第14話 『戦意未だ衰えず』
ブンガ・マス・リマ近郊 帝國南方征討領軍本営
2013年 1月6日 19時11分
〈帝國〉南方征討領軍先遣兵団は、本営をブンガ・マス・リマ北方約半里の地点まで前進させていた。
主将レナト・サヴェリューハとその幕僚団にとり、それは不本意な状況であった。本来であれば、本営は未だ後方にて商都攻略の指揮を執っていたはずである。しかし、戦況がそれを許さなかった。
最初の躓きは、東市街攻略に向かわせた助攻部隊で発生した。徴用兵と妖魔兵団からなる混成部隊は、ブンガ・マス・リマ東市街へ突入するのに充分な兵力を与えられていたはずだった。
しかし、彼らは忽然と連絡を断った。本営付魔導士の導波通信にも応答しなくなった。
続いて、この地の空を支配していたはずの飛行騎兵団が、正体不明の敵軍から迎撃を受け大損害を受けた。帰投した翼龍騎兵と『魔獣遣い』たちは、口々に「火龍に匹敵する敵と遭遇した」と主張した。
幕僚たちは一笑に付したが、翼龍と有翼蛇が大損害を受けていることは厳然とした事実であり、無視する訳にはいかない。
報告を受けたサヴェリューハの酷薄な表情を見て震え上がった幕僚たちは、慌てて現状把握のために矢継ぎ早に指示を出した。
しかし、東岸の助攻部隊は依然行方不明であり、導波通信は沈黙したまま。さらに、斥候と連絡を命じられ本営付の翼龍騎兵が東岸へと派出されたが、あっさりと消息を絶つ始末である。
本営に何一つ詳細が入ってこないまま、時間が費やされていった。
ここで、南瞑の地で猛威を振るってきた〈帝國〉南方征討領軍の弱点が露呈する。
その根幹を、〈帝國〉内における少数民族や競争に敗れた者たちで組み上げられた南方征討領軍は、貪欲な上昇思考を活力としている。
国内に居場所を失った彼らは、〈帝國〉の外を征服しなければ未来は無い。その現実が彼らに果断さと勇猛な戦ぶりをもたらしていた。
しかし、それ故に緻密な連携や協力態勢などは存在しない。勝手気ままに動きたがる寄せ集めの軍勢を束ねるべき本営の作戦指揮能力は低かった。サヴェリューハは決して無能な指揮官では無かったが、彼を補佐すべき幕僚団が貧弱であったのだった。
主将の意を汲むことを取り違えた幕僚の出した指示によって、導波通信を行うことのできる魔導士は急速に消耗し、力を失った。
本来であれば、魔導士と組み合わせることで速やかな斥候が可能だったはずの翼龍騎兵は、単独で投入され失われた。
運用試験を兼ねて先遣兵団に与えられていた特技兵たちは6日夕刻を迎える前に消耗し、サヴェリューハは昔ながらの伝令を用いて隷下部隊を指揮しなければならなくなったのだった。
自らの無能を補うために前進を余儀なくされた南方征討領軍本営は、無数の篝火と鬼火によって、夜の闇の中に浮かび上がっている。
周囲よりわずかに小高い位置に布陣した本営には、指揮官の所在を示す軍旗が掲げられ、前線部隊との伝令がひっきりなしに出入りしていた。馬蹄の音が鳴り響き、怒声と武具の擦れ合う金属音が不協和音を奏でている。
行き交う騎士や参謀魔導士は何かに追われるように駆け回り、殺伐とした空気を本営内に醸成していた。
「──それで?」
氷のような声が参謀魔導士を詰問した。
「は、はっ! 市街襲撃から帰投した飛行騎兵団の報告によれば、東市街に我が軍の突入した様子は有りません。現時点で東市街に大規模な混乱が見られないことから、助攻部隊は敗北したものと見積もられます」
報告を行う参謀魔導士のローブは、冷たい汗で重く湿っていた。我ながら酷い報告だと理解している。それ故に怖ろしくてたまらない。
「助攻部隊を撃退したと思われる敵軍については、情報を得られておりません。二刻前に出した翼龍斥候は敵影を得ず、一刻前に出した斥候は帰りませんでした。墜とされた恐れがございます」
「……」
「飛行騎兵団を迎撃した敵勢につきましては……その報告を真とするならば、導師級が数十名程も待ちかまえていたことになります。到底、信じられませ──」
そこで、参謀は言葉に詰まった。主将の顔に浮かぶ刺すような殺気にようやく気がついたからだ。思わずあとずさる。
「いや、そ、その。失礼致しました。飛行騎兵団の損害は『魔獣遣い』3名、翼龍騎兵8騎が討死、3騎が行方知れず。有翼蛇は20以上を失ったとの知らせを受けています」
重たい沈黙が、参謀魔導士の胃を締め上げた。耐えられなくなった彼が何か釈明のようなものを述べようとした瞬間、目の前の主将が口を開いた。
「飛行騎兵団、もう動かせる駒はありませんか?」
その言葉は青い顔をした参謀魔導士ではなく、先程から本営内の片隅で葡萄酒をあおっていたがっしりとした体躯の漢に向けられていた。
「無理だな。そちらに預けた騎兵は全員行方知れずだし、市街襲撃から戻った連中は消耗が酷い」
「消耗? 私は翼龍も有翼蛇もそれほどひ弱な生き物だとは聞いていませんが?」
「へたっているのは恥ずかしながら俺の部下たちだ。性根をすり減らしてぶっ倒れてやがる。今夜一晩は使い物にならんよ」
その漢──飛行騎兵団長ムージァストヴァ・ディ・シュヴェーリン男爵は、ぞんざいな口調で言い放った。浅黒い彼の顔面には、飛行帽の革帯の跡が残っている。
適当な丸太を手斧とノミで削りだしたようなおおざっぱな顔付きだが、奥まった瞳からは不思議と強い意志を感じさせた。拳でも入りそうな程大きな口に流し込むような勢いで酒を飲んでいるにも関わらず、動作は機敏で酒に酔った様子はない。
「俺はあいにくと出くわさなかったが、南蛮の魔導士はうちらのぼんくら共とはモノが違うようだ。ヴァロフが珍しく興奮していたよ」
ぼんくら、という言葉に目を剥きかけた参謀魔導士は、シュヴェーリンの瞳に強い怒りが宿っていることに気づき、下を向いた。
「彼の報告は信用して間違いありませんか?」
サヴェリューハが言った。シュヴェーリンは手にした杯を背後に放り投げた。どかりと手近な床几に腰を下ろす。
「ヴァロフの報告が信用できなければ、この世に確かなものなど有りはしないさ。現に俺のかわいい部下たちは還ってこなかった。本営付の翼龍騎兵に至っては──クソッ! 無駄に使い潰しやがって」
「……」
南方征討領軍飛行騎兵団は、新兵種の実験部隊として位置付けられている。その指揮系統はやや変則的で、大元は本領軍にあり、南方征討領軍先遣兵団に対しては寄騎という形で付けられていた。そのため、先遣兵団主将であるサヴェリューハもそれなりに気を使う必要があった。
「なぁ、サヴェリューハ殿。これぐらいで一旦退くわけにはいかんか? 我らの任は『南瞑同盟会議諸勢力の分断と消耗』だったろう? あまりに敵が脆すぎて商都まで来ちまったが」
「確かに、多くの敵勢力を離反させ、都市を陥落せしめた。我々の目的は達成されていると言っても良いでしょうねぇ」
シュヴェーリンの問いに、サヴェリューハは同意した。先遣兵団の遊撃戦により、南瞑同盟会議は多くの都市と野戦軍を喪っていた。後に続く南方征討領本軍の露払いとしては充分と言ってよい。
「しかし、足りません。我らにはさらなる戦果が必要なのですよ。日陰者が陽光を浴びて輝くには、人並では到底足りない。ねぇ、そうでしょう?」
「だが、自軍の半分とは渡りが付かず、俺の飛行騎兵団も今は動けん。強力な敵の正体は不明。そして、夜! ──到底正気とは言えんよ」
シュヴェーリンはサヴェリューハの異常なまでの戦意に半ば呆れていた。サヴェリューハは役者と見紛う程整った顔を上気させ、怒りとも喜びとも取れる表情を浮かべている。
「エギンの歩兵団が間もなく中洲へ突入するはずです。中央商館街さえ陥とせばこの戦、敵があといかほど戦力を残していても、我らの勝利です」
「そう上手くいくかな……」
シュヴェーリンは頭をひねった。その耳に馬蹄の響きと騒がしい叫び声が聞こえた。(伝令だな……しかし、こいつは)
「申し上げます!」
本営に全身汗みずくの伝令騎兵が転がり込んできた。煤に薄汚れ、あちこちに傷を負っている。それを目に留めたサヴェリューハの眉根がしかめられた。
「蛮都ジェスルア大橋において、エギン閣下の歩兵団が敵守備部隊と交戦。大損害を受け、西市街北部へ撤退しましてございます!」
伝令の声はほとんど悲鳴に近かった。
本営に衝撃が走った。幕僚と騎士たちが騒ぎ出す。
「ば、莫迦な!? 敵は老人と子供の寄せ集めでは無かったのか!?」
その問いに伝令はかぶりを振り、甲高い声で叫んだ。
「敵陣に魔導士多数が後詰めに入り、エギン閣下の隊を散々に叩きました。正体不明の高威力魔法の攻撃により、オーク重装歩兵は壊滅。現在西市街北部にて再編成を行っておりますが、港方面からは水軍部隊と思われる敵の一隊が迫っております」
サヴェリューハを除く全員がうなり声を洩らした。
「これで川の両岸に有力な敵勢が出現したことになるな……予備隊が払拭したいま反撃を受ければ危ないぞ」
「何より敵がどれほどかわからぬのが拙い。我らは目を塞いだまま戦っているようなものだ」
「ここは一旦退き、本軍の後詰めを待って態勢を整えるべきだろう」
幕僚たちは口々に言った。敵の勢力は不明。主攻、助攻、そして飛行騎兵団。その全てが大損害を受け攻撃は頓挫している。攻撃一辺倒でやってきた南方征討領軍の幕僚たちも、流石にこれ以上の攻勢維持は困難だと判断を始めていた。
それは、軍事的な常識に則った至極真っ当な判断であると言えた。
しかし──。
「魔獣兵団を投入します」
サヴェリューハは戦意を失ってはいなかった。決然と言い放つ。幕僚たちが顔色を失い、一拍遅れて口々に翻意を求めた。
「か、閣下! これ以上は危険です。我が軍の受けた損害はあまりに多く、市攻略は困難と思料いたします」
「魔獣兵団の他は、本営警護を合わせても、二百騎がせいぜいでござる」
「……本気か?」
シュヴェーリンは思わず主将の正気を疑い、その瞳を覗き込んだ。
「ええ、本気です。ヘルハウンド、剣歯虎各隊は市街へ速やかに突入。火を放ちなさい」
「……敵軍が西市街を回復しつつあります。遭遇戦となるおそれがありますが?」
辛うじて自己の職責を思い出した参謀魔導士が訊ねた。
「敵勢に出会っても捨て置きなさい。蛮都を焼くことを第一とします。魔獣兵団は爾後戦場を離脱し、北方五里の地点で再度集結。本営及びエギン歩兵団、並びにオーガー隊は速やかに集結地点に後退します」
シュヴェーリンは、彼の主将が正気を失った訳では無いことを理解した。サヴェリューハは敵軍ではなく敵軍を支える南瞑同盟会議の力の源を叩くと言っているのだった。
それは即ち、膨大な富を産み出すブンガ・マス・リマの街そのものである。確かに、街の三分の一を焼かれたならば、商業同盟たる南瞑同盟会議は大きな痛手を受けるだろう。
──だが。
「たくさん死ぬぜ」
シュヴェーリンは固い声で言った。
確かに魔獣兵団なら、速さに任せて街を焼くことは可能だろう。逃げ惑う民衆と燃え盛る炎が、同盟会議軍を混乱させ、俺たちへの追撃を困難にすることも期待できる。
だが、必ず敵とぶつかる。まさか後れをとることはあるまいが、敵地で戦う以上楽な戦にはなるまい。退き陣で手酷く叩かれることになるのではないか?
「彼らには苦労をしてもらいます。敵味方等しく出血を強いられるなら、臓腑から流す血の方がより深手となるでしょうから」
「容赦のないことだ」
「無論、任を全うしたならば指揮官の判断で退くことは許します。無事戻ればその功を第一としましょう」
シュヴェーリンはサヴェリューハの冷徹な作戦指揮に反発を覚えた。その一方で脳内では〈帝國〉軍将校としての損益判断を行っている。
手足に痛手を負ったとしても、本営さえ無事なら敵の本拠により打撃を与える方がよいということか。俺の好みではないが、これがこの御仁の将器のかたちというわけだな。そもそも我ら先遣兵団自体が、南方征討領軍の槍の穂先に過ぎん。
「南方征討領軍先遣兵団主将として発令します。魔獣兵団の指揮官を呼びなさい」
サヴェリューハの命令に、幕僚たちと本営付の伝令が慌ただしく動き始めた。誰も彼もが不安を抱えてはいたが、主将の明確な命令を受け徐々に戦意を回復させつつあった。
作戦に批判的な思いを抱いたシュヴェーリンでさえ、これが上手く行けば本軍到着時に敵は戦力を回復できず、ブンガ・マス・リマはあっさりと陥落するだろうと考えた。
「……ただでは負けてあげません」
喧騒の満ちる本営内でサヴェリューハがぽつりと呟いた一言に、シュヴェーリンが何か言葉を返そうとした瞬間、猛烈な爆風と閃光が彼を襲った。
シュヴェーリンの『飛行騎兵団』は『本領軍』直轄部隊です。『南方征討領軍』には一時的に配備されていることになるため、南方征討領軍の将軍が好き勝手に運用できるわけではありません。
〈帝國〉軍は『本領軍』のほかに4つの方面軍(南方征討領軍・北方魔導領軍・東方辺境領軍・西方諸侯領軍)と3つの特殊軍があります。




