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幽世の竜 現世の剣  作者: 石動
第2章 御盾
14/76

第2話 『市場』

時間は第1話から6日ほどさかのぼります。

揚陸から3日目

ブンガ・マス・リマ旧市街

2012年12月30日 12時34分



「うひゃあ、賑やかだなぁ」

「おい村上、迷子になるんじゃないぞ」

「いや、中隊長。ガキじゃないんすからそれは無いですよ」

「いや、村上なら有り得ると思うな」

「根来さんまで、そりゃないっすよ」


 雑踏の中を三人の自衛官が歩いている。アメリカ合衆国以上に人種の坩堝るつぼである(何しろ元の世界では恐らく百パーセントだった「人間」が、こちらではせいぜい『最大勢力』という扱いなのだ)交易都市にあっても、彼らの出で立ちはなかなかの注目を浴びている。

 彼ら三人がいるのは、ブンガ・マス・リマで『旧市街』と呼ばれる地域である。まだ都市が町であった頃、ここは交易の中心だった。商品を山のように抱えた隊商と交易船が行き交い、荷揚げ場は活況を呈していた。

 町には市が立ち、様々な取引が行われ、船乗りが旅の垢を落とした。各地から集まる彼らを当てにしてありとあらゆる店が軒を連ねた。


 町が大きくなるにつれて、交易の中心は別の場所に移ったが、市民の為の比較的小規模な商いは残った。そして、商人たちの胃袋を満たすべく集まった店もまたそのままであった。

 今では、市街有数の飲食店街として市民の憩いの場を提供している。


「美味いメシの気配がする」

 柘植が鼻をひくつかせて言った。

「出た出た、中隊長の美食センサー」


 以前は鮮やかな紋様が描かれていたのだろう。いまは色褪せた石畳の道が川沿いに延びている。道の川面側には船着き場があり、小さな交易船が荷揚げを行っていた。荷揚げ場は、商人たちが少しでも儲けを出そうとするやり取りの喧騒に満ちている。

 道を挟んだ反対側は商店がひしめき、生活雑貨や衣料品が簡単な天幕の下に並んでいた。行き交う人々の波は途切れることがない。三人は人並みを縫うように街路を歩いた。


「本当に賑やかなところですね。まるで、シンガポールのボート・キーだ」

「ずいぶんと洒落た感想だな。俺はアメ横を思い出したよ」

「しかし、思ったよりずいぶんときれいな都市です。驚きました」


 露天商の売る針や籠を冷やかしながら、根来二曹が感心したように言った。根来二曹は柘植小隊長車の砲手である。和歌山出身、長身痩躯で落ち着いた態度の男だ。何時も淡々と的を射抜く腕の良い砲手である。

 大学時代バックパッカーとして放浪した経験から、根来は都市の衛生環境を地球の都市と比較し、予想より良いことに驚いたようだった。


「それ、俺も思いました。同期には『頭の上からうんこが降ってくるから気を付けろよ』なんて言われてたんで……」

 操縦手の村上三曹が辺りをキョロキョロと見回しながら同意した。体格の良い村上の子供じみた仕草を見て、すれ違った使用人風の少女がくすくすと笑う。

「うんこってなぁ、お前……まあ、いいか。確かにこの異世界の大都市は驚くほど清潔だ。捕虜の聞き取りから得られた『中世ヨーロッパ』程度の文明とは思えない」

 確かにその通りだった。人口二十万の大都市は、清潔さを保つ努力に余念が無く、それはある程度の成功──地球で言えば発展途上国の首都レベル──を収めていた。

「厚労省の担当官やうちの医官も驚いていたよ。ここの住人は公衆衛生の概念を体験的に理解している」

「はあ」村上が適当な相づちを打つ。

「つまりだ。煮沸消毒や紫外線消毒。上下水の分離に廃棄物処理、伝染病患者への対応まできちんとやるんだよ。どうも細菌の存在にも気付いているらしい」

「それは、大したものですね。でも、何故そんなに進んでいるんでしょう?」

 根来が質問した。柘植は二人の目を順に見つめ、ニヤリと笑って言った。


「神さまのいうとおり、だよ」


 柘植の言葉に根来と村上はぽかんとした顔になった。柘植は自分もこの話を聞いたときはこんな風だったなと思った。


「ある神官が、衛生員の持つ医療キットの中身を見て言ったそうだ。『これらは聖別されたものですね』とな。その神官は消毒液から抗生物質まで、たいていの薬効を言い当てた」

「どうやって? 俺たちでも見分けなんかつかないのに」

「こっちの神官は『本物』なんだよ。ちゃんと神さまのお告げを聞けて、信者に手をかざせば奇跡が起こせる。だから、いくつかある教団の神官や司祭は、修行を積んだ魔法使いなんだ──この表現が正しいかどうかは知らんがな」

「良いものと悪いものが分かるんですね」

「そうだよ。だから、抗生物質が『悪しきもの』をやっつける効果があると分かったし、信者たちには清潔な環境を維持するよう指導する」

 柘植は、微妙な笑顔を浮かべてその後を続けた。

「こっちの世界の村人は、怪我をしたらきちんと患部を清潔にして、薬効のある薬草を当てる。それでも駄目なら神の奇跡で治してもらうんだ。

 俺たちの御先祖さまはどうだ? 馬糞汁を飲んだり、水銀を塗ったり、悪い血を抜いてみたり。しまいには先祖の行いが悪かったとか言い出す始末だ。泣けてくるね」

「熱が出たら尻にネギを入れるなんてのも、俺やられたっす」村上が尻をさすりながら言った。

「効いた?」

「あんまり」

 村上の言葉に、根来がやや引き気味に応じる。柘植は、両手を広げなるべく胡散臭い顔を作ると二人の部下に結論を告げた。


「この世界には、いと尊きかみさまがひとびとをみちびいてくれるんだ」


「……ファンタジーだ」

 根来が、呆れたようにぽつりと呟いた。


「だからこそ、俺たちが街に出られるんだ。良いことだよ。ほら、いい匂いがしてきたぞ」

 柘植たちが街をぶらついているのは、れっきとした職務である。一般隊員の現地民との接触は未だ制限されていたが、偵察隊や衛生員に対しては、情報収集目的での行動が認められていたのだった。

 戦いにおいて、その場所を『知らない』というのはとてつもなく不利なことである。検疫は彼らの行動を許す程度には完了している。柘植は民情把握と市街地の地形偵察を兼ねて街に繰り出していた。


 とはいうものの、柘植一尉の『偵察』はその対象の選定において、著しい偏りを見せていた。


「中隊長、あそこなんか美味そうじゃないですか?」村上が、前のめりになって言った。

 視線の先では、上半身裸の屈強な男たちが、大きな木の椀を抱えて何かをかき込んでいた。濃厚な肉と乳の匂いが辺りに漂う。

「どれどれ?──荷揚人足かな? あれは……粥か」

 堅太りの親父が大きな鍋で麦粥を煮込んでいる。乳とチーズで煮込まれた粥には、ゴロゴロとした大きな肉が浮いていた。親父は大汗をかきながら鍋をかき混ぜる。味付けは粗塩だろうか。男たちはたっぷりとした粥を、ガツガツと胃に流し込んでいる。

「確かに美味そうだが、多分味付け濃いぞ。肉体労働者の昼飯だ」


 辺りを見回せば、食料品店が立ち並んでいる。

 魚屋には、裏手で荷揚げされたばかりの魚が並べられていた。どれも目は澄んでいて新鮮だ。ただ、やはりどの魚も見たことが無い種類だった。七色に輝くウロコを持つナマズがいる。一体どんな味なのか検討もつかない。

 店の親父が「どうだい兄さん、痺れる旨さだぜ!」と薦めてきたが、さすがに生魚には手を出せなかった。


 肉屋の軒先では籠に入れられた鶏がやかましい。頭上には羽根を毟られた仲間が、ぶらりと吊り下げられている。寡黙な店主が、手際よく肉をさばいては客に手渡していた。

 鶏、豚、水牛、山羊(に似た生き物)の肉に加えて、加工品も扱っているようだ。肉厚のベーコンやハム、干し肉が艶めかしい色を放っていた。よく塩が効いていてとても美味そうだ。チーズもある。水牛のものだろうか? 

 変わったところではカエルやヘビの肉も売られていた。柘植もカエルは食べたことがあった。鶏に似たさっぱりとした味がなかなかいける。ただ、彼が食べたカエルの足は六本も無かったけれど。


 隣は青果店だ。色鮮やかな野菜の葉が、南国の恵みを現していた。やはり柘植たちが知る野菜や果物は無かったが、新鮮さだけはよく分かった。熟れすぎてはじけたマンゴーに似た果物の果肉から、濃厚な甘い香りが漂っている。

 青果店では、ジュースも売っているようだ。おかみさんが手早く搾った果汁が飛ぶように売れている。柘植は一際繁盛している店を見つけた。


「氷だ。一体どうやって?」

 その店では、氷でよく冷えたジュースを出していた。柘植が裏手を覗くと、灰色のローブを着込んだ貧乏そうな青年が桶に氷を生み出していた。

「おーい、氷足りねえぞ。まだかバイト!」店員が怒鳴った。

「はいはーい!……いま、やってますって。魔力も無尽蔵じゃないんだけどなぁ──あ、やべ」バイトと呼ばれた魔術士は、ブツブツと小さく何かを唱えながら手から氷を作り出していたが、不意にストンと腰を落とした。

「おかみさーん、打ち止めです」そのままへたり込む。

「えぇ? もうかい──仕方ないねえ。冷やし果汁、いまあるだけだよー!」おかみさんは、桶の氷をガリガリと砕きながら、声を張り上げた。


「魔法使いが製氷機か──貧乏学生ってところかな」

「MPが切れたんすかね」

「値段見たらよその三倍でしたよ。コスト的に割りに合うんだろうか?」


 三人は口々に感想を言う。正直なところ街の豊かさに舌を巻いていた。店には商品が溢れ、庶民の購買力もある。異世界の全貌は未だ明らかではないが、少なくとも未開の蛮族たちという認識は誤りであることは間違いなかった。


 柘植はもう一度小鼻をひくつかせると、一軒の飯屋を指差した。

「あそこが美味そうだ。俺の魂が囁いている」

「えーっと……赤い、敷物──赤絨毯亭、ですか」

 根来二曹が先遣隊員に配布された『マルノーヴ語の手引き』と、看板の文字を見比べて言った。

「見ろ。客層が偏っていない。加えて近所の商人らしい連中もいる。ああいうところは、たいてい美味いぞ」

「何でもいいっす。はらへったー!」村上が叫んだ。

 三人は、天幕に下げられた日除けの布を潜り、店内に足を進めた。柘植が店主に声をかける。言葉は『通詞の指輪』で大丈夫なはずだ。

「こんちわ。親父さん空いてるかい?」

 その瞬間、椅子代わりの木箱に腰掛け食事をしていた客たちが、一斉に三人の自衛官の方を振り向いた。老若男女(とそれ以外)の遠慮ない視線に、柘植たちはたじろいだ。何だこいつら? 視線はそう言っている。

「適当に座ってくんな」店主がぶっきらぼうに言った。

「ちゅ、中隊長。店、選択誤ってないっすか?」

「狼狽えるな。俺たちは異邦人だ。大抵こんなもんだよ」

 そうこうしていると、褐色の肌をした給仕の若い女が客をかき分けて近づいてきた。派手さは無いがエプロン姿がよく似合う。

「いらっしゃいませぇ。お客さん珍しいいでたちね。外国の方かしら?」

「そんなもんだよ。腹が減っているんだが、お薦めはあるかい? なまもの以外で頼む」

 柘植の問いかけに彼女は、小首を傾げた。くせ毛のショートヘアがさらりと揺れる。

「もちろん。看板メニューがあるわ」

「じゃあ、そいつを三つ頼もうか」

「何か飲む?」

「あいにくと仕事中でね。飲み物はいいよ」柘植が迷彩服の襟を引っ張りながら言った。

「それ、お仕事着なのねぇ。じゃ、お薦め三つ」

 彼女はそう言うとくるりと長いスカートの裾を翻し、寡黙な店主が鍋を振るう厨房へと戻っていった。


「いい店ですね、中隊長」

 村上が言った。その目は厨房へと戻る給仕の女の子の尻を追いかけている。柘植は、村上の背中を平手でどやしつけた。

「さっきと言っていることが違うじゃないか」

「痛ぇ! いや、いいお尻だなぁと」

「馬鹿。品位を保つ義務を忘れたか……いやまあ確かに見事な張りだが」

「でしょ?」

 確かに、給仕の女の子の尻は、スカート姿でも分かるほど豊満であった。柘植はもう一度村上の背中をひっぱたいた。


 それを見て、周囲の客がどっと笑った。

「どこでも、兵隊は同じじゃの」枯れ木のような禿頭の老人がニヤニヤ笑いながら言った。

「あんたら〈ニホン〉の兵隊じゃな?」

「はい、日本国自衛隊です。やはり、分かりますか?」柘植が答える。老人は笑いを大きくした。

「あんたらの格好はよう目立つからのう。それに、どこの国のもんでも兵隊は必ずアミィの尻を追っかけるでな。初めは話が通じるか分からんと思っとったが、そこの若いのを見て、ワシらと変わらんと思ったよ」

 老人の言葉に、また周囲の客が笑う。店内の雰囲気はいつの間にか和らいでいる。村上三曹の行動も、どうやら意外に役に立ったようだ。

「ご隠居だって毎日アミィの尻を眺めに来てるじゃねえか!」

「う、うるせぇ。年寄りをいたわれ」


 老人とのやりとりが、引き金になったのだろう。刺すような視線から逃れたと一安心した柘植たちは、今度は遠慮ない好奇の目と質問の集中砲火を浴びる羽目になった。

「あんたが隊長さんかい?」商人が言う。

「はい、柘植と言います。この二人は私の部下です」

「なら騎士さまだね。それにしちゃ、兵隊とおんなじ格好だねぇ」

「海の向こうから援軍として来てくれたんだろ? ありがとうね」おばちゃんが頭を下げた。

「東の浜にどでかいゴーレムがたくさん上がったらしいが、あんたらかい?」背の低い髭面の男が、鼻息荒く尋ねた。

「ゴーレム、といいますかまあ我々の装備です。あなたはもしかしてドワーフですか?」

「そうだ。今度あんたらのゴーレムを見せてくれんか? ところでその腕につけた飾りはなんだ?」

「時計ですが」

 途端にドワーフが立ち上がり、顔を真っ赤にして柘植の腕に顔を寄せた。ちょっと脂臭い。かれは、柘植の腕時計をまじまじと見つめ、しきりに首を振った。

「ありえん。こんな小さな盤の上を針が……これは刻時盤だな? どうやって動いとる? むむむむ、ちょっと分解していいか?」

「いや、それは困る」

 さらに、魔法使い風の青年が身を乗り出して言った。

「あの、あの鉄船に乗ってきたんですよね? 有翼蛇を墜とした魔法はライトニングですか? そもそもどうやって動いているんですか? 系統は? 魔晶石を使うのですか?」

「いや、その……」



「〈ニホン〉にはあたしらみたいなのはいるの?」猫のような耳と目を持つ女が村上に聞いた。

「えーっと、アキバになら……」

「おお! 獣人もいるのか〈ニホン〉には」

「冒険者ギルドはあるか? 未知の世界に行ってみたいぜ」革鎧を着た戦士風の男が言った。

「えーっと、派遣登録みたいな感じ? なら沢山あるかな。多分数万人規模で登録してると思う」村上が答える。

「す、数万人!? そんな大規模ギルドが存在するのか?」戦士風の男を始め、周囲は目を白黒させた。

「で、では信仰の対象は? どの神に祈っているのですか?」気の優しそうな中年男性が言った。

「神? アイドル? アイドルならこないだ東京ドームで──」

「ほう、〈ニホン〉の人々は、48柱の女神を信仰しておられるのですか……え、48柱どころじゃない? なんと!」

 微妙に間違った情報が流布されるのを聞きながら、柘植は質問の制圧射撃に頭すら上げられない状況である。

 それを救ったのは、両手に料理を乗せた、給仕のアミィだった。

「はいはい、どいてどいて。おまちどうさま」

 テーブル代わりの樽の上に赤い皿が並ぶ。片方は沢蟹だ。からりと素揚げされた蟹が朱く色付いている。もう片方の皿には、見事に茹で上がった海老が山盛りになっていた。車海老より一回り大きな海老の身は、ぷりぷりと弾力があり肉厚だ。

「うちのお薦めよ。海老はたれをつけて召し上が──」

「いただきます!!」

 彼女が言い終わる前に村上は料理にかぶりついていた。柘植と根来も苦笑しつつ手を伸ばす。

 沢蟹を口に放り込む。噛んだ瞬間、口の中に蟹肉の旨味が広がった。パリパリとした食感が心地よい。シンプルな塩味と油の風味、微かな蟹味噌の香りに、次々と手を伸ばしたくなる。

「ビールが飲みたいな」根来が言った。柘植も全く同感だった。

 次に海老を食べる。赤いたれをつけて口に入れた。茹でた海老の身が口の中でほぐれ、肉汁が溢れる。海老の甘味とたれの辛味が絶妙だ。魚醤、大蒜、赤茄子、唐辛子、辺りだろうか。地球と全く同じものでは無いだろうがとにかく──

「うまいな」

「うめぇ」

「おいしいなぁ」

 三人は揃って料理の味を褒め称えた。


「!!」


 その瞬間、周りで息をのんで見守っていた客たちが、大きくどよめいた。何だか嬉しそうだった。

「な? いけるだろ? ここはこの辺でも一番の店なんだ」

「看板娘はかわいいしな。オヤジは無愛想だけどよ」

「……」

「よその人にも味は分かってもらえるのね。嬉しいわ」

「なあ、〈ニホン〉の軍人さんよ。あんたらの国にはこんな旨いものあるかい?」

「そもそもどんな国なんだ? 教えてくれよ」

 給仕のアミィが腰に手を当て、胸を張っている。店主の親父もさり気なくこちらを見ていた。彼は柘植たちの食べっぷりを確認すると、また黙々と鍋を振り始めた。

 わいわいと賑やかな客たちに囲まれて、柘植たちは飯を食った。店が愛されていることが分かり柘植も嬉しくなった。


 その時、店先で鉄の擦れる音が聞こえた。誰かが来たようだ。


「御免。おや、今日はいつもより賑やかであるな」

 重厚な印象の声が店内にかけられた。はっきりとした発音のそれは喧騒の中でも不思議とよく響いた。給仕のアミィが声の主に返事をした。

「あら、団長さま。いらっしゃいませ!」

 団長、という単語を聞いた客たちが、さっとスペースを開いた。その空間を一人の威丈夫がゆったりと進む。

「おお、団長どの。御役目御苦労様ですな」老人が親しげに声をかけた。

「む、ご隠居。今日も生きておったな。重畳の至りである」

 声をかけられた男はそう言って笑った。周囲の客も笑う。柘植の目にも、その男が相当な敬意を払われていることが分かった。それでいて、みな親しみを持って接している。

 男はがっちりとした体格の身体をきらきらと光る鱗鎧で包み、その上から緑と白の縞模様が鮮やかな長衣を羽織っていた。背筋は真っ直ぐに伸び、鎧の重さを感じさせない。

 小脇に赤と青二色の羽根飾りがついた円筒形の帽子を抱えている。帽子の額には大きな赤い宝石が留められていた。

「この騒ぎの元は──貴殿であるな」

 漆黒の色を湛えた瞳は大きく、強い光を放っていた。鷲鼻と豊かな口髭が、父性を感じさせる。穏やかな態度であった。しかし、柘植はそこに風圧のようなものを感じ取った。

(ただ者じゃないな。軍人? いや武人、か)

 僅かに値踏みするような、言い換えれば人物を見られているような気配を感じ、柘植は箸を置き威儀を正した。二人の部下もそれに倣う。その様子を見て、男は腰に提げた曲刀の鞘に左手を当て、右拳を顔の横に掲げた。

「我が名はウドム・デールゥ・パラン・ケーオワラート。騎士にしてパラン・カラヤ衛士団団長。貴殿は?」

 ケーオワラートと名乗る男の時代掛かった口上に、柘植は陸上自衛官らしい生真面目な敬礼を返した。

「一等陸尉柘植甚八。日本国陸上自衛隊アラム・マルノーヴ先遣隊偵察隊長です」

 ケーオワラートは柘植の動作に、自分たちに通じるものを感じたようだった。彼は面白そうな表情をすると柘植の隣に腰掛けた。従者の少年が、素早く帽子を受け取る。

「ふむ。噂に聞く〈ニホン〉の騎士に相見えられたことを嬉しく思う。風変わりな出で立ちだが、なかなかの勇者揃いと聞いている。我はブンガ・マス・リマ参事会より兵権を預かり、東市街を鎮護している者だ」

 そう言うケーオワラートは、柘植の態度をじっと見ていた。警備部隊指揮官として、異邦から現れた軍を見極めようとしているようだ。柘植は努めて冷静に応じようとした。

「都市の警備に当たる責任者にお会いできたことは幸いです」

「貴殿──ツゲ殿で宜しいかな。斥候の長というが、どれほどの部下を率いておられる?」

「はい、約50名の部下がいます。それと車両がいくらか」

「ほう、なかなかの兵力である。イットウリクイというのはツゲ殿の軍における位階であるのか?」

「はい、その通りです。『通詞の指輪』にておおよその感覚は伝わっていると思いますが」


 ケーオワラートは大きく頷いた。

「百人隊長といったところであろう? 我が手勢は二百を数えるが、この広い市街を護るには手が足りぬ。『帝國』を名乗る蛮族どもが迫る昨今においては特にな。まあ、この界隈に戯けた悪党がおらぬ故、我が御役目もどうにかなっておる」

 ケーオワラートは周りで興味深そうにしている客たちを見回した。周囲の者はうんうんと頷いた。


 その後も、話は多岐に渡った。柘植の感触では警備部隊指揮官であるケーオワラートは、自衛隊に好意を抱いているようだった。おそらく海自ミサイル艇の奮戦が伝わっているからだろう。

 ケーオワラートは、陸自の編成や装備に興味を示し、様々な質問を投げかけてきた。

(警備上の情報収集が半分、個人的な興味が半分といったところか)

 加えて、彼の背後に控える従者の少年の態度がいかにもあからさまだった。年齢は13、4歳くらいだろう。手足のひょろ長い華奢な体躯は、まだ発展途上で凛々しさよりも可愛らしさが勝っている。数年後には立派な騎士に成長する要素はあるが、今はまだ子供でしかない。

 そんな彼は、柘植が話す自衛隊や日本の話に興味深々のようだった。いつの間にか直立不動の姿勢が、柘植の方向に20度ほど傾いている。

「我々の主力装備は戦車です」

「『戦車』とは如何なるものか? ゴーレムのようなものであるか?」

「ゴーレム、ですか。私はゴーレムを見たことが無いのでなんとも。90式戦車はこのお店にようやく一両入る程の大きさで──」

「ええっ!」

 ケーオワラートの背後で甲高い驚きの声が上がった。周囲の視線が集まる先には、顔を真っ赤にした従者の少年が両手で口を押さえている。

「カルフ! はしたないぞ」

「申し訳ありません!」

 カルフと呼ばれた従者の少年は、慌てて謝った。しかし、くりくりとした黒目がちの大きな瞳の奥には、隠しきれない好奇心が溢れていた。柘植は苦笑して言った。

「ケーオワラート団長殿。もし明日御時間が許すのであれば、我が隊の演習を御覧になりませんか? 参事会の許可を得て市街北東部で『戦車』の運用試験を行っているのです」

「誠ですか!?」

「カルフ!……失礼仕った。だが、大変興味深い。貴殿の申し出有り難くお受けしよう。この通り我が配下も噂に名高い異邦からの騎士団に興味が尽きぬようであるからな」

「では、お待ちしています」

 現地警備部隊指揮官と知己を得るのは、有意義であろう。柘植はそう考えた。同時に、ケーオワラートたちに対して純粋に好意を覚えた自分を感じていた。周囲の客たちも、両者のやりとりを誇らしげに見守っていた。


「では、間もなく巡察に出ねばならん。此にて失礼致す」

「はい、明日お会いしましょう」

「店主、邪魔をしたな。御免」

 そう挨拶すると、ケーオワラートは長衣を翻し大股で店を出て行った。


 ケーオワラートを見送ると、村上がしみじみと言った。

「いやぁ、雰囲気ありますね。渋い」

 すると、人足風の男が胸を張って言った。

「この街が平和にやっていられるのも、パラン・カラヤ衛士団のおかげさ。邏卒で手に負えない連中も、衛士団にかかればイチコロよ!」

「それでいて、こんなところまで気軽に足を向けて下さる。お優しい御方じゃよ」老婆が手を合わせた。

「あんたらも、何かあれば団長さまに話を持っていくといいよ」おばちゃんが言った。

(こいつは僥倖だったかな)

 柘植は周りの態度に大きな手応えを感じていた。少なくとも、現地住民との関係は良い滑り出しであると言えた。



「さてと、俺たちも行くか!」

 人垣の中から、溌剌とした声が上がった。柘植がそちらを見ると、革鎧を着た戦士とその仲間らしい集団が、荷物を抱え上げている。

「おい、オドネル。そんな装備を抱えてどこに出かけるんだ?」

 オドネルと呼ばれた戦士は、装備を確認しつつそれに答えた。

「義勇軍さ。帝國の奴らが迫っている。参事会がギルドを通して義勇軍を募っているんだ」

 後を受けて魔法使い風の青年が言った。

「私たちは冒険者ですが、戦の心得も有ります。街の危機に見て見ぬ振りは出来ません」

「その通りだレナーワ。俺たちみたいな冒険者は、精鋭として遊撃隊に編成される。見てな! この戦いで『碧の右腕』の名が高らかに響き渡るところを」

 オドネルはそう言って、腕輪を付けた右腕を高くかざした。腕輪には碧い水晶が飾られている。彼と彼のパーティーは揃いの腕輪をトレードマークにしているようだった。オドネルを含め8人の男女は、店主が作った携行食を受け取ると、意気揚々と店を出て行った。



「怪我しないといいけどねぇ」

 客の一人がぽつりと呟いた。

 ファンタジー世界の衛生事情について考えてみたのですが、普通ならかなり残念なことになります。見目麗しいエルフや女騎士さまが汗と脂くさいのではちょっとあれですよね(そこがいいという人もいる)。いろいろ考えた結果『神様』に頼るほかあるまいという結論に達しました。ある程度の経済力は必要ですが、神のお導きで『清潔』という概念を人々が理解しているとお考えください。


 神は偉大なり(ちなみにマルノーヴ世界は多神教です)

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