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幽世の竜 現世の剣  作者: 石動
番外編 その一
41/76

番外編2 『禁忌の海』

 番外編その2です。

南瞑海南方海上

2013年 1月24日 13時13分


 わたしは大変不愉快な気分を抱えて、その場に立っていた。胸がムカムカしている。


 わたしの周囲では、迷彩服姿の乗員たちがそれぞれの責務を果たしていた。浅黒い肌の二等兵曹が舵輪だりんを抱え、真っ直ぐ前を見ている。

 わたしは船に酔っている訳ではない。この艦──アメリカ合衆国海軍第76任務部隊(TF76)所属のイージス駆逐艦〈ステザム〉が進む海上は、全長154メートル余りの船体が立てる白波の他は鏡のように平坦だった。

 おそらく、12ノットで進む〈ステザム〉の艦橋海図台の上に鉛筆を立てることすらたやすいだろう。

 そもそも、どれだけ海が荒れようとも、この艦が私の艦──日本国海上自衛隊護衛艦〈あまぎり〉より揺れることはないのだ。


「どうした、持丸中尉。ちゃんとメシは食べているか? うちのローストビーフは美味いぞ」

 わたしの不調の原因が現れた。快活さを周囲に誇示するような声色。厚い胸板を張りにこやかな笑顔をわたしに向けてくるこの男は、この艦の王だ。

 〈ステザム〉艦長マクダニエル大佐は、優越感を隠そうともしない態度で、連絡幹部として乗艦しているわたしに声をかけてきた。

「はっ、お気遣いありがとうございます、艦長」


 わたしは必要最低限の返事をした。


「そうか。何か心配ごとでもあるかね?」

 やや鼻白んだ様子でマクダニエル大佐が言った。彼は典型的なエリートだ。多分、ハイスクールではアメフト部だったのだろう。アングロサクソン系の整った顔立ち、均整のとれた肉体。

 その判断は常に積極的で、敢闘精神に溢れ、部下のことは公平に扱う。有能な艦長、海の男。


 だが、その仮面の下には、他者を見下す素顔がある。


 乗艦してすぐわたしはそれを感じ取った。マクダニエル大佐は〈あまぎり〉を旧式だと軽んじ、わたしを侮っている。

 いまのやりとりもそうだ。わたしは確かにひょろひょろした体型だが、それは筋肉がつきにくい体質に加えて、長年長距離ランナーとしてトレーニングを重ねてきた結果だ。彼に心配されるいわれはない。


「貴官の懸念は分かる。だが、現地人の迷信など何を恐れる必要があろう。この〈ステザム〉に加えて、掃海艦〈アヴェンジャー〉〈ディフェンダー〉、ドッグ型揚陸艦〈アシュランド〉がいる。それに──君の〈あまぎり〉もいるじゃないか。我々を阻める者など何もないよ」

 マクダニエル大佐がとってつけたように〈あまぎり〉の名を出したのが分かった。


 わたしが乗る〈ステザム〉を含む艦隊は、南瞑海南方を南下している。前衛として左右に〈ディフェンダー〉〈アヴェンジャー〉を配置し、その後方を〈ステザム〉〈アシュランド〉〈あまぎり〉の順で単縦陣を制形したその姿は、確かに壮観だった。


 発端は、アメリカ軍が我が国や南瞑同盟会議の制止を無視して四方に放った調査隊の遭難だった。南方へ向けて出発したヘリが消息を絶ったのが2日前。

 救難ビーコンへ向けて発進した無人機は、一機も帰らなかった。

 マルノーヴ人は、南瞑海の南をひどく怖れていた。だから、アメリカ軍に対してももうあきらめろと言った。不可触のものがいるからと、手出しすることを止めるよう諌めた。だが、アメリカ人が諦めるはずもなかった。

 彼らは「こんな時こそ戦闘捜索救難(CSAR)だ、危険ならばそれを無視できるほどの戦力を投入すればよい」と言い放って、艦隊の派遣を決めた。

 本来ならば異世界において主導権を握るはずだった我が国は、アメリカ合衆国に振り回される一方で、かろうじてお目付役として〈あまぎり〉を同行させるのが精一杯だったそうだ。我が母国ながら情けないことだ。



 それだけならば、まだ良かったのだ。



 艦隊は、水先案内人を同行させようとした。しかし、マルノーヴ人は狂人を見るような態度でそれを拒絶した。誰一人として艦に乗ろうという者はいなかった。あの物見高いリユセのエルフや、山師のたぐいですら、真っ青な顔で断った。

 それどころか、参加艦艇や人員の話ですら、口に出すのを忌み嫌った。彼らは「彼の艦隊の兵たちは罪人どもなのであるか? それとも叛徒の子孫なのか?」などと問うてくる者もいた。

 彼らにとって我々はすでに喪われたものとして扱われていた。


 わたしは、海上自衛隊という組織の中で科学的かつ論理的思考をもって行動することを訓練されている。だが、同時に日本人でもある。あれほどまでにマルノーヴ人が怖れる『何か』があるということに、わたしは妙な不安を覚えていた。

 それは英語が話せて比較的ヒマな機関士ということで、艦長から連絡幹部を命じられ、〈あまぎり〉よりよほど強力な〈ステザム〉に乗艦してからも、消えることは無かった。



 アメリカ軍は、そんなマルノーヴ人を非科学的だとあざけり、尻込みする日本人に呆れていた。目の前の白人士官もその一人だ。マクダニエル大佐は、待ち受ける全てのものをイージスシステムで粉砕すればよいと考えているのだ。


 確かに艦隊はこの世界に敵はないと思えるほどの力を持っている。何が待ち受けていたとしても、恐れることはないだろう。



 だが、本当にそうだろうか?






 違和感はまず、嗅覚を侵し始めた。


「面舵、針路205」

「針路205、アイ」

 艦が僅かに艦首を右に振った時だった。


 

 空気が変異した。



 快適な温度と湿度に保たれていた艦橋内の空気が突如、まがまが々しい何かに犯されたのだ。わたしはそれを死の臭いだと思った。よどんだ入江の生臭さ、それを数百倍に増幅したような臭い。堆積たいせきした海生生物の死骸が発するあの臭気が、あっという間に艦橋を満たしたのだった。

 わたしは言い知れぬ恐怖を感じた。まるで空気そのものが変質したような気配。それはわたしの全身をねっとりと包み込み、毛穴から体内に浸透しようとしている。

 周囲の乗員も、すぐに異変に気付いたようだった。全員が鼻をひくつかせている。マクダニエル大佐が苦笑を浮かべ、何か気の利いたジョークでも言おうと口を開きかけた。



 その瞬間、全てが始まった。



 遠雷のような轟音が、前方から聞こえてきた。続いて、突き上げるような揺れに体がよろめく。揺れ。何かが艦を揺らしている。

「な、何が起きた!?」航海士が慌てた声を上げた。それに対する回答は無かった。必要無かったのだ。



 〈ステザム〉の左右前方2000ヤードを進む掃海艦が、水柱に包まれていた。それは掃海艦のマストを完全に覆い隠すほどの高さだった。かすかに水の間から見える〈アヴェンジャー〉と〈ディフェンダー〉は、大きく傾き、明らかに沈みかけていた。

 先程の揺れは、衝撃波が伝わったものだった。



「おお、神様」

 操舵手が呟いた。



 彼は言葉は何に対するものだったのだろう。わたしは凍りつくような恐怖に身を固くしながら、眼前にそびえ立つ『腐肉色』の水柱を見つめていた。

 〈アヴェンジャー〉が艦尾を持ち上げ、沈もうとしていた。水柱が落下する。ああ、何が。〈アヴェンジャー〉は海中に引きずり込まれようとしている。悲鳴が聞こえてくる。幻聴だ。そうに違いない。



「総員戦闘配置!」


 力強い命令が、パニックに陥りかけた艦橋を辛うじて現実に引き戻した。マクダニエル大佐だった。彼は背筋を伸ばし雄々しく言い放った。艦橋の乗員たちは、弾かれたように命令に従った。怖れが霧散し、艦は急速に戦いの準備を整え始めた。


 喧噪の中わたしは彼を見直した。彼もわたしと同様に恐怖を感じているに違いない。だが、マクダニエル大佐は有能な艦長たる自分を演じきるつもりなのだ。そして、この瞬間たとえ演技だったとしても、それを為せる者はわずかだ。


 だが、かすかに生じた希望の光も直ぐに消えることとなってしまった。


 アラームが鳴り響く艦橋が、不意に暗黒に包まれた。レーダーコンソールの淡い光だけが、周囲のものに輪郭を与えている。有り得ない。わたしは混乱した。今は真昼で空には雲一つないはずだった。わたしは、血走った瞳で舷窓の外を見た。


 辺りは霧に、不吉な灰色の霧に包まれていた。いつの間にそうなったのかはわからない。ただ、濃霧が我々の視界を奪っている。

 太陽は空にあったが、先程まで強烈な陽光を放っていた健全さは消え失せ、赤黒い輪郭だけが霧の向こうに見えていた。それはまるで地獄の焔のようだった。



「何だっていうんだ、一体」

 誰かが非常灯を点けたのだろう。赤色の照明の下で、マクダニエル大佐がつぶやいた。それに対する答えは、左ウイングに配置された哀れな見張りからの悲鳴だった。

 


「海中から、何かが! ああ、そんな。鱗が──」


 見張りの声はそこで途絶えた。穏やかだった水面を打ち破ったなにかが、〈ステザム〉左舷に取り付いたのがわかった。暗闇の中では全てが曖昧あいまいだった。生々しい音が響く。

 呆然とするわたしの目の前を、艦橋の前面を、上半分になった見張りが左から右へと飛んでいくのが見えた。

 わたしは狂ってしまいそうだった。彼はまだ生きていたのだ。己の手元すらおぼつかない闇の中で、わたしにはなぜかそれがわかってしまった。彼は、笑っていた。


 艦橋内の乗員は恐慌状態になっていた。いや、そんな中でも頼もしい男は存在する。操舵手はしっかりと舵輪を握りしめ艦を保っていた。両足でまっすぐに立ち、ややうつむき加減の彼をわたしは見た。

 嫌な生臭さが鼻を突く。彼はあんな顔をしていただろうか? 輪郭が妙に。まるで、蛙のような。

 恐怖に気を失いそうになったわたしは、救いを求めるようにあれだけ嫌っていたマクダニエル大佐の姿を探した。


「おい、何だ貴様ら。貴様らは、誰だ──やめろ!」


 彼はうつむいたものたちに囲まれていた。吐き気を催すほど濃い生臭さと、気味の悪いべとべとした粘液の滴る音が辺りを満たしている。



『今日は海を見ちゃなんねえ。早よ寝ろ』



 わたしは不意に祖母の言葉を思い出した。ある冬の日。いつもは優しい祖母が恐い顔をしてそう言った。父は戸口に籠を提げ、雨戸を全て閉めていた。

 あの日も外は晴れていた。トベラの香りが鼻を突く土間で「どうして?」と問うわたしに祖母は確かこう言った。


『今日は日忌様ヒイミサマがくる日だ』


 そうだ。あれは仄暗ほのぐら水底みなそこからやって来るのだ。わたしは腕時計の文字盤を確認した。1月24日。どうしてわたしは船乗りなどになってしまったのだろう。ああ、やつらから逃げ出したはずなのに。なぜ今まで忘れていたんだろう。


 艦橋の外、SPYー1Dレーダーの素子が砕ける音がする。何かが登って来ている。だが、固く閉ざされた防水ドアを破ることなどできはしない。


 ああ、あれは何だ! そんな、馬鹿な。舷窓に! 舷窓に!





「お、面舵一杯! 最大戦速!」

 〈あまぎり〉艦長佐々木二佐は、可能な限りの声を振り絞り命令を発した。

 艦の前方では、ドック型揚陸艦〈アシュランド〉が弱々しく左によろめき、行き足を止めつつあった。〈アシュランド〉が左へずれるにつれて、その前方にいるイージス駆逐艦〈ステザム〉の姿が視界に入り始める。


「ぐッ」


 双眼鏡の狭い視界の中で、灰色の霧の中に見え隠れする〈ステザム〉を見た佐々木二佐は、名状し難い感覚にとらわれ、次の瞬間胃の中のものを全てぶちまけていた。

(あれは、一体……)

 冒涜的な何かが、〈ステザム〉にとりついている。それを視界に収めた瞬間、彼は脳髄に直接手を差し込まれたような気分になった。己の精神がバラバラにほどけていく。その危うさに彼は背筋を凍らせた。

 一刻も早くこの場を離脱しなければならない。あれは、我々の手には負えない。



 彼の命令を受けた〈あまぎり〉は、熟練者が操る艦だけに可能なキレの良い回頭を行うと、北へ針路を向けた。ガスタービンエンジンが甲高い音を立て、鋭い艦首が海を割る。


 船体が大きく左に傾く中、一瞬気を緩めかけた佐々木は、脳の疼きが収まったことに安堵し、次の瞬間慌てて叫んだ。


「見張り員を中に退避させろ! 総員〈ステザム〉を見るな!」


 だが、それは僅かに手遅れだった。


「ヒヒ、ヒヒヒヒ……ヒヒヒ」

「おい、どうした? しっかりしろ!」


 左舷ウイングで、見張り員の海士長が奇妙に引きつった笑い声をあげていた。彼はまるでクラゲのようにふにゃふにゃと崩れ落ち、その瞳は虚ろな光を湛えている。



 ああ、見てしまったのか。畜生。


「〈アヴェンジャー〉〈ディフェンダー〉レーダービデオ消滅。〈ステザム〉は……二つに分離? いや、これは……」

 CICから報告が上がった。佐々木二佐は、苦々しい思いでそれを聞きながら、艦を退避針路に向けた。



 ここは立ち入って良い海域では無かった。神さま、どうか本艦をお守り下さい。



 遥か背後の海上から、禍々しい叫び声が聞こえた気がした。





 〈あまぎり〉の記録によれば、掃海艦〈アヴェンジャー〉、〈ディフェンダー〉は沈没。〈ステザム〉もその後沈没したと判定された。

 揚陸艦〈アシュランド〉は行き足を止めた後、通信が途絶。〈あまぎり〉のレーダー覆域圏外に出たため、沈没したかどうかは不明である。

 最後の交信は『通路は奴らで一杯だ。この扉ももう保たない──』と記録されている。


 第7艦隊司令部は、4隻喪失の経緯について当初海自側を厳しく追及する構えであった。

 ところが、〈あまぎり〉に乗艦していたため唯一生還した連絡士官の証言と、奇跡的に帰投した無人機の映像記録(恐らくこれが決定的だったと考えられている)を検証した結果、喪失艦艇の捜索を断念した。

 

 同時期に司令部情報要員7名が、軍病院に入院、その後海軍を退役している。



 日本政府は、南瞑同盟会議の助言を受け入れる形で、当該海域を立入禁止区域に指定した。



 ブンガ・マス・リマに帰投した〈あまぎり〉では、乗員1名が精神に異常をきたしていた。

 一方、艦の物理的被害は士官室前に据えられた艦内神社の神鏡が粉々に割れていただけであった。



 米軍は、ヘリの生存者捜索を口実に、南方に日本の影響の及ばない拠点を設営しようという下心がありました。

 今回、見事に失敗。この事件により、もともと派出可能兵力に余裕の無かった米軍は、当面小規模な特殊部隊の運用しかできなくなります。



 ちなみに当該海域は、マルノーヴ現地勢力の全てが忌避する海域となっています。


 半分ネタみたいな話でしたが、怒られちゃいそうですね……。まともな展開を期待された方申し訳ありません。私至ってまじめなのです。

米軍を倒せる存在って、もうこれくらいしか……(笑)


本編は、ちゃんと戦争します。もう少ししたら開始します。


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