第七話「鏡面と恐怖の狂想曲」
今回は外部からの協力で、レドラスタジオのかくかく氏に執筆していただきました!ありがとうございます!
この作品はサイコネクトproject公式ページで連載しているものの転載です。
そちらではボイスドラマやMVも公開しているのでよかったらそちらでもお楽しみください。
コチラ⇒ http://saikonekuto2016.jimdo.com/
――――「それ」は、どんな時でも少年のことを見守っていた。
「それ」と少年の運命の出会いは、ほんのひと月前ぐらいのことだった。
ある日、「それ」が街中のカフェでくつろいでいると、通りに面した大きなガラス窓の向こうを通りがかった少年が、突然、店内にいる「それ」の方を向いてニッコリ微笑みかけてきたのだ。
「それ」に向けられた、天使のような可愛らしい笑顔。「それ」は一瞬にして恋に落ちた。一目惚れだった。
「それ」は少年の後を密かに追って、すぐに彼の住居を突き止めた。少年は地元で有名な小中一貫校の学生寮の住人だった。年下の少年への片思い。
ああ、なんて罪深いんだろう、と「それ」は思った。
最初は遠くから見守るだけの恋だった。毎日のように早起きしては、寮が建つ丘の麓に出かけて行って、少年が現れるのを今か今かと待ち続けた。少年が現れると常に一定距離を保ちながら共に学校へ通った。天使の如き彼に変質者が目をつけないとも限らないから、下校時間を確認しておいて、自分の学校が終わるといつもすぐ駆けつけていって献身的に少年を見守り続けた。
朝となく夜となく、決して悟られぬよう注意しながら。
だが、いつの間にか「それ」の存在は相手に悟られていたようだった。
そして、喜ばしいことに、少年もまた「それ」に好意を抱いてくれていることが分かった。少年のことを見守り続けていて次第に気付いたのだ。少年には、かなり頻繁に独り言を発するクセがあった。最初は疑問に思ったが、やがてその疑問も解けた。彼は、遠く離れた場所にいる自分に向かって話しかけてきているに違いないのだ。
その証拠にホラ、彼は今もまたクラスメイトの肩越しにこちらを見て、笑顔になってみせてくれている。誰かと話すのを装って、自分への愛を表現してくれている。有言と不言、両方による愛情表現。まさしく天にも昇る思いだった。
「それ」は少年と自分が、気が付けば両想いになっていることを確信しつつあった。
だけど最近、「それ」にはひとつ懸念事項があった。少年が時々予想より早く起きて学校へ行くことがあったのだ。どうやら週に何度か、朝の学内で得体の知れない女と密会を交わしている様子なのだ。どうも、その女は少年が動物好きであることを利用し、巧みに魔性の道へと少年を引きずり込もうと画策しているようだった。その証拠に女は黒猫を飼っていた。きっと夜な夜ないかがわしい黒魔術でも行使しているに違いない。消えてしまえと思った。
しかも最近また気付いたが、忌々しいことに少年の身体からは女の匂いがする。
そう、女の匂い、がするのだ。まるで得体の知れない、何かこの世のものとは思えない匂いが。
元の綺麗な天使のような純白を取り戻してあげなくちゃ、と「それ」は決意した。
彼のためにも。
そうだ、彼のためにも。彼のためにも。彼のためにも。彼のためにも。
カレノタメニモカレノタメニモカレノタメニモカレノタメニモカレノタメニモカレノタメニモカレノタメニモカレノタメニモ
「それ」の様相は次第におぞましい変化を帯びつつあった。
しかし「それ」は、己のいま置かれている状況に、気が付く気配は一向になかった――――。
* * *
弼星アイナは、怯えていた
毎朝クシで丹念に整えているやや長めのサラリとした頭髪。学校指定ブレザーに包まれた、見るからに華奢な体躯。そして思春期の男子にしては妙にきめの細かいすべすべした肌。どの要素をとっても、男子より女子に向いているそんな彼が今や、小さなウサギ小屋の陰で身を縮こまらせ、不安げな表情で辺りをチラチラと見回しているのだ。それはまるで、捕食者の襲撃に怯える小動物のようだった。
(……ユーク、どう? どっかその辺に、誰か隠れたりしてない、よね?)
(どうでしょう……あの人、いつも不意打ちですますから。今気配を感じられる範囲にはいないようだけど、何の拍子に飛び出してきてもおかしくはないありませんです)
……相変わらず、タイピングの雑な人間が打った文言を校正もせず放置した結果みたいな酷い日本語力だが、今は声に出してツッコむ気力さえも湧いてこない。それぐらいアイナは疲れているのだ。
まぁ、というか正確にはツッコむにも声に出す必要はない。心の中で念じれば事足りるのだから。
先程からアイナの傍でフヨフヨ浮いている、日本語力の残念なこの真っ白ドレスの少女こそ、宇宙の彼方から飛来し、大分以前よりアイナの肉体と同居している精神生命体のユーク。アイナ以外の何者にも視認は不可能という、何やら怪しげな存在だが、いざという時には二人で力を合わせて脅威に立ち向かったりもする。
やかましくも頼りになる、今ではかけがえのないアイナの相棒だった。
(きゃっ、かけがえのない、なんてアイナさんそんな。私照れちゃいます)
(うるさいよ! 元はといえば、誰の所為でこんなことになったと思ってるんだ!? 反省してよ!)
(うう、しょぼん……)
アイナの抗議にユークが珍しく落ち込んだ表情となっていた。
実際今も、アイナには余裕がないのだ。それに引き換え、つい先ほどエサをやり終えたばかりの小屋の中のウサギたちの何とも呑気な光景よ。スマイル、クローバー、ミミと名付けられた三匹の白兎たちは仲良くニンジンに噛り付きながら、小屋の外に座ってミャーミャー鳴く黒猫のミナモと世間話に興じていた。ミナモは、同級生であるヒトミの飼い猫なのだが、外出好きなため、いつの間にかウサギ小屋三兄弟と顔見知りになっていたのである。
「……おい、アイナ」
「ひゃああああああああああああああああああああ!?」
「うわっ、ビックリした」
突然、背後から肩に手を置かれたアイナが情けない声と共に飛びあがると、それを見た張本人の牧村スバルがギョッとした様子で仰け反った。ビックリしたのはこっちだ、脅かすなよ!
突然の大騒ぎに、それまで平和だった動物四人衆までもがビクッと警戒の態度を見せていた。
クラスメイトのスバルは、アイナとは対照的にガッシリとしていて背の高い、髪型もややワイルドな風貌の持ち主だった。今の彼は、体操着姿である。この時間帯に学校にいるということは、朝練だろうか? 曲がりなりにも、バスケ部のエースなのだし。何にせよ、背後から声をかけるのは本当にやめてほしい。
「急になんだよ!?」
「いや、今日はヒトミちゃんいないから、どうしたかと……つーかアイナちゃん? いつも女扱いするなーって言ってる割に、このビビリ具合はどうよ。ナヨッとしてるのは前からだけどよ、ここんとこ妙に拍車かかってねぇか? 大丈夫か?」
「う……だってそれは、その……」
「しかも聞いたけどよ、おまえ最近時々、女みたいな服着て、化粧して出かけてるらしいじゃねえか」
アイナの眉が片方ピクッと痙攣する。スバルから一瞬目を逸らし、自分の斜め上方向にいるユークを見た。
(……どうしてくれるんだ、噂になっちゃってるじゃないか!)
(……ピュ~……ピュ~)
アイナに睨まれたユークはワザとらしく目を逸らし、すっとぼけた表情で口笛など吹いていた。
念を押すようだが、彼女の存在はアイナ以外には見えても聞こえてもいない。
「まー、思春期だから色々悩むのは分かるけどよ」
「うん、スバルだって同い年だからね?」
(私は二万と七千歳も年上です!)
(君はちょっと黙っててくれ!)
「何かあるなら、思い詰める前に相談しろよ? こう見えても生徒会の副会長さまだぞ」
そう、スバルは不真面目そうな風体だが、実は木の葉が丘学園の生徒会副会長を務めていたりする。
おまけに特待生で、バスケ部のエース。ある意味で、他人の面倒を見るのが当たり前になるポジションなのだ。
アイナは、ハァと深くため息を吐いてから目の前の友人を見上げた。
「……仕事熱心なのはいいことだよね」
「え? あ……いや、間違えた。俺が言いたいのはそういうんじゃなくてだな」
そのとき不意にピロリン! と。アイナのポケットのスマホが着信音を立てた。
アイナは思わずビクッと身をすくめてしまう。空中に浮いているユークも同様だった。
二人は無言で顔を見合わせてから、恐る恐るスマホを取り出し、画面を点ける。
『心配しなくていいんだよ――――』
Conetの新着通知にはそう表示されていた。
『――――アイナちゃんには私がついてるからね?』
「ひいいいいいいッ!」
「おい、アイナ!?」
増々怯えたように辺り一帯を見回すアイナの姿に、スバルがまたも仰天していた。
何処だ、何処にいる? 彼女は一体いま何処に……!?
ピロリン! ピロリン! ピロリン! ピロリン!
『ところで、今日は朝から随分顔色が悪いみたいだね? 何かあった? 具合でも悪い?』
『もしかして、あのストーカー女が現れたりしないか不安なの? そうだよね。誰だって不安に決まってるよね』
『遠慮しなくていいんだよ? 何も言わなくたって分かってるから。怖かったよね。辛かったよね。許せないよね』
『でも、もう大丈夫だよ。アイナちゃんは何も心配することなんてないの。いつも私が傍にいてあげるから――――』
狂ったように続く幾度目かの着信の後、「それ」の姿をアイナは確かに目撃した。
それ」はウサギ小屋を挟んで校舎の反対側、駐車場に停められた乗用車の向こう側に立っていた。
アイナの全身の血液が凍り付いたかと思った。ふと着信音が鳴り止み、「それ」がスマホから顔を上げこっちを見た。
車の窓ガラス越しに目が逢った。世界全てがスローモーションのように感じられ、彼女がにんまりと笑みを浮かべる。
ゾゾッと全身に鳥肌が立ち、次の瞬間、アイナは身を翻して脱兎の如く駆け出していた。
「うわああああああああああああああ!」
「――――遅れてごめ……弼星くん!?」
その直後、ようやくもう一人の飼育委員――クラスメイトの飼篠ヒトミが現れた。
ヒトミはすれ違うように何処かへ走り去っていくアイナを驚いた表情で見守りながら、彼の絶叫にまたもビックリして飛びあがったミナモを咄嗟の動きで抱きとめ、同じくポカンとしていたスバルと顔を見合わせる。何があったの? と。
そこで先程の出来事を思い出したスバルが、思わずアイナが凝視していた方角に
目を向ける。が、いつの間にか「それ」は、今までいた場所から忽然と姿を消してしまっていた。
* * *
そもそもの発端は、今から数週間前のことだった。
アイナが宇宙からやって来たユークと出会い、幾度かの戦いを経験し、ようやくこの二心同体生活にも慣れてきた頃、ユークは時折アイナの身体を乗っ取っては街に繰り出すようになっていた。似たようなことは前から何度も起きていたが、アイナがすぐに意識を取り戻して抵抗するため、一応、大きなことには発展せずに済んでいたのだ。
だがその日は、アイナ自身も知らぬ間に、疲れが溜まってしまっていたらしい。性懲りもなく出現した異次元生命体・スルーク人と二度目の死闘を繰り広げた翌日のこと、週末というのもあってアイナは学生寮にある自分の部屋で今までにないぐらいぐっすりと寝込んでいた。ユークはというとその隙に、アイナの身体を乗っ取り、ご丁寧に可愛げな化粧品とファッションまで準備して街へと出かけたのだ。身体の主であるアイナに邪魔されないうちに目一杯、地球文化を堪能してやろう、と企んだらしい。
後になってからユークに聞いたところでは、彼女はとあるカフェの前を通りがかった際、通りに面したガラス窓に自分の姿が写っているのを見かけ、特別深い意味もなしにそれを覗き込み、身だしなみを整えニッコリと、自分自身に向かって微笑みかけてみたのだという。まぁ、よくある行動と言えば、よくある行動だった。
ところがそれが、間違いの元だった。数時間してようやく意識を取り戻したアイナが、仰天しながらどうにかこうにか体の主導権を奪い返し、人目も憚らずユークにひとしきり小言を言ってから学生寮に帰宅した後、はや数日。アイナは徐々に、何か奇妙なプレッシャーのようなものを感じるようになっていた。
誰かに常時見られ続けているような、両肩にのしかかる重たい感覚。
勿論最初は、ただの思い過ごしかと考えた。だが一週間が経過した頃、
アイナのConetに一件の友達申請があったのだ。
相手の名前は『キョウコ』といった。どうもアイナを女性と勘違いして申請してきたような口ぶりだったのだが、それでも良ければ話しませんか、などと言ってくる。アイナは躊躇ったが、気付けば相手に押し切られてしまっていた。
最初の数日間はまぁ、やり取りの内容も頻度も割と普通だった。その日何をしたとか、こんなものを見たとか、他愛ないことを一日に数件程度。そのぐらいならば別に大したことも無かった。しかし次第に様子が変わってきた。というか、妙な勘違いをされていることに気が付いたのだ。
ひとことで言うと、アイナとキョウコが互いに想い合っている、というもの。キョウコの側から間違いを装って友達申請をしたのも、直接自分に話しかけてこられない奥手なアイナに配慮しての事なのだとか。余りにも突飛な発想に、アイナは当初訳が分からなかった。それからしばらくして、ユークから最近の出来事を聞き出すうち、原因が判明した。ユークがアイナの身体を乗っ取って街に出たあの日、アイナの顔で微笑みかけたカフェのガラス窓の丁度向こう側に、たまたま偶然キョウコが座っていたらしいのだ。それを自分へのアプローチだと勘違いした。そういうことだったのだ。
アイナは慌ててすぐ、誤解であることを伝え、友達登録を解除しようとした。
が、いつの間にかそれは不可能になっていた。
ここでアイナとユークはとんでもないことに気付かされた。一度ならず、二度までもアイナとユークのコンビに敗北したスルーク人の怨念が、最期の悪あがきと言わんばかりに、アイナの所有するスマホに一種の呪いともいえるロックをかけていったのだ。もはやアイナの意思では、キョウコとの友達登録が解除できないようにされてしまっていた。
『――――フハハハハハハ、ジブンのタンマツガジユウにナラナイクルシミヲ、コレカラずっとアジワイツヅケルがイイー!!』
スマホに遺っていた、スルーク人のみみっちい捨て台詞にアイナたちが困惑する間にも、キョウコからの怒涛のメッセージ攻撃は続いた。一時は返事をせず放置しておけば諦めるかとも思ったが、むしろキョウコはアイナが恥ずかしがっている、などと盛大に勘違いしたらしく、メッセージ攻撃は日増しにヒートアップ。
手遅れだと気付いた頃には、一日の受信数が百件を超えることも珍しくなくなっていた。
* * *
(重ね重ねごめんなさいです……アイナさん……)
(……こうなった以上は、もうどうにもならないよ。それより、キョウコさんのしつこさの方が問題だ。一体どうやったら、こんなにも執念深く追って来れるんだ…?)
アイナとユークは、ひとまず校内の男子トイレの個室に隠れ潜んでいた。木の葉ヶ丘のトイレは男女共々キレイに整備されているし、しばらくならば息を潜めていても苦痛ではない。
勿論、永遠にという訳にはいかないが。
(そういえば、さっきから通知音がしませんね)
(スマホの電源切っちゃったから……キョウコさんの所為で最近、やたら充電の減りが早いんだ)
(端末が起動できないと、日常生活も不便で仕方ないありませんね。でもGPS機能が働かないお陰で、少しだけ身軽に感じるのでは?)
(まあ流石に、こんなトイレの中までは特定されないだろうけどさ……)
そう言ってみてから、アイナはふと不安になって、閉め切ったドアの上のほうを見上げた。
古典的ジャパニーズホラーでは、ドアをひとつずつ開けながら接近してきた末に頭上から無言で覗き込んでいたとか、あるいは位置情報を逐一伝えながら接近してきた末に「いま君の後ろ」でシメるなどという恐ろしいものが存在するが、幸いにも今のところ、アイナにそういう事態が起きる気配はなかった。
尤も(もっとも)、キョウコの行動を考えるといつ現実になっても不思議ではないのだが。
(……出ようか。今のところ外に人の気配もないみたいだし)
アイナはユークと頷き合い、音を立てないようにしてソッとトイレの個室から表に出る。静寂に包まれたその場所には幸いにも、アイナの他には誰の姿も見当たらなかった。天井のライトは全て点灯し、個室のドアもひとつ残らず開け放たれている。何処か物陰に潜んでいる、という可能性もどうやら無いようだった。
アイナはひとまずホッと胸を撫で下ろし、洗面台の前を通り抜け廊下に出ようとした。が、そのとき、
「ヒィッ……!」
(あ、アイナさん……!?)
思わず掠れたような悲鳴を漏らして、その場から勢いよく飛び退るアイナ。
今、一瞬ではあるが、目の前の洗面台の鏡に、アイナの肩越しに微笑むキョウコの姿が見えた気がしたのだ。
しかし、改めて見るとそこには誰もいない。思わず、真横にあった鏡の中を覗く。やはり何も映ってはいない。
どうやら只の錯覚の様だった。アイナは深々と息を吐いて安堵した。
「よ、よかった……ビックリした……」
(……ま、また、変なものが見えたんですか?)
(ここのところ、毎日だよ……疲れてるのかな)
この一週間というもの、アイナは妙な幻覚に悩まされ続けている。
その原因というのが、件の怨念によってConetのGPS機能がこちらからの操作を一切受け付けないままフル稼働している影響で、最近は何処へ行ってもキョウコに後をつけられてしまうことだった。とにかく四六時中、彼女に監視され続け
ていることになる。街を歩いている間は勿論、学校でも商店街で
当分スマホを封印してしまえばいい、などと思われそうだが、木の葉ヶ丘学園はスマホの専用アプリが学生証を代行しているため、ここの生徒である限り事実上それは不可能だった。新たに端末を買う金銭的余裕もない。
その関係で、例えばスマホの画面電源をオフにしている時などでも、ふとした拍子に黒い画面を覗くと、その中に映るアイナの真後ろに、不意ににんまりと笑うキョウコの姿が垣間見える瞬間があるのだ。それに限らずに、テレビにタイル、窓ガラスどころか果てには風呂場の湯船でさえも、光を反射し鏡面となり得る全ての物体の前では、その中にキョウコの姿が写っているのでは、という強烈な不安に襲われるようになっていた。
いまやアイナは、彼女の所為で軽いノイローゼ状態に陥ってしまっているようであった。
(アイナさん、今日ぐらい学校を休まれた方がいいのでは……?)
(……って言っても、もう少ししたら期末テストだしさ。このタイミングで休むってのもね。それに飼篠さんたちと話せば、少しは元気も戻るかもしれないし、大丈夫だよ)
(それはそうかもですけど)
(あ、いけない。もうすぐ授業始まるみたいだ。ほらいくよ、ユーク)
黙ってアイナの後をふわふわと浮かんでついていくユーク。彼女は、アイナの声色に何処か無理をするような雰囲気を感じ取っていたものの、その状況を作り出したのがそもそも自分であることを思い出して、基本的に明るい彼女にしては珍しく、次第に何も言えなくなってしまっていた。
そうして、バタンとドアが閉まって、アイナたちの姿が男子トイレから消えた直後。
人気と明かりが消えて、薄暗く湿った空間。そこに明かりを取り込む曇りガラスの向こう側に。
「それ」のふたつの瞳が音もなく現れて、アイナの去っていったドアの表面をジッと突き刺すように見つめるのだった。
* * *
授業の内容は、結局殆ど頭に入らなかった。
それどころか、相変わらず背中のみならず四方八方から感じる異様なまでのプレッシャーの影響で時間が極度に長く感じられ、ようやく午前中の授業が終わったばかりだというのに、アイナはもう八時間ぐらい経過したような疲労感を覚えていた。気にし過ぎかな、とアイナは増々ひとりで塞ぎ込んだ。
「弼星くん……どうかしたの? 今朝見た時から、何かすっごく顔色悪いよ?」
「……飼篠さん」
昼食もロクに食べられず、机にぐったりと突っ伏した状態でいるアイナを見かねたらしく、飼篠ヒトミが気遣うように声をかけてきた。可愛らしいショートボブヘアに、同年代に比べて非常にゆったりとした落ち着いた言動。そんな彼女が、アイナの顔を心配そうに覗き込んでくれている。普段のアイナならば小躍りして喜ぶところだが、現在はそんな元気さえ湧かない状態だった。
天候の影響もあるかもしれなかった。今日は朝からずっと灰色の曇り空が続いていて、学校内はもとより、町全体が何処となく薄暗い。いつ土砂降りが始まっても不思議ではないように思えた。
(ううう……アイナさんがご飯食べなかったから、私も今にもバタンキューしそうです)
(……表現が古いよ)
アイナの斜め上の空間に漂うユークも、アイナのローテンションと空腹が伝染したのか元気がなかった。彼女のやたらと時代遅れな表現にツッコむアイナの言葉にも、明らかに覇気が抜け落ちている。
「なあ、今朝も言おうかどうか迷ったんだけどさ、」
と、ここでスバル登場。彼もまた難しい顔をしてアイナのことを見てくる。
「アイナお前、最近すっげーやつれて見えるぞ。もしかしてあの噂、本当か? 年上の女にストーカーされてるって……」
「す、ストーカーって……牧村くん、それどういうことなの?」
「ここんとこ、学校の周りで明らかに関係者じゃない女が、何度も何度も目撃されてるらしくてさ。で、色々調べてみたらアイナのこと、追い回してるんじゃないかって話になって。どうなんだよ、アイナ?」
「……べ、別に心配するようなことじゃないよ」
アイナは思わず目を逸らし、ボソッと言い訳するかのように答えた。
「ただちょっと、こっちと向こうの認識に行き違いがあるだけでさ。それを、そんな軽々しくストーカー呼ばわりして突き放すだなんて、それこそ女々しいじゃないか。根気よく説得して、分かってもらうしかないよ」
「……そんな余裕があるようには見えねぇけどな」
スバルが呆れたような顔で言ってくるのが微妙に癇に障って、アイナは少しだけムスッとなった。
なんだ、普段はしつこく女扱いしてくるクセに、こういう時だけ勝手な。
「とにかく、大したことないから」
「まぁ、そこまで言うなら分かったけどさ……って、あれ? 気のせいか……」
「……どうしたのさ、スバル」
「いや、いま一瞬、廊下から誰かがこっち見てたような……」
「ひいいいいい!?」
思わず音を立てて椅子から飛び退き、廊下側から逃げるようにして反対の窓際に駆け寄ってしまう。
それを見てクラスメイトたちがしばし呆気に取られていたが、やがてスバルが悪戯っぽくペロリと舌を出して言った。
「ごめんウソ♪」
「もう二度とノート貸してあげないからな!?」
「とまあ、冗談は置いといてさ」
一転、スバルは真剣な眼差しでアイナのことを見つめてきた。
「真面目な話、アイナお前、相当追い詰められてるじゃねーか。そろそろ何とかしないと、ヤバいんじゃねぇの?」
「…………う」
「あんま無理すんなよな、アイナ。なんなら一緒に、警察に相談に行ったっていいんだぜ」
「それは……無理だよ。この辺は今じゃ、怪獣がやたらいっぱい現れる影響で防衛隊だけじゃなく、警察だって警戒態勢取ってて手一杯の状態じゃないか。とてもボクになんか、構ってくれやしないよ」
「ああもう、分かんねえ奴だなぁ!」
ここへきてとうとう、苛立ったようにスバルがハッキリそう言った。
「俺だって今まで女扱いしまくってたからさ、気負わせちまったってんなら謝るよ。だけどこれだけ酷い状態になっといて、何が何でも強がって一人で解決しようとする意味なんかねぇだろ。本当にどうしたんだよ、アイナ?」
アイナは反論しようとして、思わず口をつぐんでしまう。改めて、どうしたんだ、と言われても言葉に詰まる。
そういえば、確かにどうしてなんだろう。ただ、自分はそうするべきなんだと思ったまでのことで。
すぐ近くでユークが(一人じゃないですますよ~!)などと手をバタバタさせているが、この場はスルー。
すると、今まで黙っていたヒトミがようやく、重々しい様子で口を開いた。
「――――もし、怪獣だったら?」
アイナとスバル、それにユークは揃って驚いたように彼女を見つめる。ヒトミは、動じずに再度言った。
「そのストーカーの女の人が……もしも、怪獣になりかけているんだとしたら? どうかな、弼星くん」
「え、あの、それってどういう……?」
「弼星くん……牧村くんもさ、この前の怪獣学の授業覚えてる? モクレインっていう怪獣のことなんだけど」
「モクレ――――あっ、待てよ、何言いたいのか、大体分かったぞ、飼篠ちゃん!」
「……?」
キョウコのストーキングによって疲労困憊のアイナには、恥ずかしながら最近の授業内容は記憶が薄い。
ひとり置いてけぼりを食うアイナに向かって「ちょっと待ってろよ」とくぎを刺した後、スバルは自分のロッカーへ近づいて行ってゴソゴソやったかと思うと、しばらくして何か大きな便覧のような冊子を引っ張り出し、小脇に抱えてすぐアイナたちの元へと駆け戻ってきた。
スバルがアイナの机の上に広げたもの、それは怪獣学の授業で使う資料集だった。ここには一九五〇年代の初頭に発生し始めた怪獣災害の歴史と概要、それに伴い世界各地で出現するようになった過去の様々な怪獣および、その被害と対策の数々が写真と共に収められている。怪獣図鑑、などと呼ぶ者さえいるぐらいだ。
「あー、どこだ、どこだ……モクレイン……も……も……あった! 飼篠ちゃん、これじゃねえか?」
「ありがとう、牧村くん。……弼星くん、この怪獣のところ読んでみて。もしかしたら、何か心当たりあったりしない?」
パラパラと捲った資料集のあるページを、ヒトミに促されたアイナは渋々ながら目を落としてみる。
そこに記されていたのは《視千怪獣モクレイン》と名付けられた怪獣のデータだった。
その姿は、町全体を覆うようなドーム状の巨大な空間の天球部分に、数えきれないほど無数の目玉が張りついているという異様も異様なものであった。北アメリカ、中国など世界各国で過去数度に渡り、出現の事例が報告されている。中でも特筆すべきなのは、その出自が人間の精神に由来するということだ。
オゾン層の破壊や磁場の変動などにより宇宙線の放射量が極度に増大し、その影響からか人間の精神エネルギーが凝縮・実体化し怪獣という形態をとることは、今や珍しい現象ではなくなっていた。モクレインもそうした怪獣の一種であり、なんとこいつは、主にはストーカー気質な人間が、その情念に自ら飲み込まれることによって変異・誕生するという性質の持ち主なのである。
誕生直後は鏡面から鏡面を移動することによって増殖を繰り返し、ある程度の規模にまで成長すると現実世界へと具現化し、町全体を覆い尽くすほどの威容を発揮する。言われてみれば、思い当たるフシはいくつもある。ではまさか、あの四六時中感じていたプレッシャーは、キョウコさん本人というよりも、彼女から誕生しつつある視千怪獣モクレインのものだったのだろうか? アイナは正直愕然とせざるを得なかった。
「……おいおい、すげーな。こいつ米軍¬¬とも戦ったことあるんだってよ。スケールが違うね」
「大事なのはそこじゃないよ、牧村くん……ほらここ、弱点が書いてある」
「うお、ホントだ!」
言われてアイナも目を細め、その項目をじっくりと確認してみる。
曰く、『弱点・・・モクレインの核となった人間の顔目掛けて、正面から鏡を向けること』とある。鏡だって?
それを見たスバルはへえぇ、と感嘆を漏らしていた。
「スケールでかい割には、随分とかわいい弱点なんだな。これはアレか、目から発射する光線を跳ね返すからとかか?」
「……いや、違うみたいだね」
アイナがやや力の抜けた声で、つまらなそうに傍の枠に記された補足項目を読んだ。
「『モクレインの核となった人間は、標的の人間を意のままにしようという目的意識に憑りつかれている。そこで、その姿を鏡に映してやると、自分の醜い姿にショックを受けてひとりでに力を失い、多くの場合は自滅する』だってさ」
「「……………………」」
学校指定の資料集に書かれた、何とも身も蓋もない解説文に一同が揃って真顔になる。
アイナ以外には聞こえてすらいないが、傍で話を聞いていたユークの(突き付けられた現実を受け止めきれない人たちなんですかね~)というコメントが余計に痛々しい。その直後、絶妙なタイミングでヒトミが軽く咳払いした。
「と、とにかくね……もしも弼星くんが女の人からしつこくされて、苦しんでるなら力になりたいなって思うんだ。だから、ハイ……これ」
そう言ってヒトミが差し出してきたのは、彼女の私物であるハズの、一枚の丸い手鏡。
アイナはビックリして、思わずヒトミを見返してしまった。
「あの、飼篠さん……これって……」
「私から、弼星くんへの御守りだよ。本当にその人が怪獣になりかかってるなら、この鏡を向けて撃退できるし、もしそうじゃなかったとしても、少しは支えになるでしょ? 弼星くんは、独りじゃないんだって」
「……そうだぜ、オイ。一応、俺とかだってついてるんだからな。つーか、ちょっとは頼ってほしいぐらいだぜ」
ヒトミとスバルから、アイナへと注がれる熱い視線。それは背筋を凍りつかせるだけのキョウコの視線より、もうずっと何倍も何倍も心地よいモノであった。アイナの目頭が、知らず知らずのうちに熱くなるのが分かる。
「あ、あの、ごめん。僕は……僕は……」
「な、何だよ何だよ~アイナちゃ~ん……あんまり泣いてると、また女っぽく見えちまうぞ~?」
「なっ、泣いてなんか!」
「……私、インターネット使って、もう少し詳しく怪獣のこと調べてみるね」
ヒトミは柔らかく微笑んでそう言うと、モクレインが絡んだ過去の事件のデータが載ったWEB辞典にスマホを使ってアクセスし、より詳細に情報を集め始めた。それを見たアイナは慌てて制服の袖でごしごしと目元を擦り、今の出来事をなるたけ誤魔化そうとする。
思えば、もう何週間も孤軍奮闘していたこともあって、不意に温かい言葉を掛けられたのが想像以上に堪えたのかもしれない。我ながら良い友達に恵まれた、心の底からそう思った。
(……ホントに、良い友達を持ちましたね、アイナさん)
ユークにまで笑顔でそう言われてしまう。くそう……心を読むなよ……。とはいえアイナと一緒になって苦しい思いをしていたのは彼女も同様なのだ。ある意味では彼女も、ヒトミたちの言動に救われたのかもしれなかった。
その時、ゴロゴロと雷鳴がとどろいて、窓の外でザァッと一斉に滝のような雨が降り始める。遂に決壊したようだ。
教室は、灯りがついているにも拘わらず、何故か妙に薄暗かった。というか、曇り空が土砂降りに変わった直後から、天井の電灯が切れかけのようにチカチカと明滅し始めている。落雷の影響か何かだろうか?
しばらくして、ピカッと稲光が走り、教室中が一瞬、真っ白に染め上げられる。
「ひっ……!」
その中でアイナは確かに見てしまった。足場が無いハズの窓ガラスの外側に、キョウコがにやぁっと歪んだ笑みを浮かべた状態で、姿を浮かび上がらせるのを。温かい気持ちが一転、アイナの口から思わず小さな声が漏れた。
「……おい、アイナ? お前まさか、」
(アイナさん、ここでは危険です! 何処か人気のない場所へ移動しましょう!)
(う……わ、わかってる!)
アイナは再び慌てながら席を離れると、廊下に向かって全速力で駆け出した。その手には、ヒトミから渡された御守りであり、切り札でもある丸い手鏡がしっかり握られている。クラスメイトたちがまたしても驚いた顔で見守る中、スバルは再び困惑を余儀なくされていた。
「お、おいアイナ! 何処行くんだよ!」
しかし答えることはなく、いずこかへと走り去っていくアイナ。それを見て自らもまた腰を上げたスバルだったが、すぐに後ろからヒトミによって呼び止められた。
「ま……待って、牧村くん!」
「どうしたんだよ飼篠ちゃん!? アイナがいま……早くしないとアイツ!」
「大変なの……もしかしたら、もしかしたらこれって……!」
先ほどからスマホ経由で、有名なWEB百科事典のモクレイン事件の項目を閲覧していたヒトミ。
彼女の瞳は、次第に驚愕で見開かれつつあった。
* * *
薄暗い昇降口目掛けて駆け込んでくると、ガラス窓の外側は一面、土砂降りのカーテンがかかっていた。
慌てて走ってきたので息を切らしているアイナ。その周囲をふよふよ漂って回ったユークが、しばらくしてアイナに言う。
(きっとここなら大丈夫ですね!)
「ああ……ここまで来れば、もう他には誰もいないよ……」
アイナは自然と声に出してしまっていた。するとその時、何処からともなく別の声が響き渡った。
――――そうだね、アイナちゃん。もう私と貴方の二人きりね!
アイナはバッと顔を上げ、即座に辺りを見回した。重ねて言うが人の姿はない。
昇降口の薄暗闇から見えるのは、今は施錠された出入り口のガラス窓に、先程アイナが走ってきた廊下と靴箱のみ。もうすぐ授業が始まる時刻な上に、土砂降りの所為で外に出ていた者もみんな屋内へと戻って来てしまって、この場にはアイナ以外の誰もいない。実際、靴箱を抜けたところにある大きな姿見に映っているのは、薄暗闇の中に立つアイナただ一人であり……。
だがアイナは、その時とても恐ろしいことに気付いてしまった。鏡の中の階段を、ひたひた降りてくる人影があるのだ。「それ」は今朝も目撃した、髪の長い年上の女性だった。「それ」は階段を降り終えると、体の向きを変えて廊下をアイナの方へとゆっくり近づいてくる。
「それ」はやがて鏡の中で、アイナの真正面にあたる位置に立った。にもかかわらず、現実世界のその位置には人間の姿は存在していない。「それ」は鏡の内部にだけ存在しているのだ。もはや明らかに人間の所業ではなかった。
いや……実際にはずっと前から、人間でなくなっていたのだ。ただ、まさかそんなことが、と思ってしまうあまり対応が遅れたのだ。自身の妄想の中に飲み込まれた年上の少女は、アイナを意のままにすることだけを目的に手段を選ばない、正真正銘の化け物へと変貌してしまっていたのだ。
――――みんなの前で私と話すのが恥ずかしかったんだよね! もう心配いらないよ! だから、ずっと一緒にいよ?
「……違う」
――――もう照れる必要はないのよ! アイナちゃん……これからずうっと、鏡の中で二人だけで過ごしましょうね!
「違う! 違う! 違う!」
アイナはいつしか拳を握りしめ、感情に任せて大声を上げていた。鏡の中から一方的にアイナを見つめて口角を釣り上げ笑っている化け物に向かって、初めて必死の形相で、自らの意思を正面切って伝えようとした。
「僕は……僕が好きなのは君なんかじゃない! 僕が好きなのは……僕が好きなのは……!」
――――私だけだよね! 言わなくても分かってるからね!
「うるさい、黙れッ!」
もう限界だった。アイナは我慢出来ずに、先程から握り締めていたヒトミの手鏡を掲げ、姿見の中でこちらに近づいて来ようとするキョウコのおぞましい姿を、その中にハッキリ映してやった。
しかし何故かそこへ、先程手鏡を渡した張本人であるヒトミが、息せき切った様子で駆け込んできて言った。
「――――弼星くん! 待って、ダメ!」
「えっ?」
唐突に制止しようとしてくるヒトミ。しかし、時すでに遅かった。
その姿をアイナの手鏡に映されたキョウコは、一瞬硬直した後、急に恍惚とした表情を浮かべ始めた。
呆気に取られるアイナ、ヒトミ、ユークの目の前でキョウコは自滅するどころか、キャハハハハハハハ! と甲高い叫び声を上げて天を仰ぐ。その肉体が赤紫色のオーラに包まれて歪むと、凄まじい勢いでブクブクと膨張していく。肉体の殻は食い破られ、「それ」は巨大なモヤの中に無数の目玉を持つ、見紛うことなき、視千怪獣モクレインの本性を表すようになっていた。
それから間もなく、アイナの背後にあるガラス窓というガラス窓に、数えきれないほどの目玉が出現したかと思うと、瞬きしながらケタケタと笑い始めた。昇降口だけではない。廊下の窓も姿見も、その他あらゆる鏡面からモクレインの目玉が浮かび上がり、蠢くようになったのだ。少し遅れて、上のほうの階から沢山の悲鳴のようなものが聞こえてきた。きっと、この現象は学校全体に広がっているのだ。
「な、なんで……? これでやっつけられるハズじゃ……」
「弼星くん! このままじゃ危ないから、とにかく一度こっちに……!」
ヒトミが、呆然としたままのアイナの腕を掴もうと駆け寄ってくる。が、そうは問屋が卸さなかった。
昇降口中、いやおそらくは学校全体へとモクレインの絶叫が響き渡ると、アイナの背後にあった出口のガラス窓が一斉にひび割れ、砕け散った。そのひとつひとつがブーメランのように回転しながら、鋭利な刃物と化してヒトミ目掛けて襲い掛かっていく。
アイナチャンハワタシノモノ――――!!
降り注ぐ狂気と凶器の雨に、ヒトミは慌てて仰け反り、靴箱の陰に避難した。余りの事態にアイナは更に狼狽した。
「飼篠さん!」
「危ない弼星くん! こっちに来ちゃダメ! 何処かに隠れて!」
ヒトミの叫び声に、アイナは慌ててその場に這いつくばり、頭上を飛び交うガラスの刃を回避する。
彼女が隠れている辺りに、次々と目玉の浮かび上がるガラスの刃が命中しては砕け散った。何とか助けに行きたいと思うものの、この状況では望む位置に移動することは不可能に近い。今はただ、ヒトミが致命的な怪我を負わないことを祈ることしか出来なかった。
そのとき、背後から吹き込んでくる風雨に気が付き、アイナは後ろを振り返った。
見れば、先程キョウコ、いやモクレインによって破壊された出入り口のガラス部分に一箇所、大きな空洞が生じて外の空気が流れ込んできていた。丁度、人ひとりが潜り抜けられそうな大きさがある。迷ってる暇はない。アイナはユークと目線を交わし合うと早速、匍匐前進でどうにか出入り口の方に近づいていった。
「飼篠さん! そこを動かないで! 絶対にだよ!」
「ひ、弼星くん……!?」
「今すぐに助けを呼んでくるから! 僕を信じてくれ!」
「……! うん……分かった……! 気を付けてね……!」
ガラスの刃が飛び交う中、靴箱越しに大声で会話を交わすアイナとヒトミ。相手に伝わったことを確認すると、アイナは覚悟を決めて立ち上がり、咄嗟に窓部分が大きく砕けて空いた穴を潜り抜け、校舎の中から、土砂降りの校庭へと飛び出していった。
アイナチャンドコイクノ――――!!
途端に絶叫が響き渡り、学校の敷地全体を覆い尽くすように、赤紫色の巨大な半円状の空間が出現。その表面に無数の目玉が見開かれた。資料集の写真で見た通りの光景が、今そこにあった。アイナは出来るだけ構わずに、校舎の近くを通って、可能な限り窓ガラスなどが近くにない校舎間の暗がりへと走り込む。
以前から、こういった場所は調べて回っていたのだ。学校にいる間に怪獣が出現することも多くなってきて、誰にも見られずにユークと一体化出来る場所が必要だった。ここならまだ、敵にも気付かれていないハズだった。
アイナは右手の中指に光のリングを出現させると、それを眼前に突き出して言った。
(いくよ、ユーク! みんなのために……そして何より僕たち自身のために!)
(待ってました! どんとこいです、アイナさん!)
((――――サイコネクト!))
二人の声が重なり、その肉体と精神が瞬時に一体化を果たす。眩いばかりの光に包まれて、木の葉ヶ丘中学の校庭にしなやかに降臨する、巨大なる戦士。大理石のような輝く肌に、頭上に突き出たふたつの角と翻る尻尾。
来たぞ、我らの『ユーク・エクスマキナ』!
突然の出来事にモクレインはしばし目をぱちくりさせていたが、やがてまたも絶叫を発した。
ナンナノアンタ――――!! アイナチャンヲドコヘヤッタ――――!!
四方八方の目玉から放たれる怪光線。ユーク・エクスマキナは校庭を転がって命中を回避したが、次から次へと新手が放たれる。ユークは休む間もなくぬかるんだ地面を転がり続けた。
アイナチャンノニオイガスル……アイナチャンドコニイルノ――――!!
恐るべし、ストーカーの嗅覚。アイナたちは巨大化していて尚も背筋が凍る思いがした。それでも絶え間なく襲い来るモクレインの光線攻撃。いわばこれは敵の体内で戦っているようなものだ。条件はひたすらに不利であった。ユークは先程の手段をもう一度試すべく、両手を合わせると大きく開き、眼前に丸い鏡面状のエネルギーを発生させた。
「ユーク・レイ・ミラージュ!」
それは僅かの間だけ、モクレインの攻撃を防ぐことに成功した。
だがその表面に映り込んだ己の姿を目撃した途端、やはりモクレインはキャハハハハハハ! とまるで歓びを覚えるかのように甲高い叫び声を上げ、増々執拗に目玉からの光線を撃ち続けた。それは、ヒトミに教わった情報とは正反対に、鏡を見れば見るほど敵がパワーアップしていくかのような印象をユークに与えた。
マッテテネアイナチャン……イマアタシガタスケテアゲルワ……コノミニクイバケモノカラ――――!!
やがて防御は破られ、ユークは光線の命中を受けてはじけ飛ぶように後ろ向きに吹っ飛ばされた。
何とか立ち上がることは出来たものの、すぐにユークは、思わずその場に膝をついてしまう。もう打つ手などないのか。自分たちは、こんな所で終わりなのか。それ以前から蓄積されていた精神面での疲労が、唯一と思われる対抗手段を撃ち破られたことで押し寄せてきたのだろう。今や彼らの心は、ポッキリと折れる寸前であった。
何もかも諦めかけたその時、校舎から、土砂降りの中に飛び出してくる者があった。
ユークはそれを見て驚愕を隠せなくなる。それは、他ならぬヒトミだった。
「――――いい加減に……しなさい……このストーカー……!」
ヒトミは降り注ぐ雨に打たれてずぶ濡れになりながらも、絞り出すような声でそう言った。
ユーク・エクスマキナの動きは今や完璧に止まっていた。
モクレインも同様だった。不意を突かれたのか、全ての目をぱちくりするばかりで攻撃の手を休めている。
そして、ヒトミは顔を上げると、モクレインをキッと睨み付けるようにして、叫んだ。
「本当に相手のことが好きなら……相手を……相手を困らせたり! 傷つけたりしないでよ!」
ヒトミの魂の絶叫が学校中に響き渡る。
黙って動きを止めていたモクレインだったが、言われたことに気付いたらしく、次の瞬間には激昂して叫んでいた。
…………ダマレダマレダマレ! ジゴクヘオチロコノバイタ――――!!
そのとき、モクレインの体を構成する赤紫色のフィールドの一部から、ある目玉だけがメリメリと二次元から三次元に移り変わるかのように、徐々に実体化していき、その中に文字通り目を血走らせ、長い髪を振り乱したキョウコの顔が浮かび上がった。彼女の眼前に、それまででは最大級のエネルギーが蓄積されていくのが分かった。一挙に光線として放たれれば、ヒトミは勿論その背後の校舎もただでは済まない。
それを見てユークが呆然としていると、ヒトミがこちらを振り向き、またも大きな声で言った。
そこには、敵とは逆に、何故か不思議と勝ち誇ったような表情が浮かんでいた。
「――――今だよ! 攻撃して巨人さん!」
その言葉で、ハッと我に返ったユークはモクレインを見据えた。
ただの一箇所だけ実体化したひときわ大きな目玉。それに一縷の望みをかけ、ユークは右手に巨大なエネルギーの爪を発生させ斬りかかった。
「ユーク・レイ・クロー!」
ズブリ、と必殺の爪が巨大な目玉に突き刺さった瞬間、モクレインがこの世のものとは思えない絶叫を発した。一度差した爪を引き抜くと、ユークは慌ててその場から後退する。モクレインの悲鳴に合わせて、学校全体を覆っていた半円状の空間の表面にビキビキとひび割れが走っていった。
モクレインはそれからしばらく、絶叫を繰り返してもがき苦しんでいたようだったが、しばらく経つと粉々に砕け散って消え、学校中に細かなガラスの破片を降り注がせた。しかしやがて、それらさえもスゥッと消滅していった。
ユークは、まだこの結果が信じられずに立ち尽くしていた。肩で息をしているようにも見える。
モクレインの消滅に呼応するかのように土砂降りが止んでいき、遂には雲が割れてその合間から光が差し込んだ。
何もかも終わったのだと、ユーク・エクスマキナはようやく悟った。苦しかった戦いが遂に決着した。
そして、そのホッと安堵したような背中を、笑顔で見つめるヒトミがいた。
彼女のことを思い出したユーク・エクスマキナは、振り返って無言で彼女に頷いてみせる。
小さな功労者が笑顔で頷き返したのを見届けると、光の巨人は風景に溶けるようにして静かに消えていった。
* * *
グチャグチャで水たまりだらけになった木の葉ヶ丘学園の校庭に、パトカーのサイレンが鳴り響いている。
一応、授業時間中にもかかわらず、学校からパトカーまでの間には野次馬と化した生徒や教師たちの大きな列が形作られていた。今の今まで学校全体が怪獣に包み込まれていたパニックの影響で、もう誰も今が授業時間であることを忘れてしまっているのかもしれない。
しかし、地元警察が駆けつけて来たのは、怪獣騒ぎを聞きつけたからではない。
というか結果的にはそれに近くなったが、元々彼らが呼ばれたのは別の目的のためなのだ。
学校関係者が大勢見守る中、警察官数名に引っ立てられているのは、他でもないキョウコであった。あれから人間の姿には戻ったらしいが、ずぶ濡れの上に泥まみれで、なんともみすぼらしい様相を呈している。ガックリとうなだれていた彼女だったが、パトカーに乗せられる直前、野次馬の中に再びお目当ての人物を見つけて、パアアッとたちまち顔を輝かせたようになっていた。
「――――アイナちゃん、少しの間だけ待っててね!」
アイナが唐突に呼ばれてビクッと身をすくめるが、キョウコはお構いなしに話しかけてきていた。
「コイツらの弱い頭でも理解できるよう、真実の愛を証明して、すぐにでも帰ってくるから! そうしたら、アイナちゃんは私とまた――――ちょっと、何よアンタ?」
それまで不気味なぐらい明るかったキョウコの声と顔色が、一転して暗く重くなる。
アイナを庇うように立ちはだかっていたのは、同じくずぶ濡れ状態のヒトミであった。全身濡れ鼠だというのに、ヒトミの方はどこか爽やかな印象さえ覚えさせた。彼女はおびえるアイナと、キョウコとの間を分断するように立ちはだかり、キョウコの今にも相手を居殺さんばかりの視線と、真っ向から対峙している。
「……もう二度と、弼星くんの前に姿を現さないでください」
ヒトミは年齢も体格もひと回り上に女性目掛けて、ハッキリとそう言った。
「弼星くんはアナタの所有物じゃありません……何でも自分の思い通りになるとか、思わないでください。弼星くんは、れっきとした一人の人間ですから。ちゃんと気持ちを――――」
――――うっさいわよこの※▽%×何様のつもりよチョーシ乗ってんじゃないわよ≠÷%‰へ落ちろ◇&▼#年上への敬意も知らないのかこれだから中坊のガキはどういう教育してんだよこの学校はよナメてんじゃねーぞボケがこのアタシを誰だと思ってんのよ憶えてろよ真実の愛を引き裂く奴は×$≠に蹴られて§Å±¶!!バーローがこの警官どもだってどーせΩζ℃Åなんだろ気持ち悪いんだよ――――――――――――。
異様にドスの利いた声で、この世のものとは思えない呪詛を超高速でまき散らすキョウコ。
警官たちに捕縛されながら全身が浮き上がる程、手足をジタバタとさせて暴れ狂う様はもはや鬼女だった。
絶句する中学生たちと教師たちが見守る前で、キョウコは警官たちの手によってどうにかパトカーの内部に押し込められると、尚も見苦しく車内でジタバタ荒れ狂いながら、サイレンと共に何処へともなく連行されていった。
やがて沈黙が訪れたことに気付いても、アイナはまだ自分が、ひとまずは悪夢の如き情念から解放されたことを認識することが出来なかった。それを見て、ヒトミが気遣うように背中をさすってくれる。
「……大丈夫だった?」
「え!? あ、うん、一応……と、ところでさ、飼篠さん」
「ん?」
「どうして、あの時……鏡が効かないって、分かったの?」
「……今までに現れたモクレインはね、全部、男のストーカーが変化した怪獣だったの」
ヒトミの口からサラッと衝撃的な事実が語られた。何だって?
そういえば、WEB百科事典で事件の詳細を調べてくれていたようだったが……。
「鏡を向けて撃退出来たのは、つまり全部が男の怪獣だったってこと。女のストーカーがモクレインになった事件は、まだ何処にも書かれてなくて……それで、ちょっと考えてみたの。男だったらともかく……女が鏡を見せられたらどうなるのかなって。そうしたら、絶望するよりも、むしろ自分に酔っちゃうんじゃないかなって」
「…………そんな理由で、強くなったっていうの?」
「私もまだ信じられないけど……きっと間違ってはなかったんだよ。それで、また考えてみたの。同じ女の私が囮になれば、腹を立てて隙を見せるんじゃないかなって。だから……」
(だから、あんな危ない真似したんですか~……ヒトミさんって本当に勇敢な人なんですね!)
(……だからって、いくらなんでも危なすぎだよ)
ユークは感嘆の声を漏らしていたが、アイナは正直複雑な気分だった。
助けてもらったのは有難いが、ヒトミに簡単に命を危険に晒すような真似はして欲しくない。
でないと、また……。
「でもね、全然怖くなかったんだよ?」
「……へっ?」
「あの巨人さんが必ず助けてくれるって、私、信じてたから!」
ヒトミはそう言って、何故かアイナに向かってニコッと微笑んでみせる。それを見て、アイナは自分に対して言っている訳じゃないのだと頭では知りつつも、思わずドキッとしてしまった。慌てて目を逸らすアイナ。
「とにかくよ、これで一件落着、だな?」
突然そう言ってきたのは、スバルだった。ああ、彼にも感謝しなければな、とアイナは思った。
キョウコの存在と、木の葉ヶ丘中学の状況を伝え、地元警察を呼んでくれたのは他ならぬスバルだった。
「……今度からは、あんまり何でも一人で抱え込もうとするんじゃねえぞ」
スバルに、半ば乱暴に肩を組まれて、言われてしまう。
「今回はどうにか間に合ったけどよ、何かあってからじゃ遅いんだからな? もっと早いうちに俺らを頼れよ。なんつーか、友達なんだからよ……」
その言葉に、ヒトミの時とは別の理由で胸の奥がじんわりと温かくなる。
アイナは何度も黙って頷きながら、自分でも知らぬ間にボロボロと涙をこぼしてしまっていた。
それを見たスバルがたちまち慌て始める。
「お、おい、泣くな泣くな! 急にどうしたんだよ、落ち着けって!」
「う、うううっ、ごめっ、ごめっ………」
ここ最近の緊張が一気に解けたことで、今度はアイナの顔にだけ大雨と洪水の警報が発令されていた。
そして、先程から抱え続けてきた違和感の正体ともいえるものに、ようやく思い至る。
アイナは、ユークと出会ってからというもの、何でも自分ひとりで抱え込む癖がついてしまっていたのだ。
ある意味では仕方のないことだろう。ユークのことを誰かに打ち明けられるハズもない。ましてや、自分は怪獣と日夜戦っているんです、なんて言いだして誰が信じてくれるだろうか。また、信じてもらえたとしても、それが原因で周囲からどのような扱いを受けるか分からない。
アイナは知らず知らずのうちに、他人は頼りに出来ないものだと、つい思い込んでしまっていたのだ。
今回の事でアイナは考えを改めようと思った。
自分は誰かがいてくれなければ、何も出来ない。誰かが支えてくれて初めて戦える。
ヒトミも、スバルも、それに勿論ユークもだ。
自分はひとりでは無力なのだ。だからこそ、誰かの力を借りて生きていける。
流石に、自分がユーク・エクスマキナであることは明かせないけれども。
これからは、もう少しみんなを信じ、頼るようにしてみようと、アイナは涙を懸命に拭いながらそう心に誓った。
「よーっし! それじゃ今日はアイナのおごりでパーッと何処か行こうぜ!」
(賛成です! 私、一度あのザナディウムパフェっていうの、食べてみたかったんです!)
「…………ん? あ、ああ、うん…………」
湿っぽい空気を打破せんが如く、ワイルド系副会長と天真爛漫宇宙人が、それぞれ勝手に盛り上がり始めていた。
というか多分、これからしばらくは、警察と先生たちに事情聴取の嵐だろうなぁ、とアイナはぼんやり思った。
それが終わったらまぁ、食事の一つや二つ、構わないかという気もしたが。
アイナは、こんなにも日常の賑やかさが素晴らしいと感じたことは、今までになかったと思った。
そんな彼の背中を、先程からヒトミが黙って見つめていた。
「…………本当に、違うのかなぁ…………?」
その呟きと視線は誰に悟られることも無く、雨後の清々しい澄み切った空気の中に溶けて、戦いを終えた後の巨人のように、何処へともなく消え去っていったのだった。
サイコネクト第7話 おわり
おまけ
視千怪獣モクレイン
身長・体重……共に測定不能
ストーカー気質な人間の精神エネルギーが、強い宇宙線などの影響によって実体化し、母体となった人間を取り込んで誕生する怪獣。世界各国で出現事例があり、日本の怪談などでは妖怪・目目連として知られている。オスの個体は出現数が多く鏡を弱点とし、メスの個体は滅多に出現しないが鏡が効かず、核となった人間の宿る目玉を潰す以外、対処は極めて困難。
異次元生命体スルーク人(二代目)
身長…40メートル 体重……1万トン
かつてアイナたちと戦った異次元生命体・スルーク人の同族。今回のこの個体は、動画サイトを経由して出現した。二度までもアイナたちに敗北した腹いせに、彼のスマホに細工を仕掛けるなど、非常にみみっちい性格。
この作品はサイコネクトproject公式ページで連載しているものの転載です。
そちらではボイスドラマやMVも公開しているのでよかったらそちらでもお楽しみください。
コチラ⇒ http://saikonekuto2016.jimdo.com/