第12話 『〈ジェスルア大橋〉防衛線』
ブンガ・マス・リマ中央商館街 〈ジェスルア大橋〉応急防御陣地
2013年 1月6日 18時07分
「痛いよぅ……痛いよぅ」
「うう、足が……僕の足が無い……」
「動ける者は、胸壁と阻塞を修復しろ! 奴らはまたやってくるぞ──おい、そいつはもう死んでいるぞ」
「ちくしょう、アペル。しっかりしろ!」
「もう駄目だ。俺たちは皆殺しにあうんだ」
「僕の足がないんだ。ねぇ、ロティ。足を探しておくれよ」
「隊長殿、軽傷者を含め戦える者は52名です。次で終わりですな……」
「そうかい。そいつはいい話だな。ようやくこのクソッタレな戦場からおさらばできるって訳だ」
太陽が西へ傾き、〈ジェスルア大橋〉の欄干の影が長く伸び始めている。重厚な石造りのアーチを連ねた橋のたもとにでっち上げられた南瞑同盟会議軍の応急防御陣地は、この日三度目の突撃を辛うじて撃退したところであった。
貿易商〈マナスール商会〉の丁稚であるロティは、幼なじみで丁稚仲間のアペルが動かなくなるのを呆然と見つめていた。アペルの右足は太ももの半ばで断たれ、動脈から噴水のように血を噴き出していたが、それも収まりつつある。
必死に傷を押さえていた両腕を返り血で染めたロティは、脱力感に包まれて座り込んだ。彼の目の前には薄目を開いたまま息絶えた同い年の親友が横たわっている。
人間ってこんなに白くなるんだ……。
先週までは「次の休みには〈赤絨毯亭〉でエビを食べよう!」「小間物屋のラナを遊びに誘って、海に行こう」などと13歳にふさわしい話題で盛り上がっていたのが、遠い世界のことのように感じられた。
周囲では、ロティと同じ様な年格好の兵士たちが、血まみれの地面に滑り止めの砂を撒き、破損した胸壁代わりに樽を積み上げていた。その動きは緩慢で、絶望感に満ちている。
うめき声と悲鳴が辺りを埋め尽くし、中年の兵士が「こいつも駄目か」と呟きながら、手にした短剣で息子ほどの年頃の兵士に止めを刺していた。
彼らはブンガ・マス・リマ義勇防衛隊と名付けられた寄せ集めの守備隊である。200名余の素人に、わずかに残った兵士と引退した冒険者をつけて編成された彼らが、西市街から中央商館街へと繋がる〈ジェスルア大橋〉を守る唯一の兵力だった。
その義勇防衛隊に西市街を突破した〈帝國〉南方征討領軍歩兵団が襲いかかった。再編成を完了した一個大隊規模のゴブリン軽装兵が〈ジェスルア大橋〉打通を図り、陣地を三度強襲している。妖魔兵による正面攻撃に対し、義勇防衛隊は必死の防戦を行いいまだ突破は許していない。
しかし、彼らは少年兵を含む素人集団である。死傷者は七割を超え、突破されるのは時間の問題であった。
僕は何でこんなところにいるんだろう……。
ロティは親友の血にまみれた自分の革鎧を見下ろした。商会の倉庫から引っ張り出された武具を着せられ、仲間たちと橋に集められてからまだ一刻ほどしか経っていないはずだった。
「ロティ、大丈夫か?」
「……え? あ、はい。僕は大丈夫です。でもアペルが……」
声をかけたのは、元冒険者の分隊長だった。顔の半分を包帯で覆った彼は、横たわるアペルに目をやると顔を曇らせた。瞳には暗い光が浮かんでいる。
「そうか……残念だったな。だが、また敵が来る。武器を取って胸壁を守れ」
「……また、来るんですか?」
ロティは感情の失せた顔を上げ、言った。
「ああ、すぐに来る。死にたくなければ、武器を取って戦うんだ」
死にたくない。でも、戦って生き残れるわけが無いよ。ただの丁稚であるロティにもそれくらいのことはわかる。
歌が聞こえた。陣地の真ん中で、髭面の神官が戦歌を歌っていた。ロティは手槍を杖代わりに立ち上がった。歌声を聴いていると、少しだけ足に力が戻ってきた気がした。心配そうに見つめる分隊長を見て、小さくうなずく。
「やれるだけやってみます。アペルの仇も討ちたいし」
それを聞いた分隊長は、何故だか顔を大きく歪めた。彼は「すまない」と搾り出すように言った。
「来たぞーッ!」
警告の叫びが上がった。橋の向こうから重々しい軍靴の響きが聞こえてくる。誰かが絶望的な声で言った。
「オーク重装兵を出して来やがった……畜生、おしまいだ」
遠目にも巨漢とわかる軍勢が、橋の幅一杯に横列を組み近付いていた。ロティはどうして自分が逃げ出さないのか不思議に思いながら、迫り来る敵軍を睨みつけていた。
「オーク重装兵隊、押し出します」
「おう」
軍太鼓が響く。その音色をかき消す程の重々しい軍靴の響きが辺りを圧している。頑丈な石造りの橋桁を揺らしながら、軍勢が前進を開始していた。
指揮下のオーク共が高い戦意を保ちつつ進んでいる様子に、指揮官のベレージンは満足した。
手こずらされたが、これで終わりにしてやる。散々損害を出した上に、美味しいところを俺の隊に持って行かれたゴブリン軽装兵の指揮官は怒り狂っていたが、知ったことでは無い。
〈帝國〉南方征討領軍歩兵団は、敵軍が十分に消耗したと判断、最も突撃衝力の大きいオーク重装兵隊の投入を決定していた。
ベレージンは、向こう岸の貧相な敵陣を眺めた。配下からの報告によれば、あそこを守るのはガキと年寄りの寄せ集めだった。彼は哀れに思った。同時に、これから得られる栄誉と戦利品に思わず笑みが浮かぶ。
「ものども! 突撃にぃ──」
敵陣に見慣れぬ軍勢が現れたのは、その時だった。馬車のような、箱のような乗り物で陣地に降り立つ十名程の兵を、ベレージンは視界に捉えた。西市街で遭遇した連中と同じ軍装である。
また奴らか。一体何者だ? いや、あの程度の数なら問題ないだろう。ベレージンは改めて下知を下すことにした。
「ものども、掛かれェ! 蛮族の陣を踏み破り、皆殺しにせよ!」
軍太鼓が乱打される中を、頑丈な橋梁を揺らしながらオーク重装兵が突撃を開始した。蛮声が大気を揺らす。彼らの突撃の前には、貧相な陣地など薄絹のように引き裂かれる運命であった。
少なくとも、〈帝國〉軍の誰もがそう信じていた。
へんてこ格好だな。まだらで何だか小汚いや。
突如現れた兵士たちを見て、ロティは思った。全身緑色と茶色がまだらに染められた彼らの軍装は、彼の常識に照らし合わせて、威厳や武威に溢れているとは言い難い。街でこんな格好で歩いていたら、邏卒が駆けつけてきそうだった。
彼らは、不思議な鉄の箱で現れ、太い筒や黒い杖を抱えて陣地に駆け込んできた。ロティの耳に誰かのつぶやきが聞こえた。
「あいつら〈ニホン〉の兵だよ。いまさら何をしに来やがったんだ? あれっぽっちで」
ニホン軍。ブンガ・マス・リマに現れた異国の軍勢。奇妙な道具と巨大な軍船を持ちながら、〈帝國〉軍との戦いに加わろうとしなかった厄介者。
ロティは仲間や客から伝え聞いた話を思い出した。彼らと直接接したことは無かった。だから、風評を鵜呑みにした。戦いから逃げる臆病者。そういう印象だった。だから、彼らが加勢に駆けつけたと分かっても、期待はしなかった。
十人ぽっちが応援に来たところで、どうにもならないや。それに剣すら帯びていない。一緒に死ぬ人間が増えただけだ。
ほら、もうオークが目の前まで来ている。
ニホン兵が、胸壁の前で大きな筒を構えた。異国の言葉で何か叫んでいる。筒を構えた兵とは別の兵士が筒の後ろから何かを差し込んだ。
義勇防衛隊の少年兵たちは、何をしているのかさっぱり分からず、ニホン兵を眺めていた。
「dokero! abunaizo!」
「……どうやら、後ろに立つなと言っているみたいだな。くそ〈通詞の指輪〉が無いと何を言っているのかさっぱりだ!」
分隊長がもどかしげに言った。確かにニホン兵は腕を振り回してロティたちを退けようとしているようだ。
「ニホン兵は救援に来たのですか?」
「そうらしい。だが、あの数ではな」
分隊長も淡い期待すら持っていない。手練れの冒険者だった彼は、二百を超えるオークの群れにたかだか数十名でどうにかなるはずがないことを知っている。
義勇防衛隊員が背後から離れたことを確認したニホン兵の指揮官(見た目では全く見分けがつかなかった)が、叫んだ。
「te!」
直後、彼らが構えた筒から炎が噴き出した──炎はオークの群れではなく陣地内を襲った。
「!? う、裏切りかッ!」
「うわぁ!」
「おのれ、ファイアーボルトか」
陣地内の義勇防衛隊は混乱した。彼らは味方のはずのニホン兵から炎を浴びせられたと受け取ったのだった。数名の少年兵が爆風にあおられて転倒する。白煙で視界が一時的に失われた。
怒りに駆られた分隊長が剣を抜き、ニホン兵に挑みかかろうとする。形勢不利を見て裏切るとは汚い。そう思った彼の怒りは全く正当なものに思われた。
だが、直後に発生した光景に、分隊長もロティも言葉を失い、目を丸くして立ち尽くすことになった。
状況は最終局面に入ります。
感想欄でお話をいただいたので、こちらで改めて本作品の題名の読み方について。
「幽世の竜 現世の剣」と読みます。




