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幽世の竜 現世の剣  作者: 石動
第2章 御盾
20/76

第8話 『迷宮の主』

第2章のエピローグになります。

南瞑なんめい海 無人島

2013年 1月6日 11時00分


 迷宮のあるじは目を覚ました。


 微かな波動を感じる。迷宮内に蜘蛛くもの巣のように張り巡らされた魔導が、侵入者を感知したのだ。

 か弱い下等生物どもが迷宮内に潜り込んでいる。

 彼は瞬時に状況を把握した。地下七層にも及ぶ迷宮は彼の城であり、彼はその絶対的な支配者であった。何人もその目を逃れ忍び込むことなど不可能であり、不遜ふそんな侵入者に待つのは惨たらしい〈死〉でしかない。


 過去、迷宮に挑む者は星の数ほど存在した。多くは下等な『ヒト族』やその亜種である。ある者は宝物を求めて。ある者は彼らにとって災厄といえる迷宮の主を倒すために。

 その無謀な試みは主によりことごとく粉砕され、むくろを晒すこととなった。非力で下等な『ヒト族』如きが、神代かみよの頃より迷宮を守護する存在に抗えるはずも無い。

 主自身にすら、いつからこの迷宮に棲んでいるのか分からなかった。はっきりとしているのは、この迷宮には何人たりとも侵入を許さぬという、自らの使命のみである。


 以前は迷宮の周囲に『ヒト族』どもの集落が存在した。主にはどうでもよいことであったが、この島は交易中継点としてこの上ない位置にあり、また太古の神々によって造られた地形は天然の良港となる条件を満たしていた。

 生意気なことに『ヒト族』は当然のような態度で住み着き始めた。彼は、たまに気が向くと眷属けんぞくを差し向け彼らを屠殺させた。

 畏れおののいた『ヒト族』は生贄を差し出したが、彼にとってそれはただの肉袋以上の価値は無かった。柔らかいはらわたの感触はそう悪くは無かったが、そもそも主は飢えを感じないのだ。

 ある日、ある侵入者に手傷を負わされた彼が、激情のおもむくままに『ヒト族』の集落を襲ったのち、島は無人となった。


 異変を感じてからしばらくの時が過ぎた。ヒト族どもは迷宮に出たり入ったりを繰り返しているようだ。

 久しく侵入者の絶えた迷宮に忍び込む者がいる。迷宮の主は腹の底から湧き上がる凶暴な衝動を楽しみながら、傍らにあった得物を手に取った。

 涎が口元から溢れ、ふいごのような鼻息が荒々しく響く。馬の胴すら容易く引きちぎる程の膂力りょりょくを秘めた体躯を震わせ、主は巨大な角をそびやかせ、ニヤリと確かに笑った。


 次の瞬間。


 迷宮の各所で何かが弾ける感覚が彼に伝わった。未知の感覚に彼はうなり声をあげる。その時には既に彼の棲む地下最深部の広間にも、断続的な振動と、鈍い音の連なりが届いていた。

 迷宮の主は身を起こし広間の出口に向かおうとした。

 轟音が真上で響いた。小さな破片が剥離してパラパラと降り注ぐ。彼は天井を仰ぎ見た。ひび割れが瞬く間に広がった。


 彼が気付いた時には、全てが崩壊を始めていた。アーチ状の天井が崩れ、大量の土砂と石材が怒り狂う主の上に降り注いだ。



──3時間前。

 日本国政府マルノーヴ調査団と共に島に上陸した陸上自衛隊は、普通科と施設科で混成一個小隊を編成し迷宮へ進入させた。武装した隊員たちは、迷宮内を彷徨うモンスターの抵抗を排除しつつ探索を進めた。

「どうだ?」

 陸自調査団付隊指揮官である島崎三佐が尋ねた。迷宮の地下第三層までの探索を終えた施設科分隊長が、埃と、何かの粘液にまみれた顔で答えた。

「こいつは何とも驚きました。どでかい城が地面に埋まっているなんざ、初めてです」

 迷宮は、洞窟では無かった。巨大な石造りの城が地中に埋まっているのだった。

「洞窟なら完全に潰すことは難儀でしたが、この構造なら大丈夫です。あたしの見立てじゃ、地下第三層までを支える柱さえへし折れば重みで下層階まで崩落します」

 職人然とした分隊長の言葉に、島崎は頷いた。背後に立つ外務官僚に話しかける。腕まくりしたワイシャツ姿で白の安全ヘルメットを被った官僚は、やたらと偉そうな態度の男だった。メガネが太陽の光を受けてギラリと煌めいた。

「登坂さん。爆破は可能です」

「よーし。では爆破だ! 派手にやるぞ」

 登坂と呼ばれた官僚の大声を受けて、自衛官たちは予め定められた手順に従い、行動を開始した。

 普通科隊員が89式小銃の薬室を確認する。弾薬を補充し装具のあちこちに取り付けられた弾倉ポーチに収めた。さらに暗視ゴーグルの電池を入れ替え、作動確認も忘れない。

 ある隊員は一人当たり4発携行する閃光発音弾のピンが、正しく刺さっていることを確認し、装具の確認を終えた。

 施設科の隊員は、爆破に必要な高性能爆薬と電気雷管を丁寧な手つきで背嚢はいのうにしまった。リールに巻かれた導爆線がよれていないことを確認し、彼は満足げに頷いた。

 隊員を直接指揮する下級指揮官たちは、即席で作成された見取り図を囲み爆薬の設置地点を打ち合わせている。施設科分隊長が赤ペンで印を付け、普通科の各分隊長や小隊・分隊陸曹が地点を確認する。

 そのかたわらでは、無線手が符丁を本部と確認していた。


 ほどなく、突入準備は完了した。


「突入」

 島崎三佐が命じた。隊員たちは冷静で、まるで通常業務に取りかかる会社員のような風情であった。ただ、その動作は機敏で淀みがない。それを見て島崎は成功を確信した。彼が鍛え上げた『施設科』という名の戦闘工兵たちは、淡々と任務に臨んでいる。

 再突入した隊員たちは速やかに爆破準備を進めた。迷宮の天蓋を支える巨大な柱に高性能爆薬を仕掛け、導爆線で連結する。コードは地表の点火器に接続される。

 混成小隊は、闇の中から湧き出る動き回る骸骨や巨大なドブネズミ、不定形の物体を排除しつつ、約30分ほどで爆破準備を完了した。


「爆破準備完了。退避宜しい」

 施設科分隊長が報告した。入口から約500メートル離れた本部で島崎三佐は了解した。傍らで登坂が南瞑同盟会議の人間と何か話し込んでいる。異世界の住人はひどく怯えていた。

「大丈夫、我々に任せなさい」

 登坂が異常なほどの自信を漲らせ、言った。大ぶりの眼鏡の奥で眼光が鋭く光る。

 だが、浅黒い肌をした相手は納得していないようだ。2メートル近い体格のいかにも海賊然とした男は、見た目に反して幼子のように小刻みに震えている。顔色は海よりも青い。

「主の迷宮を破壊するなど、能うはずがない! 貴殿らはあの化け物の恐ろしさを知らんのだ……」


 日本国調査団がこの島に上陸すると言い出した時、マルノーヴ大陸の人々の反応は一様に同じだった。

 正気の沙汰ではない。

 ある者は言外に、またある者は直接的に態度を表明した。つまり、誰も同行しようとはしなかったのである。

 最終的には淡々と準備を進める日本人の姿に、意を決した一人の水軍士官が「異世界人に南瞑同盟会議に人無しと言われるのは我慢ならん!」と、同行を申し出たのだった。

「過去、迷宮に挑んだ手練れは数多。いずれも『主』の餌食となった。我ら人の力では無理だ。悪いことは言わん。諦められよ」

 そう言いながら、今にも逃げ出したそうな大男の姿に、島崎三佐は首をひねった。(ここまで怯えるとは。一体何が潜んでいるんだろう?)確かに、突入した隊員たちにも『何かの気配がする』と言いだす者がいた。どうやら、さっさと吹き飛ばすことにした方が良さそうだ。

「登坂さん。爆破します」島崎が確認した。

「派手にいこう。やってくれ」

 登坂がゴーサインを出す。島崎は拡声器を手に取り、命令を発した。

「点火百秒前!」

 傍らの無線手が無線機で各隊に通報する。あらかじめ安全な位置に退避した隊員たちが遮蔽物に身を隠した。安全係幹部が最終的な安全を確認する。異常なし。施設科分隊長が、机に置かれた点火器のハンドルを握った。


「十秒前──ヨン、サン、ニィ、イチ、点火!」


 衝撃が足元を突き上げる。くぐもった轟音は地中を伝わり隊員たちの半長靴を震わせた。巨大な入口を始めとする開口部から一斉に土砂と白煙が噴き出した。生暖かい爆風が、500メートル離れた彼らの顔を撫でた。

「ぬぉッ!」

 南瞑同盟会議の男が、思わずよろめく。地面が揺れるこの事態が理解出来ないといった様子だ。ましてそれを為したのが、傍らの日本人であるとは思ってもいない。

 周囲の隊員たちも、過去に無い規模の爆破の結果を固唾をのんで見守っていた。

 しばらくして揺れは収まり、静寂が島に訪れた。



 年嵩の曹長が、白煙を吹き上げる迷宮入口をじっと睨んでいる。しばらくして彼は満足げに頷いた。島崎三佐に報告する。

「爆破完了。地下施設の崩落は間違いありません」

 付近の漁師から『悪魔のあぎと』と呼ばれていた地下迷宮への巨大な入口は、既に無い。石造りの神殿めいた建物も、周囲に林立していた無数の柱も、全てまとめて瓦礫と化していた。

 入口の周囲、半径300メートルが大きく陥没している。あちこちに開いた亀裂からは、濛々と白煙が立ち上っていた。


 爆破は完全な成功を収めていた。戦後、地味な扱いに甘んじながらも他の職種に勝る実戦経験を積み重ねてきた、陸上自衛隊施設科の真骨頂であった。

 熟練した技術者集団である施設科隊員たちは、初めて見る建築構造と素材を前にしても慌てなかった。彼らは知らぬ者が見れば魔法を使ったかのように、建物の急所を見つけ出した。

 陸曹の手によって仕掛けられた高性能爆薬は、点火器からの電気信号を受けた雷管の発火により、巨大な迷宮を支える支柱の群れを根元から吹き飛ばした。あえて偏った位置に仕掛けられた爆薬によって、構造物に大きな負荷がかかる。

 爆破から数秒後には、天蓋が崩落を開始していた。瓦礫は迷宮内の異形たちを巻き込んで、各階層の床を破壊。さらなる瓦礫となり最下層まで落ちていった。



「これで辺りの人々を悩ませていた地下迷宮も、消え去ったわけだ」

 登坂が言った。彼自身は何もしていないが、まるで彼が為したことだと言わんばかりの口調だ。実際、彼はそう信じている。

「……何という……これを貴殿らが為したというのか? いかなる魔導を用いた?」

 大男は口をパクパクさせた。

「だから任せろと言っただろう? さあ、確認してもらおうか。ここは確かに無主の──」


 登坂が言い終わる前に、地面が揺れた。迷宮の中を何かが動いている。島崎三佐は直感した。それは正しい認識だった。振動の発生源は地中を上り、ほどなく地表へと飛び出たのだった。

 轟音と共に破片が飛び散る。人の胴体ほどもある石片が100メートル以上先に落下した。中心は『悪魔の顎』だ。

「グオオオオオォォォオオオン!!」

 魂を消し飛ばす咆哮が大気を震わせた。声の主は迷宮入口にあった。瓦礫が砕け飛び散る。白煙の向こうにそれはいた。


「あ、ああ、あ。『あるじ』だ」

 南瞑同盟会議の男が、腰を抜かしてへたり込む。彼は失禁していた。

 視線の先には、巨大な異形が姿を見せていた。身長は優に5メートルを超える。堂々とした逆三角形の上半身は、鋼線を寄り合わせたような筋肉で武骨に盛り上がっている。羆すらたやすく屠りそうだ。人型をしているが、全身が漆黒の毛に覆われている。

 そして、明らかに人ではない。

 一目で怒り狂っていることが判るその顔は、雄牛の姿をしていた。巨大な二本の角が天を衝き、真っ赤な瞳には理性の欠片もない。涎を撒き散らしながら、異形は再度咆哮した。

「終わりだ。皆殺しだ。主が地表に出たときは怒り狂っているときだ。我らは皆引きちぎられる」

 失禁した男が、放心したように言った。

「あれが『主』か。ほう……こっちでもやはりミノタウロスなのか」

 登坂は平気な顔をしている。その様子に南瞑同盟会議の男はいきり立った。

「貴殿らは阿呆か! あれを見よ! まもなく怒り狂って襲いかかってくるぞ。あの戦斧を防ぐ術など……どうしてくれる!」

「これは我々に対する挑戦だな」

 その時、『主』がこちらを見た。復讐に燃えるその異形は、正確に自分をこの様な目に合わせた者を見極めたようだった。

「ひぃ、見つかった。く、来るぞ」

 へたり込んだ男が、地面を後ずさった。腰が抜けて立てない。


「大丈夫。任せろ──」

「射撃始め!」

 登坂の言葉に被せるように、島崎三佐の号令が響く。背後でビールの栓を抜くような気の抜けた音が複数鳴った。続いて、左側面で重々しい射撃音が響く。それだけではない。周囲では無数の銃火器が一斉に火を吹いていた。

 81ミリ迫撃砲の射弾は、あらかじめ調定された座標──迷宮入口に向けて狙い違わず放物線を描く。迫撃砲弾が弾着する前にまず『主』を襲ったのは、普通科小隊の放った5.56ミリ小銃弾と7.62ミリ機関銃弾である。

 乾いた銃声を残して曳光弾が『主』に吸い込まれる。着弾点で黒い毛が舞い散る。だが、『主』は踏みとどまった。衝撃を受けてはいるが、倒れる気配は無い。

「効いてないのか? まさか」分隊陸曹が呆れたように言った。

 一拍遅れて、より大威力の砲弾が着弾した。貴重なLCACで揚陸された87式偵察警戒車の25ミリ機関砲だ。



 『主』の体表が鈍く光る。砲弾が炸裂し、破片が飛び散った。『主』の足が瓦礫を踏みしめその場に縫い付けられた。25ミリ機関砲弾を受け、流石に前進出来ないようだった。だが──

「こいつも耐えるか……化け物め」

 偵察警戒車の車長が呻いた。軽装甲車両やソフトスキン車両を破壊しうる砲弾である。生身で受ければ跡形も無い。だが、『主』は耐えている。全身から深紫の光を放ち、傷を負った素振りは無い。物理以外の力がそこに働いているのは間違い無かった。

 だが、自衛隊の火力はそこで終わりでは無かった。

 三脚に据え付けられた40ミリ自動擲弾銃から、多目的榴弾が叩き込まれる。普通科隊員が84ミリ無反動砲を放つ。弾丸は機関砲弾を受けて踏みとどまる異形の怪物に吸い込まれ、炸裂した。

 さらに上空から迫撃砲弾が降り注いだ。着弾した弾丸は辺りの瓦礫とともに粉塵を巻き上げた。閃光が粉塵に混じる。炸裂音が木霊する。『主』の姿は見えなくなった。

「グオオオオオォォォォ──ォゥ……」

 力無い咆哮が爆発音に混じったのを、島崎は聞き逃さなかった。

「打ち方待て!」

 号令が肉声と無線で伝達される。部隊はびたりと射撃を中止した。

 粉塵と白煙が風に流されていく。徐々に弾着点が姿を表した。


「お、おおお。迷宮の魔物が……」

 そこにはぼろ切れのように引きちぎられた『主』が横たわっていた。隊員たちは、それがまだ生きていることに驚愕した。

 だが生きているだけであった。手足は千切れ、角も片方が折れている。瞳は爛々と自衛官たちへの呪詛を湛えていたが、身動き一つ取れないようだ。地面に血溜まりが広がる。それはまるで赤い絨毯のように見えた。


「生け捕りは無理かな?」登坂が言った。

「止めましょう。悪い予感しかしない」

 島崎が首を振った。

「だな。ではよろしく」

 あっさりと諦めた登坂の言葉を受け、島崎は右手を上げ前方に振り下ろした。

 背中にボンベを背負った隊員が二人、小銃を構えた護衛を従えて前に進み出た。50メートルほど手前で、手にした武器を構える。

 轟という音と共に、紅蓮の炎が『主』に伸びた。ゲル化油を燃焼剤として燃え盛る炎は、すぐに『主』に燃え移り、肉の焼ける臭いが辺りに漂い始めた。吐き気と食欲を刺激する臭いだ。

 『主』は、長い断末魔を残して、息絶えた。


「倒してしまった……ああ、ワシは夢でもみているのか」

 呆然とつぶやく男の傍らで、登坂が鼻を鳴らした。

「ふん。ただの牛男なんぞこんなものだ。自衛隊を舐めるな。俺はくだんの方がよっぽど恐ろしいぞ」


(おいおい、そりゃ俺の台詞だよ)島崎は密かに思った。口には出さない。面倒臭いやりとりになるからだ。

 登坂は黒こげの塊と化した『主』の残骸に対する興味を失ったようだった。辺りを見回す。島は支配者を失った。


「さて、確認する。この島は永く無主の島であったのだな?」

「『主』は妖魔の類だ。人が治めていなかったという意味なら、そうだ」


「よろしい!」登坂は頷いた。胸を傲然とそらし、高らかに宣言する。


「現時刻をもって、日本国政府はこの島を無主地であると確認し、先占の法理をもって日本国に編入する!」

 登坂は島崎を振り返り、人の悪そうな笑みを浮かべて言った。

「島の名前、何が良いかな?」



 2013年1月6日午前11時45分。

 日本国は異世界アラム・マルノーヴに史上初の『世界外』領土を獲得した。





東京都千代田区永田町 総理大臣官邸

2013年 1月6日 16時27分


 執務室にいるのは部屋の主だけであった。

 部屋の調度品は、チーク材で作られた重厚な執務机と背後に掲げられた日の丸の他は、質は良いが簡素な品でまとめられている。棚に飾られた渋い色合いの井戸茶碗だけが、装飾品としての存在感を示していた。

 窓には分厚いカーテンが引かれている。照明の光度が落とされているため、本来明るい色合いのはずの執務室は薄暗く、どこか重苦しい雰囲気に包まれているようだった。



 内閣総理大臣、上総正忠かずさ・まさただは、いつの間にか凝り固まった背筋を大きく伸ばし、椅子の背もたれに身体を預けた。五十を超えた今でも緩むことのない細身の体躯が悲鳴を上げていた。

 あいつも俺も、いつから寝ていないかな? 報告に訪れた情報分析官が退出するのを見送った上総は、中空を見つめながら思った。盗聴防止のため窓ガラスを震わせている微細な振動音が耳障りだった。



 2013年を迎えた世界は、沸騰した大鍋のようだった。中東で勃発した戦争が世界経済へ深刻な影響を与えると共に、まるで群発地震のように世界各地に波及していた。

 日本の周囲に限っても、中国国内と朝鮮半島に不穏の種が顔を出しており、関係省庁は正月早々不夜城の如き姿を強いらている。

 おそらく霞ヶ関と市ヶ谷の庁舎の会議室辺りは、ダンボールと寝袋で埋まっていることだろう。上総自身も、ようやく地下の危機管理センターを出て一旦執務室に戻る機会を得たところだった。


 あの異世界について、曖昧な位置付けで対応するのはもう限界だな。上総はため息をついた。方針と法律の不備が現地部隊に混乱と被害を生じさせている。最早、治安出動云々でどうにかなる状況ではなかった。


 政治が責任をとる場面だ。


 異世界の存在を公式に認め、国家として承認し、安全保障条約を締結する。世界は驚くだろうか? 普通なら俺の気が狂ったと思うだろう。たとえ事実と認めたとして、あちこちから口と手を挟もうとする連中が湧いて出るだろうな。

──だが。

 上総は口元に笑みを浮かべた。

 このどさくさはいい機会だ。国連も安保理も、これ以上厄介事を抱え込む余裕なんかない。連中、中東とアジアで過労死寸前だからな。

 第五次中東戦争への対応に米軍とNATOは注力しなければならなかった。中国は国内が旧正月の花火のようで、よそに手を突っ込む余裕はない。ロシアは中東と隣国がこの有様では迂闊に動けない。

 日本とて余裕が有るわけではないが、何せ『門』は青森県に開いている。


 アメリカの次に安全保障条約を結ぶ先が、ファンタジー世界の国家になるという冗談のような話に、上総が面白味を感じた時だった。


 執務机の引き出しの中で、電話のベルが鳴った。上総は一瞬動きを止めた。引き出しを開けると、懐かしの黒電話が顔を出した。

「やあ、トム。こんな時間に電話とは君も寝ていないようだな──ああ、私もだよ。この年になるとキツいね」 

 電話をとった上総の顔は口調ほど気楽なものではなくなっている。

「──その通りだよ。予定通り発表する。内容については……もうデータは受け取っただろう? トールキンやヴェルヌが話を聞いたら、小躍りしただろうか」


 電話の向こう側と少しのやり取りのあと、上総は目を閉じた。数秒の沈黙の後、彼は電話口に言った。



「君のボーイズにそんな余裕はあるのかい──ああ、分かった。その規模なら、受け入れ可能だろう。担当部局には伝えておく。但し、あの『門』は我が国の領域内にある。遠足の引率はこっちでやるよ。いいね?──うん。じゃあ、おやすみ。ミスター・プレジデント」

ここまで、お読みいただき大変うれしくおもいます。

投稿してみたものの、どうも読み難いような気がしてなりません。少しは楽しんでいただけているのやら。

設定や人物等についてご質問等あればお答えしたいとおもいます。


次章『商都攻防』に続きます。

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