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幽世の竜 現世の剣  作者: 石動
番外編 その一
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番外編1 『日本語を学ぼう』

 戦闘が一切ない話になります。

番外編 1 



「我々も、〈ニホン〉語を学ぶべきである!」


 むやみやたらと顔をテカテカさせたロンゴ・ロンゴが言いはなった言葉を、リューリはきょとんとした顔で聞いていた。

 リユセ樹冠国の代表としてブンガ・マス・リマに駐在するリューリ・リルッカは、南瞑同盟会議首脳が集まる大商議堂にいる。

 そこでは、帝國の侵攻による敗勢を逆転すべく異世界より召喚した〈ニホン〉皇国──アラム・マルノーヴの常識を超越したあらゆる意味ででたらめな国家と、いかにして付き合っていくべきかということについて、議論が繰り返されていた。


 ロンゴ・ロンゴが顔を真っ赤に染めて主張している内容はこうだ。

──曰く。

 国家間の厳しい交渉事を進める上で、相手の言語に精通することは、絶対に必要である。今の我々は『通詞の指輪』に頼りすぎているのではないか。指輪を頼りすぎて取引相手に騙され大損を出した間抜けな商人の話は、そこら中に転がっているのだ。

 話によると、すでに〈ニホン〉軍には『マルノーヴ語の手引き』なる書物が配布されているという。恐るべき手際である。

 せめて南瞑同盟会議の舵取りをする我らが、率先して相手の言葉を学び、交渉の場に生かしていくべきではないか。うんぬん々。


 確かにそうなのかも。リューリは思った。『通詞の指輪』は、込められた魔導が相手の話の意味をこちらの言葉に変換する。百年前の偉大な魔導師が編み出したこの術により、世界は飛躍的に狭くなった。

 だが、魔導を編む者の技量によって『指輪』の力はまちまちで、過去幾度となく悲喜交々(ひきこもごも)の事件を引き起こしていた。

「女を口説くのに通詞に愛を語らせる阿呆はおるまい?」

 ロンゴ・ロンゴが言った。

 まだ異性を好きになったことのないリューリにはぴんとこない例えだったが、相手の言葉を知るというのは大切なことに思えた。確かにあの風変わりな人々が何と言葉を紡いでいるのかが分かるのならば、それはとても楽しいことだろう。


 その後の採決に、リューリは賛成の意を示した。他の面々も概ねリューリと同じ考えだったらしい。ロンゴ・ロンゴの主張はみとめられた。


「それでは、各々〈ニホン〉語について習得する手段を探ることとする。ロンゴ殿は〈ニホン〉語の辞典の入手に努められよ」

「心得ました」

「参事会としては〈ニホン〉使節団を通じ、教師の手配を打診しよう」

 ソークーン議長の言葉に、リューリはうんうんと頷いた。〈ニホン〉語を学ぶなら、彼らに習うのが一番だ。きっと面白いものが沢山見られるだろう。

 次にソークーンは、穏やかに、だがはっきりとした口振りで言った。

「リルッカ殿には、『怒り』の表現について調べてもらいたい」


「ふぇ?」リューリの口から思わず間抜けな声が出た。


「我々は次の〈ニホン〉使節団との協議の場で、彼らにいくつかの抗議を行うのだ。そこで、より強い印象を与えるために是非〈ニホン〉語でその意を伝えたい。リルッカ殿は向こうの人々に知己ちきが多いと聞く。頼まれてはくれまいか?」

「はぁ……」


 嫌も応も無い。『知識』を奉ずる『西の一統』リューリ・リルッカの名にかけて、それは果たさなければならない使命となった。




 この異世界は暑い。それどころかさらにジメジメしている。

 世間一般で言えばとても寒いところから来た城守一郎しろもり・いちろう巡査には、耐え難い苦痛だった。しかも、最悪なことに今の城守は派遣調査団付青森県警機動隊の一員で、さらに巡回の途中であった。

 つまり、その身体をヘルメットとプロテクターで固め、左手には大楯を持っていた。正気の沙汰ではない。少なくとも城守はそう思っていた。


「イジメだ。こらイジメに違いね。こっちさ来る前から署の女子の目が何か変だったもの。副署長は何でか俺にキツく当たるし。ああ、つれぇなあ」

 愚痴をこぼす間も、拭いても拭いても汗は流れる。その様子を見ているこの街の人々も、なんと馬鹿げたことをしていると思っているに違いない。そのうち干し大根みたいになってしまいそうだった。

 早く巡回を終わらせて、冷房の入った休憩コンテナで、パンイチになって冷えたアイスキャンディーを食べる。城守はそう決意した。きっと、隣で同じように汗塗れになっている相棒も同意してくれるだろう。


 そんな彼の目に、見知った人物が通りの向こうから歩いてくる姿が写った。城守は右手を挙げて話しかけた。


「もしかしてリルッカさんでねぇか?」

 城守の呼びかけに相手は顔を上げ、こちらを見て華のような笑顔を浮かべた。間違いなかった。華奢な身体を若草色の長衣に包み、長い裾を風にひるがえしながら歩いてくる。美しい金髪が太陽の光を反射して白く輝いていた。

 相変わらず女の子にしか見えねな。全然日焼けしてないのは何でだろな?


「城守どのではありませんか。わたくしを覚えていてくださったのですね! ……暑いのにその出で立ち。御役目御苦労様です」

「なんの。リルッカさんの顔見たら涼しくなったよ。久しぶりだなぁ……でも、なんか元気ねえな?」

 ぱっと見は可憐で涼しげなエルフの少年なのだが、よく見ると心なしか肩が落ち顔色も優れない。城守はのんびりした性格に似合わず、この辺は結構鋭い。リューリは城守の問いに対して、しばらく逡巡しゅんじゅんしたあと、ぽつりぽつりと語り始めた。


「お恥ずかしい話なのです。わたくしはある『使命』を果たさねばならぬのですが、これがとても難しい内容で……」

「はー、『宿題』かぁ。国が違っても同じだな。俺も昔は苦労したもん」

 腕組みをした城守は、うんうんとうなずいた。夏休み終盤のあの焦燥感を思い出し、目の前でしょげているリューリに強い共感を覚えた。かわいい弟を見る気分だ。


「城守どのも『使命』を果たされたことがあるのですか? その、よろしければどのように乗り越えたのか教えてはくださいませんか?」

 リューリがおずおずと上目遣いで懇願こんがんする。子犬のようなその姿を見て、袖にできるような城守ではない。彼は優しく言った。

「『宿題』が終わらねときは、一人で抱えたら駄目だ。人に聞くのが一番だ。どら、俺に言ってみろ?」

「しかし……」

「しかしもお菓子もねえ。年上の言うことは聞くもんだぞ」

 実際は2歳程しか離れていないのだが、城守は年の離れた弟に対するように、胸を張って言った。その自信満々の態度に、リューリは押し切られてしまった。


「──と言うわけで、わたくしは〈ニホン〉の皆さんが『怒ったとき』に何と言うのかを調べなければならないのです……」

 もちろんリューリは、調べた『怒り』の表現を用いてどうするのかの部分はぼかしている。城守は、変な『宿題』を出す先生もいたもんだ。と呆れながらも、心から同情していた。

「日本語は難しいもんな。リルッカさんは〈リユセ樹冠国〉の偉いさんなんだろ? 日本の偉いさんには聞かなかったのか?」

「それが──あ、わたくしのことは、リューリと呼んでください──〈ニホン〉の皆さんに聞いてみたのですけれど……」

 リューリは、瞳に途方にくれた色を浮かべた。

「『怒り』の強さによって違う表現が聞きたかったのですが、どなたに聞いてもよく違いがわからなくて……『イカンデアル』『マコトニイカンデアル』『ハナハダイカンデアル』って、どうちがうのでしょう?」

「うわぁ……なんでまたそんな難しい言葉を? 普段絶対使わねえよう」

 誰に聞いたんだ? 城守はげんなりした。『遺憾の意(イカンノイ)』なんてニュースでしか聞いたことがない。リューリは何故か慌てた様子で言った。

「いや、その、ニホンの学者どのに聞いたのですが……普段使いませんか? この『イカンノイ』とは」

「使わねえよう。こういうのは国と国とが文句を付け合うときに使うんだ」

「そうですか。普段使うようなわかりやすい言葉が知りたかったのですが……」


 何とかしてやりたいなあ。でも、俺もそんなに語彙は多くないしなあ……そうだ! 


 城守の頭に閃光のようによぎるものがあった。


「俺にまかせろ。俺も詳しくねけど、ちょっとまえに妹から聞いた話があったんだ。えっと……これだこれだ」

 城守は、出動服のポケットからスマートフォン(もちろんここでは通じないが)を取り出すと、メールフォルダを開いて何かを探し始めた。リューリは、不思議な光る石版を取り出して何かを始めた城守を興味深く見守った。


「いいか。まずそんなでもないときは……」

「ふむふむ」


「おい、参ったな。巡回の途中なんだけどな……この辺司令部の人間もよく通るのに。あー、すげぇ目立ってる」

 リューリとヘルメットを外した城守がぴったりと顔を寄せ合って何か相談を始めた姿を、城守の相棒は困った顔で眺めていた。

 しかし、こいつらのやり取りは何か噛み合っていなかった気がするぞ……。

 そんな相棒の疑問に気づくそぶりもなく、城守とリューリは長々と相談を続けたのだった。



 


「本当に大丈夫だろうか?」

「大丈夫! あんなに練習したではありませんか。ロンゴどのなら上手くできますとも!」

 数日後の大商議堂。交渉開始前に不安げな態度のロンゴ・ロンゴを、リューリは励ましていた。

 リューリが教わってきた表現を、今日の協議の場で用いることが決まっている。内心リューリも不安だったが、親切な異界の友人を信じることにした。そうしているうちに〈ニホン〉側代表団が入室し、協議が始まった。



「おい、なんだか今日はむこうの連中気合いが入っていないか?」

 外務省の登坂が、隣に座る島崎三佐にささやいた。確かに何か意気込んでいるように見える。

「確かに。なんでしょうね? 今日は南瞑同盟会議側からいくつか抗議の案件があるようですが」

 その言葉に登坂は胸を大きくそらした。大きな眼鏡の下は、面白い、と言わんばかりの表情だ。

「何を言ってくる気だろうな」




 協議が終盤にさしかかった頃、南瞑同盟会議側の代表団から日本側に対する抗議が議題に上った。

「──という状況についてニホン執政府はいかがお考えか? 事前の取り決めでは然るべき知らせを伝えた後に行うとされていたのではなかったか?」


「……島崎、これは何だったかな?」

「あー、戦車隊の演習の件ですな」

 持ち出された案件は、先遣隊の戦車部隊が射撃演習を行った際、本部の手違いで南瞑同盟会議側に伝わっておらず、近隣住民が大混乱に陥った事案だった。

 事前通告が無かったせいで、「家畜が驚いて逃げ出した」「乳を出さなくなった」「驚いた住民が慌てて逃げ出す際に転んで怪我をした」「嫁との──を邪魔された」等々の被害が発生していた。


「この件に関して我々は強く抗議したい──」

 目の前に座る南瞑同盟会議の代表は、いかにもやり手の商人然とした中年男であった。その男が、顔に緊張を張り付かせ大きく息を吸った。

「ワレワレノオモイヲ、アらわすト、スれば──」


 たどたどしくも、それは紛れもない日本語であった。何を言ってくる? 日本側はあえて日本語を用いた相手の意図を読もうと、次の言葉に集中した。



「われわレは『おこ』である」


「は?」


 登坂と島崎は間抜けな顔で思わず同時に聞き返していた。


「その調子です」

「いい感じですぞ、ロンゴ・ロンゴどの!」

 その様子に手応えを感じた同盟会議側は畳みかけるように続ける。



「われわれは『おこ』である。いや! むしろ『激おこぷんぷん丸』といってよい。おわかりか? この意味が」


 憤懣ふんまんやる方ない、という態度で彼は言った。もちろんそれはポーズなのだが、意表を突かれた日本側は対応が混乱している。

「いや、意味はわかるんだが……激おこぷんぷん丸って」

 反論の術はたくさん有ったはずなのだが、登坂と島崎の頭からすっぽりと抜けてしまっていた。

 結果としてこの件に関する協議は終始南瞑同盟会議側のペースで進み、日本政府は補償に関していくつかの譲歩をせざるを得なかった。


 協議が終わって。南瞑同盟会議側代表団は沸き立っていた。

「やりましたな。リューリどの」

「はい。やはりニホン側も意表を突かれた様子でしたね」

「うむ。あえて三段階目の表現を用いたことで、我々の強い意気込みが伝わったのだろう。まだまだ若いと思っていましたが、流石は『西の一統』ですな。このロンゴ・ロンゴ感服しました」

 強い手応えを得た同盟会議の面々の顔は明るい。その様子を見てリューリは大きな達成感を覚えた。

「いえ、わたくしは聞いてきただけですから。異界の友人には感謝しなければいけません」

 今度会ったら城守どのには御礼を言おう。リューリは思った。




 場所は変わって日本側控え室。脱力感に包まれた代表団が椅子に座っていた。


「おい」剣呑けんのんな声で登坂が言った。

「誰だあんな言葉を教えたやつは」

「調べさせておきます。しかし、驚きましたな……」

 島崎がしみじみ言うと、登坂は隣に座っていた髪の長いぽやっとした顔の事務官を脇に抱え締め上げ始めた。負けるのが大嫌いな男はとても不機嫌だった。


「くそう、意表を突かれてしまったではないかバカ者め! あんな言葉を教えた馬鹿を見つけたらこうしてくれる!」

「痛い痛い」





「本当にありがとうございました。わたくしは『使命』を果たすことができました」

 リューリが「確かそちらの挨拶は手を握るのでしたね」と差し出した手を、城守は両手で握った。城守は癖でついついお辞儀をしてしまう。

「気にしなくていいって。『宿題』終わって良かったなあ。役に立てて俺も嬉しいべ」

 城守の姿を正しい作法だと勘違いしたのか、リューリまでがお辞儀を始め、奇妙な二人の姿に周囲の注目が集まる。

 リューリは(なんて心優しく義侠心にあふれた人だろう)と、尊敬の念を抱いた。今度、姉さまに森に招待する許しを得に行こうと思った。



 そうこうしているうちに、両手を握ったままでああだこうだと話し込んでいた二人のところに、一人の女性警官がやってきた。

 九戸という名前のその警官は、手を握り合う二人を見て頬を微かに染め「やっばり噂通りそうなのかしら? 確かに絵になる二人だけれど」とかなんとか呟いたあと、気を取り直して城守に告げた。


「城守巡査、隊長が呼んでいたわよ」

「え、なんで?」

 城守に呼ばれるような心当たりは無かった。報告書はもう出し終えている。

「知らないわよ。応接室に外務省の人が来ていたけれど……伝えたからね」

「おう」


 首を捻る城守にリューリがにこにこと語りかけた。

「きっと良い知らせに違いありません。城守どのはお忙しいようですね」

「ああ、行かなきゃならねな」

「わたくしもこれで失礼致します。また、お会いしましょうね!」

 そう言うとリューリはぺこりと大きくお辞儀をして、小走りに去っていった。前回に比べて足取りも軽やかだった。


「良いことをすると気持ちがいいなあ。うん、きっと褒められる何かに違いね。ここんとこ、なんも悪いことしてねえしな」

 城守は、そう考えることにした。前向きな質の彼は、そう考えると気分が明るくなった。善は急げだ。


 城守は隊長が待つ建物へ、いそいそと歩いていった。




 数年前に書いた話ですので、もはや使われない言葉となっていますが(ですよね?)、小ネタです。

 こんな感じの話もたまには良いのかなと思っています。


 御意見御質問御感想お待ちしております。

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