第9話 『ハンドアロー』
ブンガ・マス・リマ東市街
2013年 1月6日 16時27分
蛇の視界が広場に停車した敵の馬車と、その上に立つ蛮族の姿をバクーニンに伝えていた。観念したか。彼は嘲りを浮かべると、必中を期して思念を集中した。単一色で描かれた街と敵兵が、彼に焼き払われるのを待っていた。
あとは、火焔を放つタイミングだけだった。あいつを吹き飛ばしたら次は港の船だ。バクーニンの乗る翼龍は3騎の護衛を従え、青空に大きな螺旋を描いた。
青空に浮かんだ染みは、少しずつその輪郭を明らかにした。紐のような胴体に一対の羽。蝙蝠のような形のそれはゆったりと羽ばたいている。川島から見た有翼蛇の編隊は、歪な傘型を描いて真っ直ぐ彼に近付いていた。
神様仏様、どうか俺の目測が正しい値でありますように。
川島は心中で唱え有翼蛇の距離を読む。500メートル。彼は決心した。
「ハチヨン、撃て!」
くぐもった発射音が、広場脇の建物そばで響いた。盛大に噴き出したバックブラストが背後の地面を叩き、土煙が派手に舞う。仰角をつけて発射された口径84㎜の弾丸は秒速260mで有翼蛇へと突進した。
約1.2秒後。時速約300㎞で飛行する有翼蛇の前方約52メートル付近で、あらかじめ調定された弾頭が点火した。
「がぁッ!?」
バクーニンは眼球の奥に強い痛みを覚え、思わず顔を背けた。白と黒、その濃淡で輪郭を明らかにしていたワイアームからの画像が、全て白色で染められたのだった。
彼本来の視覚は、支配下の有翼蛇たちが向かった先にまるで小さな太陽の如き光が生まれたのを見ている。65万カンデラのその光は、彼をはじめとする飛行騎兵団の男たちを圧倒するに十分であった。
まして、鼻先で暴力的なまでの光を叩きつけられたワイアームたちは、狼狽というレベルに収まらない。生物としての本能が、瞬間的にバクーニンの統制を打ち破る。その結果は、様々なものであった。
最左翼の蛇は光から逃れようと高度を下げた結果、商家の二階にその身体を叩きつけ、グシャグシャの肉塊と化した。中央の2頭は上昇を選んだ。それは、多大な労力を必要とする機動で、ワイアームは襲撃の針路を完全に外れてしまった。
最右翼の1頭は、防衛本能が最も攻撃的に働いた。そのワイアームは眼前に現れた光の球を敵と認識し、喉をごろりと鳴らすと火焔弾を立て続けに放ったのだった。
火焔弾はパラシュートにぶら下がり降下するILLUM545照明弾の脇をすり抜け、広場に停まる1/2tトラックへと飛翔した。
「な、何事だ!? 何が起きた!?」
目元を押さえて喚くバクーニンが、支配下のワイアーム全てが混乱し、てんでバラバラな動きを行っていることに気付いたのは、照明弾が路上に落下した後のことだった。時間にしてわずか数秒。だがそれは、致命的な数秒であった。
連続した電子音が鳴り続けている。91式携帯地対空誘導弾が、食らいつくべき敵を捕まえた知らせだった。可視光画像シーカーが目標をロックオンしていた。
川島二尉が言ったとおり、敵は混乱している。今以上の好機はおそらく無かった。川島二尉の献身により万全の準備でそのときを迎えた3基の91式携SAMは、号令を待つばかりだった。そして、権藤二曹にむやみやたらと勿体ぶる癖は無い。
「目標敵──飛行生物。撃て!」
射出音と共にランチャーから細身の弾体が次々と飛び出した。ミサイルは射手から十分な距離が離れた時点でロケットモーターに点火。微かな白煙をひきながら猛烈な速度で可視光画像シーカーが導く敵の元へ大空を駆け上がっていった。
権藤は、祈るような気持ちでそれを見送った。
翼龍騎兵の一人がそれを見つけることが出来たのは、厳しい訓練の賜物であったのだろう。残念なことに彼は自分の見ているものが何なのか少しも理解出来なかった。
だが、大空においてとてつもない速さで己に向かってくる物体がなんであれ、それが危険極まりない存在であることは容易に理解出来た。
「回避! 回避!」
鋭い警告の叫びを受け、4騎の翼龍騎兵は愛龍と共に思い思いの回避機動を取った。編隊を維持する余裕は無かった。
最も未熟な騎兵は、距離をとろうと慌てて上昇に移った。だがそれは最悪の選択だった。重力に逆らいいくらかの高度を稼ぐ代わりに、彼の乗騎は貴重な運動エネルギーを失った。
「な、何だ!?」
正体を見極めることも出来ぬまま、誘導弾を翼龍の腹に食らった騎兵は、作動した着発信管が生み出す破片と爆風に全身を吹き飛ばされた。
もう一頭は翼龍の機動性に賭けた。巧みに手綱を操作し、小さな旋回径で水平斜め下方に宙返りを試みる。高度を速度に変換し、敵を振り切るこの機動に彼は自信を持っていた。
「何……だと? 振り切れない!」
だが、謎の物体は軽々と彼の翼龍に追従すると、左の翼を撃ち抜いた。翼龍が哀しげな悲鳴をあげ、錐揉み状態で石のように落下した。
その翼龍騎兵は信じられぬ思いを抱えたままで、地面に激突して死んだ。
最も手練れの翼龍騎兵であるバクーニン乗騎とその列騎は、警告が聞こえた瞬間急降下に入った。翼を畳み鏃のように高度を下げる。彼らは地表スレスレを掠めることで、正体不明の敵から回避を試みようとした。
位置エネルギーが速度に変換され、2騎の翼龍騎兵は可能な限りの敏捷さで逃走に移る。それは、並みの魔術士程度では目で追うことすら困難な機動であった。
「ふ、振り切れない!」
バクーニンは確かにその声を聞いた。猛烈な重力と合成風に圧せられ、流石のバクーニンもしがみつくことしか出来ない。その状況で聞く騎兵の悲鳴は、死神の囁きに等しかった。
彼らを追っていたのは魔術士ではなかった。それどころか人ではない。誘導弾頭に備えられた電子の目が彼らの発する波を捉え、解析し、追尾している。彼らの機動がいくら手練れの業であろうとも、人ならぬモノには敵うはずもない。
莫迦な。たかが蛮族如きが俺を殺すというのか? ただ逃げ惑うだけのゴミどもが? このバクーニンを? あり得ぬ。あり得ぬ。
彼の乗騎を残して列騎が離脱に成功しつつあった。追ってくる矢は残り一本。バクーニンが乗っている分、彼の乗騎は鈍重だ。追いつかれるのがどちらかは明らかだった。
俺が死ぬ? 嫌だ! まだ何の栄達も掴んじゃいないんだぞ。
バクーニンは翼龍騎兵の指示を破り、背後を見た。そこには〈小さな矢〉が薄い白煙を曳いて彼に追いすがる姿があった。とてもあんなものに墜とされるとは信じがたかった。小さかった矢は気がつけば重騎兵のランスのような大きさになっていた。
愛騎にしがみついて必死に逃走する翼龍騎兵は、背後から響く爆発音と魂を散らす絶叫を聞いた。彼は残る最後の矢がバクーニンに命中したことを知った。しかし、それでも彼は振り返る気にならなかった。振り返れば未だ自分を追う悪魔のような鏃がいるような気がしたのだ。
(早く本営にお伝えせねば)
それは明らかな言い訳でしかなかったが、指揮官騎を見捨てた騎兵はただ生き残るために逃走する事を止めようとはしなかった。
上空では、支配者を失った有翼蛇の生き残りが、統制を失い生き物としての地金を晒していた。その内の一部はラーイド港の方角へバラバラと飛び去っていった。
「敵3機撃墜を確認。もう1機は逃走に移りました」
「蛇型飛行生物の編隊は、四散しました。一部がラーイド港へ向かいます!」
双眼鏡を構えた隊員の報告に、権藤二曹は満足げに頷いた。
「やはり、あいつ等が操っていたらしいな。撃墜した途端バラバラになりやがった」
「ラジコンみたいなもんですか?」
権藤は、目尻に皺を寄せた。声に出して笑う。
「あんな危ねぇラジコンがあるか! ま、調子に乗った敵さんにはいい薬だったな。薬は注射に限るぜ」
「ケツにぶっといやつ突き刺してやれば、どんな野郎でもイチコロでしょうよ」
おどけた部下の言葉に、権藤は顔をしかめた。
「下品な冗談だな、おい。ところで小隊長は無事か?」
「小隊長! 小隊長! 返事をしてください!」
有翼蛇の火焔弾が着弾し、地面が激しく燃え上がっている。炎は1/2tトラックのボンネットを舐め、今にもガソリンに引火しかねない。物陰を飛び出した運転手は、爆風で吹き飛んだ川島二尉の姿を必死に探していた。
きっともうバラバラになっちまったんだ。運転手がそう思い始めた頃、車体の後部からうめき声が聞こえた。
「……ぐぅ……ここだ。イテテ……」
「小隊長! 無事ですか?」
迷彩服のあちこちが破れ、真っ黒に煤けた川島が顔を出した。左腕がだらりと下がっている。
「無事、とは言い難いが生きてるよ。敵はどうなった?」
痛みに顔をしかめた川島は、運転手に尋ねた。空を見上げる。そこには数時間前から我が物顔で乱舞していた有翼蛇も翼龍もいなかった。彼はそれで全てを理解した。
「権藤二曹から敵を撃墜したと報告が入りました。やりましたね!」
「そうか……」
川島の賭けはいい目が出たようだった。何とか生き延びられたし、敵は撃退出来た。
「賭け、賭けなんだよな。俺たちは賭けに勝ったんだ」
運転手が笑顔で応える。
「勝ったんです!」
川島は途端に苦い顔をした。左腕が熱を持ってシクシクと痛み出した。真っ黒に煤けた顔面は火傷のせいでヒリヒリと痛む。ボロボロだ。自分も部隊も。腹が立ってきた。
「俺たちはこんな戦争していちゃあ駄目だ! 知恵と勇気で大逆転? そんなもん下の下だぞ? 物量と火力で押し潰すような戦争こそが至高なんだよ!」
川島は叫んだ。その瞬間、トラックのボンネットが音を立てて吹き飛び、エンジンから炎を噴き上げた。
腰を抜かした運転手は、燃え盛る車体を背後に怒り狂う小隊長の姿を呆然と眺めるだけだった。
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