第8話 『狐とがちょう』
ブンガ・マス・リマ東市街
2013年 1月6日 16時15分
『魔獣遣い』バクーニンは、苛立っていた。顔に当たる合成風すら気に入らない。彼は蛮都ブンガ・マス・リマの上空を翔る翼龍の背で、地表を逃げ回る小癪な蛮族どもを追い立てていた。
鈍い痛みがこめかみに響く。頭が重く目の焦点も乱れがちであることをバクーニンは自覚している。彼は腹に力を込めると、強引にそれを無視した。理由は分かっていた。
「ちょろちょろと逃げ回りよって! いい加減観念せぬかッ!」
彼の追っている蛮族どもは、商都の路地を無様に逃げ回っている。ワイアームの圧倒的火力の前にそれは当然のことなのだが、問題はなかなか止めを刺せないことであった。
やたらと早く動く馬車を用いる敵は、巧妙にワイアームの火焔攻撃を避けながら、光る飛礫を打ち上げてくる。
思わぬ反撃を受けたワイアームは、当初の三個編隊15頭から1頭が墜とされ、2頭が彼の支配下を離れてしまっていた。
屈辱という他はない。
『魔獣遣い』は、特殊な魔術を用いて通常は御する事が不可能な魔獣を使役する者を指す。彼らが使役する魔獣は多岐に渡っている。戦場での有用性に目を付けた〈帝國〉本領では今も様々な試験が行われていた。
剣歯虎やヘルハウンド、人喰鬼に並ぶ〈帝國〉南方征討領軍主力としての地位を誇るのが、バクーニンたちの操る有翼蛇である。
魔獣と『魔獣遣い』は思念波で繋がっている。魔獣は『魔獣遣い』の送る思念波の支配を受け行動する。その数や巧拙、思念波の到達範囲などは全て『魔獣遣い』本人の能力に依存する。
よって、技量卓越した『魔獣遣い』に操られた魔獣は、恐るべき兵器となった。
しかし、欠点も存在する。ある程度の感覚を共有することが出来る(彼らは使役する魔獣の視覚から情報を得られた)ことは、利点でもあったが彼らに大きな負担を強いた。
二つの感覚は人間を容易く疲労させる。そして、使役される魔獣に危害が加えられると、その際に魔獣が発する『悲鳴』が、『魔獣遣い』本人にフィードバックされてしまうのだった。
この感覚は『魔獣遣い』大いに不快な感覚であり、場合によっては彼らに積極的な交戦を厭わせる要因にもなっていた。
バクーニンは、蛇に幾度も襲撃機動をとらせていることによる疲労に加え、蛮族の反撃による被害に頭蓋を痛めつけられていたのだった。
「どうだ! やったか!?」
大路を逃げる蛮族に緩降下攻撃を終了した4頭編隊が上昇に移る。細長い胴体をくねらせて飛ぶワイアームの下の路上では、火災が広がっていた。その様子を斜め上方から見下ろすバクーニンは、先程までとは異なる手応えを感じていた。
(此度は敵のかなり近くに弾着したぞ)
ワイアームのガラス玉のような瞳を通して伝わった映像では、火焔弾が敵の車列のすぐそばに降り注いだように見えていた。
ワイアームが左に旋回し、高度を稼ぎ始めた。彼はその編隊に到達すべき高さを念じた後、上空で待機中の蛇に意識を向けた。火災が起きている辺りを見下ろす。路上で馬車が燃えているように見えた。横転した車のようなものも見える。
ええい、煙が邪魔でよく見えん。バクーニンはもどかしさに苛立ちを強めた。
「おい、高度をさげろ!」
バクーニンは勢い込んで叫んだ。前の鞍に跨がる翼龍騎兵が革製外衣で着膨れた身体をひねった。
「バクーニン殿。それは危険です。敵の飛礫が届きます」
「莫迦者! それぐらいは分かっている。上手く加減せよ。この位置では遠すぎて敵が見えぬと言っているのだ」
「は、しかし……」
バクーニンは激昂した。翼龍騎兵の耳元で怒鳴る。
「貴様等、何のための護衛か! 我に仇なす敵を屠るのが役目では無いのか! 臆したか!」
辛辣な言葉に騎兵の顔色がさっと紅潮した。
「そこまで言われては、翼龍騎兵の面目が立たぬ。我らが臆病者でないことをお見せする!」
言うやいなや、翼龍騎兵は手綱を引いた。翼龍はひと鳴きすると、薄く大きな翼を縮めると左へ胴を傾ける。バクーニンの顔に当たる合成風の勢いが増し、耳当てを突き通してひゅうひゅうと風の音が耳に響いた。
バクーニンの乗騎を中心に綺麗な陣形を組んだ翼龍騎兵たちは、見事な機動を描いて燃え盛る商都へ高度を下げ始めた。
(つべこべ言わずやればよいのだ。莫迦め)
バクーニンは心中で騎兵を罵りながら、ワイアームに思念波を送った。彼は尊大で傲慢な漢だが、直接地表近くを飛ぶような莫迦ではない。待機中の編隊に大路を低空で飛ぶよう指示を出す。
それは地球側の戦術で言えば、ガンカメラによる戦果確認に相当するだろう。もちろん、戦果不十分であれば、そのまま襲撃を実行すればよい。バクーニンはそう考えた。
炎を激しく吹き上げながら、高機動車が鉄くずに変わりつつあった。火焔弾の直撃を喰らい、荷台が溶けている。右タイヤが熱でパンクを起こし、車体が大きく傾いでいた。
路上は敗北を絵に描いたような有り様であった。高機動車の前方には、放置された荷物に乗り上げ横倒しになった軽装甲機動車があった。バクーニンが有翼蛇の視界越しに確認したのはこの風景である。周囲には人影が点々と倒れていた。
軽装甲機動車から数メートル先の民家が大きく傾いでいる。一階の商店部分が何か大きなものが突っ込んだのだろう。酷く壊れていた。その、一階部分で何かが動いた。
「──行ったか?」
「大丈夫です、やり過ごしました」
「ヤバかったな」
慎重な態度を崩さないまま、ひとりの男が顔を出した。迷彩柄の88式鉄帽が左に傾いていた。彼──権藤二曹はもう一度周囲を確認すると、ようやくがれきの中から這い出した。
右手をあげる。そうすると、周囲の民家やがれきの中から、ぞろぞろと陸自隊員が現れた。炎上する高機動車や、軽装甲機動車に乗っていたはずの男たちである。
「畜生、燃えちまった」
陸士のひとりが幌のあらかた焼け落ちた車体を見て言った。
「仕方ねぇよ」別の隊員が渋い顔をする。
彼らは、小隊長川島二尉の指示で、あらかじめ車両を放棄し民家に退避していたのだ。そのおかげで彼らの体と必要な装備は無事であった。しかし、彼らの周囲には命を落とした民衆の無残な姿がある。助かったことを素直に喜ぶ者は誰一人としていない。
「おい、感傷は後にしろ。小隊長が囮になっているんだ。時間がない」
権藤が部下をどやしつける。隊員たちは埃まみれの体を払うひまもなく、崩壊しかけた商店に駆け寄った。商店を破壊したのは敵の有翼蛇ではなかった。
そこには96式装輪装甲車がめり込んでいた。丁寧な擬装を行う余裕を失った彼らは、家屋にめり込ませることで有翼蛇の目を逃れたのだった。
後部ハッチが開けられ、中から筒状の装備が引っ張り出される。合計で3本が取り出され、隊員たちがごそごそと操作を始めた。
「権藤二曹。準備出来ました」
彼らが準備したものは、91式携帯地対空誘導弾であった。電源が投入され、シーカーが冷却を完了する。
91式携帯地対空誘導弾は、国産の携帯式防空ミサイルシステムである。赤外線パッシブ誘導と可視光画像認識を組み合わせた意欲的なミサイルシステムで、普通科や機甲科の自衛用対空火器として装備されている。
防空火力に乏しいマルノーヴ先遣隊におけるささやかな『傘』であった。
権藤は黒煙の向こうにあるはずの青空へ双眼鏡を構えた。肉眼では小さな点だが、拡大された画像では羽根を持つ生き物とその背に跨がる人間の姿が確認できる。
川島二尉と権藤二曹は、敵の有翼蛇は何らかの手段で誘導を受けていると推測していた。そして、おそらくそれは戦場のはるか上空を旋回する何者かによるものであろう。彼らの意見は一致している。
権藤は傍らの若い陸曹に尋ねた。小隊一射撃が得意な男だ。
「殺れるか?」
「機関銃は無理ですね。当たりません。PSAMなら届きますが、奴らかなり機動性が高いです。かわされるかも知れません」
「かわされたら、反撃がくるな。そうなったら全滅だ」
権藤は唸った。射手の意見は正しいように思えた。彫りの深いくっきりとした顔立ちを歪め思案する。あと一手。敵の意表を突くための何かが必要だ。91式の性能に不安は無い。だが、敵の能力も分からない。
権藤は無線手を傍らに呼び、隊内系で囮役を買って出た上官を呼び出した。歪んだ音声が返ってきた。揺れる車内のエンジン音と運転手の罵声が聞こえる。信じられないことに声色は楽しげだった。驚いた。えらくハイな状態だ。何考えてやがる?
『おう! どうだ?』
「小隊長! このままじゃ撃てませんよ」
『分かって──こらそこ右だ右! すぐ後ろについてんぞ! 状況はわかっている。確実に当てんとな』
「どうするんです?」
何かが壊れる音が無線機の向こうで聞こえた。権藤は流石に心配になった。
『あと、五分待て。奴らをびっくりさせてやる。……権藤二曹、敵に指揮官らしい奴はいたか?』
「おそらくそうだろうという奴なら」
『よし。敵が乱れたら3基とも撃て! 成功ならよし。失敗ならその場からにげること!──よし、おいあそこだ! あそこに突っ込め! ビビるなよッ、お前族上がりだろうが!』爆発音。
「小隊長?」
『……敵が乱れたら撃てよ! 頼むぞ権藤、終ワリ!』
頼むぞってなぁ。小隊長あんたどうやって敵を驚かせるつもりなんだ?
権藤は半ば呆れる思いだった。しかし、他の隊員と同様に真面目で人並みに優しい男である彼は、街を襲い続ける敵を倒すために手を抜く訳にはいかなかった。長年の勤務で鍛えた大声で部下を動かす。
「五分後に敵を撃つぞ! 携SAM射手は向かいの屋根に上がれ。他は周辺警戒。もたもたするな! 小隊長を殺す気か! 装甲車はまだ動かすな。建物が崩れちまう」
権藤二曹に怒鳴られた隊員たちは、大急ぎで射撃準備を整えた。
第2小隊長川島二尉は、揺れる1/2tトラックの車内で、端から見ればこれはどうかと思われるほどの明るい態度で指示を飛ばしていた。
後方確認のため幌を取り外したことで、彼の目からは迫り来る有翼蛇がよく見える。隊長車の後ろには高機動車がタイヤを鳴らしながら続いていた。
「来たぞ来た来たッ! よし逃げろ逃げろ!」
川島は右腕を振り回しながら運転手を急かした。運転手は半ばハンドルにかじりつくような姿で、前方を見つめている。商都の路上は整地されてはいたもののあちこちに物が散乱していて、気を抜けばたちまち横転だ。
運転手の血走った瞳は大きく見開かれ、口からは「もういやだ、もう沢山だ……」という呪詛に似た呟きが漏れていた。
有翼蛇の編隊は、20メートル程の高度を背後から迫っていた。不気味にうねる姿が急速に大きくなる。川島は慎重に距離を測ると前を向いた。道が左右に分かれている。左の先はちょっとした広場になっていた。
「もっと発煙筒焚け! 発煙筒!」
川島が手振りで示すと、高機動車の隊員が荷台で手持ちの発煙筒を点火させた。幌の隙間から赤い煙が濛々と立ち上る。僅かでも視界を誤魔化せられれば。川島は願った。敵が光学系による誘導をしているかどうかも不明だったが、やれることは全てやるつもりだった。
「左へ行け!」
半ばヤケクソ気味に運転手がハンドルを切り、車体が大きく右に傾いだ。有翼蛇はすぐそこだ。金切り声が響き、くぐもった飛来音が聞こえた。
来た! 彼がそう認識するのと同時に熱風を伴った赤い光が頭のすぐ上を通過し、1/2tトラックの前方5メートルに炎の柱が起立した。
「ひいぃいい!」
運転手が情けない悲鳴をあげる。黒煙混じりの火柱は炎の壁となって1/2tトラックを包む。フロントガラスが赤熱し、ゴムの溶ける焦げた臭いが鼻腔を突いた。肌が焼ける感覚が、彼の焦燥感と奇妙にシンクロしていた。
このまま逃げ切れる筈も無い。それは分かっている。炎の壁を抜けるのと同時に一瞬空が暗くなった。手の届きそうな高さを、有翼蛇が追い越していく。ぬめるような光沢の鱗が川島の原初的な嫌悪感を喚起した。
車体の振動が激しくなった。それも、不規則な揺れに変わっている。
「タイヤをやられました。この速度では走れません、小隊長!」
煤で真っ黒になった運転手が悲鳴のような報告をあげた。前方には広場。有翼蛇は? くそ、また引き返してくるつもりだ。余程しつこい奴だな、操っている野郎は。
仕方ない。いい加減覚悟ってやつを決めるか。
川島の1/2tトラックと高機動車は、広場に進入するとよたよたと停止した。車内から慌てて隊員が飛び出でてくる。パンクした車両は、捕食者から逃げるのに疲れ生きるのを諦めた草食動物の姿に見えた。
バクーニンに操られた有翼蛇の編隊は、第2撃目の4頭が進入経路に乗りつつある。もう編隊と呼ぶに値しない程乱れた横陣ではあったが、地上を焼き払うのには充分だった。地上からの反撃は無い。
川島は、傾いた1/2tトラックの荷台に立ち、自分に向けて突っ込んでくる有翼蛇を睨んでいる。足が震えるのが分かる。
奴らの吐く炎はナパーム弾──油脂燃料焼夷弾のように全てを燃やしてしまう。邏卒詰め所で焼かれた子供たちの姿が脳裏に浮かぶ。
さっきまでのハイな気分はどこかに吹き飛んでしまっている。
「小隊長! 装填よし! 早く逃げてください」
高機動車を逃れた隊員が建物の陰から叫んだ。いや、未だ駄目だ。
「よし、俺の号令で撃て!」
川島の瞳はすでに有翼蛇しか捉えてはいない。慎重に距離を読む。彼は隊内系無線機の送話器を掴むと、密かに準備を整えている筈の権藤二曹に呼びかけた。
「権藤、仕込みは終わったぞ」
『小隊長、いつでもいけます。種明かしは無しですか?』
「すぐに分かるよ」
川島は唾を飲み込もうとした。口内はカラカラに渇いていて、喉が変な音を立てただけだった。
この話からは、商都空襲を企図する飛行騎兵団──有翼蛇部隊との戦闘が主となります。
御意見御質問御感想お待ちしております。




