第15話 『ワイヤー』
ジャボール兵団重騎兵隊〈カバーニ〉
2013年 2月15日 05時06分
〈帝國〉南方征討領軍ジャボール兵団予備隊右翼のカバーニ重騎兵は、中央の第二徴用兵団が混乱するのを尻目に突撃の準備を整えていた。
カバーニ騎兵を指揮するのは、支族長イサイ・アイダマーク。五支族の百人隊──合計五百騎の重騎兵を束ねる騎兵指揮官である。分厚い布地に錦糸で描かれた狼の紋章を高らかに掲げ、彼の騎兵たちは紡錘形の突撃陣形を完成させた。
駿馬の嘶きと馬蹄の轟きが周囲を圧する。厚手の戦袍の上に胸甲を纏い毛皮の騎兵帽を被ったカバーニ騎兵は、南方征討領軍自慢の重騎兵である。
彼らはもともとマルノーヴ大陸中央部──『狂える神々の座』の北方に広がる平原部に勢力を保っていた小国家の騎馬軍であったが、〈帝國〉の侵攻を受け臣従を余儀なくされた。〈帝國〉は彼らの遊牧民族としての特性に目を付けた。〈帝國〉の求めに従い支族ごとに編成された百人隊は、それゆえの結束の高さと高い騎乗技術を誇っている。
「族長、馬首揃いました」
「おう。ひさびさの突撃じゃわい。肉を蹴り潰す感触が絶えて久しい」
顔の下半分を黒々としたヒゲに覆われた顔面に浮かぶ野蛮さを隠そうともせず、アイダマークは太い声で笑った。日焼けなのか汚れなのか見分けがつかぬほど真っ黒な肌は、脂ぎって紅潮している。〈引裂公〉と異名をとるほど武名と悪名高い彼は、戦意に満ちあふれていた。
何しろ、彼らの左前方では味方の徴用兵団が謎の爆発で滅茶苦茶に叩かれているのだ。並みの人間なら恐怖を感じて躊躇の一つでもするところだろう。
それに動じないのであるから、この漢はすでに戦闘を決心している。
「御下知を」支族長の一人が言った。
「あの丘にネズミがおるな」アイダマークは右前方の丘を一瞥すると、鷲鼻を鳴らした。「軽騎兵に伝令を出せ。一隊をもって丘をとり、残りは敵陣にかかれ。ワシ等は獣臭い連中を叩く」
「御意」すぐさま伝令が駆け出した。
「しかし、あの火撃は凄まじいものですな」
「食らわねばどうということもないわ」
アイダマークは歯牙にもかけない。
「徴用兵の両翼が突撃をかけておるが、そちらには手出ししておらん。動く相手は撃てぬのか、手が足りぬか──いずれにせよ留まるより仕掛けるがましよ」
アイダマークの伝令が戦袍のすそをはためかせて各百人隊へ飛ぶ。命令を受け取った証しの信号旗が左右に揺れた。アイダマークは部下の反応に大いに満足し、怒鳴るように命令を下した。
「行ったれや!」
アイダマークの命令を受け、右翼軽騎兵が駆け出した。カバーニ重騎兵が、長槍の穂先を揃え前方に倒す。東から姿を見せ始めた朱い太陽の光が穂先を煌めかせた。
「フゥーア!」
戦列のあちこちで蛮声があがる。軽騎兵に続きカバーニ重騎兵もまた突撃を開始した。
「見つかったみたいだぞ」
擬装ネットの下で双眼鏡を覗いていた陸曹がうめいた。陸自左翼前方。小高い丘の上に置かれた前進観測班の眼下で、〈帝國〉軍が動き始めている。
「まずいな」観測班長志岐三尉もうなった。
「どうします?」
「後退する。中隊本部に報告。急いで逃げるぞ!」
その言葉を受けて、隊員たちは弾かれるように動き出した。
「アリ、こちらシキ。効力射諸元そのまま。敵中央集団両翼各歩兵一個中隊前進中。敵右翼騎兵一個大隊前進を開始した。こちらは発見された。撤収許可求む。送レ」
『シキ、こちらアリ。撤収を許可する。中隊長より「支援するからさっさと逃げろ」送レ』
「シキ了解。終ワリ!」
その中で、観測班に付けられた獣人刀兵のポナンだけは達観した様子だった。犬耳をだらんと下げ、丘の下に迫る軽騎兵をのんびり眺めている。
「敵は騎兵だ。囲まれるよ」ポナンが言った。
「だから、逃げるんだ! おい、偉そうな奴を狙え。混乱させるんだ」
「うっす」
のんびりとした返事を返した陸士長が、照準補助具を覗き込んだ。
丘に潜む敵兵の掃討に向かっていた軽騎兵の集団で、突然見えない何かに打ち倒される者が続出した。遊牧民で編成される軽騎兵たちは混乱した。位階の高い者から射落とされるためだ。
「丘だ! 反撃しろ!」
だが、彼らの判断も早い。攻撃が丘の上からであることを見抜いた小頭の命令を受け、小振りな合成弓を引き絞り、次々と矢を放った。
鎧を身に付けない軽装弓騎兵たちが放つ矢の射程は300メートルを超える。しかも、彼らはそれを走りながらやってのける。
立て続けに数名を射殺した前進観測班だったが、矢の雨による反撃を受け慌てて後退に入った。
勇敢な数騎が観測班に迫る。
「ピン抜け! 投げッ!」
くぐもった破裂音と小さな土煙。観測班の投げおろした手榴弾の爆発が軽騎兵をまとめてなぎ倒す。その音と威力に騎兵たちはおののき、足を止めた。
「よし、逃げるぞ。走れェ!」
「君たちは面白いものをたくさん持っているねぇ」
志岐三尉たちと尻に帆かけて逃げ出しながら、ポナンは興味深そうに笑った。
一方戦場中央部では、森林樹木線に左右に展開した水軍刀兵隊四百に対して、徴用兵四百が正面から、両翼から軽騎兵四百。そして、刀兵隊左翼に向かってカバーニ重騎兵五百騎が蛮声を張り上げ突撃しつつあった。
「おら、行かんかァ!」
「フゥーア!」
本来歩兵が拘束した敵の戦列に横合いから突っ込むのが騎兵の常道である。しかし、アイダマークは構わず騎兵を動かした。
「大叔父よ。先に往くぞ!」
百人隊の頭、一族の筆頭若衆イエレメーイが傍らを追い越して行く。熱狂的な突撃は、あらゆるものを薙ぎ倒すだろう。風のように駆ける騎兵の群れは、たちまちのうちに中央の徴用兵を追い越した。
「放てェ!」
短矢による制圧射撃が命じられ、一斉に矢が放たれる。騎兵たちは素早い動作で次々と矢をつがえ、敵陣に撃ち込み始めた。
一方、樹木線陣地は沈黙している。
有馬一尉は弾薬を消耗した迫撃砲小隊を後退させ、代わりに普通科小隊を配置に付けた。
目の前には、轟音と蛮声を伴って津波のように押し寄せる騎兵の群れ。距離300メートル。矢が降り注ぐ。
「壮観だな」有馬はつぶやいた。
馬首を揃え槍を煌めかせて突っ込んでくる数百騎の騎兵。その迫力は凄まじい。人間の本能に訴えかけるものがあった。
並の兵なら逃げ散ってしまうだろう。
「撃たぬのか?」
並の兵ではない水軍刀兵を率いるボスフェルトは、平然と目の前の敵を眺めながら尋ねた。自分に飛んできた矢を二三本叩き落としている。
「まだ早い」
西部方面普通科連隊という、やはり並ではない男たちを率いる有馬も、平然と言い放った。敵は迫る。距離200。あっという間にその距離は詰まっていく。
「そうか」
銀毛のボスフェルトは口角を上げ、鋭い牙を剥き出しにして笑った。乱戦になるならそれも面白い。そう思っている。
距離100メートルを切った。
勝った。
敵陣の兵は、怯えた様子で縮こまっている。こちらの弓騎兵により頭を上げられないのだ。あとは敵陣に躍り込み、馬蹄にかけるだけだ。
カバーニ重騎兵たちは歓喜と興奮に包まれ、最後の距離を躍進すべく愛馬に鞭を入れた。目を血走らせた騎馬が猛然と突進する。
「殺せェ! 突っ込め!」イエレメーイは叫んだ。部下が歓声で応える。地面で何かが光るのが、視界の隅に入った。彼はそれを無視した。目の前の敵兵以外に、何を気にすることがあろうか。
その次の瞬間。
彼の愛馬は見えない壁にぶつかったかのように急停止した。正確には脚を取られ、つんのめったのだった。
イエレメーイは鞍上から投げ出され地面に落ちた。肌に鋭い痛みが走る。思わずついた手に絡みついたのは、鋭いとげをもつ荊だった。
「な、何が……?」
怒号と哀しげな嘶きが周囲に満ちる。彼の百人隊はその多くが荊に脚を取られ敵前で身動きができなくなっていた。
莫迦な。荊ごときで。
「イエレメーイさま、これは鋼でできている!」
「は、鋼だと?」
慌てて手元を見た。ようやく、細い鋼が螺旋を描き生け垣のように敵陣の前に張り巡らせてあることに気付く。鋭い棘をもつそれは騎馬の突撃を完全に受け止めていた。
先頭を行く彼の隊は負傷者が続出し、後続も足を止められている。重騎兵の武器である突撃衝力は完全に失われていた。身動きのできない味方が入り混じり進むも退くもできない。
イエレメーイは戦慄した。
「立て直せ! いったん退くのだ!」
「荊が絡みついて、馬体をうまく……だめだ」
敵は目の前ぞ。このままでは──。
その時、沈黙していた敵陣に無数の光が走るのを、イエレメーイは目撃した。
陸自挺身隊の持参した全ての火器が一斉に火を吹いた。
小銃、軽機関銃、重機関銃、84ミリ無反動砲。距離50メートルで鉄条網に引っかかった敵騎兵の集団に対して行われた射撃は、絶大な効果を発揮した。
銃火器にとって、目と鼻の先の距離である。そこで停止した目標に対する射撃はほとんど全てが命中し、打ち砕いた。最初の一連射で先頭の百人隊が壊滅した。もちろんイエレメーイもこの時戦死している。
さらに先頭が止まったことにより停止を余儀なくされた後続の重騎兵に対しても火線は伸びた。銃弾に襲われた騎兵たちは蛇に絡め取られるように、馬首を巡らす暇もなく散々に叩かれた。
「あの『鉄条網』というやつは、なかなかエグいな」ボスフェルトが言った。
「騎兵の機動力は脅威だからな。逃がすと俺たちでは追いつけない。極端に引きつけたのはそういうことだよ」有馬が顔を歪めた。目の前の光景があまりに酷いからだった。「で、やはり出ないと駄目なのか?」
「無論。それが水軍刀兵だからな」何を今更。ボスフェルトはそう思った。目の前に敵がいるのなら戦わない理由はない。
「水軍刀兵、続けェ!」
射撃中止の命令を受け陸自部隊が再度沈黙する中を、ボスフェルト率いる水軍刀兵の獣人と人間たちが喚声をあげて敵騎兵へと踊り込んでいった。あらかじめ設けられていた鉄条網の間隙から、一気に攻め込む。
右往左往する重騎兵をなんとか立て直そうと苦心するアイダマークの本陣に、南瞑同盟会議水軍刀兵が迫る。自らも手傷を負った彼は、愛馬の上で愛用の手槍を構えた。
「下郎! こしゃくな!」
だが、突き出した穂先を軽々とかわし、銀毛の人狼は素早く懐に潜り込む。アイダマークは死を覚悟した。次々討たれる部下を横目に、大声で言った。
「ワシはノル・カバーニの長、『引裂公』イサイ・アイダマーク! 我を討ち取って誉れとせよ!」
銀毛の刀兵は、不敵に嗤うとアイダマークの脇腹に斜め下から刃を滑り込ませた。どろりと臓物があふれ、アイダマークの口からも血が流れる。急速に狭まる視界の片隅で、人狼が言った。
「水軍刀兵の長ボスフェルト。確かに承った」
指揮官アイダマークの討ち死にと共に、カバーニ重騎兵は壊滅した。軽騎兵も余波を受け壊乱。戦場には無数の騎馬と騎兵が倒れていた。
一方、〈帝國〉軍歩兵戦列では。
「こりゃ、駄目だわ。化け物だ」
ナマズ髭を震わせたワトサップはそう言うと、手にした剣を捨てた。目の前で同盟会議歩兵にとって恐怖の代名詞だったカバーニ重騎兵が細切れにされている。森から湧き出るように現れた見知らぬ軍と水軍刀兵を前に、騎兵隊が全滅した今勝てる道理もない。ひょろ長い手足を投げ出すように彼はその場に座り込んで両手をあげた。
「降るんですかぃ?」
「死ぬのが好みか? おめえは」
ワトサップの問いに部下は言った。
「まさか」
徴用兵四百名は、あっさりと武器を捨てその場に座り込んだ。これにより、迫撃砲の攻撃で壊滅した三個隊に加えジャナンジー、デミナー両隊が戦闘力を喪失、中央戦列は消滅した。
「なんということだ……」
シリブローは、思わず天を仰いだ。
「右翼騎兵集団壊滅。中央の徴用兵団は前進を停止しました」
樹木線を飛び出した同盟会議水軍刀兵は、ほんの僅かな時間で〈帝國〉軍騎兵隊を殲滅した後、横陣を組み始めている。一方〈帝國〉軍中央第2列のオーク重装歩兵はすでに櫛の歯が欠けるように陣形を乱しつつあった。士気が低下している。
「なんだ、あの軍は!?」
シリブローが見つめる先には、樹木線から伸びる無数の火線があった。陸自挺身隊の射撃は、オークの戦列を目標に定めている。鈍重なオークは、一方的な射撃を浴びてずるずると崩れた。
「奇妙な軍装、恐るべき火力……サヴェリューハの言葉、真であったか!」
全ては手遅れだった。ついに士気が保たなくなったオーク重装歩兵が逃げ出し始めている。謎の敵から放たれる火線は衰えを知らず、またその射程は驚くほど長い。
さすがのシリブローも己の敗北を悟った。
「撤退する。兄者に伝えねば。恐るべき敵手が現れたと」
彼の内心は恐怖に包まれ、熱病に浮かされたような悪寒が止まらなかった。わずか百名ほどであの火力。南方征討領軍の存亡に関わる 伝えねば。
部下を顧みず駆け出したシリブローに慌てて本陣詰めの騎士たちが続く。しかし、その周囲で複数の爆発が発生し、彼らは土煙で覆われてしまった。普通科小隊の放った、最後の84ミリ無反動砲弾がねらい違わず弾着したのだった。
煙が晴れたとき、そこには破片と爆風で粉々になった複数の死体が倒れているだけだった。
「敵軍は戦闘力を喪失したようです。生き残りは逃げていきます。追撃しますか?」
部下の報告に有馬は首を振った。
「弾が無い。空挺と河川舟艇隊に通報して、後は任せよう。残弾を勘定して部隊を集結、移動の準備に掛かる。司令部にはヘリで弾を持って来いと伝えてくれ」
「了解しました」
目の前では、敵を殲滅して意気軒昂な水軍刀兵たちが、勝どきを上げている。ありゃ、どっちかっていうと雄叫びだな。サファリパークにいる気分だぜ。
そうこうしているうちにボスフェルトが帰ってきた。美しかった銀毛を赤黒い血潮で染め上げ、左手には髭面の生首を提げている。
「おい、なんだそりゃ」有馬が、辟易した顔で聞いた。
「敵将の首よ」そう言って高々と掲げる。周囲で似たような見掛けの刀兵たちが歓声を上げた。陸自隊員たちはなんともいえない表情だ。
(この連中、勇敢なのはいいが、ちょっと極端な気がするぞ)
有馬は心中でこっそりと思った。
ジャボール兵団本営 マワーレド川河畔
2013年 2月15日 05時27分
この時点で、兵団長ゾラータは予備隊の壊滅を知らない。
ゾラータは部下を叱咤しながらルルェド城塞西岸付近まで部隊を前進させていた。本営直属の兵に加え、オーガ突撃隊を伴っている。
一個隊につき二十のオーガを配したこの部隊は、乱戦において悪夢の如き威力を発揮する。身長3メートル余りの重装オーガ兵を止めるためには、大口径の投射武器や高位攻撃魔法の使用が必要とされている。オーガの集団が一斉に襲い掛かれば、並みの騎士団や砦などは簡単に殲滅されてしまうだろう。
ゾラータの切り札であった。
「こいつらでいま一度強襲をかけ、今度こそ皆殺しだ!」
ゾラータは馬上で吼えた。それに呼応するように計四十体のオーガ兵が、巨躯の喉奥から身も凍るような唸り声を発した。
「あら、いまの下品な音はなにかしら?」
「敵かもしれません。全艇、右舷陸岸付近の警戒を厳とせよ!」
ルルェド上流で再編成を終え南下を再開した第1河川舟艇隊臨編突撃戦隊の船上で、西園寺三佐が小首をかしげた。久宝一尉がすかさず反応する。
銃架に据えられた機関銃が右舷を指向し、乗員が双眼鏡を構える。すぐに報告があがってきた。
「敵部隊視認。右45度。距離ご──な、あれは?」見張りが報告に詰まった。
「どうした? はっきり報告しろ」
「敵に巨人がいます!」
西園寺と久宝も双眼鏡を構える。その視界に、見張りの見つけた『巨人』が飛び込んできた。
「さすがは異世界ね。すてきだわ」
「資料にあった『オーガ』ですね。危険な相手です」
久宝の言葉に西園寺は大きく頷くと、よく通る声で命令を発した。
「戦闘右砲戦。距離500。突撃戦隊打ち方始め」
古代からの騎兵と歩兵の関係性を追っていくと、時代によって有利不利が入れ替わって面白いと感じましたが、火器の発達と野戦築城で騎兵が止めを刺されちゃって、少し寂しいですね。
御意見御質問御感想お待ちしております。




