第七話 親心
前回のあらすじ
修行初日のレクリエーションを終えて帰宅する師匠と弟子。
野獣のモツをたらふく食いまくる呑気な師弟のあずかり知らぬところで人々の様々な思惑が揺れ動く。
山から戻った頃には、夕方になっていた。
「師匠。帰り道ですが、友達の家に様子を見に行ってもいいでしょうか?あれから一度も顔を見ていないので」
「あー、そうだったね!友達は大事にしないとね!」
「ありがとうございます、修行は毎日続けたいです」
「私も、もちろんそのつもりだから覚悟しなさい!あ、そうだ。しばらくこの村に留まることになるし、一度ギルドに行って報告を済ませようかな。明日、村長さんにご挨拶してから、村を出発するよ」
「あ、そうなると修行は師匠が戻ってきてからになりますね……どれくらいかかるんですか?」
「うーん往復にひと月は最低でもかかるかなぁ。もちろんヴァレリー君のために急ぐよ!」
「……」
心から嬉しい。じんわりと胸が温かくなる。
照れてしまって上手い言葉を返せない。
こういう時にうまい返しができるモテ男になりたかったぜ……。
「あはは、照れちゃって可愛いな、ヴァレリー君は。よしよし、我が弟子よ。首を長くして待っているが良い」
「ははーっ。仰せのままに。ところで師匠、あっしは師匠が居ない間はどうしてたら良いでしょう?」
「もちろん私が居ない間にやることは伝えてからいくよ」
「ははーっ。ありがたき幸せ」
「うむー。良きに計らえ~」
「では師匠、友人の家に行って参ります」
「え~ヴァレリー君の友達ってどんな子なのか気になるし、私も見に行こっと」
「は、はい。そうですよね、ご紹介します」
「そんなに肩ひじ張って緊張しなくていいんだよー。もうちょっとゆるーくいこ!」
山から近い方の家、レイの家へ向かう。
今日は珍しく、レイのお父さんが庭先に立ってレイのお母さんと話している。
近くまで寄ると、徐々に様子が感じ取れるようになる。
何やら口論しているようにも見える……。
明日にするべきか迷うな。
レイのお母さんはとても悲しそうな顔をして家に入っていく。
嫌な予感がする……。
迷い、思案していると、レイのお父さんがこちらに気付き、先に口を開く。
「こんにちは、ローレイ君。そちらのお方はオリビエリさんだね」
「どうも~今日からローレイさんのおうちでお世話なっております~しばらくこちらに滞在しようと思っております~」
「それはなんと。このような何もない村で良ければ、オリビエリさんのような高名で実力のあるハンターのお方が定住していただけるのはありがたい。もし、村に居る間、村の治安にご協力頂ければ大変心強い限りです」
なんだろう、理知的に話すレイのお父さんには心の距離が感じられる。
「あれから、レイに会っていないので、今日はレイがどんな様子か、見に来たのですが……会えますか?」
「……ローレイ君。レイの身の安全を守ってもらったことは大変感謝している。君が身を挺してレイとサム君を助けてくれたことも聞いたよ。本当に心から感謝している。……だから、こんなことをいうのは本当に辛いんだが……わかってほしい」
ああ。
この流れは。
この感覚は……知っている。
あれだ。
フラれる時と一緒。
拒絶だ。
「レイともう遊ばないで欲しい……。君がレイと仲が良いのも、君が身代わりとなってレイのことを守ってくれたのは、重々、重々承知している。ただ、山で遊ぶのは危険だと、母さんからもマクゴビッツさんからも言われたはずだろう……?君やサム君が山で得るものは確かに希少で珍しいものも多い。だが……それがなんだ……?命には代えられないんだ。君たちは、その事の重大さを理解していない。レイは私の……私の大切な一人娘なんだ……もう二度と、二度と危険に晒すようなことがあってはならないんだ……私は父親としてっ……!」
レイのお父さんは、俺の顔を見て口を噤んで、ぐっと押し黙った。
俺は、何も言えず、言われるがままを受け入れていた。
目を伏せて何も言い返せない俺は、ただただ寂しそうな顔をしているんだろう、きっと。
レイのお父さんの顔を見たら、口答えする気には、微塵もなれなかった。
目に涙を浮かべて子供の前で涙を流すまいと、必死に耐えている。
その顔を見て、胸が詰まり、目頭が熱くなった。
親として大切なものを守るためには、娘の命の恩人でもある、その大切な友人を傷つけることも辞さない。
父親としての顔から深い罪悪感の色がにじみ、それを確固たる意志で覆い隠していた。
「……初めに、謝罪に来るべきでした。レイを、娘さんを危険にさらしてしまい、本当に申し訳ございませんでした」
レイに会えないと思うと、心に冷たく乾いた風が吹きさらし、ただただ寂寥とした想いが募った。
「君はっ……!…………私を……恩知らずで礼儀知らずな親だと……罵ってくれてもいい……娘を守るためであれば……どのような辱めも受ける覚悟だ」
「そんなつもりじゃ……ないんです。でも、一つだけ。ミクトさん、約束して頂けませんか」
「……言ってみなさい」
「僕は今日、爺さんから、僕の家はもともとハンターで村を守るために存在するんだと、そのことを知りました。そして、オリビエリさんの元でハンターとしての修行を始めました。村を守るために居る僕が、レイを危険に晒したのはどうしようもない……失態だと反省して、後悔しています。だ……から……、僕がっ、村を守れるぐらい強くなったら……またレイと、一緒に、居ても、いいですかっ……!」
涙は流さない。
泣くのは弱者の証だ。
決して涙を流してはならない。
強い男に感傷は要らない。
「……約……束しよう。君が村を守れる一人前のハンターとして認められた時。その時は、全てを水に流して欲しい。今日の私の、この恩知らずで無礼な頼み事も、君がレイを危険に晒したこともすべてだ……!娘を助けてくれて……本当に感謝している……!ヴァレリー君……!君がっ……レイとっ……一緒で本当に……よかった……」
強く、抱きしめられていた。
夕暮れの緩やかな風の中で、肩に滴が零れ落ち、静かな嗚咽だけが聞こえた。
もう涙を堪えることはできなかった。
決意した。
レイを、一生かけても守る。
そのために強くなる必要がある。
大切な人を守れるぐらい、強くないと、ダメなんだ。
───
ヴァレリアはほっこりした顔をしてにやにやしている。
なんか恥ずかしい。
今日だけは茶化さないで欲しい。
でも何も言わないのもすごく気まずい。
なんか言って欲しい。
すごくわがままなのは自覚しているから、結局何も言わないで歩みを進める。
「頑張らないとね」
「はい……」
レイの家に行った後は、サムの家へ向かう。
サムのお父さんが庭先に立って誰かを待っていた。
「待っていたよ。ローレイ少年。その様子だと、レイのお父さんから話は聞いただろう」
「はい、サムを危険に巻き込んでしまい、申し訳ありませんでした……」
「いやそれはサムも同罪さ。たぶんサムが誘ったんだろう。あいつの行動力は生まれつきでなぁ。赤ん坊の頃からやんちゃだったものさ」
穏やかに話を続けるサムのお父さんからは全く表情が読めず、困惑してしまう。
「そういえば礼がまだだったね。身を挺してサムを守ってくれたことを、心から感謝する」
「いえ、そんな……僕は何も……」
「いいや!?僕は何も!?ローレイ君。君はとんでもないことをやり遂げたのだよ。Sランクハンターからひと月も逃げおおせる魔獣と対峙して、二人の子供を逃がし、ハンターが到着するまで時間を稼ぎ、耐えた。これが英雄じゃないとしたら何が英雄だ?魔獣を仕留めたオリビエリさんか?いいや?何の力もないはずの小さな子供が、誰一人犠牲者を出さなかったのだ。君は英雄だよ」
なんだろう……褒められているような気が全くせず、叱られているような気さえしてくる。
「……僕はね、ローレイ君。……君が怖いんだ。まるで大人のように話し、大人顔負けの知恵がある。そして今はオリビエリさんとも懇意にしているだろう。君のそのカリスマ性というのか、その英雄のような気質は、きっと将来サムに悪影響を与える。サムは、君とは違うんだ。サムは、この田舎に育って田畑を耕して、村の女と結婚して、子を育て、そうやって生きていくのがサムにとって一番いい。なぜならサムに君の生き方はできない。サムが君と居続けるとね、きっと勘違いしてしまうだろう。俺にもできるんじゃないかって。凡夫にはね、凡夫の生き方があるのだ。きっと賢いローレイ君なら……わかってくれるね?」
心底、悲痛そうな顔をして、サムの父親は俺に訴えかけていた。
何も言えなかった。
なぜなら俺は英雄と呼べるようなものじゃないし、ただの何もできない子供だった。
ただ運がよかっただけだ。
実際に俺は何もしていない。
だから全否定したかったけれど、『サムに俺の生き方はできない』、そう言われてどういう風に付き合えばいいんだろうって、わからないし、頭が混乱して、ぐるぐるして、何も言い返せなかった。
横からふん……と鼻息を一つ鳴らす音が聞こえた。
ヴァレリアは、無表情だった。
強いていえば、つまらなさそうなものを見る目で、サムの父親を見ていた。
「オリビエリさん。息子の命を救って頂いて、本当に感謝しております……」
「いえ、お気遣いなく。ハンターとして当然の仕事をしたまでですので。……お節介に、一言いいかしら」
「……」
「親は子の生き方を決めることができる。それが親の権利だから。でも、子はそれに絶対に従うかしら。大事なようで、実はあんまり意味がない。従うかどうか決めるのは、子の義務。そして、子供が決めたことに従うのが親の義務。まぁ、老後の面倒を見てもらったり、親子として当たり前の関係で居たいなら、という条件付きだけど」
「ご高説、痛み入る」
サムの父親の額と首には冷や汗が、顔には笑顔が、びっしりと貼りついていた。
相手は高位の魔獣を仕留める化け物殺しのプロだ。
凡夫が盾突いて機嫌を損ねて間違いが起きたとすれば、死んだことに気付く間もなく殺されるだろう。
「ヴァレリー、気にすることはない。友達がどんな生き方したって、友達は友達。自分は自分。そうやってね、周りに左右されて生き方を変えるようなやつは、どうせ何にしたってそういう生き方をするのよ。だからもし友達が、望まないような生き方になったって、後悔するのは無意味だわ。そうやって人付き合いを避けたって、誰のためにもならないし、ヴァレリー。あなたのためにもならない」
「……オリビエリさん。……私はっ……息子を、守りたいだけなのです……」
サムの父親の緊張は極度に達していた。
膝が震えている。
意見することすら恐ろしいのだ。
これが力を持つということでもあると、まざまざと理解させられた。
「だったら、貴方が魔獣から息子を守ればいいじゃない。そんな力もないくせに。いざ村に魔獣が下りてきたら震えて怯えているだけでしょう?何が息子を守りたいよ、口だけは一人前じゃない。大体ね、ヴァレリーだって、ただの男の子だわ。同世代の男の子より、ほんの少し気が回って、ほんの少し賢いだけの、ただの男の子よ。そのサムって子と何も変わらないわ。でもヴァレリーは決意したのよ?この村を守るって。強くなってこの村を守るって。たったそれだけの違いだわ。貴方みたいにね、自らを凡夫と決めてつけて、何も努力せずのうのうと生きる、その愚かな生き方を強いられる貴方の息子が可哀想だわ。私は別に命を投げ捨てる無鉄砲な生き方をしろって言っているわけじゃないの。強く生きる努力をしようとすることさえ、親である貴方に止められてしまっては、あなたの息子はきっと、魔獣の前で抵抗することもできず、餌であることを認めてしまって、命を投げ出してしまうのでしょうね」
「……っぐぅう……」
サムの父親が震えているが今度は恐れによるものではなく、これは怒りだ。
顔を真っ赤にして震えている。
怒りが恐怖心を上回ったのだろう。
「……力あるものは、常にそのような挑発で弱者を危険に晒します。今日のところはお引き取りを願いたい」
「いわれなくてもそうします。帰ろっ、ヴァレリー」
嫌だ……。
俺は、こんな別れ方はしたくない……。
「おじさん……。僕はサムと友達として、一緒に居たいだけなんです……サムを失ったら僕は……」
「ヴァレリー君……。私だってつらいのだ。サムの親友である君が、命の恩人である君にこんなことを言わなければならないことが!……だが、怖くてたまらないのだ。いつか息子が蛮勇に駆られ、無残に命を落とす日を……ただの妄想だとはわかっているのだが、怖いのだ……」
この、どうしようもない空気と、解決できないジレンマの中、三人は悩み、立ち竦んでいた。
空気を壊すかのように、唐突に家から、サムが飛び出してくる。
「父ちゃん!俺、いやだよ!ヴァレリーと一緒に遊んじゃいけないって、わけわかんねえよ!」
「……サム!!家に入っていなさい!」
「父ちゃん……!……少しだけ、少しだけヴァレリーと話してもいいだろ……?なぁ頼むよ、父ちゃん……」
「……これが、最後だ……」
サムが小走りに、遠慮がちに近づいてくる。
どんな風に声をかけていいか、迷う。
「やあ、サム。元気……?」
「当ったり前だろ、見てわかんねえのかよ……!へへ……。俺、信じてたぜ。ヴァルなら生き残るって」
「たまたまだよ。運がよかっただけ、だったんだ。師匠がいなかったら絶対死んでた」
「師匠って……この人の弟子になったのか!?すっげーよ!!Sランクハンターだぜ!?信じられねぇ!さすがヴァルだぜ!」
つい気恥ずかしくて、強引に話題を変えてしまう。
「サム……。レイを守ってくれてありがとう」
「むしろ礼を言うのは俺だぜ……でもあんなのもう俺、絶対に嫌だよ。本当に、ずっと心配だったんだ。お前なら生き残るって信じてたけど、もしかして腕とか失ったり、無事で済むわけがないって」
「ごめん。でも、俺、強くなるから。今度はちゃんと、逃げなくて済むように。強くなる」
「お前すっげーよ……。俺はもうあんなのごめんだよ。夢に出るんだ。あの魔獣の化け物が……」
「……」
俺も怖くないわけがない。
むしろ目の前で闘っているところを見て、その強さをより明確に理解している。
恐怖心に打ち勝っているのは、レイとサム、また三人一緒に戻りたいという希望と、レイとサム、そして村を守らなければいけないという使命感だ。
今はただそれに、突き動かされていた。
「でも、それより嫌なのは。またお前をあんな危険に晒して、一人で逃げて、生き恥をさらすのは絶対に嫌なんだ」
俺は驚いていた。
サムは意外と、プライドが高く、根性がある。
サムのお父さんも驚いた顔をしている。
サムが唐突に、勢いよくヴァレリアに向き直す。
「オリビエリさん……俺も弟子にしてください!!」
「ふぁっ!?」
ヴァレリアは、にやにやと子供同士の青春ドラマを眺めて楽しんでいたところなのだ。
完全な傍観者として楽しんでいたところを、突然当事者になり、驚き、焦る。
「えっ……話しは聞いてたから理由はわかったけどぉ……え~っ……二人も弟子取る気ないし……二人同時になんて見れないと思うしぃ……え~っ……面倒くさいなぁ……」
あまりの緩さに、全身が脱力して卒倒しそうになる。
「あ~、でもでもー。いずれヴァレリ……ヴァル君が剣の練習に入ったら、練習相手にはちょうどいいかもしれないなぁ……」
「そこをなんとか!お願いします!俺なんでもやります!」
なぜあだ名のほうで言い直したのか。気に入ったのか。
まぁ……別にいいんだけど。
「……お父さんはいいの?」
「……息子は……素養はあるのでしょうか……?」
「そりゃやってみないとわからないし、サム君次第だよ。先に言っておくけどサム君は魔術師の素養はないみたい。ヴァル君がただの男の子って言ったけどごめんね、嘘なんだ。実はヴァル君は魔術師の素養があるから弟子に取ろうと思ったんだ。でも、今はただの男の子だからね、練習して魔法を扱えるようになれば話は別だけど」
サムのお父さんは揺れ動いていた。
息子を自分と同じように凡夫だと決めつけて、危険から遠ざけることで守るべきか。
息子の可能性を信じて、自らとは違う生き方で、自らで身を守れるようにさせるべきか。
深く悩む。これはどちらも正解でもあり、間違いでもある。
所詮、結果論でしかない。
いくら悩んでも決めることができないと理解し、息子に問う。
「……サム、お前はどうしたい……」
「……俺、剣だけでもいい。ヴァルと同じみたいにって高望みはしてない。でも、ヴァルに負けるつもりはない!剣だけでも強くなってみせる!俺も村を守れるようになる!」
すっと、自らを戒めていた心の鎖が外れた。
そんな顔を、していた。
「……オリビエリさん、どうか……どうか息子を……お願いします……」
「しょうがないな~その代り、授業料取るからね!」
「ぶっふ!」
おいおい!!金取んのかよ!!
見損なったよ!!
「ひぇっ……何卒……平にご容赦を……貧しい一介の農夫でありますゆえ……何卒……」
「私が食べる分の野菜とかパンとかお肉とかください!それだけでいいよ!」
「本当にそんなもので宜しいのですか!?私の畑で取れるものであればいくらでも差し上げます。本当に……本当に……ありがとうございます。おぉ……貴方は女神のようにお優しい人だ……」
「私もさっきは言い過ぎたし……傲慢だった。それを水に流してもらえれば、それで充分です」
「オリビエリさん……師匠!」
「はいはい、わかったわかった。でも修行はひと月後からね、私は一旦ギルドに報告しないといけないから」
「わかりました!」
いつしか周りは暗くなり始めていた。
───
今日も、いろんなことがあった。
最高にうれしかったのは、師匠は心の底から尊敬できる人ということが、わかったことだった。
つい、帰り道もにやにやしてしまう。
「ふふっ……可愛いんだからもう……」
家に着くころには、すっかり陽がくれて、爺さんの嬉しそうな顔が、俺と師匠を出迎えた。