第1話 『前方監視哨』
揚陸から9日目
ブンガ・マス・リマ北東5㎞ 前方監視哨
2013年 1月5日 13時04分
地域最大の河川であるマワーレド川が、ゆったりと蛇行している。川幅500メートルに及ぶマワーレド川の流れは緩やかで、水量は豊富だ。川は南へ3キロ程下ったところで西に支流を分け、さらに毛細血管のように分岐しつつ海へ注ぐ。
交易都市ブンガ・マス・リマは、このマワーレド川河口域の三角州地帯に、市街地を広げている。市は本流東側、本流と支流に囲まれた最も大きな中洲、支流の西側の3地域に分けられており、それぞれ「東市街」「中央商館街」「西市街」に分かれている。
季節は乾季である。照りつける太陽が、灰色の水面に反射している。川の両側にはブンガ・マス・リマへと続く街道が整備され、流れに寄り添っていた。
以前は鬱蒼とした熱帯林に覆われていたが、交易都市の営みにより周囲5㎞四方の森は切り開かれ、湿地と草原に姿を変えていた。
乾季にもかかわらず充分な水量を湛えたマワーレド川の川辺では、背中に瘤を持つ水牛に似た生き物の親子がのんびりと水を飲んでいる。その背には色鮮やかな水鳥たちが、羽を休めていた。
水面に水音が響く。大型の淡水魚が跳ねたのだろう。音に驚いた水牛が頭をもたげると、背に止まっていた水鳥が一斉に飛び立った。けたたましい鳴き声と共に、赤や紫の羽根が辺りに舞う。
水牛は、自分には関係ないという風情で、また水を飲み始めた。
のどかで平和な景色だ。
だが、もしも地元の者がこの場に居たならば、すぐに違和感に気付くはずだ。
川が静か過ぎるのだ。
普段は街道を隊商がひっきりなしに往来し、川面には交易品を満載した船や、川魚を捕る小舟がひしめいていた。
川縁には漁師や住民が生業の為に働き、舟を引く人足が賑やかな掛け声を上げていた。
だが今は、全てが絶えていた。水面はたまに跳ねる川魚以外に揺らす者はなく、船も人も途絶えている。まるで、巨竜に例えられる事もあるマワーレド川が、息絶えたかのような静まり方であった。
もう一つ。もし、景色を眺めた者が熟練のスカウトか猟師であれば、違和感に気付けたかもしれない。
マワーレド川の東側。川と街道を見下ろす小高い丘の上に小さな森がある。その貧弱な茂みの端に、自然には存在しない獣がその身を伏せていた。下生えの中に目を凝らすと、その付近に岩のような気配がある。
マルノーヴ派遣調査団、陸自先遣隊偵察隊所属の90式戦車だ。
複合装甲を纏った鋼の獣は、ラインメタル社製44口径120㎜滑腔砲を北方に向け、獲物を待つ肉食獣の様に身を隠していた。角張った砲塔側面、偽装網の隙間からは北海道と蠍の部隊章が見えている。
偵察隊付戦車小隊長、柘植甚八一等陸尉は車長席から上半身を出し、タスコ社製軍用双眼鏡を構えた。彼は偵察隊長を兼ねており、指揮下には90式戦車4両と73式APC1両、二個小銃分隊及び各種車両を置いている。
一個戦車小隊という戦力は、先遣隊が普通科中隊基幹であることを考えると、かなり張り込んだ感がある。実際の所、偵察隊という体裁をとってはいたが、その装甲と火力が当てにされていることは間違いなかった。
陸自は過去に得た捕虜や、南瞑同盟会議からの情報を基に、異世界での戦闘において戦車の火力を必要とする場面を想定しているのだった。
(だからって、うちが出張るのは無理やり感があり過ぎるな)
柘植は思った。彼本来の所属は第1戦車群第301戦車中隊であり、彼は戦車中隊長であった。ところが、マルノーヴ派遣調査団に合わせて陸自先遣隊が編成される際、第9戦車大隊を押しのけて、彼の中隊から一個小隊が派遣されることになったのだった。
どうせ、どこかの戦車屋が90式を異世界で好きなだけ走らせてみたいなんて考えたに違いない。俺自身話を聞いた時は素晴らしい考えだと思った位なんだから、間違いない。
ごり押しは、それなりに高いところから行われたのだろう。表面上はすんなりと収まった。だが、当然ながら基幹中隊を派遣する第9師団側は良い顔をするわけがなかった。結果しわ寄せは現場が被ることになった。
柘植は先遣隊長の神経質な顔を思い出した。細面がまるでカマキリのような雰囲気の一佐である。何かにつけて柘植の小隊を目の敵にしていた。
柘植一尉、君の小隊はもう少し上品に食事が出来ないものかね? 我々は日本国を代表して来ていることを考えたまえ。
ああ、思い出したら腹が立ってきた。柘植は顔をしかめると、前方に広がる景色に意識を戻した。雄大な大河と、緑豊かな草原。人工物のほとんど無い大自然の光景は素晴らしいものだったが、柘植はそう気楽な気分ではいられなかった。
普段の彼は他人に穏やかな印象を与える男であり、その丸顔にはめったに厳しい表情を浮かべない。ともすれば頼り無げに見える程で、威厳で部下を統率するタイプの指揮官では無く、部下が自然に手助けをしたくなる類の男だった。
だが、いま彼の表情は厳しい。
そこには、彼に与えられた任務が影響している。
彼の小隊はブンガ・マス・リマ北東5㎞の現地点に前方監視哨を設け、警戒監視任務に付いている。また、90式戦車の運用に関する地形偵察も行っている。併せて、北方に無人機及びオートバイ斥候を展開させ敵情の収集に努めていた。
12日前、北方の平原において南瞑同盟会議野戦軍が敗北。帝國軍は同盟会議側の抵抗を排除しつつブンガ・マス・リマへと迫っていた。
数日前から、偵察部隊と思われる敵騎兵の姿をオートバイ斥候が確認していた。近いうちに敵の主力が姿を現すことは間違いない。柘植はそう見積もっている。戦争が足音を立て近付いていた。気楽な気分になどなれるはずもない。
さらに、頭痛の種はもう一つあった。
「中隊長、連中です」
「──ん、了解。それから今の俺は小隊長だ」
操縦手の村上三曹からの報告にぞんざいに答えた後で、柘植は眼下の良く整備された街道上に目を向けた。
マワーレド川に沿って南北に街道が走っている。舗装はされていないものの、道幅は約10メートルあり、車両の走行も充分可能である。街道を南に進めばブンガ・マス・リマ東市街が存在している。
その街道上を、幻想世界の住人が北へ進んでいた。数は50名程。騎乗士が数名確認できる。
隊列を組む兵士たちの鱗鎧が陽光を反射している。彼らはその上に遠目にも色鮮やかな緑と白の縦縞模様の長衣を着ていた。さらに頭には水鳥の羽根で飾った帽子を被っていた。中でも騎乗士の帽子は一際派手に飾られている。
彼らは全員が武装していた。腰には短めの曲刀を下げ、肩には長刀のようなポールウェポンを担いでいる。列の最前には軍旗が誇らしげに掲げられていた。明らかな軍、ただし現代のものでは無い。
彼らは『パラン・カラヤ衛士団』と名乗る集団である。ブンガ・マス・リマ東市街の警備を担当する、商都に残された数少ない戦力だ。
「相変わらず派手な連中ですね。まるでチンドン屋だ。虚仮威しにしかならないですよ、あんなの」
砲手の根来二曹が、冷え切った口振りで言った。普段は物静かで冷静な性格なのだが、眼下の集団には明らかに好意的では無い。耳を傾ければ周囲からも悪し様に罵る声が聞こえた。
声の主は戦車の周辺を固める普通科隊員たちだ。全身を偽装用の草木で覆い、タコツボに身を沈めている。
本来ならばたしなめる立場の柘植であったが、とてもそんな気分にはなれなかった。彼にとって、目の前を巡察の為に行進している集団は、大きな頭痛の種であったのだ。
気がつけば、衛士団の先頭を進んでいた騎乗士が、柘植たちが潜む森を見ていた。右手を頭の横に掲げ、隊列を停止させる。しばらくして騎乗士は従者を従え、こちらへと馬を進め始めた。こちらを見つけているようだ。
柘植は顔をしかめた。偽装が不十分だったか? いや、履帯跡か。もっと丁寧に消さないと駄目だな。
彼が偽装の手管についてあれこれと考えている間にも、騎乗士はどんどん近付いてくる。柘植は大きな溜め息をついた。放っておけばあの御仁は、周囲の普通科隊員たちと揉め事を起こすに違いない。柘植には確信があった。
「仕方ないか──各自そのまま待機」
柘植は小隊長車から飛び降りると、普通科分隊に待機を命じ、自ら騎乗士を出迎えた。少しでも威厳を示そうと戦闘上衣の裾を引っ張って伸ばす。どうも、大した効果は無さそうだった。
騎乗士は、柘植を認めるとゆっくりと近付いてきた。やはり、知った顔である。出来れば見たくない類の。だが、地元治安部隊の指揮官を無視する訳にも行かなかった。
柘植は努めて友好的に、騎乗したままでこちらを見下ろす男に声をかけた。『通詞の指輪』で話は通じるはずだ。
「こんにちは。ケーオワラート団長殿。巡察お疲れ様です」
騎乗士──パラン・カラヤ衛士団団長ウドム・ケーオワラートは極めて尊大な態度でそれに答えた。派手な羽根飾りのついた円筒形の帽子の下には、褐色の肌をした中年男の顔がある。
毛虫のような眉毛の下のぎょろりと大きな瞳が、柘植を見下ろしている。蔑むような目つきを隠そうともしていない。鷲鼻と豊かな口髭、その下に隠されたへの字に曲げられた口元、全てが頑固で偏屈な性格を表しているようだった。
彼はにこりともせず、言った。
「これは、ツゲ殿。貴公らはよく飽きもせずそうしておるな。まあ、その隠蔽の腕だけは大したものだ。野盗どもに優るとも劣らん」
「ありがとうございます」
「皮肉もわからんか──まあ良い。此処はそのうち〈帝國〉軍が現れよう。その前に避難するがよかろう」
ケーオワラートの口振りは、酷く手厳しいものだった。こちらに好意を持っていないことは明らかだ。
「いえ、我々にも任務がありますので」
柘植の答えにケーオワラートは口元を歪め、低い笑いを漏らした。
「戦いもしないのに森に隠れることが御役目か。貴国の軍はずいぶん変わっておるな。……そういえば軍では無いのだったな」
森の中に伏せている普通科隊員や、戦車乗員からの刺すような視線に気付いているのかいないのか、彼は辛辣な言葉を柘植に浴びせ続けた。
「その後ろのハリボテが道を荒らして困ると近場の民から申し立てがあった。気を付けることだ」
「善処します」
「それから──街に来る際はもう少し綺麗な格好で来ることだ。他の客が迷惑する」
ケーオワラートは、柘植の戦闘服を一瞥し、揶揄するように言った。柘植は何も返さない。ケーオワラートはその様子に、鼻を鳴らすと馬首を巡らせ隊列へと戻っていった。
「なんてムカつく野郎だ!」
「あいつらがだらしねえから、本拠地までヤバいんじゃねえかよ! それを棚に上げて好き放題言いやがって」
「あのクソ髭、引っこ抜いてやりてえな」
尊大な衛士団長の背中に向けて、隊員たちから悪し様に罵る声が上がる。柘植も流石に怒りを覚えた。
だがそこで、騎乗した主人の後ろを歩く小柄な人物が目に入った。柘植とは顔見知りの従者の少年だ。
彼は柘植と目が合うと、その華奢なつくりの顔に心底申し訳ないという表情を浮かべ、頭をぺこりと下げた。そして、胸に槍を抱えてよたよたと主人を追いかけて行った。
柘植は毒気を抜かれてしまい、気の抜けた口調で呟いた。
「最初は、こんなんじゃ無かったんだがな……」
柘植小隊がマルノーヴ大陸ブンガ・マス・リマ市東方に揚陸されてから8日。〈帝國〉軍が北方約10㎞付近まで迫り、都市は危急存亡の情勢下にある。
だがこの時、日本国陸上自衛隊マルノーヴ先遣隊と南瞑同盟会議ブンガ・マス・リマ市警備部隊、パラン・カラヤ衛士団との関係は、最悪の状態にあった。
『派遣調査団』
政府特使及び随行員(外務省主導)合同調査団(各省庁合同チーム)警護班(警視庁警護課)
海上保安庁
『マルノーヴ派遣船隊』
巡視船〈てしお〉〈おいらせ〉
測量船〈明洋〉〈海洋〉
設標船〈ほくと〉
海上自衛隊
『マルノーヴ派遣隊群』
旗艦 掃海母艦〈ぶんご〉(群司令乗艦)
海洋観測艦〈すま〉
第1掃海隊
掃海艇「いずしま」「あいしま」「みやじま」
派遣ミサイル艇群
第1ミサイル艇隊
ミサイル艇〈わかたか〉〈くまたか〉
第2ミサイル艇隊
ミサイル艇〈はやぶさ〉〈うみたか〉
マルノーヴ派遣輸送隊群
第1派遣輸送隊
輸送艦〈おおすみ〉〈ゆら〉
〈LCAC1号〉〈LCAC2号〉
SH-60J×3機
第2派遣輸送隊
多用途支援艦〈ひうち〉〈えんしゅう〉
曳船、特別機動船、交通艇他
陸上自衛隊
マルノーヴ先遣隊(増強普通科中隊基幹)
先遣隊本部
本部班
通信小隊
衛生小隊
施設作業小隊
普通科中隊
中隊本部班
小銃小隊×3個
迫撃砲小隊×1個
対戦車小隊×1個
偵察隊
本部班(無人偵察機×1)
戦車小隊(90式戦車×4)
小銃班(73式装甲車×1、軽装甲機動車×2)
オートバイ斥候班(オートバイ×8)
戦車直接支援班
後方支援隊
本部班
補給小隊
整備小隊
管理小隊
施設隊
配置等
『ブンガ・マス・リマ沖』
第1掃海隊(海自) 航路啓開
第1ミサイル艇隊(海自) 周辺哨戒
マルノーヴ派遣輸送隊群(海自) 部隊・物資輸送
マルノーヴ派遣船隊(海保) 測量、航路啓開
『ブンガ・マス・リマ南方多島海域』
第2ミサイル艇隊(海自) 調査団護衛
合同調査団 現地調査
『ブンガ・マス・リマ中央商館街』
政府特使及び随行員 外交交渉
警視庁警護課 特使護衛
小銃小隊 市街警備
『ブンガ・マス・リマ西市街』
マルノーヴ先遣隊本部(陸自) 全般指揮
普通科中隊(二個小銃小隊欠)市街警備
対戦車小隊 市街警備
『ブンガ・マス・リマ東市街』
小銃小隊 市街警備
迫撃砲小隊 市街警備
『ブンガ・マス・リマ東方海岸』
後方支援隊 物資集積所設営
施設隊 物資集積所設営
戦車直接支援班 整備支援
『ブンガ・マス・リマ北東5㎞地点』
偵察隊 前哨警戒
編成及び主要配置をつけてみました。自己満足です。考えるのは楽しいですが、皆さんに分かり易い記述にするのは難しいですね。
やはり地図ですかね。地図にしてしまうと軍事的な矛盾やら作者の知識不足が明らかになってしまうのが泣き所です。