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幽世の竜 現世の剣  作者: 石動
第2章 御盾
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第5話 『御盾』

ブンガ・マス・リマ北東5㎞ 前哨陣地

2013年 1月6日 9時17分



 陸自偵察隊が〈帝國〉軍を再捕捉したのは、南瞑同盟会議義勇軍壊滅から3日後の午前9時を回ったころだった。

 稜線上に黒い染みが滲み出るかのように、帝國軍の姿が見えている。照りつける太陽の下で、その数は数千に達しようとしていた。くすんだ色合いの中に光るものは、全て彼らの持つ刃の煌めきだろう。


 街道を見下ろす森に布陣した陸自偵察隊指揮官柘植一尉は、念入りに偽装した小隊長車の車長席から、眼下の光景を睨んでいる。

 情勢が緊迫したことで監視哨から前哨陣地に役割を変えた森には、90式戦車4両が掩体壕に車体を沈めている。周囲には偵察隊の小銃班が展開していた。

 前哨陣地を預かる彼らの前に味方は存在しない。マワーレド川流域に広がる草原と湿地には、今や〈帝國〉軍が満ちようとしていた。そして、彼らの後方に構築すべきはずの主抵抗陣地もまた存在しなかった。

 偵察隊の後方は、ブンガ・マス・リマの市街地であり、小銃小隊と迫撃砲小隊が薄く展開しているだけである。彼らは部隊行動基準に縛られろくに塹壕すら掘れていない。

 結局、積極的な行動に出ることは許可されなかった。各隊はそれぞれの持ち場で首をすくめながら敵を待ち受けることしか許されていない。柘植の偵察隊は市外に布陣していたため、陣地を構築することが出来た。

 幸運と考えるべきだった。柘植は部下に掩体壕の予備まで与えられたが、多くの部隊はバリケード程度しか用意出来ていないのだ。


「隊長、〈帝國〉軍が隊列を組み始めました」

 小隊班員が双眼鏡を覗きながら報告した。柘植は右手で了解の合図を出すと、無線で本部に報告した。


「ハリマ、ハリマこちらエゾ。前方5㎞付近に〈帝國〉軍多数確認。目標連隊規模、なお増大中。交戦許可を要請する。送レ」

『エゾこちらハリマ。攻撃を受けているか? 送レ』

 先遣隊本部はすぐに返事を寄越した。無線の声はクリアだ。

「こちらエゾ。まだこちらは発見されていない。だが、〈帝國〉軍は南下している。当該勢力の脅威は増大中。発砲の許可を求む。送レ」

『交戦は許可できない。現在ブンガ・マス・リマ市警備部隊がそちらへ急行中。繰り返す。交戦は許可できない。送レ』

 予想通りの返答に、柘植は舌打ちすると叩きつけるように返答した。

「エゾ了解。現地点で待機する。終ワリ」


「クソッ!」

「隊長、ブンガ・マス・リマ市方面より接近する集団あり」

 柘植は身体をひねると、報告のあった方向に視線を向けた。蛇行するマワーレド川の流れに沿うように、道幅の広い街道があった。その路上を数百名の男たちが隊列を組んで北上していた。

「なんてこった。市警備部隊ってのはあいつらかよ……」

 眼下には、パラン・カラヤ衛士団の姿があった。鱗鎧を煌めかせ早足で北へ進んでいる。柘植は慌てて無線に叫んだ。


「ハリマこちらエゾ。市警備部隊を確認した。『パラン・カラヤ衛士団』一個中隊規模。間違い無いか? 送レ」

『こちらハリマ。間違い無い。送レ』

「敵は連隊規模だぞ。兵力差が大きすぎる」

『エゾは現地点で待機せよ。交戦は許可しない。終ワリ』

 戦車の周囲で小隊班員たちがざわめくのが分かった。「おい、あれっぽっちじゃやられちゃうぞ」柘植も同感だった。


 衛士団は約200名。ほとんどが歩兵で10騎程の騎乗士と数台の馬車を帯同していた。先頭にはよく知った顔が見えた。その指揮官が腕を高く掲げ左右に振った。

 衛士団の縦列が左右に開き始めた。

 そこは蛇行するマワーレド川と柘植たちが潜む森がある丘に挟まれ、最も平坦部が狭まる地点だった。衛士団はそこに3列の横隊を敷いた。背後に馬車を並べ、わずかな数の弓兵を置く。

 集団戦に慣れていないのだろう。その動きはどこかぎこちなく、列は一部に乱れを生じていた。

(まるで、ベニヤ板だぞ)

 彼方に迫る大軍勢に対し、衛士団の戦列はあまりにも貧弱なものだった。予備兵力は見つけられなかった。


 その時、視界の中に一台の馬車が入ってきた。馬車は土煙を立てながら丘を登っていた。間違いない。真っ直ぐに前哨陣地に向かっている。

「何のつもりだ」柘植は、入念な偽装を施した陣地の存在が暴露することを恐れた。だが、彼に馬車を止めるすべはない。彼は盛大にため息をつくと車長席から飛び降りた。

誰何すいかの要なし! 俺が対応する」

 柘植を見つけたのだろう。馬車は彼の目の前に走り込んできた。幌を外した荷台には衛士が2名と、麻袋が3つ。何だろうといぶかしむ間もなく、馬車は陣前に停車した。


「我はパラン・カラヤ衛士団衛士長ガーワ・ジュンジーヤ。団長より荷を預かってまいった」

 御者台の上で細身の衛士が告げた。

「我らこれより戦に赴かん。願わくばこれなる荷を暫し預かっていただきたい」

「荷物?」柘植が質問する間もなかった。

「では、お頼み申す」

 ジュンジーヤ衛士長の合図で荷台から麻袋が地面に降ろされた。かなり大きい。

「いや、ちょっと待っていただきたい。一体何のことだか──」

「おお、〈帝國〉軍どもが迫りよる。では、これにて御免!」

 ジュンジーヤは言うだけ言うと、馬に素早く鞭を入れ猛烈な勢いで丘を下っていってしまった。


「隊長……こいつはナマモノですぜ」

 小隊班員が呆れたように言った。麻袋を見る。確かに動いていた。よく聞けばうめき声が聞こえる。

「開けてみろ」

 隊員が恐る恐る袋の口を開けると、そこからまろびでて来たのは手足を縛られた十代の少年たちであった。衛士団の従者である彼らは、袋から出るなりやかましく叫び始めた。


「団長! 僕らも戦います!」

「どうか、どうかお側に!」

「そこの異世界人。早く縄を解けェ!」


 一目見て事情は察した。同時に思う。俺たちはやつらに軽蔑されていたんじゃなかったか?

 とにかく、黙らせる必要があった。柘植は3人に優しく呼びかけた。

「まあ、落ち着きなさい」

 効果は無かった。

「あ、ツゲ様! お願いです縄を解いてください。私は団長のお側に行かねばなりません」カルフが懇願した。

「おい、早く縄を解けこの腰抜けどもが!」

「どうして、僕らを置いていくのですか! 戦えるのに!」

 他の2人も興奮したままだ。

「カルフ君。事情はよく知らないが、団長たちは君たちを死なせたくないんだと思う。だから我々に託したんだ」

「ツゲ様! 私は命など惜しくありません。栄光あるパラン・カラヤ衛士団の一員として、戦場に倒れるならこの上ない名誉! どうか私たちを団長の元へ!」

「君たちが行ってどうなる?」

「貴方も武人ならお分かりになるはず! どうかお願いです。解いて下さい!」

「カルフ! こいつらは武人じゃないんだ。無駄だよ! ちくしょうほどけよッ!」


「解くことは出来ない──おい」柘植は、小銃班員に命じた。腹が立っていた。何で死にたがる。ガキのくせに。

「どうしますか?」

「このまま、73式に放り込んでおこう。縄は解くな」

「はッ」

 柘植の命令を受けて、隊員たちは暴れる従者を抱え上げると、森の中へと運んで行った。その間も少年たちは叫び続けていた。


 柘植が街道に目をやると、馬車は戦列に組み込まれていた。衛士団は戦闘配置を完成させたらしい。柘植は、ケーオワラートの姿を探した。どんな顔をしているのか見たくなった。

 双眼鏡を構え、一番派手な男を探す。すぐに見つかった。戦列の右翼で背筋を伸ばしている。ケーオワラートはこちらを見向きもしなかった。

 ただ、部下を率いて敵を睨んでいた。その姿はまるで巌のようだった。


「何を考えているんだ? あんたは」


 〈帝國〉軍も衛士団を捕捉したようだ。行軍隊型が、アメーバが形を変えるように横に広がり始めた。鈍重な動きだが数の迫力が柘植を圧倒した。

 戦闘は2時間もすれば始まるだろう。ケーオワラートの衛士団に勝ち目は無い。

 柘植は車長席によじ登りながら、小さく罵声を漏らした。



ブンガ・マス・リマ西市街 

陸上自衛隊マルノーヴ先遣隊本部

2013年 1月6日 9時35分



 左前になった小さな商館を借り上げた先遣隊本部内は、蜂の巣をつついたような喧騒に包まれていた。本部要員が異国情緒に頬を弛ませる余裕があったのは、ごくわずかな期間だった。

 情勢は坂道を転がり落ちるように悪化し、本部要員の睡眠時間は削られ続けている。簡素ながらも歴史を感じさせた石造りの部屋は、無数のケーブルが床をのた打ち、発電機が駆動音を響かせる空間になり果てていた。


「偵察隊より〈帝國〉軍視認の情報! 市域北東5㎞付近。目標は連隊規模。偵察隊は交戦許可を要請しています!」

「交戦は不許可だ。徹底させろ」

「西市街街路上で対戦車小隊が市民に保護を求められています。市民から洋上の艦艇に収容して欲しいとの要求が殺到しているようです」

「有線通信網が使用できません。あちこちでラインが切断されています」

「この街の連中が、珍しいからって切っちまうんだ。畜生め」

「政府特使は大丈夫か?」

「現在、護衛と共に大商議堂で同盟会議側と調整中です」

「最悪、脱出も考えておくぞ。海自とチャンネルを開けておけよ」


 無線がひっきりなしに鳴り響く室内で、周辺地図を見下ろしながら、先遣隊長三好一佐は、少し前まできれいに撫でつけられていたはずの髪をかきむしった。その細面には疲労が色濃く滲んでいる。

 隷下部隊からは、ひっきりなしに「交戦許可」や「現地部隊との協同」「市街での本格的な防御陣地構築」等を求める無線が入っていた。三好はこれを全て却下している。彼にもそれを許す権限が与えられていないのだ。


「幕は何か言ってきたか?」

「いえ……こちらの具申に対しては『しばし待て』の一点張りです」

「何なんだ! 普段は『全て報告しろ。政治的な難しい判断はこちらでやる』なんて言っておきながら、肝心なときにこれか!」

 上官の癇癪に首をすくめながら、幕僚の一人がささやいた。

「どうも、本国を含めたあちら側が相当大変なことになっているようです。2日前の中東から始まって中国国内もヤバいらしいですよ」

「だからって、こっちは放置か!」

「現状では、どうにもなりません。いっそ現地判断を考慮に入れるべきでは……」


 幕僚の言葉に、三好は背筋を伸ばすとはっきりとした発音でこれを否定した。

「駄目だ! 現地部隊の独断専行は許されない」

 彼は陸自の高級幹部として、現場指揮官の独自判断についていささか教条的なスタンスを持っていた。それは、一種のトラウマのようなものかもしれない。


「とにかく、部隊の保全に全力を尽くせ。陸幕に連絡を続けろ。情報は全て私に上げろ。いいな! 勝手に撃たせるな!」

「はッ」



ブンガ・マス・リマ北東7㎞付近

〈帝國〉南方征討領軍 義勇兵団

2013年 1月6日 12時18分



 〈帝國〉南方征討領軍に所属する義勇兵団──実態は降伏した都市からの徴用兵である──カルブ自治市軍の一隊を率いるディル・マイラーヒは、苦労して部下に隊列らしいものを組み上げさせた。

 彼の部下たちは控え目に表現しても荒くれ兵士という表現が似合う男たちであり、凡そ規律というものにはそぐわなかった。彼らに隊列を組ませていたものは、「隊列を組まねば死ぬ」という経験則であった。

(俺も堕ちたものだ)

 マイラーヒは自嘲の笑みを浮かべた。彼は元々カルブ自治市の警備隊長の一人だった。しかし、自治市が〈帝國〉軍に降伏。家族を守るためには義勇兵団に加わることしか無かった。

 〈帝國〉軍に組み込まれたあとの戦闘は苛烈を極めた。損耗前提の任務。素人ばかりの集団。督戦隊。そして、逃亡者とその一族への処分。彼を始め義勇兵団の男たちが荒むのに時間はいらなかった。


「ブンガ・マス・リマといやぁ一番の交易都市だ。お宝で溢れているぜ!」

「女だ。いい女が山ほどいる!」

「手前はそればっかりだな! ぐははは」


 部下たちは好き勝手なことを言っては、下品な笑い声を上げていた。薄汚れた装備。いい加減な手当てのせいで、誰も彼も酷い面構えだ。マイラーヒ自身も左頬に大きな刀傷ができている。


「こないだの連中は、傑作だったなぁ」

「目の前で仲間が犯られているのをみて、泣いてやがった。ありゃ最高だった」

「スカした野郎だったからな。最期はぐちゃぐちゃに切り刻んでやったけどな」

 戦利品だろうか。楽しそうに笑う男たちの腕には碧い水晶をあしらった揃いの腕輪が見える。マイラーヒは明らかな虐殺と略奪の証拠を前に、何も咎めようとはしなかった。


 〈帝國〉軍は略奪を奨励した。元は善良な男たちは死の恐怖を逃れるために、最初はオドオドと、そのうち嬉々として悪行に手を染めた。

 指揮官たちはそれを制止しなかった。暫くするとマイラーヒのような例外を除き、指揮官たちも略奪に加わった。

 まれに悪行を止めようとした者もいた。しかし、そのうちいなくなった。死んだからだ。ある者は敵に討たれ、ある者は夜が明けると宿営地で死んでいた。


 元はただの市民である。奪った貴金属を山ほどぶら下げた男は寡黙な粉挽きだったし、犯し殺した人数を誇る男は、教会の下働きだった。皆傷付き、汚泥にまみれ、獣となった。

 マイラーヒは傷だらけになってしまった自分の手を見つめた。もう、俺はこの手に我が子を抱けないな。畜生、どいつもこいつも畜生だ。

 一瞬顔を伏せ、歪める。周囲が何かにどよめいた。顔を上げると、前方に煌びやかな軍装に身を包んだ南瞑同盟会議軍が見えた。わずか数百。


 加盟都市を守れなかった同盟会議のクソ野郎どもめ。俺たちはもう地獄に堕ちた。貴様等も道連れだ。

 マイラーヒは昏い笑みを浮かべた。前進か死か。どうせ狂った世界なら、我も狂って殺して死のう。


「野郎ども! 敵はたったあれっぽっちだ! さっさとぶち殺して、街になだれ込むぞォ!」

 マイラーヒの檄に部下たちが猛る。

「ウオオォォォォォオオ!」


「義勇兵団カルブ自治市軍、突撃!」


 その号令を皮切りに、義勇兵団約2000が突撃を開始した。



ブンガ・マス・リマ北東5㎞付近 前哨陣地

2013年 1月6日 12時24分



「〈帝國〉軍らしい集団、突撃に移行」

 了解、と返答した柘植は自分の声が震えていることに気付いた。部下にバレなければ良いが、と思う。眼下で繰り広げられつつある光景は、急速に破滅へと進みつつあった。

 パラン・カラヤ衛士団は、薄い横隊を組み上げ敵を迎え撃とうとしている。突撃をかけた〈帝國〉軍は数千名。明らかに練度は低く連携もとれていない連中だったが、この兵力差では大した問題ではない。

 南方征討領軍主将レナト・サヴェリューハとその参謀たちは、圧倒的な兵力差を用いて南瞑同盟会議軍を叩き潰そうと考えていた。


(連中、全滅しちまうぞ)

 結果は見えていた。このままだと30分後には衛士団は全滅し、2時間後には市街地が戦場と化す。もし、俺たちが何もしなければ。


「01より各車。多目的対戦車榴弾(HEAT─MP)を装填」

 柘植は、隊内系で指示を出した。敵に装甲車両が存在しないため、以後特令するまで弾種はこのままだ。ほどなく各車から装填よしの報告が上がる。

「小銃班、準備完了」小隊長車の傍らで小銃班長が右手を上げた。柘植が頷く。小銃班長は「いつでも行けます」と言い残し掩体壕に潜った。


 もし、俺たちが参戦したならば──。

 90式戦車の火力なら、たかだか数千名の兵隊など簡単に吹き飛ばしてしまえるだろう。衛士団は生き残り、街も助かる。


「やりましょう柘植一尉。このままだと、とてつもない被害が出ます」

「あいつら死んじまいます。ムカつく連中だけど、死なれたら寝覚めが悪い」

「隊長!」

 部下から、次々と意見具申が上がる。そうだ、やろう。だが……くそ。俺が戦争の火蓋を切っていいのか? 胃袋が収縮し、酸っぱい胃液がこみ上げてきた。いつの間にか柘植の顔面は脂汗塗れだった。


「ハリマ、ハリマこちらエゾ。〈帝國〉軍と南瞑同盟会議軍は間もなく交戦状態に入る。兵力比は1対10だ。援護射撃の許可を要請する。送レ」

 結局、陸上自衛官として受けてきた教育が柘植を踏みとどまらせた。先遣隊本部は混乱しているらしい。返答が来るまでに数分を要した。

「エゾこちらハリマ。交戦は許可できない。被攻撃時のみ反撃を許可する。送レ」

 焦燥感と憤りで身体が熱い。だが、脳の一部は自分が脱力感と安堵を微かに覚えていることも認識していた。

 ちくしょう、上に命令されたから撃ちませんでした。そう言い訳をして生きるのか、俺は。いっそ奴らが撃ってくれば。駄目だ。普通科の連中は生身なんだぞ。


 すでに、〈帝國〉軍とパラン・カラヤ衛士団との距離は500メートルを切っていた。辺りには、北から逃れてきた避難民の群れが、よろよろと南へ逃げている姿があった。家財を抱えた者もいる。衛士団が敗れれば、彼らも〈帝國〉軍に押し潰される運命にある。


「両軍間もなく交戦距離に入ります──衛士団が射撃開始!」

「駄目だ、あの程度じゃ止まらねえ!」

 アメーバのように形を変えながら前進する〈帝國〉軍の先鋒に向けて、衛士団の弓射が開始された。1斉射ごとに数名が倒れる。だが、偵察隊員が洩らした言葉の通り押し寄せる大軍勢を止める力は無い。

 胴間声。喚声。〈帝國〉軍の戦列が一斉に歩みを早めた。彼我の距離約100メートル。突撃発起点に達した〈帝國〉軍の各指揮官が最終命令を発したのだった。これに対し、衛士団は長刀を構えた。


 柘植は信じられない思いだった。あまりにも無謀な戦い方だ。衛士団は10倍の敵をただ正面から迎え撃っていた。

「おい、火の玉とか流星雨とかそういう魔法は無いのかよ……」

 操縦手の村上三曹が呆然とつぶやいた。

 鉄塊同士がぶつかり合うような音が響く。喚声は悲鳴混じりに変わり、戦列が接触したあちこちで血煙が舞った。


「ハリマ、ハリマこちらエゾ。〈帝國〉軍と衛士団戦闘開始。射撃許可を!」

「──」

 だが返答は無い。無線からは空電のガリガリとした音が虚しく響く。


 衛士団は精鋭の名に恥じぬ戦いぶりを示していた。長刀を振り下ろし〈帝國〉軍の前衛を斬り捨てる。戦列はたわみこそしたが、破れなかった。

 だが、練度で返せる兵力差では無かった。正面の敵を衛士が倒す横から〈帝國〉兵の槍が突き込まれる。衛士はその柄を叩き割るがさらに別の〈帝國〉兵が蛮刀を振る。1人に対して3人4人と襲いかかられ、衛士団の戦列は櫛の歯が欠けるようにやせ細っていった。



 衛士団は勇戦敢闘した。

 ひとりとして逃げる者は無く、誰かが倒れれば誰かがその穴を埋め、戦列を維持した。だが、それもわずかな時間のことだった。最も圧力を受ける右翼で崩壊の予兆が生まれる。一度天秤が傾けば早かった。衛士は次々と討たれた。


 その時、柘植の耳に歌が聞こえた。


(意気天を衝き双腕に血は躍る ここより後に兵は無し いざ起ち奮えわが勇士)


 演習後の懇親会の席。酔った彼らがしきりに歌っていた歌だ。右翼──彼らの指揮官がいるあたりで朗々とした歌声が戦場に響く。歌声を聞いた衛士たちが力を取り戻したように見えた。彼らは次々と歌声に連なり、戦った。


(われらパラン・カラヤ衛士団 誓って商都の御楯とならん)


 しかし、ほどなくして歌声は止んだ。柘植はケーオワラートの姿を探したが、戦場のどこにも煌びやかな軍装などは存在しなかった。全てが血と泥にまみれていた。



 勝ち鬨が戦場に響く。戦闘開始からわずか十数分。パラン・カラヤ衛士団の衛士たちは全て地に倒れ伏していた。〈帝國〉兵は手にした剣で衛士たちに止めを刺している。青々としていたはずの草原は赤黒い血と臓物で黒く染まっていた。


「ぜ、全滅です。衛士団は全滅しました……」

 血の気の失せた声で根来二曹が報告した。柘植は車長席の縁を握りしめた。無意味な玉砕にしか見えなかった。つい先日互いを讃え合い、また反目し合った衛士たちは一人残らず肉塊となり果てた。

 倒した〈帝國〉兵は数十ほどに過ぎない。


「何で……何で……」

 柘植の頭は靄がかかったようだった。目の前で数百の人間が死んだ光景に、自衛官とはいえ一般的な現代人の感覚を多分に残す彼の意識がついて来ない。何も出来なかった──いや、やらなかった。見殺し。ちくしょう、何で逃げない。死ぬぞ。このままではもっと──。


『──らエチゴ──』


 ああ、奴ら避難民を襲い始めるぞ。何で交戦許可が下りないんだ。


『──ゾ、こちらエチゴ。感明いかが? ちくしょう、そっちまで──たのか?』

「──長」


 みんな死んじまった。くそ! 〈帝國〉兵の外道どもめ。さっそく死体から追い剥ぎを始めやがった。


『エゾこちらエチゴ。応答してくれ』

「隊長! 隊長! 無線です!」


 柘植は、そこでようやく現実に引き戻された。無線が彼を呼んでいる。村上三曹が心配気に砲塔を見上げていた。


「エチゴ、エチゴこちらエゾ。すまん、取り込んでいた。どうかしたか? 送レ」

『エゾこちらエチゴ。頼むからしっかりしてくれ! あんたが頼りなんだ』

 何の話だ? 柘植の思考はまだ戻っていなかった。だが、エチゴ──西市街を警備しているはずの普通科小隊長の声が、新た

な衝撃を柘植の脳に叩き込んだ。


『先遣隊本部は全滅した! 三好一佐は行方不明だ!』


「……何を言っているんだ? 敵が市内に侵入したとでもいうのか?」

『いや、敵の姿なんかどこにも見えん! だが、本部は全滅だ。通信が途絶したんで伝令を出したら、部屋は血の海だった。俺にも何が何だか……』

 互いに符丁を用いることすら忘れていた。

「一体誰にやられたんだ……。そっちは無事か?」

『無事だ。他も全部。本部だけがやられた。繰り返すが敵が市内に入ったとの報告は無い。あんたのところが最前線だ──ところで、どうすればいい?』

 柘植はぽかんとした。さっきからこいつは何を言っているんだ? 何で俺に聞く?

『おい、頼むよ。先遣隊で、あんたが先任なんだ』

「……そう、か」

 考えてみれば当然だった。三好一佐と本部要員は全滅。序列に従えば、柘植が先任幹部なのだ。古今東西の軍隊のしきたりでは、指揮官が戦死した場合最先任者が指揮を引き継がねばならない。



 柘植は思わず空を見上げた。



 何かが、南の方角へ飛び去っていった。10はいただろうか。鳥? いや大き過ぎる。


 街道を見る。〈帝國〉軍は態勢を立て直しつつあった。おどろおどろしい太鼓の音が響く。避難民の一部はその場にへたり込んでいる。逃げる気力を失ったのだろう。

 最後に部下を見た。掩体の中から隊員たちが柘植を見つめていた。彼の脳裏にケーオワラートの顔が浮かんだ。ケーオワラートは大きな瞳で静かに柘植を見ている。

 あの親父、結局何も言い残さずに死にやがったな。



 柘植は息を吐いた。肺が空になる。自然に酸素が肺に流れ込み、頭がすっきりとした気分になった。


「エゾより各隊。ハリマに代わり指揮を執る。各隊は警戒を厳とせよ。ハリマは敵の攻撃により全滅した。敵は〈帝國〉軍と思われる。我々は攻撃を受けた。以後、敵性勢力に対する発砲を許可する。ただし、発砲の際は民間人への被害を極限せよ」

 柘植はゆっくりと命令を発した。大嘘をついたな、と思った。本部を全滅させたのが誰なのかまだ分からない。

 各隊から了解が伝えられた。もう後戻りは出来ない。


 柘植は吹っ切れた表情を浮かべると、張りのある声で戦車小隊に命令した。


「前方の〈帝國〉軍を撃退する。前方敵歩兵。対榴、小隊集中──」


 柘植はひどく凶暴な気分になった。


「撃てッ!」


 発砲音。爆風が顔を叩く。偽装に使っていた草が吹き飛ぶ。視界が白く染まる。柘植は笑顔すら浮かべていた。


「小隊前進用意。前へ!」

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