「星読みの聖女など不要だ」と婚約破棄されましたので、龍の血で本物の星図を描いてさしあげますわ 〜あなたが捨てたのは国そのものですけれど?〜
「お前の星読みは出鱈目だ。星読みの聖女など、この国にはもう不要だ!」
建国祭の大広間。王太子ジェラルドの声が、シャンデリアの光の下で高らかに響いた。
ざわり、と数百の視線がわたくしに集まる。
セレスティア・アステリオン。星辰公爵家の令嬢にして、この国の星読みの聖女。それが、つい今しがたまでのわたくしの肩書きでしたわ。
……なるほど。
その瞬間、頭の奥で何かが弾けた。真っ白なオフィスの蛍光灯。三徹目の朝。積み上がった軌道計算のログ。そして、モニターに突っ伏したまま二度と目覚めなかった、前世のわたくし。
──ブラック天文台で過労死した、元・惑星軌道シミュレーション技師の記憶。
ああ、そうでしたか。わたくし、転生していたのですね。
そして目の前で怒鳴っている美しい金髪の王太子を、わたくしは冷静に観察した。
(……なるほど。感情で結論を出しておられますのね。データは? 根拠は? 検証プロセスは?)
「セレスティア。何とか言ったらどうだ!」
ジェラルドの隣には、栗色の巻き毛を揺らす少女が寄り添っている。伯爵令嬢ミレーヌ。『よく当たる新星の聖女』と評判の――ふふ。
当たるはずですわ。彼女の予言、全部わたくしが裏で修正した計算結果ですもの。
「わたくしの星読みが、出鱈目、でございますか」
「そうだ! ミレーヌの予言はよく当たる。だがお前のは陰気で、地味で、当たり障りのないものばかり。公爵家の恥だ!」
ミレーヌが、可憐に小首を傾げる。
「殿下がそこまで仰るのですもの。セレスティア様も、きっとお疲れなのですわ。ねえ?」
(当たり障りのない、ね。三日後に一度読み違えれば、人が数千人死ぬからですわ。だから断言を避けていたのですけれど)
口には出さない。説明したところで、この方の脳内メモリには載らないでしょうから。
わたくしは膝を折り、優雅に一礼した。
「かしこまりました。では聖女の座、返上いたします」
あまりにあっさりとした承諾に、大広間が静まり返る。ジェラルドですら、拍子抜けした顔をした。
「な……あっさりと認めるのか。強がりも言えぬとは、みじめなものだな」
わたくしは踵を返す。藍色の禁欲的なドレスの裾が、静かに床を撫でた。
そして去り際、一度だけ振り返る。
「ただ一点だけ」
「……なんだ」
「三日後の『赤流星の夜』。都の東で、地が揺れます。避難をお勧めいたしますわ」
それだけ告げて、わたくしは大広間へ背を向けた。
背後で「はっ、脅しか。去り際の捨て台詞とは、実に星読みの聖女らしい」と嘲笑が聞こえたけれど、振り返らない。
(有効数字が雑すぎますわ。四捨五入で人が死ぬ世界に、いつまでいられるかしら)
三日後。答え合わせをいたしましょう。
◇◆◇
辺境の冒険者ギルドは、酒と汗と鉄の匂いで満ちていた。
「ようこそ辺境ギルドへ! 受付のハイネです! 鑑定士登録をご希望で? えっと、お名前は……」
そばかすの目立つ赤毛の少女が、三つ編みを跳ねさせて出迎えてくれた。歳は十七ほどだろうか。人懐こい笑顔だ。
「セレスティアと申します。星読み──いえ、観測が専門ですわ」
「観測? 珍しい肩書きですね。あっ、字がお上手! この数値の並べ方……帳簿つけるの、絶対得意ですよね!?」
数字と帳簿に強い子らしい。わたくしの記した龍血描画の数値を見て、目を輝かせている。話が早くて助かりますわ。
そのとき、酒場の隅に妙なものが見えた。
身の丈二メートル近い巨躯。褐色の肌に、黒銀の角。縦に裂けた琥珀色の瞳。竜人だ。それも、恐ろしく強そうな。
その偉丈夫が――三角座りをしていた。
古びた星座早見盤を、両手で後生大事に抱えて。
「あちらの隅の方は?」
ハイネが声を潜める。
「しっ、声を潜めてください……! ヴォルフ・ドラクヘイム将軍です。『冷血竜将』って呼ばれてて、魔物の群れを単騎で殲滅する武の化身で……でも、なんかいつもあそこで星の本を抱えてて、怖くて誰も話しかけられないんですよ」
(星座早見盤。しかも……ずいぶん古い版ですわね。歳差運動の補正が入っていない。あれでは今の星位とずれるでしょうに)
気づけば、わたくしは彼の前へと足を向けていた。
「え、セレスティアさん!? ちょ、どこ行くんですか、そっちは駄目ですって……!」
ヴォルフがゆっくりと顔を上げる。ギルド中が凍りついた。
「……何か用か」
地を這うような低音。だが、わたくしは早見盤を指さした。
「その早見盤、二百年ほど星がずれておりますわよ。よろしければ、正しい配置をお描きしましょうか?」
琥珀色の瞳が、大きく見開かれた。
「……なんだと。二百年、だと……?」
「ええ。歳差の補正が抜けておりますの。羊皮紙を一枚、お借りできますか。すぐに証明してさしあげますわ」
◇◆◇
羊皮紙を広げ、わたくしは携帯用の小瓶から龍の血を一滴、ペン先に取った。
描いていく。
黄道十二宮の正確な位置。この季節に真南へ昇る星々。歳差を補正した本物の星図。前世の軌道計算と、この身の龍血描画。二つが融合し、線が生き物のように紙上を走る。
ギルドの喧騒が、いつの間にか止んでいた。
「……できました。これが、今夜あなたが見上げる空です」
竜人の将軍は、微動だにせず星図を見つめていた。長い、長い沈黙。
やがて、その大きな手が、震えながら羊皮紙に触れた。
「……俺は」
絞り出すような声。
「……幼い頃から、夜が怖かった。空が落ちてくる夢を、毎晩見る。龍の血が濃いほど、その悪夢は強くなると言われた」
三角座りをしていた強面の巨躯が、ぽつり、ぽつりと語る。
「星の位置がわかれば、空の形がわかれば、少しは怖くなくなると思って……この早見盤を、ずっと。だが、いくら見ても空と合わなくて、余計に……」
(二百年ずれた早見盤で空を確かめようとしていたのですね。それは、合うはずがない)
胸の奥が、静かに痛んだ。前世で、誰にも理解されず数字と格闘していた自分を、少しだけ思い出す。
「合わないのは、あなたのせいではありませんわ。ただ、道具が古かっただけ。──正しく測れば、空はちゃんと、そこにあります」
ヴォルフが、顔を上げた。
琥珀色の瞳に、じわりと涙が滲んでいた。強面のまま、ひとつも表情を崩さぬまま。
「……初めて、夜空を怖くないと思えた」
酒場の隅で、冷血竜将と恐れられる男が、一枚の星図を胸に抱きしめた。
ハイネが口をあんぐり開けて固まっている。
(あの『冷血竜将』が……星図を抱きしめて……? え、なにこれ、私、今すごいもの見てる……?)
(さて。この星図の精度、証明してさしあげましょう。──ちょうど、答え合わせの夜が近いことですし)
◇◆◇
──王都。同刻。
「ミレーヌ、今夜の星読みは?」
ジェラルドの問いに、ミレーヌは可憐に微笑んだ。
「今宵は吉兆でございますわ、殿下。赤流星は繁栄の予兆。都には何も起こりません」
「そうか。やはりお前は真の聖女だ。あの陰気な女の脅しなど、笑止千万よ」
二人は建国祭の余韻に浸り、赤く尾を引く流星を眺めていた。
──だがミレーヌは知らなかった。
その『繁栄の予兆』が、去年セレスティアが修正した古いデータの、劣化した使い回しであることを。星の運行も、龍血描画の原理も、彼女は何ひとつ理解していなかった。
◇◆◇
──辺境ギルド。
わたくしは懐中時計を見つめていた。ハイネとヴォルフが、隣で息を呑んでいる。
「セレスティアさん、本当に……今夜、地震が?」
「魔力潮汐が、都の東の地脈に極大で重なります。周期計算の結果、時刻は──」
言い終わらぬうちだった。
ゴォォォ……
遠く東の空が、赤流星の下で、ぐらりと歪んだ。
大地の底から響く、地鳴り。ギルドの窓ガラスが震える。
「地震……! 本当に……! 窓が、窓が震えてます……!」ハイネの声が裏返る。
「都の東、震源。規模から見て、市壁の外郭に相当な被害が出るでしょう」
ヴォルフが、低く呟いた。
「……寸分の狂いもない。この女の言葉は、天の理そのものだ」
わたくしは静かに帳簿を閉じた。
「三日前に、避難を勧めましたわ。聞いていれば、誰も傷つかずに済んだのですけれど」
◇◆◇
──王都。混乱の中。
「な、なぜだ! ミレーヌは繁栄の予兆と言ったではないか!」
崩れる東区。逃げ惑う民。ジェラルドの顔は蒼白だった。
「そ、そんな……わたくしの予言が、外れるなんて……そんなはずは……」
ミレーヌは震えるばかりで、何も言えない。
民衆の間から、囁きが漏れ始める。
「星読みの聖女様が……追放される前に、警告なさっていたと……」
「東で地が揺れると……あれは、本物だったのか……?」
王太子が捨てたものの重さは、まだ誰も、正確には測れていなかった。
◇◆◇
地震から一月。辺境ギルドの空気は、一変していた。
「セレスティアさんの予測、また的中です! 北の峠、明後日の昼にスタンピード! 冒険者の皆さん、もう配置につきました!」
ハイネが帳簿を抱えて駆け回る。彼女はわたくしの魔力潮汐予測を、几帳面な防災データとして整理・記録してくれていた。
「魔力潮汐が北の地脈で極大。魔物の発生確率は平時の八倍。逃げ場を失った群れが峠に集中します。──迎撃地点は、この隘路が最適ですわ」
龍の血の消費量、周期、確率。すべてを数値化して示す。
冒険者たちは、もはや誰も疑わなかった。
二日後、峠のスタンピードは予測通りに発生し、待ち構えた冒険者たちが完璧に殲滅した。死者ゼロ。
「Sランク鑑定士セレスティア」──その名は、瞬く間に辺境から隣国まで広まった。
そんなある日、ギルドに苦々しい顔の一団が現れた。
「貴様が例の女か。我ら御用聖女組合が、正式な予言を授けてやろう。素人の数字遊びなど、危険だ」
(数字遊び、ね)
「では、組合の予言をお聞かせください。西の森、次の魔力潮汐の極大時刻を、有効数字三桁で」
「ゆ、有効数字だと……?」
「時刻です。何刻に、どの規模で。おっしゃれないのなら、それは予言ではなく、感想ですわ」
組合員は真っ赤になって黙り込んだ。
「ぐ……ぬ……!」
わたくしは帳簿を開き、淡々と告げる。
「西の森は三日後の寅の刻、規模は中。わたくしの記録は、すべてハイネが保管しております。外れたら、いつでも照合なさって。──ただし、当たったときも、ちゃんと記録に残りますけれど」
ギルドがどっと沸いた。
ヴォルフが、隅の三角座りから、ぼそりと呟く。
「……見事だ」
たった三文字。それを言うのに、彼は十秒ほど唸っていた。
(この方、褒め言葉ひとつが牛歩戦術ですのね。三文字に十秒とは、有効数字が足りませんわ)
組合が去った後、ハイネがこっそり耳打ちしてきた。
「セレスティアさん……あの記録、実はもうひとつ役に立つかもしれません。王都のミレーヌ様の予言と、日付を突き合わせると──」
わたくしは微笑んだ。
「ええ。帳簿は、嘘をつきませんもの」
動かぬ証拠は、静かに積み上がっていた。
◇◆◇
──王都は、崩れ始めていた。
セレスティアという計算の源泉を失ったミレーヌの予言は、次々に外れた。豊作と告げれば凶作。安全と告げれば魔物の襲来。民衆の信頼は地に落ちた。
そして王家は、二度目の魔力潮汐の暴走を予測できず、南の穀倉地帯を失った。
追い詰められたジェラルドは、ついに辺境へ使者を送る。『星読みの聖女を、王都へ呼び戻す』と。
だが、使者が辺境で見たものは──
隣国とギルド連合が結んだ、巨大な防災インフラの中心に立つセレスティアの姿だった。彼女の星図は、もはや一国の道具ではなく、大陸の命綱になっていた。
◇◆◇
王都から呼び戻された査問の場。皮肉にも、それはミレーヌの盗用を裁く法廷となっていた。
ハイネが、分厚い帳簿の束を証拠台に置く。
「龍血描画には、描き手ごとに固有の魔力消費パターンが刻まれます。これはミレーヌ様が『自分で描いた』とされる予言の魔力記録。そして──こちらが、セレスティア様が過去に残した計算の魔力記録です」
二つの記録が、照合される。
「……完全に、一致しています。ミレーヌ様の予言は、すべてセレスティア様の計算の、写しでした」
法廷がどよめいた。
「ち、違うわ! これは私の才能で……!」
「才能とおっしゃるなら」わたくしは静かに口を開いた。「今この場で、明日の魔力潮汐の時刻を、有効数字三桁でお答えになれますか?」
「そ、それは……あの……」
「沈黙もまた、ひとつの答えですわ。──記録に、残しておきますわね」
ミレーヌは、一言も発せなかった。虚栄の聖女は、その場で失脚した。
◇◆◇
そして、ジェラルド。
かつての婚約者は、憔悴しきった顔でわたくしの前に立っていた。
「セレスティア……頼む。王都へ、戻ってきてくれ。お前の星図がなければ、この国は……」
わたくしは彼を、静かに見つめた。怒りも、憎しみもない。ただ、答え合わせのように。
「殿下。あなたは建国祭の夜、こうおっしゃいましたわね。『星読みの聖女など、この国には不要だ』と」
「あ、あれは……あの時は、その……」
「わたくしの星図は、災厄を測り、豊凶を読み、民の命を守る、国の防災の要でした。派手な予言をしなかったのは、一度の読み違えで人が死ぬからです。禁欲的だったのは、血の一滴を無駄にしないためです」
「知らなかった……俺は、そんなことも知らずに……」
一歩、退く。
「あなたが不要だと切り捨てたのは、地味な女ではありません」
そして、静かに告げた。
「あなたが捨てたのは、国そのものですわ」
「……ああ……なんということを……」
ジェラルドは、崩れ落ちるように膝をついた。時すでに、遅く。
◇◆◇
辺境の丘。夜。
満天の星の下で、ヴォルフがわたくしの隣に立っていた。相変わらず、褒め言葉のひとつを言うのに何十秒も唸る男だ。
「……セレスティア」
「はい」
「その……お前の、星図で……夜が、怖くなくなった。あの日から、ずっと」
「存じておりますわ」
「だから、その……」
長い沈黙。
(星が三つほど流れそうな間ですわね。この沈黙、周期を計測したくなりますわ)
やがてヴォルフは、片膝をつき、古びた星座早見盤を──いや、その隣に、新しく研磨された婚約の指輪を差し出した。
「俺と、共に空を見てくれないか。……ずっと」
強面のまま、耳まで赤い。
わたくしは、少しだけ笑った。前世でも、今世でも、感情で結論を出したことのないわたくしが。
「計算するまでもありませんわ。──お受けいたします」
龍の血で結ばれた星図は、隣国とギルド連合、そして辺境を繋ぐ『星辰同盟』の礎となった。古龍の末裔ヴォルフと、古龍の因子を宿すわたくし。血の秘密は、これからゆっくり解き明かしていけばいい。
ハイネが丘を駆け上がってくる。
「セレスティアさーん! 同盟の防災網、隣国の分も完成しましたよ! ……って、あれ? な、なんで将軍が膝ついて……えええ!? 指輪!? 指輪ですよねそれ!?」
わたくしは静かに告げた。
「ふふ。ハイネ、後ほど『星辰同盟の礎、記念すべき夜』として、帳簿に一行残しておいてくださる?」
「そこ帳簿に残すんですか!? ……って、もう、おめでとうございます!!」
賑やかだ。前世の白い天井の下では、想像もできなかった夜。
◇◆◇
その夜、わたくしは一枚の新しい星図を描いていた。
龍の血が、いつもより滑らかに走る。同盟の未来を占う、記念の一枚。
(前世の白い天井の下では、想像もできなかった夜ですわ。……さて、記念に一枚、同盟の未来を描いておきましょう)
──だが。
「……ペンが、止まりましたわ」
描かれた星の配置。その中心に、見慣れぬ凶兆の紋様が浮かび上がっていた。黄道のどこにも属さない、異質な光点。
背筋を、冷たいものが走る。
「どうした。顔色が……」
ヴォルフが、案じるように覗き込む。
「この星の配置……黄道のどこにも属さない、異質な光点。数万時間分の軌道計算を総ざらいしても、こんな配置は……」
「……セレスティア。それは、なんだ」
わたくしは、前世の記憶を総ざらいした。数万時間分の軌道計算。すべてのシミュレーション。
そのどこにも、この配置は、なかった。
「これは……前世でも、見たことのない配置。──計算は、まだ終わらないようですわ」
星図の凶兆は、静かに、けれど確かに、こちらを見返していた。
計算は、まだ終わらない。




