第19話 『曲者』
『ブラック』作戦側の話が始まります。
第5連隊戦闘団本部 ブンガ・マス・リマ北方8キロ
2013年 2月20日 18時26分
第5連隊戦闘団作戦幕僚、高山太莉緒三等陸佐は、現地民と思われる男たちが戦闘団長天幕から出てくる場面に出くわした。
出入口の警衛に頭を下げ、ひと仕事終わったという安堵の表情で出てきた男の顔には見覚えがある。確かアスース北方の街の町長だったかな。情報班のブリーフィング資料を思い出しながら歩みを進めた高山は、続いて出てきた人物の姿に固まってしまった。
小さな身体にローブをまとった少年と少女が一人ずつ。夕刻の薄暗いなかでもはっきりと判るほど整った顔立ちで、よく見るとローブの裾からは極端に布地の少ない扇情的な衣装がちらちらと覗いている。まさかまさか。
嫌な予感を覚えた高山は、バインダーに挟んだ資料を小脇に抱えると、小走りで天幕に駆け込んだ。
「高山三佐、入ります」
「おーう、高山ちゃん。そんなに慌ててどうしたぁ?」
笑いを含んだ声が高山を呼んだ。天幕の中は、中央に折り畳みのテーブルと椅子が数脚並び、奥に執務机が置かれている。その背後に掲げられた大雑把な地図──マワーレド川流域全図の前に声の主──第5連隊戦闘団長、松永秀道一等陸佐が立っていた。
「……なんですか、その格好は?」高山が溜め息混じりにたずねた。
「おう、これか?」松永は、迷彩服の上から羽織ったマントを自慢気に見せびらかした。牛革だろうか。深みのある黒色の表面は、光の加減で紫がかった色に変化する。「貰ったんだよ」
やっぱりか……高山は心中で頭を抱えた。細部の作り込みや、装飾に用いられた銀細工を見れば相当の品物だと判る。そんなものをほいほいと受け取るとは──
「国家公務員倫理規定!」高山がまなじりを釣り上げた。「問題になりますよ!」
「そう言うなって」松永は平然としている。「一昨日、ルピア村の村長から襟巻きを貰っただろ? それが知れ渡ったらしくてな。『ぜひ我が品も受け取って欲しい』って聞かねえんだわ。片方からだけ貰うのも、良くねえからよ」
「なら、最初からどちらも受け取らないでください」
「高山ちゃん、こういう時むげに断るのは拙いんだよ。ほら、サマーワで現地の部族長と上手くやってただろ? あれだよ、あれ。郷に入っては何とやらだ」
自衛隊が〈門〉をくぐってから2ヶ月が過ぎた。当初は得体の知れない存在として遠巻きにされていた彼らも、ブンガ・マス・リマ防衛戦や『サンダー』作戦の経緯が知れ渡るにつれ、現地民にも次第に有力な同盟軍として扱われるようになってきていた。
そうなると、一軍の将と見なされている第5連隊戦闘団長に近付いてくる者が掃いて捨てるほど出てくるのは道理でもあった。
「それによ、さっき出て行ったガキが二人いただろ? マイクロビキニ着た」松永はいやらしい笑みを浮かべ、高山の顔をのぞき込んだ。「最初はあいつらも付けてきたんだぜ。『着替えのお手伝いにお側にいかがでしょう?』ってよ」
おお神よ!
「まさか、受け取ったんじゃないでしょうね!」高山は全身を震わせながら問い詰めた。松永は、手をひらひらさせながら唇を歪めた。
「流石に断ったよ。百年先まで鬼畜自衛官として偏った連中に糾弾されちまうのは俺だってゴメンだ。それになぁ、性癖からナニからあの街と背後の連中に筒抜けってのは、マヌケ過ぎるぜ」
有力者の下に送り込まれる愛娼の類は、スパイや連絡役であることも多い。
「まぁ、貰ったもんは有効活用するさ。管理は本管の物品ってことにしといてくれや」
そう言って笑う松永一佐の顔は、本当に断ったのか判断に迷ってしまうほど裏表のありそうな笑顔だった。
ブンガ・マス・リマ防衛戦のさなかに殉職した三好一佐の代わりに陸自マルノーヴ派遣群の指揮官として送り込まれたのは、前任者とは正反対の癖だらけの男だった。年相応に恰幅の良い体躯と、豊かな口髭をたくわえた精力的な風貌を持つ松永一佐は、海外派遣経験の豊富な指揮官としての顔と、規則違反や横紙破りの常習犯としての顔を併せ持っていた。
彼が三好一佐の後任として選ばれた経緯については、本人の激しい売り込みと、一部からの強力な後押しがあったと噂されているものの、不透明なままである。
そんな松永一佐に対して高山三佐はどうにか慣れてきたし、情報幕僚の本多三佐や普通科中隊長の楠木三佐辺りは馬が合うようだったが、逆に生真面目な補給兵站幕僚の石田二佐はことあるごとに衝突していた。
「それで、何をお願いされたんですか?」付け届けには必ず下心がある。高山はそれが何なのかをたずねた。
松永は数秒の間を置いて、思案顔でこう切り出した。
「警務と普通科をそれぞれ一個分隊程度、レノヴォに送り込めんかな?」
アンガブート槍兵隊 バールクーク王国遠征軍 アスース北方2キロ付近
2013年 2月21日 08時42分
森林を切り開いて設けられた街道上を、革鎧をまとった槍兵の一団が北へと進んでいる。
四列の縦隊を組んだ軍勢は、煌びやかな軍旗を無数に掲げ軍楽の音色も高らかな様子で、明らかに戦闘態勢では無い。むしろ、自らの存在を誇示し、周囲を威圧することが目的のようだった。
背に紅い小旗を背負った騎兵が一騎、彼らの進行方向から逆走してきた。騎兵は軍勢中段に位置する指揮官の元までくると、息を整える間もなく報告した。
「申し上げます! この先二里(約8キロ)四方に主だった敵影を見ず! 側衛は残敵を掃討しつつなお前進中!」
「大儀!」指揮官──槍兵隊長アンガブートは、日焼けした細面に爽やかな笑みを浮かべ、労をねぎらった。騎兵伝令が一礼して下がる。楽天家で知られるアンガブートは、部下を鼓舞するかのように良く通る大声で言った。
「聞いたか! 〈帝國〉南方征討領軍とかいう者共は、逃げ足だけが自慢の連中らしいぞ! 確かにこれでは手柄の立てようが無いな! ううむ、困ったな」アンガブートのおどけた口調に、周囲の兵たちは皆笑った。
「ならば、〈狂える神々の座〉まで追い詰めればそれ以上逃げられますまい!」部下が合いの手を入れる。
「おお、勇ましいな!」アンガブートは口髭を楽しげに震わせた。「いっそ帝都まで押し出すか!」
おおッ! とばかりに歓声が上がる。アンガブートは部下の士気が高く保たれていることに満足した。
2月14日にブンガ・マス・リマを出立したバールクーク王国遠征軍三万は、作戦開始から一週間が過ぎた今も快進撃を続けていた。
王国付偵察部隊『ガィーム』、魔導士による使い魔斥候からの情報を分析した結果、正面に展開する〈帝國〉軍に対して優位に立っていると判断したバールクーク王は、全軍に対し全面攻勢を命じた。
とはいえ、周辺の街道に三万の軍勢を受け止められるキャパシティは無い。必然的にバールクーク王国軍大本営は、分進合撃を方針とすることになった。
前衛のアンガブート槍兵隊二千、サウルーファ軽騎兵集団千騎は主要進撃路を掃討しつつ北上を開始。
左軍にハナーシュ槍兵隊二千、右軍にアルバーイン槍兵隊二千。遊軍としてファラーシャ軽騎兵団二千騎が分散して展開し、あらゆる側道・裏道・小集落などをほうきで掃き清めるかのように丁寧に潰しつつ、本軍の側衛を務めている。
本軍は残りの槍兵、剣兵、親衛騎兵、戦象兵等ががっちりと大本営を固めており、その数は一万を数える。
後軍には、ハルゾーナ槍兵隊を総予備として拘置すると共に、再編成されたブンガ・マス・リマ市自警軍と傭兵隊、諸都市徴募軍などの雑多な部隊が配置され長い隊列を引きずっている。
戦闘力に絶大な自信を誇るバールクーク王国遠征軍は、尊大な態度で彼らに従軍商人・輜重兵・雑役夫の管理と護衛を割り振っていた。
ちなみに自衛隊はといえば、バールクーク王国遠征軍からは完全に諸勢力扱いであり、ブンガ・マス・リマ市自警軍のとりなしも空しく、後方で道が空くのを待っているという有り様だ。
もちろん何もしていない訳ではない。ヘリによる空中機動で情報小隊を前方展開させるとともに、無人偵察機による航空偵察を実施した結果、バールクーク王国遠征軍の見積もりがおおむね正確であること確認している。
憤りを隠せない幕僚たちに対し松永一佐は「まぁ、やりたいって言うんだからやらしとけばええ」とどこ吹く風である。ただ、唯一戦闘団第1特科大隊のFH70 155mm榴弾砲10門については、あちこちに手を回して隊列に割り込ませ、進発させている。
「それにしても手応えがありませんな」槍兵隊副官が馬首を並べながら言った。
「ゴブリンやコボルト、徴用兵風情では俺たちは止められん。〈帝國〉は舐めているのか?」
アンガブートの槍兵隊は、開戦以来順調な進撃を見せ数々の街を奪い返していた。その際遭遇した〈帝國〉軍ゴブリン軽装歩兵や徴用兵の小部隊は、集団戦術に長けた槍兵隊に簡単に撃破されている。
「我らの分進合撃戦術に対応できぬのでしょう。兵力、主導権ともに偉大なるバールクーク王陛下の御手にありますれば」
兵力に劣る〈帝國〉軍は、全面で攻勢に出たバールクーク王国遠征軍を阻止するための部隊の集中が間に合っていない。副官はそう言っていた。
「して、大本営は何と?」副官がたずねた。
「サウルーファの軽騎兵と共に進めるだけ進めとの仰せだ」アンガブートは手槍を天に突き上げた。「我らの後には万騎が続く。我は槍の穂先となりて敵の腹を抉るのだ!」
周囲の兵たちが歓声をあげた。積極的な攻勢は手柄を立てる好機となれば自然と士気も高まった。
「とはいえ、兵糧が少し心許ないな。荷駄隊は後続していると聞いてはいるが」
快進撃を続ける槍兵隊は三日分の兵糧を携行するのみであり、一度本格的な補給を受ける必要があった。
「ここより二里北にレノヴォという街があります。先鋒隊の報告によればすでにその周囲に敵はおりません。徴発で兵糧を賄いましょう」
「そうだな。さすればもう少し足を北へ延ばせよう」アンガブートは前軍に任じられた幸運を噛み締めつつ、兵の宿営地と今後の進撃について考えを巡らせた。
ところが、彼らはレノヴォの街で徴発を行うことができなかった。彼らが街に到着したとき、そこにはすでにブンガ・マス・リマ市旗と見慣れない白地に赤丸の旗が翻っていたのである。
バールクーク王国遠征軍と他国軍は統一した指揮下にはない。『南瞑同盟会議』という大きな旗印はあるものの、その指揮権はそれぞれの王、諸侯、隊長たちの手にあった。最大兵力を誇るバールクーク王が総司令官に近い立場を得ており、作戦は合議で決められたが、細部の行動については各軍に任せられている。つまり、直接の主従関係にない限り他国軍に『命令』はできず、『このように動いていただきたい』と要請するのが精々である。
バールクーク王国遠征軍北上の知らせを受けたレノヴォ町長の要請により、松永一佐が派遣した警務分隊と普通科分隊は、ヘリによる空中機動で先んじて街を占領していたのだ。
こうなるとバールクーク王国遠征軍も無理は言えない。ブンガ・マス・リマ市自警軍と日本国自衛隊の管理下に置かれたレノヴォから何かを得るには、まずそこを占領している勢力に話を通す必要がある。
アンガブートは大変立腹したが、常識的な判断力を持つ彼はそれ以上無理を言わず、市街地近郊に野営し輜重隊の到着を待つことを決めた。
町長は食糧を根こそぎ持って行かれずに済んだことに安堵した。下手をすれば味方の徴発で街が滅ぶところだったのだ。これ以降レノヴォは自衛隊の有力な支持基盤として物心両面で活用されることになる。
自衛隊はバールクーク王国遠征軍の不興を買った代わりに、現地の対自衛隊感情を着実に好転させていた。バールクーク王国遠征軍が無理な徴発を行い住民感情を悪化させることは、ひとまず避けられたと言って良い。
ただし、現状の兵站状況からいけば、強制的な徴発を行わない限りバールクーク王国軍は停止を余儀なくされるだろう。そして、いまの彼らに止まる意思はない。となれば待ち受けるのは物資の枯渇による戦線の崩壊か、強制徴発による民心の離反である。
敗北は避けなければならない。
第5連隊戦闘団長松永一佐は新たな命令を発し、それを受けた補給兵站幕僚石田二佐は、連隊長への呪詛とともに猛烈な勢いで準備作業を開始した。
〈帝國〉南方征討領軍主力本営
2013年 2月22日 22時06分
伝令、導波通信、その他あらゆる手段でもたらされる報告が、自軍の不利を伝えている。参謀連中の顔色が目に見えて悪くなっていくのが良くわかった。その滑稽さに〈帝國〉南方征討領軍総大将たるヴコール・ルキーチ・カローヴァは思わずニヤリと笑みを浮かべてしまった。
状況は確かによろしくない。
先遣隊に加えて、一万余の兵力を預けていたルルェド攻略軍までが壊滅。さらにブンガ・マス・リマから出撃したバールクーク王国遠征軍三万に対し、二万の〈帝國〉軍主力は各駐屯地で各個撃破されつつある。侵攻以来得た領土は波に浸食される砂浜のごとく失われ続けていた。
──だが。
降伏した諸都市からの徴用兵が不穏な動きを見せ始めていることについて、深刻な表情で報告する配下の将校を見下ろしつつ、燃えるような赤毛の猛将は一寸たりとも動じてはいなかった。
「ふん、奴らはいま高揚感で満ちあふれておるだろうなァ」
2メートルを超す堂々たる肉体を、魔力が付与された板金鎧に包み、獅子のような猛々しい顔を嘲りで歪め、カローヴァは吐き捨てた。
「見ておれ。いずれ、吠え面かかせてくれるわ」
カローヴァは次々と命令を発した。命令書を受け取った騎士伝令が次々と天幕を出て行く。
「おい、出番だぞ」カローヴァが無造作に言った。
本営天幕の片隅、仄暗いそこにひざまずく影が一人。伏せているため顔は判らないが、周囲からは揃って侮蔑の視線を浴びている。
「再び浮かび上がりたければ、成果を示せ」
影は何も答えず、失われたのであろう中身のない片袖をダラリと下げたまま、静かに天幕を出て行った。
影が残していった気配の残滓が天幕内に漂っている。
「ふん」カローヴァは鼻を鳴らした。
あいつ、嗤ってやがったな。
最初は説明やら何やらでテンポが悪くなってしまいますね。地図と編成表などは近いうちに投稿致します。
御意見御質問御感想お待ちしております。




