第6話 『90式』
ブンガ・マス・リマ北東5㎞ 街道上
2013年 1月6日 12時53分
ディル・マイラーヒは高揚感と不機嫌の狭間にいた。
彼の所属するカルブ自治市軍は、南瞑同盟会議軍に勝利した。わずかな兵力にもかかわらず愚かにも立ちはだかった敵は、全滅した。マイラーヒ自身も、絶望的な抵抗を試みた敵兵を二人切り捨てている。
勝利。それは何物にも代え難い。勝ったからこそ彼は生き残っている。もしかしたら戦利品を抱えて、家族の元へ帰ることができるかもしれない。マイラーヒは『未来』という名の果実を掴み取ったのだった。
だが、その代償は大きい。
わずか10分ほど前には何とかそれらしい陣形を組んでいたはずの彼の部隊は、無様に崩れていた。軍隊として非常に脆弱な状況だ。敵兵の死骸から金品を漁る者が続出している現状は、野盗の群れと何ら変わりのない姿であった。
名誉。規律。練度。全てが存在しない。それなりに熟練した戦士であるマイラーヒにとって、目の前の光景は腹立たしいことこの上ない。彼は盗賊の頭目になりたいわけでは無いからだ。
「いつまで浮かれている! 陣を組み直せ。すぐに市街地に突入せねばならんのだぞッ!」
マイラーヒが吼えるように命じると、旗手がしぶしぶ旗を立て組頭たちが兵を怒鳴りつけ始めた。動きはのろい。疲れもあるのだろう。部下たちは農奴のような態度だった。
畜生め。いつもこれだ。もう敵がいないから良いものの、まともな軍とぶつかったら酷いことになるぞ。
剣を鞘に収めながら、彼は思った。
突然、今の今まで血が昇っていたマイラーヒの思考が、ふっ、と冷えた。不思議な感覚だ。
目を動かさなくても全てが分かった。
昨日と同じように燦々と照りつける太陽の光の下、彼の間抜けな部下たちは目の前のはした金を気にしながらノロノロと陣形を立て直している。
彼の隊の右翼では自治市軍の一隊が避難民に襲いかかろうとしていた。軍太鼓が乱打され、泥を跳ね上げながら数百の兵が前進している。
左翼には、気味の悪い森の土民ども──ソーバーン族の集団が勝利の舞いを踊っている。背後には糞忌々しい督戦隊。さらに〈帝國〉軍が堅固な縦隊を組んでマイラーヒたちを見張っていた。
彼の正面。南には二十万都市、ブンガ・マス・リマがある。敵軍はいない。全部倒した。そのはずだ。
そこで彼は違和感に気付いた。殺気と表現しても良い。誰かがこちらを見ている。どこだ? 後ろか? いや──あの森だ。
マイラーヒがそこまで考えた次の瞬間、丘の上に張り付くように繁った小さな森で閃光が光った。一斉に鳥が飛び立つ。貧弱な森の外縁部が、破裂したように見えた。
柘植小隊の放った集中射は、パラン・カラヤ衛士団を全滅させた敵兵のど真ん中で炸裂した。一瞬、砂糖に群がる蟻のように見えていた敵兵の姿がかき消える。
擬装を払いのけ前哨陣地がある森を飛び出した4両の90式戦車は、低木をはね飛ばしながら猛烈な勢いで丘を下った。起伏の大きさをものともしない。履帯が地面を噛み、重量50トンの車体を力強く前進させた。
世界水準の第3世代主力戦車として、北海道の原野でソビエト自動車化狙撃師団のTー80の群れを迎え撃つべく三菱重工業によって設計された90式は、アラム・マルノーヴの戦野を疾走するために必要な性能を十分に与えられていた。
とはいえ、さすがにお世辞にも乗り心地は良いとは言えない。起伏を越えるたびに、車体は前後左右に大きく揺れた。柘植は慣れ親しんだ振動を巧みにいなしながら車長用視察装置を覗き込んだ。前方の街道上は〈帝國〉兵で埋まっているように見えた。
敵はこちらの砲撃に混乱しながらも、慌てて密集陣形を組み直している。旗がしきりに振られ、兵たちが集結を始めていた。付近に味方の衛士たちはいない。全滅したからだ。
柘植はこみ上げてきた感情を強引に無視すると、無線に向かって指示を出した。
「01より各車。01と03は右、02と04は左に開け。射線に注意しろ」
『02了解』小隊陸曹が指揮する2号車がすぐに返答した。ベテラン陸曹長が指揮する2号車は、返答と同時に切れの良い挙動で針路を変更した。4号車が後に続く。
雁行陣形が左右に開く。2両ずつに分かれた戦車小隊は、左右から〈帝國〉軍を包囲するような機動をとっている。120㎜滑腔砲を重騎士が抱えるランスのように振りかざし砲塔が重々しく旋回した。スタビライザが作動し、砲口はまっすぐに敵を睨む。
「砲手、前方敵歩兵、対榴。操縦手、停止よーい、止まれ! 撃てッ!」
重量50トンの巨体が、わずか2メートルの制動距離で停車する。発砲。衝撃。大気を切り裂いて榴弾が敵兵に吸い込まれた。轟音と共に土煙があがる。赤い火がかすかに見えた。その向こうで人間が吹き飛ぶのが分かった。
柘植は射撃が完璧な統制の元で行われ、寸分違わぬタイミングで弾着したことに満足した。彼の内心に自身が少し前に見せた迷いは存在しない。戦闘が開始された今、柘植という存在は単純化されている。機動力と火力で敵を包囲し、分断し、殲滅するのだ。
「いいぞ、このまま開く。前進よーい、前へ。砲種連装、連装行進射──撃てッ!」
柘植車はディーゼルエンジンの音高らかに前進を再開した。3号車が続く。距離が詰まる。掘り返された地面の上でもがく帝國軍に対し、砲塔主砲同軸に装備された車載機銃が火を噴いた。
〈帝國〉軍義勇兵団は完全に混乱していた。無理もなかった。南瞑同盟会議軍を殲滅し、あとは市内に突入すれば勝ちだ。そう思っていたところに、奇襲を受けたのだ。
『右も左も敵だらけだ。どっちに撃っても当たるぞ』
『04、02。敵歩兵、対榴、班集中行進射、撃てッ!』
『命中、命中』
「砲手、続けて撃て」柘植は曳光弾の行き先を見つめ、命令した。
「発射」根来二曹の冷静な声色がレシーバーに響く。発砲。車内に焼尽薬莢の燃える臭いがした。
機銃に引き裂かれ、算を乱して逃げ出そうとしていた〈帝國〉兵が吹き飛ぶ。パラン・カラヤ衛士団を全滅させ、その遺体を漁っていた集団はあらかた土に還っていた。柘植は、カラカラに乾いた唇をひと舐めすると、次の命令を発した。
「敵を蹂躙する。全車前進」
〈帝國〉兵はまだ千名以上が健在だった。叩くなら混乱している今だ。柘植はごく自然に思った。
『エゾこちらヒナギク。支援は要らないか? 送レ』
小銃班長のじれたような声が無線から響いた。彼らはまだ森で待機している。
「こちらエゾ。敵兵は多数だ。君らを出すのは危険だ。そのまま待機されたい。送レ」
『しかし、随伴歩兵無しだと危ないよ』
「大丈夫。弓、槍と刀じゃこいつはかすり傷一つ負わない」
小銃班長の心配に、柘植は明るく答えた。彼は生身の隊員を敵に曝すことは危険だと判断していた。道理であった。戦車は矢傷を負わないが、人間は違う。
だが、次の瞬間。突然の衝撃に柘植は激しく揺さぶられた。身体が前方に放り出され目の前の操作パネルに頭を打つ。一瞬意識が遠くなる。戦車が何かにつんのめったようだ。
「車体正面に被弾! 被弾です!」
何だと? 一体何があった? ぼやけた視界と思考の中で、柘植は村上三曹の悲鳴のような報告を聞いた。
戦闘時の号令や無線の符丁はいいかげんなものです。
インターネットのおかげでいろいろと調べ物はできているのですが、誰か『ジパング』みたいな陸自と空自のアニメを作ってはくれまいか。(やはり『GATE』はその点でも偉大ですね)