第1話 『有翼蛇襲来』
ブンガ・マス・リマ ラーイド港区
2013年 1月6日 15時10分
ラーイド港は、普段とは全く異なる姿を見せていた。大小問わず無数の船が港外へと向かっている。
いつもなら商品を満載にして入港する交易船がいるのだが、今はいない。交易船を横付けするための長大な桟橋や、交易品を納めるための巨大な倉庫が建ち並ぶラーイド港は、混乱と喧騒に包まれている。
「艇長、〈くまたか〉抜錨しました」
「おう」
航海長の報告に、第1ミサイル艇隊所属、ミサイル艇〈わかたか〉艇長、来島通夫三佐は、鷹揚に頷いた。口髭をたくわえた厳つい顔面を紅潮させ、爛々と光る瞳は周囲を睥睨していた。
機嫌は良さそうだな。航海長は思った。
「しかし、ひでぇ有り様だな」
「全くです」
普段は深緑色の水面は、櫓櫂に掻き乱され巻き上げられた泥で灰色に近い。周囲から聞こえてくるのは、警告。怒号。木材のぶつかる鈍い音。悲鳴。水音。
あちこちで船同士が衝突しているのだ。運の悪い船はそのまま水底に沈む。その様子は、まるで沈みゆく船から逃げ出そうとする鼠の群れのように見えた。そして、その表現は現実を端的に表している。
「総員配置につけました。群司令部からは〈帝國〉軍との交戦許可が出ました」
「そうか! よし、よし」
来島は、うんうんと頷いた。
彼を表す言葉は単純だ。勇猛果敢。見敵必殺。
演習中、搭載されている対艦ミサイルを打ち尽くした彼が「最大戦速! 敵に突撃する」と命じた結果、護衛艦2隻を相手に近接砲撃戦をやってのけ、判定敵大破を勝ち取ったことは、半ば伝説と化していた。
「全員、気合いは入っとるな?」
そう言った来島三佐の作業服がはちきれそうになる。狭いミサイル艇のブリッジには不似合いな程の巨漢なのだ。
「もちろんです」航海長は、いつもの答えを返す。来島は大いに満足し、窓の外を見やった。
先祖は瀬戸内辺りの海賊衆だという噂の来島は、その評判に違わぬ心境であった。戦える。前回の『門』を巡る戦いでおあずけをくらった彼は、戦闘の機会が巡ってきたことが嬉しいのだ。彼の指揮下には僚艦の〈くまたか〉が入っている。
そのとき、来島の耳にかすかな爆音が聞こえてきた。街の方角だ。
「来たか」
航海長には聞こえなかったようだった。しかし、すぐに見張り員から報告があがる。
「敵味方不明機視認。市街地を爆撃している模様」
雑多な建物がひしめく市街地から、黒煙が上がっている。来島の視界の中で胡麻粒のようなものが飛び回っていた。彼は有翼蛇だろうと当たりをつけた。陸自からの情報もそれを裏付けていた。
『本日13時頃、市上空ヲ敵味方不明飛行生命体ガ飛翔セリ。同盟会議側ニ該当無シ。形状カラ〈帝國〉軍飛行部隊ト推定サレル』
「昼過ぎの奴は偵察だったようですね」
「どうやらそのようだな。陸さんから悲鳴があがっとる。市内は相当叩かれているぞ」
爆発音は次第に数を増していた。黒煙も数え切れないほどになっている。
来島は腹に力を込めると、吼えるように命じた。
「機関全力即時待機。対空戦闘用意!」
海士から渡されたヘルメットと救命胴衣を着込みながら、来島は口角を釣り上げた。
早くこっちに来い蛇野郎。俺が相手になってやる。
ブンガ・マス・リマ東市街上空
2013年 1月6日 15時19分
〈帝國〉南方征討領軍飛行騎兵団による空襲は、平和な日常を重ねることに慣れきっていたブンガ・マス・リマ市民を恐怖に叩き込んだ。
5頭の有翼蛇が緩やかな角度で地表に向けて降下する。恐ろしげな鳴き声はまるでサイレンのように鳴り響き、目標とされた建物──広場にある集会所の近くにいた人々を震え上がらせた。
地表が迫る。有翼蛇は喉を慣らすと、それぞれが焔を吐いた。火の玉は猛烈な勢いで広場へと飛んだ。着弾と同時に有翼蛇の体内で生成された粘液が飛び散る。焔をまとった粘液を浴びたものは全てが燃え上がった。
建物であれ、人であれ。
「ぐははは、燃えろ燃えろ!」
5頭編隊を3個──つまり15頭もの有翼蛇を操る『魔獣遣い』バクーニンは、3騎の翼龍騎兵に護衛されながら、高らかに笑った。野性的な顔にサディスティックな笑みを浮かべている。
眼下では街が焼け、人々が逃げまどっている。いや、野蛮人どもは人にいれなくてもよい。我は掃除をしているだけだ。我が治めるべき土地に湧いた虫けら共をな。
バクーニンの有翼蛇15頭と、彼の乗龍を含めた4騎の翼龍騎兵は、東市街の空襲を命じられていた。バクーニンは騎兵団一の多頭遣いである。その投射火力は優に一個騎士団を殲滅できる。
同盟会議にろくな対抗手段が無いことは分かっていた。せいぜい矢を射かけるか、魔術士が攻撃魔法を放つ程度。高みから見下ろす彼には届かない。ゆっくりと丁寧に街を焼くだけの簡単な、楽しい仕事だ。
野蛮人どもが、建物に逃げ込むのが見えた。少しは頑丈そうな建物だ。多分、邏卒の詰め所あたりだろう。無駄なことだ。
バクーニンは嘲りを浮かべ、思念波を放った。上空待機していた5頭がわずかに身体を震わせた。すぐに緩降下に入る。
彼の支配下にある有翼蛇が放った火の玉は2発が建物に命中し、石造りのそれを燃え上がらせた。外れた3発も無駄にはならない。そこは敵の都市であり、どこに当たろうと必ず敵を破壊するのだった。
「ぐははは、愉快愉快! 我に抗う敵影無し、だな」
翼龍を操る騎兵が、やかましい便乗者にうんざりしていることにバクーニンは気づいていなかった。だが、それは些細なことだと言って良い。ブンガ・マス・リマ東市街上空は彼の支配下にあったのだから。
15頭の有翼蛇は街を焼き続け、黒煙は空を覆い隠そうとしていた。
火の粉が辺りかまわず降り注いでいる。煙は増える一方で、呼吸は苦しくなるばかりだった。
東市街を担当する第2小隊は、部隊集結地へ移動する途中で空襲に出くわした。彼らは偵察隊が敵の侵攻を阻止したため増援兵力として再編成され、苦戦する仲間を助けにいくはずだった。
「化け物、また来ます!」
隊員の報告に第2小隊長、川島二尉が顔を上げた。石造りの詰め所が見える。逃げ遅れていた女性や子供たちが、警官──邏卒たちの誘導で逃げ込んでいた。有翼蛇はそこに向かっている。
「いかん! 逃げろ!」
川島が叫んだ。だが間に合うはずもない。有翼蛇の吐いた焔は、詰め所に飛び込み激しく燃え上がった。火達磨になった人々が悲鳴を上げながら転げ出る。彼らは身体を奇妙に縮こませると、動かなくなった。
川島はうなり声をあげると、部下に救援を命じた。同時に対空戦闘を準備させる。命令を受けた隊員たちは、凄まじい勢いで駆け出した。身の危険を感じるべき状況だったが、誰も躊躇はしなかった。
隊員たちは怒っていた。目の前に横たわる黒こげの死体はどれも小さかった。それは、焼けて縮んだからではなかった。
「大丈夫か!」
「あ、あんたら〈ニホン〉の騎士団か? ここはもう駄目だ……」
煤で真っ黒になった邏卒が、絶望した顔つきで言った。「俺たちはあの空飛ぶ蛇には何にもできねえ。矢なんか当たらねえ」
「馬鹿野郎、諦めるな。あの蛇は俺たちが殺ってやる。あんたらは民間人を逃がせ」
「一体どうやって?」
邏卒の問いに、隊員は小銃を掲げた。
「こいつで撃つ」
邏卒は馬鹿にされたと思った。弦も何もついていないクロスボウで何が出来る。その表情を見た隊員は、さらに言った。
「こいつが効かない相手には、とっておきがある。俺たちには91式PSAMがある」
『通詞の指輪』は、隊員の言葉を『小さな矢』と訳した。
邏卒は、『小さな矢』なんかで何が出来るんだ。と思った。
第3章は、比較的短い間隔で投稿して行こうとおもいます。皆さんに楽しんでいただけているならよいのですが。
登場人物や固有名詞等をまとめたものは必要でしょうか?




