第10話 『ラーイド港区防空戦(1)』
ブンガ・マス・リマ ラーイド港区
2013年 1月6日 16時42分
長大な弧を描く入江に抱かれ、東西を南に突き出た岬に守られたラーイド港区の至る所で、大小無数の船舶が息絶えている。
彼女たちは直接〈帝國〉軍の手にかかったわけでは無かった。〈帝國〉軍侵攻の報を受けた商人たちが、てんでバラバラに港外へ逃れようとした結果港内のあちこちで衝突事故が発生したのだった。
大桟橋近くの水面には転覆した小型の交通船や漁船が腹を見せて漂っていた。慌てて積み込んだのであろう。辺りには家財や衣服が大量に浮かんでいる。それらの船の姿は死病に冒された魚の死骸を思わせた。
一方、港の出口には他船に船腹を破られ沈んだ大型交易船のメインマストが、溺れる者の差し出す腕のように海面に突き出ていた。
まさに、敗亡の都市の姿であった。
その中で、未だ尽きぬ戦意を漲らせる艦艇がある。海上自衛隊第1ミサイル艇隊所属、ミサイル艇〈わかたか〉〈くまたか〉はその船体を港区内に留め、一歩も退かぬ構えだ。
彼女たちのことをカサード提督配下の水夫は〈舶刀〉と呼ぶ。その異名の如く、抜き身のカトラスを思わせる灰色の高速ミサイル艇は戦闘態勢を整え、命令を待っていた。
「艇長。西市街の陸自より入電『有翼蛇複数、ラーイド港区方面ヘ向カウ』以上です」
「見えとる。それより、南瞑からの返事はまだか!」
航海長の報告に〈わかたか〉艇長、来島通夫三佐は苛立ちを隠さない。ただでさえ狭苦しいブリッジが、巨漢である彼のせいで息苦しさを覚えるほどだった。来島の救命胴衣は前が開いたままである。彼がだらしない訳ではない。厚すぎる胸板のせいで締まらないのだった。
航海長は平坦な口振りで答えた。来島と付き合いの長い彼は、上司の性格を良く知っていた。興奮しているように見えて、これで結構冷静なんだよな、この人は。
「まだ返事はありません」
「遅い! カサード提督はいい奴だが、他はグズグズし過ぎる」
第1ミサイル艇隊の2艇は派遣群司令部よりラーイド港区防衛を命じられていた。交戦許可も下りている。しかし、肝心の部隊行動基準を満たすことができていない。
有視界戦闘が基本の異世界という戦場が、圧倒的なアドバンテージを持つはずの自衛隊を悩ませていた。
「敵も味方もIFFなんか有りませんからね……」
そう言って航海長は双眼鏡を覗き込んだ。朝に比べて各段に視程の低下した空が広がっている。あちこちで立ち上る黒煙のせいだ。
自衛隊が運用している敵味方識別装置の原理は単純である。敵味方不明の目標に対し、ある特定の電波信号を送信し、規定の応答があれば味方と識別する。合い言葉や発光信号を用いていた時代と『用いるもの』が変わっただけのシンプルな仕組みであった。
それだけに効果的な仕組みでもある。
視界の遥か外から敵味方を識別出来るこのシステム無しでは、恐るべき速度で進行する現代戦を戦うことは不可能なのだ。
だが、当然のことながら剣と魔法の異世界に、IFFは存在しない。
派遣部隊が、空を飛ぶ蛇や龍それ以外のあらゆる物体が敵なのか味方なのかの判断を行うためには、確実に視認し、かつその外見上の特徴から敵味方を見分けなければならなかった。
それゆえに、16㎞にも及ぶ射程を誇る62口径76ミリ速射砲を装備し、レーダーと射撃指揮装置で目標を早々に追尾しながらも、〈わかたか〉〈くまたか〉は射撃を開始していない。
槍の穂先にも似た砲身を機影に向けて突き出し、命令を待っている。その命令を下すべき来島三佐は、肉眼での識別を待っている。
それは喜劇的な光景であり、当事者にしてみれば『冗談じゃない!』と叫びたくなるような状況だった。
「冗談じゃない! 見張り、まだわからんか?」
「……識別できません」
「目標方位010から060、距離2000。さらに接近中」
「おい、航海長! まだか!」
来島は派遣調査団本部を通じ、南瞑同盟会議に『貴軍ニ飛行兵力ハ有リヤ』という問い合わせを送っていた。その結果、加盟都市の一部が、わずかに翼龍や大型鳥類を運用していることが分かっている。
しかし、周辺にその航空兵力が存在するかどうかの返答は無かった。(このままでは冗談で済まんぞ。)来島は頭を抱えてた。
敵味方不明のまま射撃を開始するという選択はあったが、おいそれと行える判断では無い。部隊行動基準というものは大変重いものであるし、この状況下で同士討ちが発生すれば、南瞑同盟会議との関係は取り返しのつかないことになりかねない。
各所で噴出する日本国と南瞑同盟会議の連携の悪さが、ここでも現場部隊の手足を縛っていた。敵は高度も速度もバラバラで統一された戦闘行動を取っているようには見えないが、このままでは最悪の事態も起こり得る。
来島の脳内で、艇長の権限をもって射撃を命令すべきかどうかの葛藤が渦巻いていた。目標との距離は縮まるばかりだ。有翼蛇の攻撃は侮りがたい。どうする? 畜生め、俺たちはいつも後手に回る……。
来島が、やむを得ず警告射撃を命じようとしたときだった。
「艇長! 本部より入電! 『ぶんが・ます・りま周辺ニ展開スル南瞑同盟会議軍ニ飛行兵力ナシ』今飛んでいる奴は全部敵です!」
報告した航海長の目には、ただでさえ分厚い来島の胸板が1.5倍に膨れ上がったように見えた。巨漢の艇長は瞳を爛々(らんらん)と輝かせ、大きく息を吸い込んでいた。
耳を塞がねば。そんな考えが一瞬頭をよぎる。しかし彼がその考えを実行に移す前に、来島の大音声の命令が狭苦しいブリッジの空気を震わせた。それは、200ヤード程離れた〈くまたか〉に聞こえるほどだった。
「右対空戦闘! 主砲打ち方始めェ!」
今か今かと待ち構えていた〈わかたか〉〈くまたか〉の反応は素早かった。射撃管制員は目標の針路、速度、高度その他の要素から脅威度を判定、優先順位を決めた。彼は最も危険と判断した目標に対し、FCSを割り振った。
構造物上構に据えられたFCSー2ー31射撃指揮装置が、白い皿のようなアンテナを敵に指向する。それに連動して76ミリ速射砲が仰角をかけた。諸元はすでに入力されている。そして、命令は発せられていた。
「打ェ!」
引き金が引かれ、76ミリ速射砲が甲高い砲声を放った。砲塔直下の給弾ドラムから金属音が響く。砲弾は規則的に給弾され、砲煙が周囲の大気を汚す。〈わかたか〉の甲板上はあっという間に金色の薬莢で埋まった。
「な、なんだぁ!?」
「ひぃッ」
突如、硬質な破裂音と閃光、そして砲煙を上げ始めたミサイル艇の様子に、周囲の海面をのろのろと港外に向かっていた市民たちは、半ばパニックに陥った。ある者は灰色船が敵の攻撃を受けて燃え上がったと勘違いし、ある者は驚くあまり海に転落した。
家財と共に海面に落下し、必死の思いで船縁にしがみついた中年男は、拳を振り上げて抗議した。悪し様に罵る声は彼だけではない。
「驚かすな! この腰抜けニホン人!」
「でかい図体して、なにやってやがる!」
「疫病神め」
パラン・カラヤ衛士団との確執が伝わり、この時期のブンガ・マス・リマ市民の対自衛隊感情は良好とは言い難い。周囲の舟からも非難の視線が〈わかたか〉に向いていた。
しかしそんな中、港の治安維持に当たっていたカサード提督配下の水兵たちだけは、躍り上がって喜んだ。彼らはその光景を見たことがあるのだった。
「〈舶刀〉が天雷を放ったぞ!」
「……これで俺たちは助かるかも知れねぇ」
「だから俺が言ったじゃねえか。ニホン人は臆病者なんかじゃねえって。きっと何か理由があったに違いねえ」
彼らは知っていた。突き出された槍の穂先から放たれる、不可視の矢の威力を。
最初に狙われたのは市街方面からラーイド港区へ進入しつつあった有翼蛇の集団であった。その有翼蛇たちはバクーニンという主人を喪い、最後に受けた思念波の残滓に導かれて飛んでいた。
そこに明確な意思はなかった。偶然その針路がミサイル艇を目指していたことが、彼らの不運であった。
射撃管制レーダーにより照準された76ミリ調整破片榴弾は、毎分85発の速度で大空へと放たれ、有翼蛇の前方に黒色の花を咲かせた。花弁の代わりに破片が飛散する。
高速で飛来する航空機や誘導弾を迎撃するために作られた弾幕に、有翼蛇は抗堪出来なかった。黒色の花弁に包みこまれた有翼蛇は、たちまち翼を切り裂かれ、胴から血を流して石のように落下した。
7頭の有翼蛇たちは、自分たちに何が起きたのか分からぬまま、悲鳴を上げて墜落し、全滅した。
「第1集団、全機撃墜。……目標探知、方位010、6000ヤード。高度300フィート」
凱歌をあげる間もなく、ラーイド港区には次の敵が進入してきていた。来島はレーダー画面を確認した。鼻息が荒い。後頭部にそれを浴びた射撃管制員はわずかに嫌な顔をした。
「編隊を組んどるな」
「さっきの連中とは違うようです」
来島の声に警戒の色が浮かぶ。統制のとれた敵は怖い。見張り員がレーダー情報を元に敵機を発見した。
「目標視認! 有翼蛇らしきもの4、翼龍らしきもの2、真っ直ぐ突っ込んでくる」
「〈くまたか〉発砲」
「やるじゃねえか──こっちも負けるな! 新目標、打ち方始め!」
2艇は競うように、新たに探知した敵に対して射撃を開始した。
「一体、何が起きているのだ?」
〈帝國〉南方征討領軍飛行騎兵団所属の若い『魔獣遣い』は、不安を覚えつつ配下の有翼蛇4頭と共にラーイド港区へ進入しつつあった。彼の乗る翼龍とその護衛騎を守るように、傘型陣形を組んでいる。
眼下には巨大としか言いようがない蛮族の港が広がっていた。〈帝國〉の山岳地帯に生まれた彼は、初めて見た海に圧倒されていた。
他のベテランに比べて経験と技量に劣るため、彼は比較的安全と考えられた港の攻撃任務を与えられていた。熟練者なら遠方から有翼蛇を誘導するのだが、彼の技量では不可能であるため、共に編隊を組んでいる。
数分前、彼は誰にも支配を受けていない有翼蛇の群れがふらふらとラーイド港区へ向けて飛んでいるのを目撃していた。有翼蛇の胴体に描かれた識別記号は、それがバクーニンの蛇であることを示していた。
しかし、バクーニンはどこにもいなかった。それどころか、思念波が消えている。
尊大で粗暴なバクーニンのことを彼は嫌っていたが、その技量は認めざるを得なかった。それゆえに、彼はバクーニンが撃墜された可能性を思いつくことができなかった。
(あの蛇どもは一体どこに行ったのだろう?)
頭をひねりながらラーイド港区上空へ到達した彼は、先ほど目撃した有翼蛇の群れがどこにもいないことに気付き、さらに疑問を抱えることになった。
強い合成風に逆らい周囲を見回したが、青空のどこにも蛇はいない。市街地と異なり地表はどこも燃えておらず、それなのに奇妙な黒煙の塊が、空の所々にわだかまっていた。
「まもなく港上空に入る。考え事はあとにして何を叩くか指示をくれ」
操獣士がじれたように言った。その言葉に若い『魔獣遣い』は我に返った。眼下には建ち並ぶ倉庫街が見えている──そうだ。まずは役目を果たさねば。ここで功を上げ、恩賞を貰うのだ。
彼は港を見回した。有翼蛇と共に飛ぶからにはまず敵を叩かねば危ない。
滅多に有ることでは無いが、敵に魔術士や弓兵部隊が存在した場合、これを放置することは危険だった。対地攻撃部隊の指揮官として、彼はまず対空火力を潰すことを考えた。港においてそれは軍船に存在する可能性が高い。
「まず船を叩こう。軍船を探してくれ」
「承知」
『魔獣遣い』は港に目を凝らした。無秩序に木の葉をばらまいたように大小様々な船が浮かんでいた。その中にひときわ目立つ大きな船が二隻あった。
「あいつは軍船じゃないか? 見えるかい?」
「いや、まだ遠い。しかし、大きいな」
「そうか、何だろうな? とにかく味方はいない。まずあれを沈──なんだ?」
彼が全ての言葉を口に出す前に、その船が光を放った。船が勝手に爆発した? 蛮族が火の不始末でもやったのか。
そう思った彼は、まだニキビの残る顔面に笑顔を浮かべようとした。
ミサイル艇が放った砲弾は、高度300フィートを飛行する編隊の前方で、信管を次々と作動させた。大気を鈍い破裂音が震わせ、破片が飛散する。有翼蛇と翼龍は、何が起きているのか理解せぬまま、破片有効範囲内に突入した。
「!」
突然、前方を飛行する有翼蛇が空中でのた打ち始めた。『魔獣遣い』が目を向けると、血飛沫が霧のように辺りに飛び散っていた。
気がつけば妙な臭いが辺りに立ち込めている。視界のあちこちに黒い雲がかかっていた。彼はそれが何を意味するのか分からなかった。
4頭の有翼蛇は見えない刃によって次々と切り裂かれ、墜ちていった。鋭い痛みが頭の中を貫く。
(ああ、蛇がやられているのか。でも、何で?)
ぼんやりとした彼の目の前で、やはり破片に切り裂かれながら操獣士が必死に愛龍を御そうとしていた。必死の形相で振り向き、何かをわめいている。何を言っているのか分からない。聞こえない。気がつけば列騎はどこにもいなかった。
彼は真っ赤に染まり、やたらと狭まった視界の中に、目標としていた軍船を捉えた。船は相変わらず光を放っている。場違いな感想が彼の脳裏に浮かんだ。
──きれいだ。
次の瞬間、砲撃により聴力を失っていた『魔獣遣い』を乗せた翼龍は、76ミリ調整破片榴弾の直撃を受け、四散した。
ラーイド港区に対する2波の空襲部隊(最初のそれはただ飛んでいただけだったが)は、合わせて有翼蛇11頭、翼龍2騎。まともに運用されていれば一個騎士団をたやすく撃破可能な戦力であった。
しかし、海上自衛隊第1ミサイル艇隊の射撃は、わずかな時間でこれを全滅させた。
当初、周囲で悪し様に罵っていたマルノーヴの民は空から迫る恐ろしい有翼蛇の群れを叩き落としたのが、目の前の灰色船であることを理解しつつあった。
「あの、ふねにはとんでもない魔導師様が乗っている」
「あそこなら安全だ」
彼らがそう考えるのも無理は無かった。寄る辺なく逃げ惑っていた民衆が、大小様々な船を操り、もはや彼らにとって軍神の遣わした戦船のように見える〈わかたか〉〈くまたか〉の元へ集まっていったのも、当然の出来事であった。
そうこうしているうちに、第3波が襲来した。
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