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幽世の竜 現世の剣  作者: 石動
第2章 御盾
16/76

第4話 『戦雲』

揚陸から6日目

街道上 ブンガ・マス・リマ北方20キロ

2013年 1月3日 9時17分


 南瞑同盟会議野戦軍敗北。この知らせは伝令・撤退してきた敗残兵・交易商人などにより3日後の12月27日頃には詳報が伝えられ、同盟会議首脳部を狼狽させることとなった。

 自信を持って送り出した野戦軍約一万が、いとも簡単に打ち破られたのである。交易商人の情報網や、リユセ樹冠国『西の一統』による諜報活動により〈帝國〉南方征討領軍の兵力をある程度正確に把握していたからこそ、敗北は彼らに大きな衝撃をもたらした。


 〈帝國〉南方征討領軍先遣兵団の27日時点の兵力は以下の通りである。


 本営警護隊  騎士・正規兵504名


 コボルト斥候兵 約400名

 ゴブリン軽装兵 約1500名

 オーク重装歩兵 約500名


 諸都市徴用兵 約2000名


 総勢 約5000名


 この中で、よく訓練された騎士団や都市自警軍と正面から交戦可能なのは、本営警護隊とオーク重装歩兵を合わせた約千名程度。残りは非力な妖魔か素人の寄せ集めである。「勝てる」そう同盟会議首脳部が信じていたのも無理はない。

 だが、真の主力は別に存在した。南方征討領軍が誇る異能兵団である。


〈帝國〉南方征討領軍飛行騎兵団 

 翼龍騎兵21騎

 『魔獣遣い』9名

 有翼蛇52頭


〈帝國〉南方征討領軍魔獣兵団 

 約100名(『魔獣遣い』を含む)

 人喰鬼、ヘルハウンド、剣歯虎等多数



 数の上ではごく少数の彼らが、戦場で決定的な役割を果たした。



 同盟会議野戦軍を打ち破った〈帝國〉軍は、ゴブリン兵による小規模な部隊を多数編成し南へ放っていた。ゴブリン達は「逃げれば死罪。あとは好きにやれ」と命じられている。ゴブリン兵は街道沿いの町や河畔の村を襲撃しながら南へと進んだ。

 一部隊の兵力はゴブリン数十匹程度。同盟側の守備隊に遭遇すればあっさりと壊滅した。使い捨てである。しかし、守りの無い村や運悪く出くわした隊商は、ゴブリン兵により大きな被害を受けた。


 大急ぎで義勇軍を編成していた南瞑同盟会議の下に、マワーレド川流域のあちこちから悲鳴のような救援要請が殺到した。

 『レノの村がゴブリンに焼き討ちにあった。討伐隊を要請する』

 『タルワ商会の隊商が行方不明』

 『そこら中ゴブリンだらけだ。危なくて森に入れない』


 〈帝國〉軍のやり方は、戦術の常道からは大きく外れていた。だが、被害は絶えない。早く手を打たねば諸勢力が離反しかねなかった。危機感を露わにした首脳部は、編成完結を待たず軍を北に進発させた。

 野戦軍敗北の原因すら、はっきりしない段階での第二陣の出撃である。



 森は兵を飲む。



 同盟会議義勇軍を率いる冒険商人上がりの将軍、テラン・バンジェルマはそのことをよく理解していた。

 ゴブリンの浸透を受けた同盟会議軍が取り得る手段は、守るべき拠点に僅かずつの兵力を配置しつつ、敵主力を捕捉し撃破することであった。ゴブリンの掃討には、兵が足りない。森に兵を分散投入しては、〈帝國〉の思う壷だった。


「さて。命からがら逃げてきたばかりの兵隊と、『進め』と『止まれ』しかまだ出来ねぇ民兵連中で、どうやって戦うべいかな、こりゃ」 

 諧謔味かいぎゃくみを感じさせる声で、バンジェルマがぼやく。シワの一つ一つに幾多の修羅場をくぐった経験を刻み込んだ隊商上がりのこの漢は、寄せ集めの義勇軍を率いる将軍として馬上の人となっていた。

 頬に走る十文字傷は、率いていた隊商が凶暴なリザードマンに襲われた時の傷である。彼は四方から迫る妖魔の群れを、ただの商人と人足たちを指揮して撃退した経験を持つ。


「敵も似たようなものと聞きますぞ」

 都市自警軍の百人隊長が、力づけるように言った。バンジェルマは噛んでいた煙草を道端に吐いた。

「確かに。んだが、なら何で精鋭揃いの野戦軍が負けたんよ? おかしかろ? 兵どもの言うには『ヘルハウンド』だの『翼龍』だのがおったらしいが」

「最近では、ブンガ・マス・リマ周辺にまで翼龍が出没しておりますからな」

 バンジェルマは空を見上げた。街道の左右からは森の木々がせり出していて、青空は隙間から僅かに見える程度だった。


「翼龍はやっかいよな。……あぁ、あの異世界から来たとかいう連中、〈ニホン〉とか言ったか? あれらの助勢があればなぁ」

「無い物ねだりをしても仕方ありますまい。我らとて無策ではありませんぞ」


 野戦軍本陣の壊滅により、どう負けたのかは依然不明である。ただ、魔獣に攻撃されたことは断片的に伝わっていた。

 「敵に魔獣あり」これを受けてバンジェルマは、義勇軍の要請に応じた冒険者たちを軍主力の左右に配置、森からの奇襲に備えさせた。彼らは元々魔獣退治のプロである。パーティー編成された冒険者は、小規模遭遇戦に絶大な威力を発揮した。

 すでにゴブリンとコボルトの小部隊を数個、捕捉殲滅している。



 その時、前方から一騎の伝令が行軍中の本陣に駆け込んできた。馬体にぐったりと身体を預け、息も絶え絶えである。よく見れば、矢傷を受けている。

「何事か!」

「伝令! アスース近郊に〈帝國〉軍出現! その数、千名余。軍装から降伏した諸都市徴用兵と思われます。……至急、救援を」


 諸都市徴用兵、その言葉に本陣の将兵は息を呑んだ。強いからではない。略奪暴行を欲しいままにするその暴虐ぶりが、すでに知れ渡っていたからであった。

 放置すれば、アスースは滅ぶ。


「相判った。貴殿は休まれよ」

 バンジェルマの言葉に安心したのか伝令は馬から崩れ落ちた。泡を吹いて痙攣する伝令を、慌てて兵が駆け寄り担ぎ出した。


 これ見よがしに出現した徴用兵。近郊には野戦に適した平野部が存在している。


「……罠だな」

 バンジェルマはあごひげをさすりながら、つぶやいた。

「だが、仕方ねえ。戦うべい」


 南瞑同盟会議義勇軍本陣から、行軍中の諸隊に向けて、一斉に伝令が飛んだ。



ブンガ・マス・リマ北方 アスース近郊

2013年 1月3日 17時23分


 交易都市ブンガ・マス・リマから北へ20キロ。この辺りまでくると、貪欲な都市の活動よりも大自然の地力が優る。

 蛇行するマワーレド川の両岸には濃密な熱帯雨林が繁り、地表を覆っている。ブンガ・マス・リマを発した大街道はマワーレド川に沿い、森を縫うように地を這っていた。街道に寄り添うように所々森が拓け、そこには大小の集落と、そこに住む人々が開墾した水田が並んでいた。

 それら人の営みは、まるで緑色の絨毯に描かれた、艶やかな紋様のように見えた。


 だか今、その美しい絨毯の紋様は、タバコの火で焦がしたかのような有り様を晒していた。



 街道沿いの町アスース、その周囲に広がる水田と畑のあちらこちらには、何かが燃えた痕が黒く点在し今なお焦げ臭い煙を立ち上らせている。 

 燃えているのは荷馬車、駄馬、そして人であった。その周囲には、踏み荒らされた水田の上に、赤黒い内臓を晒したかつては人間だったものが散乱している。

 気温の上昇によってそれらは自然の理に従い腐乱し始めていた。


 川沿いにはボロボロになった男たちがひざまずいていた。彼らの服装はまちまちで、鎧を着けている者、着けていない者、まともな着衣すら無い者すら存在したが、絶望に満ちた顔だけは同じだった。揃って青白く表情を喪っている。

 彼らの背後には、剣や槍、戦斧を構えた兵士や妖魔が並んでいる。

 指揮官の命令で、ひざまずいていた男たちに刃が振り下ろされ槍が延髄を貫いた。唸りをあげた戦斧によって首が断ち切られ宙に舞う。

 死体は川に蹴り込まれ、無数に浮かぶ先客たちに混ざって下流へと流れていった。



「サヴェリューハ閣下、敵前逃亡者38名の処刑つつがなく執り行いました」

「見ていましたよ。……彼らの係累について調べはついていますね?」

 部下の報告に対し、〈帝國〉南方征討領軍先遣兵団主将、レナト・サヴェリューハは美しい顔を上気させ、うっとりとした口調で尋ねた。漆黒の薄金鎧のあちこちに血糊が付着している。戦場の興奮醒めやらぬ様子であった。

「は、親兄弟親類縁者に至るまで」

「では、処分しなさい。怖じ気づいた者の末路がどれだけのものか、この南蛮の地の無知蒙昧むちもうまいな方々に広く知っていただきましょう」

「御意」


 副官の合図で、翼龍に跨がった操獣士が空へ舞い上がった。龍騎兵がもたらす知らせは、〈帝國〉軍の支配下にある諸都市に少なからぬ死をもたらすだろう。



 南瞑同盟会議の北辺防備城塞『双頭の竜』を陥落させ、その全てを戮殺した〈帝國〉南方征討領軍先遣兵団は、驚くべき速さで同盟会議諸国を侵略していった。

 彼らの流儀は明確であった。


「逆らう者には死を」


 帝國は「双頭の龍」の惨劇に震え上がり、早々に降伏した都市に対しては寛大とも言える態度を示した。即ち、支配下に置き物資と徴用兵を供出させるに留めたのである。

 しかし、僅かでも──それこそコボルト斥候兵一匹を殺しただけでも──抵抗を見せた者に対しては、苛烈な仕置きでこれに応えた。

 さらに巧妙なことに、〈帝國〉軍は同盟会議諸勢力が抱える反目を巧みに利用し、互いを監視させ、競って協力させるように仕向けた。

 徴用兵の背後には、対立勢力による督戦隊を配置し追い立てさせた。彼らはやがて〈帝國〉軍よりも背後の督戦隊を憎むようになった。



 戦場跡では、徴用兵たちが死体から金目の物を漁っている。また、林の影からは悲鳴と下卑た歓声が聞こえてくる。悲鳴の主は義勇軍に志願した冒険者に少なからず含まれていた女たちだろう。何が行われているのかは想像に難くない。


「『戦利品』の回収については、あと半刻許します。進発前には、余剰分や『使い終わった』ものについては処分するように」

 サヴェリューハは嘲りと満足を細面に浮かべた。それらが何に対して向けられているのか、副官には分からなかった。もしかしたらサヴェリューハは、呆気なく敗北した敵の無能を嘲り、本能に忠実な徴用兵たちに対しては、心の底から満足しているのかもしれない。

 彼にはそのような一面があった。


「同盟会議軍は、都市自衛軍残余千名にギルドが募った義勇兵──これは主に冒険者と呼ばれる者たちですが、これが約三百。さらに市民兵二千の総勢約三千三百程度でありました」



 副官は手元の羊皮紙に記録した戦闘詳報を見ながら報告している。かき集められた同盟会議軍に対し、〈帝國〉軍は約千五百名の徴用兵を差し向けた。

「徴用兵の損耗は約五百名。ただし、増援により戦力は回復しています」


 損耗率三割。恐るべき死傷率であった。背後から追い立てられ、逃亡者には本人のみならず親兄弟に至るまで死が待っている。そんな過酷な立場の男たちに対して〈帝國〉は対価を与えた。

 敵対者に対する暴行略奪の「明確な」許可である。小は敵兵の死骸から金品を奪うことから、大は指揮官に対して、制圧した村を下賜することまで。徴用兵は奪うことを許された。


 死への恐怖と戦利品の誘惑。相反する飴と鞭が、彼らを急速に血に飢えた兵士へと変えていった。前進か死か、と問われれば前へ進むしかない。

 〈帝國〉はその苛烈な公平さとでも表現すべき態度をもって、南瞑同盟会議の版図を切り裂いて行ったのだった。


 「敵将の首は確認しました。本陣を壊滅させ、混乱した敵軍の六割は包囲殲滅に成功しています。残余もゴブリン兵に追撃させています。あと二割は捕捉出来るでしょう」


 サヴェリューハたちの周囲は、黒い甲冑を纏った〈帝國〉南方征討領軍正規兵が隙なく固めている。その前方には、水田地帯に南瞑同盟会議軍がむくろを晒している。死体の群れは街道上に延々と南へ続いていた。

 サヴェリューハはにこやかに言った。


 「我らの戦術に、敵は対応出来ないようですねぇ」


 この世界における軍の戦術は、その地域によって大きく異なっている。それは兵の種族や魔法の存在などの戦力倍化要素が勢力によって様々であることが影響していた。

 とはいえ、刀剣類による近接戦闘が中心である以上大まかな型は存在する。たいていの場合戦争は野戦において会戦の形をとり、短期間で決していた。これは、未発達の兵站が野戦軍の長期間に渡る行動を支えられないことに起因する。


 結果、短期決戦を必要とする両者は、陣形を組んだ軍勢を対峙させ、激突することになった。


 通常主力となる重装備の歩兵は戦列を組む。がっちりとした陣形を組んだ歩兵の群れだけが、最終的な勝利を掴むことが出来るからだ。

 主力歩兵の前面には軽装備の前衛部隊が配置され、主に弓矢や攻撃魔法で敵を攻撃する。また、主力歩兵の後方に長射程のバリスタやロングボウ部隊、魔導部隊が配置されることもある。

 歩兵は味方の火力支援の下で敵の投射武器に打ち減らされながら前進する(運が良ければ味方のカウンターマジックや矢除けが得られるかもしれない)。そのうち両軍は接触し削り合いを始める。

 戦闘はどちらかの陣形が維持できなくなったところで決する。陣形を組んだ歩兵は、一般的に驚くほど粘り強く戦うことができた。自分の隣に仲間がいることで、彼らは個人でいるときとは比べものにならない程の勇気を発揮した。

 言い換えれば、陣形を崩された側が敗北する。攻撃側は側背を突かんと騎兵を旋回させ、防御側は予備隊をもって戦線の綻びを塞ぎ、陣形の両翼を延ばした。


 側背──陣形の横や背後から攻撃されることが何故致命的なのかは、ラグビーのスクラム中に数名の重量級フォワードが横から突っ込んできたらどうなるかを想像してもらえば理解できるだろう。


 この世界における指揮官──騎士団長、将軍、軍長、族長、その他様々な呼び名で称される者たちは、基本的にはいかに自軍の戦列を維持し、また敵の戦列を崩すかにその能力を傾注すれば良かった。

 ごく稀に、国家級の魔導師による戦域魔法や、英雄と呼ばれる存在による一撃が戦争の勝敗をひっくり返すことがあったが、それは例外に過ぎない。



 再編成った南瞑同盟会議義勇軍も、その常識に従い動いていた。

 アスース近郊の平地で対峙した両軍は、互いに素人であった。市民兵も徴用兵も前進か後退しか出来ない。一度戦端を開けば、どちらかが崩れるまで戦うしか無い。

 同盟会議義勇軍指揮官のバンジェルマ将軍は、現れた徴用兵を囮と看破しつつも、これを撃破する以外に取り得る方策は無かった。

 同盟会議義勇軍は、市民兵隊を正面からぶつけ〈帝國〉軍を拘束、立て続けに都市自警軍を側面から突入させ、一気呵成いっきかせいに打ち破ることを目論んだ。冒険者たちは、軍の側面を守っている。


 だが、〈帝國〉軍はそれを許さなかった。龍騎兵に帯同した『魔獣遣い』による有翼蛇の集中運用──30匹以上の蛇が未だ行軍隊形の義勇軍本陣を空から奇襲すると共に、やはり集中運用された大型魔獣の群れが側衛の冒険者たちを食い破り、同盟会議義勇軍を大混乱に陥れた。


 バンジェルマは混乱の中戦死。統制を失った義勇軍は、包囲殲滅された。同盟会議は、全く同じ戦術に軍を打ち破られたことになる。

 情報は存在した。しかし、それを戦訓として取り入れる暇も能力も無かった。都市商業同盟としての性格が強い彼らの軍事的限界だった。



 焦げた臭いに混ざって甘い腐敗臭が漂い始めた戦場で、サヴェリューハは副官が淡々と報告する言葉を聞いていた。彼の意識は、すでに次の戦場に向いている。

「飛行騎兵団は現有兵力、翼龍騎兵21騎。ワイアーム52頭であります」

 サヴェリューハの流麗な眉がぴくりと動いた。半眼を副官に向ける。

「翼龍が1騎、ワイアームが3頭足りませんね。墜とされましたか? 損害が出たとは聞いていませんが」

「……あ、はッ! その、今回の損害ではありません」

 たちまち副官は棒を呑み込んだかのような態度になった。顔面は蒼白になっている。

「では?」サヴェリューハの声が一段低くなった。副官は脂汗を流しながら釈明した。


「翼龍騎兵1騎とワイアーム3頭、随伴した『魔獣遣い』は、先月半ばから未帰還となっているものです。閣下のお耳に入れるほどではないと……」

「私の軍において、飛行騎兵団と魔獣兵団は要。それに損害が出たのに重要ではないと?」

 副官は首筋に刃を当てられているような気配に震え上がった。いや、気配ではない。彼の首は、目の前の優男の腕が一閃すれば落ちるのだ。

「そ、その。恐らくは敵の魔術士に墜とされたものと推測されます」

 副官は、しどろもどろになりながら弁明した。だが、サヴェリューハの表情はさらに冷たくなっていった。

「貴方の推測など要りません。確かな情報を集めなさい。それとも貴方──戦場の勘を取り戻す必要がありますか? 望むなら徴用兵の一隊を預けますよ?」

 最前線に立つ徴用兵の指揮官の生存率は五割を切る。冗談では無かった。副官は必死にすがった。

「いえ! ただちに情報を集めます。あらゆる手段を用いて。全力で」

「励みなさい」


 副官は虎口から逃れるかのように、猛烈な勢いで部下の元へと駆け出した。サヴェリューハはすぐに彼に対する興味を失った。爪を噛む。


(気に入りませんね。翼龍と有翼蛇を容易く墜とす程の敵が今の同盟会議にいるとは思えません)

 少なくとも、有翼蛇がやられた時点で、翼龍騎兵は戦場を離脱するはずである。それが揃って未帰還。サヴェリューハはそこに不穏なものを感じ取った。


「ブンガ・マス・リマに行けば、分かりますかねぇ」

 あと僅か20キロ南下すれば、そこは敵の本拠地である。サヴェリューハは新たな殺戮の予感に背筋を震わせた。



ブンガ・マス・リマ大商議堂

2013年 1月3日 夕刻



 柔らかな精霊光とランプの光に照らされた豪奢な会議室は、重苦しい沈黙に支配されていた。中央の円卓には、彫像のように動かない男女が力無く席に着いている。


 敗報は、泥まみれの兵士によってもたらされた。


 義勇軍後衛に所属していたその兵士は、顔を鼻水と涙と泥でぐしゃぐしゃにしたまま、息も絶え絶えに市域を護る衛士に告げた。

「義勇軍は全滅だ! 〈帝國〉がくるぞッ!」

 幸いにも、知らせは市民に広まる前に衛士団の所で留め置かれた。急報を受けて集まった同盟会議と商都の重鎮たちは、余りの事態に言葉を失っていた。


「おしまいだ」頭を抱えたままだった参事の一人が嘆いた。

「何を言うか!」

 水軍提督アイディン・カサードが吠えた。だが、賛同の声は無い。カサードの叫びは高い天井に吸い込まれるかのように消えた。

「ようやく編成した義勇軍が全滅したんだぞ。なけなしの軍だったんだ。もはやこの都市を護る者はいないんだ」

 見苦しく取り乱す参事だったが、その言葉は事実でもあった。

「こうも容易く全滅するとは……手練れの冒険者たちもいたというのに」

 ギルド長ヘクター・アシュクロフトが声を震わせた。年齢は五十を数えているが、はがねをより合わせたような肉体に衰えを見つけることは出来ない。かつて『狂える神々の座』最深部から生還したこともある、生粋の戦士だ。

 その彼の息子も軍に加わっていた。円卓に置かれた両手は小刻みに痙攣している。気付く者はいない。

「と、とにかく今後の対策を立てねば」

 ロンゴ・ロンゴの言葉が虚ろに響く。


「市の残存兵力は?」

「我がパラン・カラヤ衛士団が二百、市警備隊が三百、撤退してくる残兵から五百は編成出来ようか……あとは市民から募るしかあるまい」

「て、敵は?」

「恐らくは五千以上。一万の我が野戦軍を破り、また義勇軍三千を殲滅した恐るべき敵である」

 衛士団長のケーオワラートが重々しく言った。絶望的な戦力差だった。

「駄目だ。やはりおしまいだ!」

「ええい、いざとなれば儂のガレーから船手を全部陸に揚げるわ! それで五百はまかなえよう」

「水夫が陸に揚がって何ができる!」

「何をッ!」


「やめなさい」

 議長席から制止の声が放たれた。柔らかな声色だ。だが、有無を言わせぬ迫力があった。海千山千の商人と、歴戦の海将を一言で黙らせるのだから並みではない。

 声の主はマーイ・ソークーン。参事会議長である。

「それだけ声が張れるならば、街へ出て兵を集めなさい。今は仲間内で言い争う時では無いでしょう」

「……確かに」

「すみませんソークーン議長」

 諭すような口振りで言い争う二人を収めたソークーンは、しがないエビ漁師の息子から議長まで上り詰めた立志伝中の人物である。昔は美男子でならした彼だが、今は立場に相応しい貫禄を備えている。

 その外見と鷹揚とした態度からは、かつて冒険商人として西方諸侯領の御用商人たちと争い、彼らから『颱風たいふう』の名で怖れられた漢とは思えない。

 ソークーンは、リルッカに水を向けた。

「リユセ樹冠国はどうしていますか?」

「はい……情勢は樹冠長の耳に入っています。いくらかの戦士は出せますが、戦況を覆す程では……」リルッカはそう言って視線を円卓に落とした。

 リユセの妖精族は一人一人が優秀な精霊魔法の遣い手であり、弓手の上手であった。その妖精族の力をもってしても戦況は好転しないという。議場に再度重い空気が満ちた。

 別の参事が、すがるように言った。

「そうだ! 〈ニホン〉の助けを借りるべきだ! あの不可思議な力を持つ軍ならば、〈帝國〉に対抗出来はしないだろうか?」

「それはよい考えだ! あの有翼蛇を倒したのだ。その力を〈帝國〉にぶつければ!」

「すぐに〈ニホン〉の代表に使いを──」


「無駄です」


 ロンゴ・ロンゴが断ち切るように言った。普段の彼からは予想出来ない程、冷徹な響きだった。周囲が一様に黙り込む。問うような視線が集まったのを感じたロンゴは、重い口を開いた。


「すでに〈ニホン〉軍の指揮官の元へ出向いて、助勢を申し出ました。ですが断られました」

「な、なぜだ!? 〈帝國〉は〈ニホン〉にとっても敵であろう」

「私もそう言いました。ですがミヨシという名の指揮官は『我々が攻撃を受けない限り、こちらから手を出すことは禁じられている』と言うばかりで、全く通じませんでした」

 ロンゴは落胆を隠そうともしない。周囲の参事たちからも失望のため息が漏れた。その中で最も衝撃を受けた顔をしている男がいた。ケーオワラートである。彼は拳を握り締め、首を振った。

「ロンゴ総主計、それは真か? 〈ニホン〉軍はすでに〈帝國〉の有翼蛇を墜としているではないか」

「ええ、私にも彼らの考えはさっぱり分かりません。ですが事実です」

「何かの間違いであろう。確かめて参る!」

 ケーオワラートはそう言うと勢いよく立ち上がり、議場を飛び出していった。



 呆気にとられた一同であったが、事態は惚けていようが居まいが変わらない。

「早晩市民にも敗報は伝わろう。治安が心配だ」

「治安だと? 我らはすでに敵対したのだぞ。〈帝國〉軍が市を陥とせば縊り殺されようぞ」

「すぐに防備を固めて……」

「いや、いっそ大陸から退くべきかも」

「馬鹿な。財物は容易くは動かせんぞ。無一文でやり直せというのか?」

 参事たちは、てんで勝手に喋り始めていた。一人が気付いた。

「そういえば、何人か姿が見えないな」

「……言われてみれば」



「逃げ出したよ」

 揶揄するように言ったのは、痩せぎすの男だ。職工組合の長を勤める彼は薄笑いを浮かべ続けた。

「商館長たちは流石に目敏いね。敗報が入った途端、大急ぎで逃げ支度だ。恐れ入る」

 組合長は「俺たちは街を捨てられん。あんたらは好きにしたらいいさ」と吐き捨てると、天井を見上げ黙り込んだ。

 何人かの参事や団体代表が慌てて議場を後にした。櫛の歯が抜けたような有り様の円卓では、さして効果の無さそうな対応策が話し合われている。


 商都内の複雑な利害関係を捌き、他国商人たちを巧みに出し抜いて、ひたすら街を大きくしてきた参事会だが、眼前に迫る〈帝國〉軍に対しては何ら有効な手を打てず、ただ呆然と立ち尽くすのみだった。



ブンガ・マス・リマ北東5㎞ 前方監視哨

2013年 1月3日 18時27分


 柘植は街道をこちらに向けて進むケーオワラートを見つけた。かなりの勢いで馬を駆っている。何か急報だろうか。そう思った彼は作業の手を止め、立ち上がった。

 彼の率いる戦車小隊は、緊迫する情勢を受けその全車両を前方監視哨に配置している。ちょうど施設隊から借りた小型ショベルドーザで予備の戦車用掩体を掘り終えたところだった。

「ずいぶん急いでいますね。まさか、戦況に動きが?」

 砲手の根来二曹が迷彩服の泥を払いながら言った。南瞑同盟会議側が敗北を重ねていることは、すでに陸自側も把握している。無人偵察機からの映像には、街道に沿って延々と倒れ伏した南瞑同盟会議軍の死骸が映し出されていた。


 先遣隊本部は隷下の各隊に警戒を厳とするよう指示を出すとともに、偵察隊に対してオートバイ斥候の派出を禁じた。

 陸自は、鬱蒼と茂る熱帯林の傘に邪魔をされ、南瞑同盟会議軍を屠ったはずの〈帝國〉軍を見失っている。先の戦闘は北方わずか20キロ。どこから〈帝國〉軍が現れてもおかしくは無い。

「いや、無線は静かなままだ。第一、〈帝國〉軍が現れるなら俺たちが最初に接触するはずだ。別件だろう」

「何でしょうね?」

「分からん。まあ、ちょうど良い。小休止にしよう」

 柘植はそう言うと、ここ数日ですっかり打ち解けた異世界の武人を出迎えるため、森を出た。



 衛士団長殿はよほど急いだようだ。柘植はケーオワラートの姿に驚きを覚えた。彼が乗る葦毛の馬体はびっしりと汗をかいている。鼻息は荒い。そして、普段なら彼の後を駆けて付き従う従者のカルフの姿が見えない。

「こんにちは。ケーオワラート団長殿。何かありましたか?」

 ケーオワラートだけは、普段と変わらず鞍の上で真っ直ぐに背筋を伸ばしていた。

 いや。 

 よく見ると、ケーオワラートは尋常ではない緊張感をその顔面に漲らせていた。大きな瞳はつり上がり、口元は微かに震えている。戦の前でもこんな表情をするだろうか? 柘植は訝しんだ。


「ケーオワラート殿。もし、重要な話であれば向こうで伺いますが?」

「……いや、この場でよい」

 柘植の申し出をケーオワラートは即座に断った。重々しい動作で軍馬を降りる。彼は周囲の隊員などいないかのように、柘植を見つめていた。


「ツゲ殿。貴殿に問いたいことがある」

「何でしょうか?」


 ケーオワラートは、一言一言絞り出すように言った。常に不思議に思うことだが『通詞の指輪』は、その言葉の持つ空気さえ翻訳しているようだった。彼の言葉は重苦しい響きを纏っていた。


「昨日敗報が届いた。義勇軍が全滅した。聞いておるな?」

「……ええ、概略は」柘植は慎重に答える。


「参事会は貴国に救援を求めた。だが、貴国は断った──何故だ」


 ついに来たか。柘植は先遣隊長の三好一佐とのやりとりを思い出した。指揮官参集が命じられ集合した本部で、彼らは告げられていた。

『〈帝國〉軍と南瞑同盟会議軍の情勢は達した通りだ。だが、現状は部隊行動基準を満たしていない。各部隊は明確な敵対行為を受けるまでは、交戦を禁じる』

『しかし、〈帝國〉軍は確実にブンガ・マス・リマに来ますよ。そして、同盟会議側にろくな戦力は残っていません。我々が助けなければ……』

『南瞑同盟会議は日本国の同盟国ではない。そもそもまだ国家として承認したわけでもない。防衛出動の根拠が無い』

『でも、目の前で山ほど殺されている。そして、もうすぐもっと死にます』

『死んでいるのは我が国の国民では無い。治安出動の要件も満たさない。手出しはできん』

『じゃあ、我々は何を根拠にして、いったい何のためにここにいるんですか?』

『命令は命令だ。各隊は警戒を厳とし、攻撃を受けた場合は速やかに報告せよ。可能な限り交戦を避けよ。以上』

 参集した各指揮官は全員が納得のいかない表情を隠さなかった。三好一佐ですらそうだった。法律上、無理に無理を重ねた派遣である。彼らの立場はあいまいで、異世界の人々の扱いもまた、あいまいであった。


 普通科小隊長が柘植に言った。『まるでPKOだぜ』

 目の前で第三国同士が戦闘行為を行っていても、手出しできない。危険を回避しつつ、呼びかけるだけ。民間人が襲われていても、介入できない。幾度となく議論の俎上そじょうに上がりながら、なおざりにされてきた矛盾だ。

 柘植たちにとって最悪なことに、日本国民が回したツケの払いが今、彼らの元に回ってきたのだった。


「我々は部隊行動基準によって行動を定められています。現時点で『帝國軍』と呼称される武装集団から我々は攻撃を受けておらず、交戦は許されていません」

「……貴軍は戦えないと申すか」

「もし、攻撃を受けた場合は反撃を許可されています」

 ケーオワラートはうなった。

「すでに〈帝國〉軍の手によって多くの街が焼かれ、鬼畜の所業が行われているのだぞ。奴らは間違い無く来る。いずれは貴軍と当たるであろう。それが明らかでも今は戦わぬと言うのか?」

「……心情としては味方したいのですが」

 柘植は不条理を思い知らされながら言った。

「襲われているのは南瞑同盟会議の人々であり、我が国の法律上これを助けるための武力行使は許されていないのです」

 口を開くのが嫌になった。酷い話だ。

 ケーオワラートは、柘植の言葉に顔を歪めた。そして、一瞬目線を北へ向けた後、静かに言った。

「……ツゲ殿。我は貴軍が厳しい軍律を守り、鍛え上げられた兵たちであることを知っている。であるからこそ、国法は絶対なのであろう──それが如何なるものであれ」

 ケーオワラートはそこで言葉を切った。真っ直ぐに柘植を見る。黒々とした大きな瞳に、次第に感情が宿るのが分かった。

「だがッ!」ケーオワラートが吼えた。


「ツゲ殿。我が民の被害は是非も無きこと。我らの力が及ばぬが故に塗炭の苦しみを与えている。その責めは我らが負うべきであろう。

 だが、〈ニホン〉はすでに〈帝國〉軍の侵攻を受けたのであろう? 多くの民を殺され、街を焼かれ、千を超える民が拐かされたままなのであろう! であるのに何故だ! 何故戦えぬ?」

「それは……」

 ケーオワラートの剣幕に、周囲の隊員が一様に驚いた。ようやく彼に追いついて来た衛士団員やカルフも目を丸くしている。柘植は言葉を接げない。

「ツゲ殿は我に言ったな。〈ジエイタイ〉は日本国の平和と独立を守り、国民の生命と財産を守る。我はその言葉にいたく感服したのだ。まさに武人の本懐であると。我らと志を同じくする者たちだと──その言葉は、偽りであったのか?」

 ケーオワラートの顔は真っ赤だった。その瞳は真摯な色を浮かべ、柘植を見つめている。口ひげが震えていた。ケーオワラートは柘植の言葉を待っていた。

「……それでも」柘植は言葉を絞り出した。

「それでも我々は、命令に従わねばなりません。それが我らの義務──」

 柘植の内心は混乱していた。俺は、命令だからと思考停止しているのではないか? そんな思いが少なからず沸き起こった。だから、柘植は目を伏せた。後ろめたさを抱えたまま、ケーオワラートの視線に耐えられなかった。

「義務なのです。命令が無ければ交戦は出来ません」


 ケーオワラートの手甲がぎちりと音を立てた。

「貴殿は己を偽っている。……だが、もう良い。我は見誤っていたようだ」

 鱗鎧が金属音を立てる。彼は軍馬に跨がると、馬首を巡らせた。


「失礼する」




 その日を境に、自衛隊とパラン・カラヤ衛士団の関係は決定的に悪化した。衛士はことあるごとに自衛隊員を悪し様に罵り、それによって市民の態度も一変した。

 衛士や市民との問題が発生することが懸念された。ただ、それは杞憂に終わった。〈帝國〉軍南下による情勢の悪化から、先遣隊本部は各隊に外出禁止を指示。部隊は臨戦態勢に入ったのだった。



2012年9月ごろ    〈帝國〉軍、南部沿岸諸国に侵攻を開始

2012年12月23日  同盟会議軍と〈帝國〉軍、第一次会戦。同盟会議軍敗北

2012年12月27日  自衛隊、ブンガ・マス・リマに揚陸を開始

2013年1月3日    同盟会議軍と〈帝國〉軍、第二次会戦。同盟会議軍敗北。〈帝國〉軍主力はブンガ・マス・リマ北方20キロに迫る。


自衛隊派遣の根拠法規をどうにかしてでっちあげようとしても苦しいことこの上ありませんね。


この話の後、第1話の場面に繋がります。

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