第4話 『悪疫』
ブンガ・マス・リマ西市街 交易広場 自衛隊特火点
2013年 1月6日 16時10分
「敵主力突撃に移行。左右の助攻部隊も前進を開始した」
ミニミ5.56mm機関銃に据えられたスコープを覗きながら、機関銃手が報告した。特火点の機関銃班を指揮する高倉二曹は、静かに前方に視線を送る。
そこには〈ジェスルア大橋〉の手前に設けられた貧弱な防御陣地に向けて突撃を開始した、異形の軍勢の姿があった。
正面の〈アグニヤー神のスカート〉通りから、豚頭の重歩兵一個中隊規模が、雄叫びを上げながら迫っている。その左右の路地からは、犬面とゴブリンが隊列も組まず、跳ねるように駆けている。合わせると一個大隊規模に迫りそうだった。
打ち捨てられた積荷からこぼれ出た穀物が埃とともに舞い上げられ、敵兵の姿を曖昧にする。見る者の心臓を締め上げるような恐ろしい光景だった。
「火制区域に入り次第やるぞ。射撃用意」
だが高倉は冷静だった。自分の機関銃班が配置された特火点は、敵の侵攻経路をきれいに見下ろす旅籠の二階に位置している。さらに広場の反対側にも同様の特火点が設けられていた。
あらかじめ調定された火制区域に対し完璧な十字砲火を可能とする配置である。
(調子に乗った化物連中は、俺たちの突撃破砕射撃で粉々にしてやる。)
高倉は部下を見た。旅籠の窓から広場を狙う軽機関銃は3丁。さらに89式小銃がこれに加わる。敵の突撃を打ち砕くには十分な火力だ。さらに鉄条網とクレイモア等を組み合わせた対人障害を構築したいところであったが、それは叶わなかった。
慎重な性格の彼は、部屋の出入口を警戒する隊員も確認する。異状なし。隊員は親指を立てて報告した。
怒号が広場に満ちた。敵が街路から溢れ出す。手に手に武器を携えた化物が、自分たちを殺すために押し寄せてくる。高倉は小隊長の感じているであろう恐怖を想像し、身震いした。小隊長をやらせるわけにはいかん。
敵集団の先頭が火制区域に差し掛かる。
轟、という音とともに広場の陣地から白煙が伸びた。次の瞬間、敵主力の前面で炎と土煙が発生し、強烈な爆音が鳴り響いた。
カールグスタフ──84ミリ無反動砲が射撃を開始したのだ。発射された多目的榴弾は、鎧甲で固めた敵兵の真ん中に命中し、彼らをまるでプリンのように吹き飛ばした。
「射撃始め! やつらを吹き飛ばせ!」
高倉が命じた。途端に旅籠の狭い客室が発砲音で満たされた。それは、耳栓をしていてすら頭蓋に響く音だった。だが、不快なはずの轟音を、高倉は心地良く感じている。銃弾は敵助攻部隊のゴブリンを斜め上方から面白いように切り裂いた。
突如異方向から浴びせられた銃撃に、敵は大混乱に陥っている。突撃の勢いはみるみるうちに衰えつつあった。
高倉も、小銃を構え発砲する。混乱を収めようとする下級指揮官らしい騎士を狙った。発砲。騎士がもんどりうって倒れる。いいぞ。このまま撃ちまくれば──
だが、部屋に響く射撃音が急に小さくなった。高倉はしばらくそれに気付かなかった。射撃に集中し過ぎたのだ。それは、致命的な誤りだった。
高倉の顔にパタパタと水が降り注いだ。妙に生温かい。高倉はとっさに雨だと思った。ぬるりとした水滴が頬を伝う。
(──雨? 馬鹿な、ここは屋内だぞ。それに射撃が止んでいる、どうした?)
「おい、故障でもしたの──」
訝しんだ彼が左を向くと、そこには首筋を切り裂かれ噴水のように血を噴き上げる機関銃手の姿があった。慌てて飛び退く。出入口を警戒していたはずの隊員が、目を見開いて事切れている。他も皆倒れていた。
部屋には彼の他に動く者は誰もいない。
「な、なんで? 何なんだ?」
高倉はパニックになりながらも小銃を室内に向けようとした。その時、目の前の空間が微かに揺らいだ気がした。
ふわり。
甘い匂いが、高倉の鼻を掠める。蠱惑的な匂い。女の匂いだ。戦場に何故? 高倉は反射的にそう思った。
次の瞬間。耳元に濃い体臭と温かな体温を感じた彼は、その数百倍もの熱さを下腹部に覚えた。下を見る。鋭利な刃が彼の腹を切り裂いていた。あっという間に膝から力が抜ける。無意識に吐息が洩れた。
「あ、ああああぁぁぁ……」
寒い。畜生。小隊長、すみませ──
薄れゆく視界の中、高倉は刃に着いた血を払う褐色の女の姿を見たような気がした。
「特火点、沈黙しました。通信途絶」
「馬鹿な」
遊佐は呆然とつぶやいた。左右の特火点は沈黙し、連絡も取れない。やられたとしか考えられなかった。十分な戦力を配置したはずなのに。何故。
轟音。白煙を引いて無反動砲弾が敵に向かう。至近距離で爆発。熱風が頬を叩く。もう、そんな距離なのだった。
「小隊長、無理です。食い止められません!」
小隊陸曹が悲鳴のような叫びを上げた。遊佐は普段は巌の如く揺るがない陸曹長の、そんな声を初めて聞いた。
(全くその通りだ。もはや敵を防ぐことは不可能だ)
敵はすでに顔が判別出来る距離に来ていた。陣地の隊員は7名。敵は数百はいるだろう。
「つ、着け剣。白兵に備え」
遊佐は震える声で命じると、小銃に銃剣を装着した。逃げる? 冗談じゃない。あんな外道に背中を見せられるか! 女子供を殺したやつらに。俺の部下を殺したやつらに! 沸々と怒りが沸いてきた。
「可能な限り、食い止める!」遊佐は決然と言い放った。
「……降伏しても無理でしょうなぁ」それを聞いた小隊陸曹が悟ったような声で言った。
目と鼻の先に醜悪な敵兵が迫っていた。
「手榴弾!」
遊佐が叫ぶ。隊員たちは一斉にピンを抜くと、対人手榴弾を投擲した。くぐもった爆発音が敵兵の真ん中で起きた。土煙が上がり、飛散した破片が敵兵を切り裂いた。ゴブリンが悲鳴を上げて地面を転がる。正面の敵が一瞬怯む。だが、左右から敵兵が押し寄せる。
無反動砲手が機関拳銃を乱射した。犬面の兵が薙ぎ倒される。ボルトが鋭い金属音を立てて停止する。反対側から投擲された手槍が、弾倉を交換しようとした無反動砲手に突き立った。砲手は口から血を吐き、地面に崩れ落ちた。
正面の敵も態勢を立て直し陣地に迫っている。発砲。弾倉交換。発砲。誰かが倒れる。おかあさん。悲鳴が上がる。
遂に敵が雪崩込んできた。小隊陸曹が銃剣付の89式小銃を手槍のように扱い、瞬く間に三名の敵を突き倒した。しかし、直後に躍り掛かって来たオーク重装歩兵の蛮刀を受ける。防弾チョッキの肩口を深々と斬り下ろされ、小隊陸曹は仰向けに倒れた。地面に血だまりが広がる。
遊佐は銃床でゴブリンの顎を横凪に砕きながら、周囲の隊員が次々と倒れる様を見ていた。無音の景色がまるでスローモーションのようにゆっくりと流れた。
なんてこった。俺の小隊が。よりによって玉砕かよ。
「〈ジェスルア大橋〉を確保致しました。手勢を立て直し、三角州へ進軍いたします」
勝利にもかかわらず、参謀の報告はどこか陰鬱な響きを含んでいた。
「いかほど討たれた?」
「オーク重装歩兵は残兵二百余り。ゴブリンとコボルトは半数が討死にか逃散。まことに恐ろしいことで……」
「敵は僅か20名程だったというのは真か? 信じられん」
エギンは、足元に転がる敵兵の死骸を見下ろした。緑の斑模様の鎧をまとったその兵は、首が無かった。威風や儀礼を無視した異様な軍装は、軍の紋章官も参謀も全く見覚えが無かった。彼らの常識で言えば、野盗の姿に近い。
「こやつら全てが魔術士というのか? あの爆炎。魔導師並の術だぞ」
「此奴等の他に敵の姿は有りませぬ故、相違ないかと……」
「その割に、我らの隠行には気付きもせなんだが?」
ふわり。風が吹いた。周囲を固める衛兵の半数は何も気付かなかった。残り半数と参謀魔導師、そしてエギンはその存在に気付き、視線を向けた。一部の衛兵は悪霊にでも出くわしたかのような表情で、腰の長剣に手を伸ばしている。
彼らの視線の先には、艶やかな褐色の肌と、壮麗であるが同時に不吉さを併せ持つ豊かな銀髪を持つ女が、敵兵の死骸に片足を乗せ、立っていた。むき出しにされた肉感的な太ももと、厳つい革製の長靴が対照的で、見るものに冒涜的な印象を与えている。背は高い。
幅広のベルトで締められた腰には湾曲した片刃の短剣を下げ、胸は呪文のような縁取りで飾られた胸甲で守られている。だが、胸甲越しでもわかる豊満なその肉体は匂い立つような色気を放ち、周囲の兵を刺激していた。
「貴様か。隠行に気付かなかったとは?」
エギンの問いに、女は切れ長の闇夜のような瞳にいやらしい笑みを浮かべ、侮蔑するように言った。
「くふふ。まことに気付かなかったのだ。こやつらは。初歩の魔法感知すら、唱えた様子は無かったぞ。愚かよの」
女は卑しい表情にもかかわらず美しかった。ぽってりとした唇が大きく歪み、ぬるりと光る。
「ちぐはぐな術師よ。まことに面妖な敵。我らはたやすくそのそばに忍び寄り、その命を刈り取った」
楽しかったぞ。そう言って女は小首を傾げた。銀髪がサラサラと流れ、長く尖った耳が表れた。参謀魔導師が主将を守るかのように一歩進み出た。
「と、とにかく御苦労だった。敵兵の装具は我らが回収し──」
「黙れ小僧。我はエギン殿と話しておる。賢しらに口を挟むな」
「ぐっ……」
ぴしゃりと断じられ、参謀魔導師は忌々しげに口をつぐんだ。気が付けば同じ様な軍装をまとった、やはり同じく耳の尖った美しい女兵士たちが、本陣周辺に現れていた。
「うちの参謀を苛めるな」エギンが言った。
「くふ。エギン殿は部下に優しいのだな。今宵天幕に忍んでみるのもよいかもしれん」
女は蠱惑的な笑みを浮かべ、誘うように言った。
「莫迦を言え。いくら儂の肝が太くても、特務と寝る気は無いわ。そろそろ真面目な話に戻すぞ──この後〈悪疫〉はどう動く?」
女は「つれないのう」とぼやくと、細く形のよい顎をくいっと持ち上げ、三角州の方角を見た。
「〈悪疫〉は、人の在るところどこにでも忍び寄る。早よう攻め落とさんと、我らが南瞑の男どもを喰ってしまうぞ」
「ふん。南瞑のギルドマスターは、隠行程度では誤魔化せんぞ。貴様等日陰のものはせいぜい分を守れ」
その時、三角州の方角に光が迸った。その後、鈍い爆音が響き、地面が揺れる。三角州に目をやると商館街の瀟洒な建物が並ぶ辺りから黒煙が濛々と上がっていた。上空をワイアームの編隊が飛び去っていくのが見える。
「くふふ」
女が笑った。
「む」
気が付くと、女たちは消えていた。
「あれが〈悪疫〉の長、ズラトゥシュカですか。何とも据わりの悪い気分にさらせられますな」
参謀魔導師が、忌々しげに言った。
「特務、だからな。黒妖精だ。ああ見えて儂より三倍は歳を喰っとる。張り合おうと思うなよ。あれは別の世界で生きている」
「……御意」
エギンは、指揮下の部隊に意識を戻した。配下の騎士たちの努力により再編成がようやく成ろうとしていた。〈ジェスルア大橋〉にはすでに先手のコボルトが進軍を開始していた。
「さあ、サヴェリューハ閣下が来られる前に、橋を奪うのだ。兵を奮い立たせよ。旗を掲げ前進するぞ!」
本陣に漂った仄い影を振り払うかのように、エギンは努めて快活に部下に下知を下した。
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