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幽世の竜 現世の剣  作者: 石動
第1章 渡海
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第3話 『侵攻』

場面は変わって、異世界〈アラム・マルノーヴ〉において〈帝國〉軍の侵攻が開始された状況です。


マルノーヴ大陸中央部

南部沿岸諸国勢力圏北端 『双頭の龍』

2012年 9月ごろ


 切り立った崖が渓谷の両側にそびえ立っている。大地を南北に割る深い谷の底には、枯れた河の跡を流用した貧弱な道が南へと延びていた。北の空は低く雲が垂れ込め、陰鬱な色を地に落としていた。

 辺りは草木も乏しく、剥き出しの岩肌と、立ち枯れた低木の残滓が、荒涼とした景色を見せていた。凡そ人が営むには適さない土地であった。

 この地は、マルノーヴ大陸南部沿岸諸国勢力圏の北端である。この地より北、マルノーヴ大陸中央部には『狂える神々の座』と呼ばれる地域がある。北方の〈帝國〉と南部沿岸諸国を分かつように東西に延びる峻険な山岳地帯が、太古より人々を拒み続けていた。

 その名の示すとおり、異常な土地であった。

 絶えず焔を吹き上げる活火山が、有毒ガスを滞留させ、あちこちに死の谷を形成している。山裾は乾燥し草木が絶えた砂漠が広がっている。

 そうかと思えば、昼なお暗い森林があり、その隣には、水面に瘴気を溢れさせた湿地帯が存在し、不快な蟲たちが我が物顔に飛び回っていた。

 まるで、でたらめに組んだパズルのようだった。


 土地の精霊力が完全に狂っているのだ。


 さらに、それぞれの土地には凶暴な魔獣や妖魔が多数生息している。それらは無謀にもこの地に挑んだ無数の調査団や、冒険家たちの命を刈り取り続けていた。



 南部沿岸諸国は、この地に利益を見いだすことを放棄した。無数の犠牲者を出した彼らは北への交易路を拓くことを断念し、海路に伸長することを選択したのだった。

 結果としてその判断は、南部沿岸諸国を大いに栄えさせることとなった。航海技術は目覚ましい発達を遂げ、陸路より遥かに効率のよい海上交易は、彼らに莫大な富をもたらした。

 交易船は遠く〈帝國〉西方諸侯領まで到達し、敵対しているはずの相手ですら、商人たちは抜け目なく取引相手としている。



 彼らにとっての脅威は、不定期に『狂える神々の座』から襲来する魔獣、妖魔であった。それらは度々人界に現れ、村や街を襲った。

 人々は、『狂える神々の座』との境界に、城塞を築くことでこれに対抗した。


 谷を見下ろす両側の崖に、『双頭の龍』と呼ばれる城塞が聳え立っている。南部沿岸諸国は、ここに兵を駐屯させ襲来する妖魔たちを食い止めていた。左右一対の城塞は経験豊富な守将に率いられ、人類世界の最前線として鉄壁を誇っていた。

 同時に、城塞は周辺に出没する魔獣討伐隊の出撃拠点としての役割も担っている。経験豊富な冒険者たちが、ここで装備を整え周辺の掃討に出発するのだった。



 その城塞が、燃えていた。



 城塞の周囲は荒々しい喊声と多数の兵が地を踏みしめる音で満ちていた。崖を利用して造られた城塞は完全に包囲され、蟻の這い出る隙間もない。

 周囲を埋めるのは、異形の兵たちであった。装備も種族も隊ごとにバラバラで、全く統一されていない。唯一の共通点は、いずれの隊も残虐非道な戦振りを示している、という一点であった。

 人喰鬼が、巨大なバリスタを城塞に向けて放つと、胸壁ごと打ち抜かれた守備兵が悲鳴をあげることすらできぬままバラバラになって落下した。

 周囲の空には、翼をもつ魔獣が我が物顔で飛び回り運の悪い兵を空中に掴み上げていた。周囲から絶えず打ち込まれる矢には、糞が塗りつけてあるらしく、守備隊からの反撃はほとんど行われていなかった。

 守備兵の士気が著しく低下しているらしい。頑丈な石造りの防壁はあちこちに綻びが生じている。



 『双頭の龍』は、〈帝國〉南方征討領軍により、落城寸前に追い込まれていた。



「──それで、お二方は和平交渉に参られたということですか。少々遅きに失した感はありますが」

 多分に嘲笑を含んだ声が、地面に膝をついた二人──『双頭の龍』左軍長カトル・フォボルスと右軍長バーン・ディアモスにかけられた。犬面の剣兵が下品な声であざ笑い、地面に唾を吐く。

「……」

 南部沿岸諸国から派遣された守将である二人には、返す言葉もなかった。

 それが、事実であったからである。


 攻撃は完全な奇襲で始まった。熟練した指揮官である二人と、選抜された精兵をもってしても、持ちこたえることは不可能であった。

 なぜ、奴らはあの狂った土地を越えられたのだ!? いかに妖魔ばかりで編成された軍であっても、魔獣の縄張りを無事に通り抜けられるはずが無い。

 フォボルスは、悔しさの余り傷だらけの顔面を歪めた。がっしりとした体躯の彼は、疲労困憊した身を精神力だけで支えていた。


「我らの命を差し出し城を開く代わりに、兵たちの助命をお願い致す」

 ディアモスが苦渋に満ちた声で、嘆願した。彼は左腕に傷を負い、今も衣服には血がにじみ続けていた。

 奇襲を受けた城塞は、伝令すら出せず城に籠もるのが精一杯であった。城内には、兵の他、人足や下働きの女性、一部の兵の家族も籠城している。このままではその全てが命を失うだろう。

 二人はせめて非戦闘員だけでも救うべく、敵陣に膝を屈していた。寄せ手の攻撃は一時的に止んでいる。


「ですが、このまま攻め続ければ落城は時間の問題。我々が要求を受け入れる利が無ければ、ねぇ」 

 ねっとりとした口調は、攻撃側の将から発せられている。上品な発音だが、裏にある悪意を隠そうともしていなかった。それは、猫が捕らえた鼠をいたぶる様を連想させた。周囲では本営を固める帝國兵が、二人を口汚く罵っている。

 ディアモスが、決意を秘めた口調で答えた。

「利はある」

「ほう。……伺いましょうか」

「貴軍の損害を格段に減らすことが出来よう。もし、降伏が認められぬ時は、我ら最後の一兵になるまで戦い抜く所存である。貴軍の被害も相当なものになろう」

「……脅すおつもりで?」

 攻撃側の将──〈帝國〉南方征討領軍主将レナト・サヴェリューハがその美しい顔に爬虫類の笑みを貼り付けたまま、訊ねた。外見は二十代後半。金髪碧眼、白皙の美男子といってよい。

 しかし、細く尖った輪郭に配置されたつり上がった瞳と薄い唇が、その酷薄な内面を滲ませていた。

 細身の身体を黒の薄金鎧で包んでいる。彫金で飾られた鎧の表面は、うっすらと赤い光を放っているようだ。彼はその上に獣革のコートを羽織り、野卑な雰囲気を醸し出していた。


「滅相もない。ただ、事実を述べたまで」


 恐れで満ちた内心を隠し、ディアモスは言った。戦況は絶望的であり、こちらの要求が通る可能性など無きに等しいことはわかっていた。目の前の男が手を一振りするだけで、全てが終わる。

 敗軍の将は、賭けに出ざるを得なかった。


「……余程の御覚悟ですねぇ」

 サヴェリューハが感心したように言った。

「守将お二方の御名前は聞き及んでおりますよ。『双頭の龍』を守護する勇猛なる指揮官。それだけではなく──」

 声に感嘆の響きが混ざったように聞こえた。

「互いを信ずること兄弟の如く。戦場においても阿吽の呼吸で数々の武勲を立て、遂には本当に兄弟となられたとか」

 こやつ、どこまで調べている。フォボルスとディアモスは驚きを隠せない。二人が互いの姉妹を妻としていることを、この男は知っていた。


 サヴェリューハが言った。

「私も武人の端くれ。お二方の覚悟に応えましょう」

「おお、では」

「しかし! ──全てを叶える訳にはいきません。対等の交渉ですら互いに妥協するもの。まして、我らが圧倒的な優位にあるのです」

「我が命なら喜んでくれてやる!」

「……」

 フォボルスは勢い込んで叫び、ディアモスは不吉な予感に沈黙した。


 サヴェリューハは薄い唇を開き、笑顔を見せた。フォボルスには口が真横に裂けたかのように見えた。


「片方の城塞のみ助命しましょう」


 ディアモスがサヴェリューハを睨みつけた。サヴェリューハは楽しげな口調で続けた。

「助命する城をお選びください。お二方にお任せしましょう」

「馬鹿な! 選べるわけがなかろう!」

「おやおや。……ふむ、ではこうしましょう」

 抗議する二人に、サヴェリューハは言い放った。


「お二方で殺し合っていただき、勝った方の城を助けることにします」

「き、貴様ッ!」

「戦わねば、全て殺します。どちらかが手を抜いたら、全て殺します。お二方には死力を尽くして、醜く獣のように殺し合っていただきたい」


「……外道め」


「だって! どうやったって私たちが勝つんですよぉ! あなたたちの希望を叶える必要など無いんです! 本来なら全員死ぬんです! 無残に! 嬲り殺しです! 」

 サヴェリューハは嗤った。

「あなた方は半数が生き残り、私たちは楽しい見世物を見物する。互いに利があるでしょう? さあ、どうしました? 早く殺し合ってくださいよ」


 フォボルスとディアモスは、サヴェリューハにありったけの呪詛と殺気を込めた視線を向けた。彼らが呪術師であったなら、呪殺できたかもしれない。

 だが、彼らは武人で、全ての武器は取り上げられていた。二人は一瞬の沈黙の後、互いの顔を見つめた。数多の戦場で背中を預け合った、義兄弟の姿が瞳に映っている。

「さらばだ!」

「いつか、地獄で!」


 次の瞬間、死闘が始まった。拳が頬骨を砕き、鋭い蹴りが胃にめり込む。


「あははははは! そうです! 手を抜けば皆殺しです!」


 格闘は次第に技を失い、反対に獣の如き様相を呈した。唸り声をあげたフォボルスの指がディアモスの右目をえぐり出した。絶叫と共にディアモスが目に突き込まれた指を噛み千切る。血飛沫が辺りに散った。


「見なさい! 普段綺麗事を並べる連中も、命がかかれば野獣同然。何とも醜い有り様! あははははははは!」


 二人を取り囲んだ妖魔兵が興奮の叫びをあげる。肉を裂き骨を砕く音が鳴り響く。暫くして、不意に静かになった。


「終わったようですねぇ」


 血溜まりの中に、右目が潰れたディアモスが、荒い息を吐きながらうずくまっていた。戦袍は千切れ、手の爪は全て剥がれている。潰れた右目から流れ落ちる赤黒い血が、まるで涙のように見えた。

 彼の足下には、ぼろ切れのようになり果てたフォボルスの死骸が転がっていた。


「……約束……を果たせ」

「ええ。生き残るのはディアモス殿の右城塞ですね。見事な戦いでした。我が軍の妖魔共にも劣らないほど残虐で容赦のない殺しでしたよ」

「……」

 息も絶え絶えのディアモスを前に、サヴェリューハは歌うように続けた。

「おめでとうございます。ディアモス殿の奮闘で、左城塞の人たちは全員が死にます。──そういえば、あなたの妹君もいましたね。申し訳ありませんが、配下には好きにさせるつもりです」

「外……道……め」

「あなたもね。妹君は散々嬲りものにされることでしょう。ふふふふ」

 ディアモスの口内で鈍い音がした。奥歯が砕けた音だ。

「右城塞……の者共を逃して……もらおう。儂はどう……しようが構わん」

「ええ、約束ですからね。私は約束は守りますよ──おや、どうしました?」

 いつの間にか帝國兵が一人、サヴェリューハの横に来ていた。兵が何かを耳打ちすると、サヴェリューハは思案顔になり空を見上げた。

 彼は心底困ったという顔を作り、ディアモスに語りかけた。

「大変困ったことになりました。我が軍の主力が魔獣であることは御存知ですか?」

「……」

「我が軍の窮状をお見せするのは大変お恥ずかしいのですが、手違いがありましてね」

 ディアモスは言いようのない感覚を覚えた。この男は──

「兵站責任者は厳しく罰する予定です。しかしながら当面の急場を凌ぐために、どうか御協力をお願いしたいのですよ」


「お、オオオォオッ!」


「餌が足りないのです。そこで、右城塞の皆様に──肉として御協力いただきます」


 次の瞬間、驚くべき俊敏さでディアモスが飛びかかった。死にかけた人間の動きではなかった。

 だが、彼がサヴェリューハに届くことは無かった。左右から素早く進み出た兵が、瞬く間に彼を取り押さえてしまった。

 サヴェリューハは哄笑した。

「全ては、あなたの為したことです! あなたの無能が原因です。あなたのせいで、城も、部下たちも、義弟も、妹も、妻も、みな死ぬのです! あははははははは」

「殺してやる!」

「安心してください。指揮官の責務は果たさせてあげましょう。全てを見届けてもらった後で、殺してあげます」


 半狂乱のディアモスが連れ出される間、サヴェリューハは実に楽しげに笑い続けた。


「閣下、ご指示を」

 頃合いを見計らった副官が、サヴェリューハに訊ねた。

「ああ、楽しかった。よし、総攻撃──城を洗いなさい」

 彼は、全てを虐殺せよと命じた。いささか辟易した気分を感じていた副官が言った。

「──宜しいのですか?」

「ここでは拠点としての施設が手に入ればよいのです。人間は必要ない。実際、魔獣の飢えを満たさねばいけない頃合いですしね」

「はッ」

 サヴェリューハは言葉を続けた。

「そうそう、50人ほどは生かしておきなさい。 嬲ってもよいが、その後解き放つのです」

 彼は傍らの騎兵指揮官に向き直った。

「補給が完了次第、飛行騎兵を出します。適当に周辺を荒らしなさい。有力な敵がいたならば、報告すること」

「御意」

「我らのことは解き放った人たちが語ってくれることでしょう。以後の補給は向こうから差し出していただけると思いますよ」


 総攻撃が再開され、殺戮の場と化した城塞を眺めながら、サヴェリューハは整った顔に笑顔を浮かべた。それは、見る者を不快にさせる汚泥のような笑みであった。




 守将を失ってから半日で『双頭の龍』は陥落した。雪崩れ込んだ兵と魔獣により、城内は屠殺場と化した。


 二日後、周辺の街や村に半死半生となった生き残りがたどり着いた頃、周辺に騎兵部隊や飛行騎兵部隊が出没し始めた。


 さらに一週間が過ぎた。

 大混乱に陥った南部沿岸諸国を尻目に、複数の街や村、そして一部の城塞都市が雪崩を打って〈帝國〉軍に恭順の意を示し始めていた。

 彼らは、『双頭の龍』の運命を知り、それに連なることを恐れたのであった。



 奇襲侵攻から二週間後、周辺からの徴発により兵站を整えた南方征討領軍先遣兵団は本格的な進撃を開始した。


 一方、南部沿岸諸国はなんら有効な手を打てぬまま、無為に時間と空間を失い続けることになる。

 辛うじて〈南瞑同盟会議〉が組織され、リューリ・リルッカが異世界に兵を乞うのは、このときから実に3ヵ月後のことであった。

2012年6月4日 『北近畿騒乱』発生。〈帝國〉軍、京都府へ侵攻

2012年9月ごろ 〈帝國〉軍、南部沿岸諸国に侵攻を開始

2012年12月8日 青森県むつ市に、異世界からの使者が現れる。

2013年1月1日 謎の動画がアップされ、地球人類が〈異なる存在〉を認識する。『神々の帰還』事件

2013年1月4日 第五次中東戦争勃発

2013年3月3日 日本政府、異世界〈アラム・マルノーヴ〉に本格的な派遣部隊を出動させる。


投稿してみると前置きが長い気がします。もう少しお付き合いください。

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