第15話 『本営捕捉』
ブンガ・マス・リマ近郊 帝國南方征討領軍本営
2013年 1月6日 19時27分
「初弾、目標に命中を確認」
「よし、弾種そのまま、続けて撃て」
発砲の余韻が夜闇に溶けていく。
柘植の90式戦車は、僚車を率いてマワーレド川東岸に臥せていた。砲口は真西──対岸に向けられ、微かな砲煙を立ち昇らせている。
発砲の直前まで聞こえていた鳥と蛙たちの大合唱は、すでに沈黙した。戦車の周囲は奇妙な静寂に包まれていた。
「発射」
砲口から白い閃光が煌めく。闇の中に90式戦車の角張った車体が浮かび上がる。轟音が大気を切り裂き、戦車前方の下草がバラバラと吹き飛んだ。初弾と同様、一瞬の灼熱の後はまた静寂が辺りを制した。
対岸は対照的である。
川を挟んだ2000メートル先では、悲鳴と怒号が上がっている。所々に火の手が上がり、稜線を浮かび上がらせていた。
林立していた軍旗はことごとく倒れ、人馬がてんでバラバラの方角に走り回っている。轟音。第3射弾目の多目的対戦車榴弾がその真っ只中に飛び込み、彼らの混乱に拍車をかけた。
柘植一尉が率いる偵察隊一個戦車班は、対岸に布陣した〈帝國〉南方征討領軍先遣兵団本営に対して、夜間攻撃を実施していたのだった。
熱線映像装置のモニターには、対岸の状況が昼間のように明るく映し出されていた。肉眼では点在する炎程度しか視認できない状況だが、現代科学が90式戦車に与えた眼は、夜間2000メートル先の敵影を容易く識別する能力を持つ。
「いいぞ、敵は大混乱だ。奴らどこから撃たれたか理解できずにいるぞ」
「そりゃこの距離ですから」
「ようやく敵の本隊を叩けたな」そう言って、柘植は安堵の表情を浮かべた。
川を渡れりゃ一発なんだがな。
敵本営らしい目標に射撃を続行しつつも、柘植はもどかしさを感じていた。分派した戦車班と小銃班は、それぞれ前哨陣地の守備と物資集積所の救援に就いている。彼の手元には一個戦車班2両が残されているだけである。
もちろん刀剣と弓矢、そしていくつかの魔法を攻撃手段としているマルノーヴの軍隊に対しては、慎重に戦うのであればそれだけで十分な戦力だったが、柘植がマワーレド川西岸で苦戦する味方の救援に向かうためには超えなければならない障害が存在していた。
柘植は、モニター上で暗く表示されている部分──目の前に横たわる幅約500メートルのマワーレド川に目を向けた。5メートル以上の水深があるこの大河を越えて、向こう岸へ向かう手段は彼の元には存在しない。
潜水渡渉には深すぎるし、海自のLCACは使えない。90式の重量に耐えられる橋も無かった。人員と軽装備だけなら渡ることはできたが、たかだか数名の戦車乗りが手ぶらで駆けつけることに、柘植は意味を見いだせなかった。
結局、マワーレド川東岸で避難民を収容しつつ対空警戒に就いていた柘植たちが再度戦闘に加入できたのは、ようやく通信を回復した派遣調査団本部からの情報を得てからだった。
「敵味方識別を何とかしないと、これからも大変だぞ」
柘植は砲撃の効果を確認しつつ、つぶやいた。モニター上では敵本隊が大損害を受けている。それが敵であると本部経由で柘植に教えたのは、南瞑同盟会議軍の偵察部隊である。
彼らが敵後方に浸透し『導波通信』により敵本隊の位置を通報しなければ、自衛隊は攻撃を決断できなかっただろう。全てが混乱しつつ始まったこの日、各地で無視できぬほどの損害を受けながらも、自衛隊は友軍相撃の可能性を恐れながら戦っていたのだった。
「旗印や装備品だと、こんな夜には見分けがつかないですからね。味方がストロボを点けてくれる訳でもなし……どうしたもんでしょう?」
根来二曹が照準装置を覗き込んだままで言った。その声は真剣に心配していた。
「……本格的に、同盟会議軍と協力しないと駄目だろうな。俺たちには分からないことが多すぎる。地理、風土、文化、戦術。知らない土地は怖ろしいぞ」
「ですね……次で対榴、残弾10発です」
「了解」
柘植は、根来の報告に対し頷いた。頭の片隅で(次は徹甲を減らして、対榴を多く積もう。まさか、第3世代MBTより硬い敵がいるとも思えん)などと考えている。
次弾発砲の轟音と衝撃が柘植の身体を揺らした。耳から余韻が失せる前に、無線が鳴る。
『01、03。砲撃効果大なるを確認』僚車からの報告だ。
「撃ち方待て」柘植は隊内通信系で命じた。砲声が止む。90式戦車の熱線映像装置は、敵軍が壊乱しつつある様子を映し出している。合わせて20発近くの120ミリ戦車砲弾を撃ち込まれた〈帝國〉軍は、四分五裂していた。
何にせよ、これで敵も退くだろう。あれだけ本部を叩かれれば、継戦能力はがた落ちのはずだ。
柘植は額から流れ落ちる汗を拭い、祈るような気持ちでモニターを見つめていた。
俺は、生きているか?
意識を取り戻したシュヴェーリンは、止まない耳鳴りに悩まされていた。視界が少しずつ戻る。そこらじゅうが軋むような痛みをあげている。酷い気分だが、今は生きている証しだ。良いことなのだろう。彼は自分の身体を確かめた。
右腕、左腕、右脚、左脚、右脚。全部ある。彼は安堵した。頭を左右に振ると、ぼやけた意識がわずかにはっきりしてきた。
俺は幸運にも五体満足で助かったらしい。そこでようやく違和感に気付いた。
……では俺の腹の上にあるこの右脚は一体誰のものなのだ?
考え込んでいても仕方がない。
シュヴェーリンは泥にまみれた誰かの脚を地面に降ろし、辺りを見回した。耳鳴りが収まるにつれ、悲鳴と呻き声が辺りを満たしているのに気づいた。
本営を守っていた警護隊の衛兵たちは、壊れた人形のように辺りに四散していた。そこかしこに肉体の一部が散乱している。
その光景を無感動に見ていたシュヴェーリンの耳に、誰かを必死に呼び続ける声が聞こえた。その真剣さに思わず声の主を探す。すぐに見つかった。
「おい、大丈夫か?」
「ううう……本領軍に、本領軍参謀部に。どうか、どうか……」
地面に仰向けに倒れた参謀魔導士は、うわごとのように繰り返していた。「大丈夫だ、しっかりしろ」シュヴェーリンはそう言いかけ、止めた。参謀の下半身は地面に埋まっているように見えた。すぐに間違いだと気づく。彼の下半身はどこかに行ってしまったらしい。
みるみるうちに血の気を失っていく参謀は、すでに冥界への旅路に出ようとしていた。
「俺はシュヴェーリン男爵だ。おい、貴様。頼みがあるならはっきり言え」
その呼びかけに参謀魔導士は目を見開いた。そして、残った生命をかき集めるかのように、吐息のような声で途切れ途切れに言った。
「シュヴェーリン殿……どうか本領……軍参謀部に我が言……言伝をお伝えください」
「何だ? 言ってみろ」シュヴェーリンは瀕死の魔導士に耳を寄せた。
「異界より〈烏〉来たれり。備えられよ……と」
「なんだそれは? 〈烏〉が来たと伝えればいいのか? だいたい〈烏〉とは何のことだ?」
「……必ず、お、お伝えくださ……い。〈帝國〉の存亡……この魔……導、間違いな……」
「サヴェリューハ殿ではいかんのか?」
反応は激烈だった。参謀は狂ったように叫んだ。
「必ずや! ほ、本領軍に! 〈烏〉が、異……軍……が、備えねば……」
そこまで言うと、参謀は力を失い息絶えた。目は見開かれ、壮絶な形相だった。
こいつ、何に怯えていやがったんだろうか。〈烏〉? 何かの符丁だろうが、本領軍だけが知る話があるらしい。おもしろくないな。
シュヴェーリンは参謀魔導士の死体を見下ろし、思った。〈烏〉については敵を示す符丁だろうと見当はついた。そのままあれこれと想像を巡らせようとした彼の思考は、獣のようなうなり声に中断させられた。
うなり声の発生源は、黒金の見事な甲冑を纏った長身の男──サヴェリューハだった。ただし、美麗だったその姿は血と泥にまみれ、獣じみたうなり声に見合ったものと化している。
指揮官の変貌にシュヴェーリンが呆気にとられていると、背後から呼びかける声が聞こえた。
「そこの貴公、無事か?」
気遣わしげな声には覚えがあった。シュヴェーリンが振り返ると、目つきの悪い小柄な漢が、片手で剣帯を押さえた姿勢でこちらに近付いてきていた。
漢は魔獣兵団剣歯虎隊指揮官だった。その姿は小綺麗なままだ。彼の部隊は本営から離れた位置に配置されていたため、この災厄から逃れることができたのだ。本営警護騎士の馬が怯えるから、というのが理由であった。
(もちろん、何事にも例外は存在する。一部の軍馬は虎やヘルハウンドを恐れなかった)
「どうにか、な。飛行騎兵団長シュヴェーリンだ。しかし、何が起きたのだ? いや、敵の攻撃なのは分かっているが如何なる手管を用いたのかさっぱりわからん」
シュヴェーリンは軍装にこびりついた泥を落としながらつぶやいた。
剣歯虎隊指揮官は、背後に控えている部下にうなずいた。それを受けて、オーガーとも殴り合えそうな下士官が、重々しい声で言った。右手が川向こうを指していた。
「恐れながら。川向こうからの攻撃であります」
「莫迦な。半里はあるぞ? そのような術など聞いたこともない」
シュヴェーリンは即座に否定した。しかし、剣歯虎隊指揮官とその部下は、揺るがない。
「シュヴェーリン殿。私も見たのです。川向こうで赤い閃光が放たれたのち、本営が吹き飛んだ様子を。敵は何らかの恐るべき魔導で、我らを撃ったと考えるほかありません」
「……何てこった。くそ、こんな南の果てまで来て、魔女の婆さんの呪いか!」
シュヴェーリンは悪態を尽きながら、思考を巡らせた。敵が狙ったのは本営。間違いない。こちらに反撃の手段は無く、指揮官は前後不覚に陥っている。そして、厄介なことに敵はまだこちらを叩くことが可能かもしれない。
──ならば。
「速やかに退くべきです。私の剣虎が殿を務めます。シュヴェーリン殿は……サヴェリューハ閣下をお連れ下さい。護衛にはヘルハウンド隊が就くでしょう。すでに向こうの指揮官とは話がつけてあります」
判断が早いな。魔獣兵団の連中は皆こうなのか?
シュヴェーリンに異論はなかった。ここでの戦は、すでに喪われているのだ。
「俺の部下を呼ぶ。サヴェリューハ閣下を運べるだろう。貴様の隊は何処にある?」
「この丘の反斜面に。川縁は危険でしょうから」
剣歯虎隊指揮官は抜け目ない声で答えた。シュヴェーリンは、ニヤリと笑った。退き戦で頼れるしんがりがいるのは有り難い。
「では、私は隊に戻り──」
「アアアアアア! 何奴がッ! 敵は何処です! すぐに反撃しなさい! 伝令! 伝令! どうしましたッ! 伝令を呼びなさい!」
サヴェリューハが叫んでいた。人狼も顔色を失う程の叫びだ。怒り狂ったその姿は、正気を失っているように見えた。
だが、シュヴェーリンと剣歯虎隊指揮官は、その叫びが意味を持ち始めたことに気付いていた。少し前はうなり声ばかりだったのだ。今なら話が通じる。
「サヴェリューハ殿、本営は壊滅した。敵はおそらく……川向こうだ。さすがに届かんよ」シュヴェーリンが宥めた。
サヴェリューハは、シュヴェーリンを殺気に満ちた瞳で睨みつけると、口角から血の混じった泡を吹きながら叫んだ。
「それがどうしたと言うのです! 敵を殺すのです。私を愚弄した敵を! たとえ南瞑海の果てに逃げようとも、逃がさぬ。兵を集めるのです」
「サヴェリューハ殿、あんたの先遣兵団はもうボロボロだよ──その目と腕のように」
「腕? 私の右腕がどうかしましたか──」荒い息を吐きながらサヴェリューハは己の右腕を見た。血まみれのそれは、肘から先が失われていた。
美麗だったその顔も、酷く傷付いている。右目が有ったはずの場所は焼け爛れ、醜くひきつっていた。
サヴェリューハはようやく自分が重傷を負っていることに気付いた。失われた物を知り、一瞬顔面に感情らしきものが浮かぶ。しかし、彼はすぐにそれを消した。
「ならばますます逃がすわけにはいきません。私から何かを奪う者がどうなるのか、知らしめる必要があります」
サヴェリューハは言った。どういった心理なのか、いつの間にか声色は平静さを取り戻している。残った左の瞳が、ようやく態勢を立て直した本営警護隊が丘を登ってくるのを見ていた。
たいまつを掲げ、武具の音を響かせながら丘を登る警護隊を確認したシュヴェーリンと剣歯虎隊指揮官が顔色を変えた。慌てて進言する。
「サヴェリューハ殿、あれは拙い。敵はこちらを見ている」
「閣下! 警護隊は速やかに川縁からお退かせ下さい! 撃たれます」
「撃たれる? 何処から撃たれると言うのです? この丘のどこかに敵が潜んでいるとでも?」サヴェリューハは首を傾げた。
シュヴェーリンが顔面をひきつらせ、暗闇に横たわるマワーレド川の向こうを指差して言った。その声は、神の託宣を告げる神官のようで、辺りに厳かに響き渡った。
「敵軍は彼に有り。我らは既に捉えられているのだ」
サヴェリューハは、その言葉に導かれるように対岸を見た。
魔導士の数が不足する南方征討領軍に配属される参謀魔導士の多くは、本領軍から派遣されています。彼らは何らかの情報を持っているようですが、南方征討領軍将校には秘密にしているようです。




