第17話 『残心』
ルルェド西岸 マワーレド川
2013年 2月15日 09時25分
すべてが黒く焼けていた。
周囲に広がる緑豊かな森との対比が、見る者にこの上なく『死』を意識させた。その地──〈帝國〉軍ジャボール兵団本営部隊が布陣していたルルェド西岸は、鳥や獣の気配すら絶えている。
海自第1河川舟艇隊、陸自第1空挺団、第3対戦車ヘリコプター団による集中砲火により、鬱蒼と繁っていた木々は倒れ、所々で白煙を立ち上らせている。その圧倒的な火力によって耕された森の残骸に、人魔を問わず兵たちが屍を晒していた。
燃え尽きた下草を踏み締める乾いた音をさせながら、複数の男たちが腰をかがめ、下を向きながら歩いている。その姿はミレーの『落ち穂拾い』を思い起こさせたが、彼らは何も拾わない。
「おい、こいつは息があるぞ」
「おう」
横一列で進むルルェド守備隊の兵士は、足元で呻きを上げる〈帝國〉兵を見つけると、手にした槍の穂先を容赦なく突き込んだ。鈍い音と共に〈帝國〉兵の喉頸が抉られ、瀕死の兵士は息絶えた。ルルェド守備兵は短い祈りを唱えると、次を探し始める。ゴブリンやコボルト等の妖魔兵に至っては、祈りすら与えられることもなく容赦なく止めを刺されていた。
「おい、お前ら何をしている! やめろ!」
ルルェド守備隊による残敵掃討を目撃することになった第1空挺団所属の吉田三曹が、思わず食ってかかった。自衛隊員として受けた教育が目の前の光景を拒絶したのだ。しかし、詰め寄られた兵士は、怪訝な顔をして答えた。
「何故止める?」
「な、何故だと? 奴らはもう戦闘能力を失っているじゃないか! これは虐殺だ」吉田三曹は必死に訴える。
「──ならばどうすればよいというのだ?」兵士は苛立ちを覚えた顔に変わっていた。「こいつらを!」
そう言って兵士が指差した先には、はらわたをはみ出させ喘ぐ若い〈帝國〉兵が倒れていた。
「救護措置を……」そう言って駆け寄ろうとする吉田三曹より素早く、兵士が瀕死の〈帝國〉兵に近付く。
「とどめが欲しいか?」彼は足元の〈帝國〉兵に問うた。〈帝國〉兵は血の気の失せた土気色の顔をわずかに動かして意思を示した。
兵士は腰のショートソードを抜き放つと、手早く〈帝國〉兵の喉笛を断ち切った。まだ若い〈帝國〉兵は短く痙攣したのち死んだ。
「こんなことが許されるのか……」
目の前の光景に大きな衝撃を受け、吉田三曹は呆然と立ち尽くした。そんな吉田三曹相手に、興奮したルルェド守備兵は大声でまくし立てた。
「やつらは侵略者だ。俺の仲間も、家族も容赦なく殺された。怪我人も山ほどいる。お前はそんな仲間より敵を救えというのか? わずかな兵糧を分け与えよというのか? あの忌まわしい妖魔どもを人と同じく扱えというのかッ!」
兵士は自分でも気付かないうちに涙を流していた。
「〈ジエイタイ〉の兵よ」もう一人の年嵩(としかさ
)のルルェド守備兵は不思議そうな──または怪物を見るような表情で、言った。
「これを為したのは、おぬしらではないか。あのような容赦ない攻めですべてをなぎ払っておきながらいまさら『助けよ』とはどういうおつもりなのか? おぬしらには感謝しても足りぬことはないが、それでもワシ等には理解能わぬよ」
その言葉に対し、吉田三曹は言葉を詰まらせた。
二つの世界にはいまだ大きな隔たりがあり、交わらないことの方が多いようだった。
「いいのか、あれ?」
少し離れた位置で第1中隊長堀江三佐が大隊幕僚の正木一尉に訊ねた。正木は、大隊長里見二佐から西岸の状況確認を命じられている。
「よろしくはありませんね──だが、やむを得ません。この地にはこの地のやり方があります。異世界にハーグ陸戦条約なんてものは存在しないのですから、あれが普通なのでしょう」
正木は冷静な口調で応えた。
「それに、おおっぴらには言えない話ですが──我々としては悩みの種を押し付けられる」
「あの異形どものことだな」
「はい。〈帝國〉一般兵ならともかく」正木はうず高く積みあがった黒焦げの塊を見た。巨人──オーガの死体だ。「あんな連中を捕虜として扱うとなると、正直どうしてよいか頭を抱えてしまう」
「意思疎通すらできるかどうか分からんからな」堀江は日本人らしいあいまいな笑みを浮かべた。「現地勢力の行動については過度の干渉はせず、経過を見守る──これで行くか」
「はい、まぁいろいろと問題はありますが」正木も堀江と同じような顔で言った。現地の慣習法に基づく行為については、対象が自衛隊の直接管理下にある者以外、介入を控えるというのが現行の方針とされていたのだった。
「ただし──」そして、すぐに表情を引き締める。「絶対にあれに荷担したり、影響されるような隊員を出さないようにお願いします」
当然の話だが、そんな事が明るみになれば内閣の一つや二つ容易く吹き飛んでしまうだろう。
「もちろんだ。うちの連中は皆、日本に帰れば親父や兄貴、息子としてまっとうな社会生活を送らねばならんのだぞ。戦争狂を量産することは許されん。各班単位での『解除ミーティング』はしっかりやらせるよ」
「悪を倒してめでたしめでたし、とはいかないものですね」
「それが現実だからな。まぁ、俺たちも日本も、それなりに何とかしていくしかないさ」
堀江は同僚に肩を抱えられその場を離れる吉田三曹を心配げに見つめた。
「それとな、俺たちも情報を得なけりゃならん。階級の高そうな連中は確保したい。ルルェド城塞の指揮官には話を通しておいてくれ──なんでもかんでも殺しちまわないでくれよってな」
「それについては、幸い話の通じそうな人たちでしたから大丈夫でしょう。領主はまだ少年ですが──噂をすれば到着したようですよ」
領主らしい一行が対岸の城塞から船で渡って来るのが見えた。
「主殿、もはや笑うしかござらん」
ジャボール兵団の残滓を目の当たりにして、ハンズィールはいっそ清々しい想いだった。ティカは目を丸くしている。
「まさか、あの強大な兵団をこんなにあっさりと倒すなんて……」
敵を撃退したとの報告を受け、護衛の兵と共に対岸へ渡った領主一行は、そこで圧倒的な現実を前にただ驚くばかりだった。
昨夜まで、城塞を重囲下に置いていた一万の軍勢があっさりと消え失せている。確実な死を覚悟していた人々は、まるで夢の中にいるような気分を隠せなかった。
周囲を固めるまだら模様の兵士たちが持つ鉄の杖。鉄の筒。あまりにも異彩を放つその軍装に、ティカはまだ慣れることはできていないが、その力が凄まじいことはこの一晩で十分に思い知らされた。
マワーレド川に目をやると、そこには〈ニホン〉の軍船が集まってきている。櫂で漕ぐ必要もなく、風も受けることなく稲妻のように川面を疾走する軍船だ。ティカは直接見てはいないが、彼らは昨夜ジャボール兵団を真一文字に切り裂き、焔で焼き尽くしたという。
(一度乗ってみたいな)
領主という立場を忘れ、ティカは少年らしい好奇心を覚えた。空翔る龍にも乗せてもらいたい。そんなことを考えていると、軍船から数人のニホン人が降りてきた。護衛らしき兵を引き連れて先頭を歩くのは女性だ。背筋を真っ直ぐに伸ばして歩く姿は凛々しく、足元が焼け焦げた泥だということを忘れさせるほどだった。
あの人はきっと身分が高い。
ティカは直感的にそう確信した。周囲に自分を合わせるのではなく、周囲を合わせさせる態度を自然に取れる類いの人物だ。
「領主閣下とお見受けする。〈ニホン〉国水軍第1河川舟艇隊司令、西園寺三佐です」
戦塵にまみれてなお優雅さを失わない態度で、その女性はまっすぐに伸ばした右手を眉庇に当てた。貴族のはずの彼女は、あくまで軍人としてティカに相対しているらしい。ティカは、子供らしい素直な感情で答えた。
「ルルェド領主ティカ・ピターカ・ルルェドです。助けに来ていただきありがとうございます。お陰で──」ティカは背後に立つハンズィールたちを腕で示した。「家臣ともども命を拾いました。皆さんは命の恩人です」
「ルルェド救援の任務を果たせましたことは、大変な光栄です領主閣下」
ティカの率直な礼に瞳を大きく見開いた彼女は、すぐに優しげな表情を浮かべた。ティカは(きっと母上のような、優しいひとなんだ)と感じた。それなのにこんなに精強な軍を率いている。彼は好意を覚えた。
彼女の背後に控える長身の男性が、なぜか名も無き狂気の神に出くわしたかのような顔をしているのが不思議だった。
「西園寺さん。楽にしてください。私は領主ですがこのようにまだ若輩の身です。普段通りにしていただいて構いません。できれば貴族としての振る舞い方について教えを請いたいくらいです」
「……あら。あたくしの家がそうだったのはずいぶんと昔なのだけれど」彼女は、一瞬驚いた表情を浮かべ小さくつぶやいた。そしてすぐに艶やかな笑顔を浮かべた。「では、御言葉に甘えようかしら。領主閣下、あたくしの舟艇隊と陸自部隊、そして南瞑同盟会議水軍刀兵隊が周辺の敵兵力の撃破を完了しました。危機は乗り越えたと考えていただいてよろしいかと」
西園寺はそう言って、背後に控える男性士官に合図した。見るからに有能そうな彼は咳払いを一つ挟み、説明を始めた。
「我々は、周辺に存在する〈帝國〉軍の組織的戦闘能力はもはや残っていないと判断しています。以後、この地域の完全制圧のため哨戒と掃討作戦を開始する予定です。期間は1ヶ月程度をみています」
「それはありがたいですね」
「ということは」ティカが礼を述べる横から、ハンズィールが前に出た。「貴軍はルルェドを拠点として用いたい、ということであろうか?」
「貴方は? 私は舟艇隊先任幕僚の久宝一尉です」
「うむ。ルルェド公配下の兵権を預かっているハンズィールと申す」
肥満体を伸び上がらせるように、ハンズィールは応えた。
「では、話が早い。〈帝國〉軍の再侵攻への備えを含め、周辺地域の掌握にはこのルルェド城塞が最重要拠点となります。流域の哨戒を行う上で、ここを基地として用いさせていただきたいと考えています。もちろん物資その他はこちらで準備しますので、そちらの負担にはなりません」
「……陣借りということかな。我らも被害が多く、軍を立て直す暇が必要だ。ジエイタイに居てもらえるのは心強い──ただ、領内に他国の軍勢を置くというのはいろいろと詰めねばならぬことも多いのでなぁ」
ハンズィールは探るように言った。
「もちろん、理解しています」久宝と名乗る士官も、判っているという態度で応えた。「そのあたりのことは、実務者同士で調整しましょう。戦場清掃や、捕虜の取り扱いについても話さなければいけません。そちらの正木一尉も交えて──」
うず高く積み重なったオーガの死骸の山が爆ぜたのは、その瞬間だった。
殺す。絶対に殺す。
そのひとつだけを心に残し、全身傷だらけのイリネイ・フロムシンはオーガの死骸に潜んでいた。
二刻ほど前、夜明けとともに現れた悪魔のような敵軍により、彼の配下はズタズタに引き裂かれた。彼の誇りであり、力の象徴だった四十体のオーガたちは、そのほとんどが粉々にされ樹木と混ぜられ泥と化した。
目の前に見えていた栄達も、何もかもが消え失せた。どのような攻撃であったのか、理解すらできない。ただ、強い憎しみだけが残された。
俺の全てを奪った奴らに、一矢報いねば死ねん。
彼のもとには、辛うじて生き残った一体のオーガと数名の兵が死骸の山に隠れて残されている。状況を考えれば驚異的な統率力だった。フロムシンはすでに狂っていたのかもしれない。それ程、彼の戦意は高く、それは配下にも伝染していた。
きた。やつらこそ、そうにちがいない。
敵の指揮官が現れるのをひたすら待った。その努力は報われた。領主らしいガキと、その取り巻きがついに手の届く場所に現れたのだ。
フロムシンは、意を決すると配下のオーガに猛りを解き放つ許しを与えた。オーガは咆哮し、積み重なった肉を吹き飛ばした。目指すは敵将の首ひとつ。
「生き残りか!」
わずか十数メートル先の死骸の山から、巨大なオーガが飛び出した。虚を突かれた空挺隊員たちは、身を守ることで精一杯だった。射線が重なり迂闊に発砲できない。
「司令、川へ!」
「主殿、お下がりくだされ!」
転んでしまった西園寺を久宝が背中に隠し、ハンズィールがティカをかばってバスタードソードを抜いた。
オーガと数名の〈帝國〉兵は、死兵となって彼らに迫った。その勢いは凄まじく、止めることはできそうになかった。
「来たぜ、デカいのが」
その時、フロムシンたちの前に躍り出た者がいた。
その男、可児吉郎一曹は不敵な笑みを浮かべている。恐怖心が無いわけではない。だが、それを上回る勢いでアドレナリンがあふれ、戦意が猛っているのだった。
可児は64式小銃を構え、〈帝國〉兵に向けて無造作に発砲した。7.62ミリ小銃弾が二名の〈帝國〉兵を撃ち倒し、オーガの右足と左腕を砕いた。
「よっしゃ来い」
弾丸を撃ち尽くした64式小銃を手槍のように構える。もはや敵は目の前だ。
「無謀だ! オーガの眼前に立つなど……」
ハンズィールが叫ぶ。歴戦の戦士たるハンズィールは、それがどれほど危険なことなのかを理解していた。まともにやりあって勝ち目のある相手では無い。
オーガが雄叫びを上げ、無傷の右腕を大きく振りかぶった。3メートル近い巨体が可児に襲いかかる。丸太のような腕が空気を切り裂き、大振りの拳が可児の顔面を砕こうと迫る。
可児は滑るように左前方──オーガの外側に歩みを進めた。小銃をオーガの腕にあてがい、力を受け流す。だが、その力は凄まじい。鋼鉄製の小銃が軋みをあげて曲がった。可児は力に逆らわなかった。小銃から手を離すと、オーガの腕を勢いのまま捌く。
「グガァ!」
小銃弾に砕かれた右足が体重を支えきれず、オーガの体勢が大きく崩れる。可児は、前方に崩したオーガの顔面に膝当てで強化した膝を叩き込んだ。
鼻骨が折れる湿った音が辺りに響き、血潮が飛び散った。地響きを立てて、オーガがうつ伏せに倒れる。
「進士!」
「はいっ!」
可児が促すと、背後で震え上がっていた進士三曹が特殊鋼製のスコップを投げ渡した。柄の長さが1メートル80センチもある特注の剣先スコップである。
「こいつで仕舞いだ」
可児がスコップの剣先をオーガの延髄に打ち込む。鋭く尖らせた剣先は鈍い音を立てて頸椎ごとオーガの首を断ち切った。巨体が二、三度激しく痙攣し、動かなくなる。
あまりの出来事に唖然とする周囲を尻目に、可児はスコップを肩に担ぐと、ニッカリと笑った。
「作っといてよかったな進士。このデカブツは流石に素手じゃ厳しかったぜ」
「はぁ、もう何でもいいです……」
進士はため息とともに答えた。
「ふ、ふざけるなァ!」
全ての配下を失ったフロムシンが、狂乱の叫びとともにティカに襲いかかった。切り札のオーガが手もなく討たれすでに正気を喪っている。だが、その刃は届かなかった。
久宝一尉の放った9ミリ拳銃弾を胸に受け足が止まったところを、ハンズィールのバスタードソードが袈裟に斬って捨てる。
「なんとまぁ、豪勇の兵を抱えておられるな。こりゃ、神官戦士の爺様たちと話が合いそうな男だ」
血振りをしつつハンズィールは言った。
「あんなすごい方がうちにいたの」泥まみれの西園寺が感心したように言った。
「舞特の可児一曹ですよ。『丹後半島最強の男』と異名をとる豪傑です。北近畿騒乱で実戦を経験しています」久宝は拳銃をホルスターにしまいながら答えた。彼も泥まみれだ。
「あのスコップは?」
「特注品だそうです」
「なんであれを作ろうと思ったのかしら」
「役には立ったようですが……」
そこまで言って、久宝は自分たちが酷い姿なのに気付いた。硝煙と汗と泥をたっぷりと染み込ませた作業服は、元が何色だったのかすら分からない有り様だった。
昨日の作戦開始時点では、ズボンの折り目すらはっきりしていたのに一晩でこれか。久宝は危機を脱した安堵からか、珍しく下手な軽口を叩いた。
「我々も一晩ですっかり汚れてしまいましたね司令。今なら最も臭う海上自衛官選手権で一位を狙えますよ。なんて、はははは」
「……そうね」
西園寺はそっけなかった。
手厳しいツッコミが入るかと予想していた久宝は、拍子抜けした気分になった。それどころか、微妙に西園寺との距離が開いている。
久宝は気がつかなかったが、西園寺はこっそりと後ずさると自分の襟元に顔をうずめ、小鼻を可愛らしくひくつかせた。
「司令? あの……」
いつも容赦ない上司が、妙な空気を醸していることに不安を覚えた久宝は、無意識に西園寺に向けて一歩踏み出した。
「先任!」
「はっ!」険しい表情で発せられた西園寺の言葉に、久宝の身体は硬直した。
「近付かないで」
「は、失礼しました!」
「……」
(しまった、俺はそこまで臭うのか。まいったな)
彼は上司の必死の形相をみて大いに反省し、慌てて距離を取った。
その後、作戦行動終了まで自分と厳格な距離を保つ西園寺三佐の姿に、久宝一尉は(いくら俺が臭うからって、そんなに離れなくても良いじゃないか)と、ほんの少し傷付くことになる。
少し間が空きました。
すでに戦後処理ですね。
『ブラック』作戦についても早く書きます。
御意見御質問御感想お待ちしております。




