襲に転じれば、殲滅も可能かもしれん。いや、オーク重装歩兵を上手く用いれば可能だ。うん、いけるぞ。
ドロフェイは、南方征討領軍の将らしい貪欲さで、己の未来に明るいものを見いだした。
アーサ港湾市守備陣地の外縁部が、熱水の噴出を思わせる水柱と土砂を巻き上げたのはそんな時だった。
「な、何事だ!?」爆風を頬に浴びながら、ドロフェイが問い質した。
「て、敵の攻撃かも知れませぬが……しかし、これは?」
部下が怪訝そうに言った。投石機でも攻撃魔法でも発射点が見えるはずなのだが──見えない。
ならば、どこから撃たれたのだ?
後退を完了したばかりの槍兵隊に動揺が走った。爆発は彼らからもそう遠い距離ではない。そして、それを為したのは彼らではない。
「ぬう、これが貴殿が言う援護なのか……なんと……これは」
グルザリ・アルバーインは、眠たげな顔の中央に深い皺を寄せ、唸った。
三度目の力攻めが失敗に終わった直後、アルバーインの本陣に現れたのは、リユセ樹冠国のエルフとブンガ・マス・リマ水軍士官だった。
「はッ。我が『友軍』が、これより貴軍を援護いたします。アルバーイン閣下におかれましては、再度攻撃発起の準備を御願い申す」
水軍士官は浅黒い顔を紅潮させ、勢いよく言い放った。その表情は負けたばかりの槍兵隊の中で場違いな空気を発散していた。
「しかし敵陣は堅い。すでに三度の失敗で損害が出ている」槍兵隊軍監が反対した。「力攻めは無謀だ」
「心配御無用!」水軍士官は洋上を指差した。「あれに見えるニホン皇国水軍艦が、〈帝國〉の備えを粉砕致すでしょう!」
「……ニホン皇国水軍」アルバーインは水平線に目をやった。「なんと巨大な──して、あの戦船の名はなんと申す?」
その船は、戦意に満ち溢れた巨体を水平線に悠々と浮かべていた。船体の前側から、薄く白煙をたなびかせている。閃光が走る。今度は艦の後部側に白煙が立ち上る。
アーサ港湾市守備陣地を護るように流れる川面が、再度爆ぜた。水柱が高々と上がり、耳をつんざく轟音が辺りを圧する。
水軍士官は、轟音を背にその名を告げた。
「ニホン皇国水軍艦〈シマカゼ〉」
護衛艦〈しまかぜ〉艦橋 アーサ港湾市沖
2013年 2月24日 16時04分
「試射第2弾、弾着」
「右寄せ50」弾着観測機──SHー60Jからのデータを元に修正が行われる。
「観測機より射撃要求。目標敵防御陣地」通信士が無線機のハンドセットを握り締め、報告した。
「主砲目標よし。射撃用意よし」
砲術長が準備完了を告げる戦闘情報中枢からの声が、スピーカーを通して艦橋内に流れた。
「始めようか」
〈しまかぜ〉艦長一等海佐、松井康は静かに言った。
DDG172護衛艦〈しまかぜ〉──〈はたかぜ〉型ミサイル護衛艦2番艦。排水量4650トン、全長150メートルのベテランが、アーサ港湾市沖洋上を3ノットの低速で航行していた。灰色の船体が陽光を照り返し、白く輝いている。前甲板と後甲板に一基ずつ備え付けられた54口径5インチ単装速射砲が、獲物を狙い定めた蛇が鎌首をもたげたかのように、その砲口を陸地に向けていた。
第1護衛隊群第1護衛隊所属の彼女は、アラム・マルノーヴに派遣された艦の一隻である。イージス艦の登場により防空任務艦としての主役を譲った感のある本クラスだが、海幕とSFが注目したのはその重武装であった。
73式54口径5インチ単装速射砲×2門、Mk.15 高性能20mm機関砲×2基、Mk13 Mod4 スタンダードミサイル単装発射機×1基、ハープーンSSM4連装発射筒×2基、74式アスロック8連装発射機×1基、68式3連装短魚雷発射管×2基、さらに12.7ミリ重機関銃が増設分を含めて6基。全身ハリネズミといってよい。
彼女はその砲力を買われ、対地支援任務に投入されたのだ。
「打ち方はじめ」
洋上任務でキャリアを重ねてきた老練の指揮官が、重々しい声で命令した。復唱が艦内に木霊する。
「打ェ!」
2門の5インチ単装速射砲が、猛然と発砲を開始した。猛烈な速度で主砲弾が目標にたたき込まれる。1分間に約50発。それは破滅的な結果を敵防御陣地にもたらすだろう。
「なんとも凄まじい……」
〈しまかぜ〉に連絡士官として派遣されているリユセ樹冠国のエルフが呆然とつぶやいた。怯えの色すらある。
「このような攻撃に支援されれば、バールクーク王国軍は間違いなく敵陣を突破するでしょう」
リユセ連絡士官は、松井一佐に断言した。そして繰り返す。
「しかし、なんとも恐ろしい。凄まじい攻撃ですな」
「味方をお助けできるのは嬉しいことです──」松井一佐はそこでいったん言葉を区切った。顔に複雑な表情を浮かべる。
「どうかされましたか? 艦長どの」連絡士官がたずねた。
「……いえ、我らの先祖が、かつてこれを遥かに凌駕する力でもって焼かれた歴史があることを、思い起こしていたのです」
爆炎と土煙に包まれつつあるアーサ港湾市防御陣地を見つめながら、松井一佐は静かに言った。
これを遥かに超えるだと? 〈ニホン〉は、かつて何を敵として戦ったのだ……
リユセの連絡士官は〈シマカゼ〉艦長の発言に衝撃を隠せなかった。
こんばんは。佐藤御大に想いをはせながら、自分の未熟さに悩む石動です。
〈あたご〉の対地支援射撃の動画はとても参考になりますね。ああいった実際の号令の流れが分かる資料がもっとたくさんあればいいんですが。特に陸自。
次話も各戦線の戦いを描いていきます。今回、ヤーマ城塞都市攻防や第5戦闘団の動きも入れようと思っていましたが、字数が思いのほかふくらみまして、分割することにしました。地図と用語集の更新ものちほど。
御意見御質問御感想お待ちしております。




