ドール03
道場で目を覚ます。
水をくみ、食事の用意をする。
終わればセンセイに全身を銀に光る糸で括り上げられ、無理矢理に体を動かされる。
終わればまた水をくみ、食事の用意をする。
日が暮れれば死んだように眠るだけ。
何も考える必要のない生活。
苦しくはあったけれども、辛くはなかった。
楽しくはなかったけれども、悲しくはなかった。
自分がいつからあの山間の道場にいたのか、それは分からない。
同じような子どもはたくさんいたし、そして誰も分かっていなかった。
自分自身のことも。
他人のことも。
センセイは言う。
おまえ達は人形だと。
そんな日々の生活に耐えられない子どももいた。
センセイはそういう時に、壊れてしまったと言って、どこかにその子どもを連れて行き、戻ってくることはなかった。
子どもは減っていき、それでも生活は変わらない。
そんな生活が変わったのは、唐突に。
センセイと同じような誰かが小屋に現れて、そして言われたのだ。
お前は完成した。
出て行きなさい、と。
現れたセンセイと同じような人、新しいセンセイの後をついて山を下りた。
そこにはセンセイみたいな人がたくさんいた。
それにあの道場にいたような、たくさんの子どももいた。
センセイは言う。
あれは人だと。
センセイは言う。
お前は人形だと。
センセイと共にひとつの屋敷へと向かい、そこでその日から下働きというのをすることになった。
別れ際にセンセイは言った。
あの男だ。役目を果たせ、と。
センセイは消え、人形が残った。
言われるままに働き、終われば寝る。
その合間に男を見ていた。
ずっと。
じっと。
その時を待って。
役目が果たされる時を、ひたすらに待った。
そしてその時が来たので、役目を果たした。
男の前には誰もいない。
男の前にあるのはただの人形。
決められた機構のままに動くだけの人の形をしたモノ。
もう既に銀糸などでは括られていないのに、人形はまったく正確にその機構通りに動き、そして与えられた役目をしっかり果たした。
役目を果たした人形は壊れて、誰の気に留められることなく捨てられる。
そのはずだった。
そのはずだったのに。
「センセイは見誤っていた。人形流の子どもは文字通り人形と同じ。そしてその役目はただの一度だけ正確に働いた後、壊れ、二度と動けなくなるところまでが含まれている。そのギリギリの最後の一度を見極めて、そして役目を果たさせるのが人形流。なのに、その人形は壊れなかった」
キョウが面を持つ手は震えている。
異様に青いその手はもうほとんど壊れかけなのだ。
おそらくもう一度、役目を果たそうとすれば、確実にその体は壊れてしまうのだろう。
「相討ちさせる。ただそのための人形だったのに、完全な人形になれなかった。それでもほとんど壊れかけの人形は決定的には壊れずに、そのまま人の中で、人の振りして動いた。人形にもなれず、人にもなれず」
人でもない。
人形でもない。
ならば、今、ここにあるのはなんなのか?
分からないままに時が過ぎ、人の中で時を過ごした。
そしてまた変化は唐突だった。
姿を消したセンセイが再び目の前に現れ、告げた。
生き延びたなら、別の役目がある、と。
「私は人形なんかじゃない。人形だと思い込もうとした、ただの子どもなのだと。それがやっと分かった時にはもう遅かった。私はセンセイになっていた。人形流を子どもに仕込み、人を人形に作り替える。そう、人でなしだ。結局、私は人にも人形にもなれず、なったのはただの人でなし、さ」
人形流は、今では道場などというものはどこにも置かなくなっていた。
多くは旅芸人として、各地を渡り歩き、そこで子どもを攫って教え込む。
ただの子どもを、ただの人形に。
いや、違う。
ただの子どもを、ただの人殺しに。
「ふたりの子どもを連れて旅をした。私は都から遠く離れるように、ただひたすらに歩いた。遠くへ。遠くへ。そうじゃないと、センセイに見つかってしまう。誰も来ない閉じた場所へと行きたかった。人も、魔獣も出ない、そんな場所を探したかった。けれども行き着いたのは、人も魔獣も出る、最悪の里だった」
気の狂った術士がいた。
それに従う魔獣がいた。
ムカデの姿の魔獣は里を蹂躙する。
ひとりも逃がす気はないとでも言うように、逃げ出した者から殺された。
「私はふたりの子どもと一緒に死体の中に隠れた。いつかはみんな食っちまう気だったんだろうけど、あの魔獣はそれよりも殺戮を先にしていた。だから、死体の中で機を待って逃げるつもりだった。なのに」
ふたりの子どものうちのひとりが術士に向かった。
魔獣が離れたわずかな隙を狙って。
術士に傷を負わせたが、戻ってきた魔獣に食い殺された。
「それを私はただ見ていた。この子どもと一緒にね。ひとりでも多くの術士を殺せ。人形流だったら嫌でも聞かされるお題目だ。私はそんなものはどうでも良いと思っていたし、今でもどうでも良いと思っている。だが、私は助かったし、この子どもも助かった。それはあの死んだ子どものおかげだった。それは間違い無い。だから、考えたんだ。仇くらいは取ってやろうって」
そうして術士を付け狙ったが、もう術士に油断はなくなっていた。
常に側には魔獣がいて、決して離れることはない。
どうにも出来ないままに、時間だけが過ぎていった。
「そこに、ひとりの術士が現れた。子どもみたいな術士だった。倒せる訳がない。そう思った」
しかし、死んだのは子どもみたいな術士じゃなく、あの仇の術士と魔獣の方だった。
「不思議なんだ。何でなんだろうな?死んじまえば楽になれる。それは分かっているんだ。でも……全然、死ぬ気になんてならないんだ。あの魔獣に殺されちまえば楽だったのに、隠れて生き延びた。もっと前にも死ぬ機会なんていくらでもあった。でも私は生きている。今だって死ぬことは出来る。食べなければ良い。水を飲まなければ良い。息をしなければ良い。でも、私は出来ない。いつだって私は子どものままなんだ。なんにも選べないし、なんにも決められない」
術士を滅せよ。
その教えが呪いのように頭をよぎった。
どうでも良いと思いながらも、それをしなければまたセンセイが目の前に現れる気がした。
今では自分がセンセイになってしまっているというのに。
「言い訳するみたいにその術士を追いかけた。ところがその術士は都へ向かっていく。都に近づけば近づくほど、嫌なことばっかり考えちまう。だから」
ここが限界だった。
ここから先には一歩たりとも都には近づきたくない。
逃げれば良い。
忘れれば良い。
術士のことも、センセイのことも。
誰も来ない場所で、人を食う魔獣のいない世界で、そんなところで静かに暮らしたかった。
分かっている。
分かっている。
分かっている。
「分かっているんだよ。結局、私は子どものままだ。たくさんの人形を作り上げて術士を殺し、そうして成人することもできやしない。私は人でなしだ。大人になんてなれやしない」
人形を増やせ。
術士を殺せ。
それこそが人形流の人形が、子どもが、人になり成人するためのたったひとつの道なのだ。
それが出来ないなら、子どものままに、子どものうちに、人形のままで、人形のように、敵を討ち果たして壊れるしかない。
キョウが腕を上げる。
それは奇妙な仕草だった。
肘を上に。
手を下に。
手だけがぶらりと揺れた。
まるで糸で吊られているように。
まるで人形のように。
僅かな灯りが揺れて、キョウの表情が分からなくなった。
いや、違う。
もうそこには何の表情も浮かんでいない。
そこにあるのは人形。
人の形をした、人でなし。
そう言うように。
そう示すように。
キョウが首を傾げた。
手にしていた面が落ちた。
そこから先の出来事は、瞬きする暇もない、ほんの一瞬。
セイリンは結果だけしか理解出来なかった。
セイリンの目前にキョウの姿がある。
さっきまでは確かに数歩の距離があったのに。
キョウの手には一振りの短刀。
それはあの術士のものではなかったか?
伸ばされた短刀は、セイリンの胸の間近で止まっている。
僅かな間。
その僅かな間が届いていれば、セイリンは死んでいた。
殺気はなかった。
人形流に殺気はいらない。
仕込まれた通りに体が動き、それは機構のように人を死に至らしめる。
しかし、キョウの胸には、天府の角。
それはあまりにも深く、背中を易々と突き破っている。
止める間もなかった。
仮に止める間があったとしても、止めてしまっていたら、セイリンは死んでいた。
キョウは血を吐き。
そして、笑った。
セイリンは落ちかけた短刀を握りしめる手を取った。
ごめんよ。
自分じゃ死ねないんだ。
だから、キミに頼むことにした。
弱くてゴメン。
ゴメンね。
もうキョウの目は何も映していないよう。
セイリンはその額に、キョウの手ごと握りしめた短刀を向け、軽く引いた。
強烈な血臭が匂い立つ。
もうキョウは自分が何をされているのか分かっていない。
血が流れる。
セイリンは自分の指にも線を引き、流れる血でもってキョウの額にそっと触れた。
血が交わる。
もうキョウの目は、この世の何もかもを映してはいなかった。
ただ、見ていた。
夢を。
山間に小さな小屋があった。
小屋の中で髪を結った女は目を覚ます。
水をくみ、食事の用意をする。
終われば老爺と、少年とも青年ともつかない男が木片を削り出す。
その様をふたりの子どもがじっと見ていた。
髪を結った女はそれを笑って見て、畑の様子を見に行った。
そこにはウサギともキツネともつかない魔獣が、退屈するようにあくびをしている。
鼻筋をなでると、くすぐったそうに目を細めて、女を見た。
魔獣と共に山を歩き、山草を取って歩く。
体にあったはずの軋みはない。
無理矢理に教え込まれた業のせいで、そうなっていたはずなのに。
長くは生きられないと、分かっていたのに。
終われば帰ってまた水をくみ、食事の用意をする。
日が暮れれば眠るだけ。
何も怯える必要のない生活。
大変ではあったけれども、幸せだった。
楽しくはあったけれども、楽ではなかった。
自分がいつ、この山間の小屋に辿り着いたのか、それは分からない。
優しくしてくれる人だけがいて、そして他には誰もいない。
ここには恐ろしい人でなしもいない。
ここには人を食う魔獣もいない。
少年とも青年ともつかない男が笑って女を見る。
女も笑って男を見た。
女は髪を結っていた。
それは成人した証。
成人したなら大人にならないといけない。
だから、女は笑って言った。
ありがとう。
最期に頼みたいんだ。
キミがきいてくれると、私はとても嬉しい。
……。
……。
ありがとう。
ずっと見ているよ。
ずっと。
きっと。
少女が目を覚ました時、そこにはキョウの姿はなかった。
そこにいるのはずっと少女がキョウと一緒に追いかけてきた術士と魔獣。
そこにはキョウの姿はない。
少女は立ち上がり、ふらふらと歩き出す。
顔はぼんやりとしたままだった。
その顔を見て、術士の表情がはっとなった。
少女の顔はキョウに似ている。
遠目に見た印象とは違って、はっきりとそれが分かる。
思っていた。
キョウは子どもを攫ったりはしなかったんじゃないのかと。
少女は何も分かっていないように、それでも進んでいく。
その動きを見て、魔獣が術士をかばうように首を動かした。
少女は頓着せずに、魔獣へと近づく。
術士は動かなかった。
魔獣も動かなかった。
やがて、魔獣の頭に辿り着いた少女は、その恐ろしく長い口に手をかける。
そうしてぐいぐいと力を込めた。
押し開くように。
何も言わずに。
早く口を開けろと言うように。
どれだけそうしていたのか。
やがて、根負けしたように、魔獣が少しだけ口を開いた。
恐ろしい牙がずらりと並ぶ口を。
少女はその口の中に体を突き入れようとした。
触れるだけで体が切り裂かれそうなその牙の群れの中へと。
少女の額に牙が当たって血が流れた。
殺してくれ。
そして、自分も。
そう言うように。
せがむように牙を掴む。
術士は、セイリンは、そんな少女の体を抱きしめ、そっと額の傷に触れた。
これは夢なのだと言い聞かせるように。
少女は目を閉じた。
再び少女が目を開いた時、その目に浮かぶ色はまるで悟ったように澄んでいて。
そしてその目は傍らの魔獣のように輝いていた。
少年は旅をする。
傍らにはウサギともキツネともつかない魔獣の姿。
そしてひとりの少女と共に。
少女の名前はキョウといった。
都はまだ見えない。
少年の旅は続く。




