【短編】彼女が魔女と呼ばれるまで
私がハウスメイドから子爵夫人の侍女になったのは、何も能力を買われての大抜擢ではない。
貴族の子女でなくても、裕福な家庭で育った教養のある女性がなるべき侍女に私がなったのは、旦那様の「適当」な人事のせいだ。
先代の当主様は、貴族としての地位を確固たるものにしたかったらしい。
それで今の当主である旦那様と、由緒正しく、長い歴史を持ち、有名な錬金術師の家系である伯爵家令嬢だった奥様との婚姻を決められた。
でも、旦那様には愛する人が既にいた。どこで知り合ったのか分からないが、その人はいつも香水の匂いを漂わせて、胸元が大きく開いた派手な衣服を身に纏い、濃い化粧の顔で私達を睨む。
彼女が現れたときは、伯爵令嬢との婚姻は公にされていなかったので、若奥様になるかと思われた。しかし、婚約すらしていない状態である。
どうしてなのかと私達、使用人はあれこれ噂をした。ある日、どこからの情報なのか分からないが、旦那様の愛人は貴族の血はおろか、ただの娼婦だから結婚させられないのだという話が回ってきた。
噂の真偽は分からないが、旦那様の愛人を見ていると信憑性は高いのではないかと思う。
私達は奥様でもない、ただの愛人である彼女からこき使われ、鬱憤を溜めながら日々を過ごした。
先代の当主様がお亡くなりになり、正式に旦那様が子爵家当主になって数日。
ある日、私はメイド長から呼び出しを受けた。
「あなたに子爵夫人の侍女をやってもらいたいと旦那様がおっしゃっています」
「大奥様の侍女ですか?」
「いいえ、若奥様の、です」
私はそこで初めて伯爵令嬢との婚姻が決まったことを知った。
「どうして私なんです? 平民の出ですし」
読み書きも出来ないし、貴族のマナーも知らない。
メイド長は苦々しい笑みを浮かべて顔を振る。
「旦那様には心に決めた方がいらっしゃるでしょう」
その物言いに私も苦い笑みで返した。
「あぁ、あの方……」
「そう。旦那様は正式な奥様には興味がないのです。だから適当に奥様と年齢が近い人を選べ、と」
それで私が選ばれたというわけだ。侍女も適当で良いと旦那様は思っている。
これからやってくる伯爵令嬢を気の毒だと心の底から思った。旦那様から冷たくあしらわれるのは目に見えているから。
✽
私が奥様と初めて会ったのは、花が咲き誇る春の日だった。伯爵家からの馬車に乗って、子爵邸へやってきた奥様を私と数人の使用人が出迎えた。
もちろん旦那様はいないし、大奥様もいない。
使用人だけで出迎えるという、失礼すぎる対応にも奥様は表情を変えることはなかった。
それどころか、満面の笑みを浮かべて、私の手を取ってくださった。
「はじめまして、あなたがわたくしの侍女かしら?」
私は目を奪われた。雪のように真っ白な髪には一点の汚れもない。銀色の不思議な色合いの瞳は、濃い灰色、黒とも表現できる。
肌は陶器のように白く、滑らかで、永遠に年を取らないのではないかと思うほどに美しい。
「は、はじめまして。奥様の身の回りのお世話をさせていただきます。なんなりとお申し付け下さい」
緊張で喉がカラカラだった。前日まで一生懸命に練習したあいさつの言葉は、うまく出てこない。
奥様は天使のような微笑みを私達、使用人達に向けてくれた。
この時から、私は奥様のことが大好きになった。
✽
奥様と過ごし始めて数日。やはり奥様は、見た目通りに大変優しいお方だった。あの愛人とは違う。
旦那様の初夜がなくても、愛人から妬みを言われても、大奥様から理不尽なことで怒鳴られても、いつも笑顔だった。
使用人にはやつ当たりすることはおろか、いつもと変わらず優しく接してくださる。
怒りの感情を見たことがないくらい落ち着いている。
奥様が眠る前に髪を梳くことも私の仕事だ。
美しい白の髪を丁寧にブラシでときながら、私は失礼ながらも聞いた。
「奥様はこんな扱いを受けていて腹が立たないのですか?」
すると、奥様はうーんと小首を傾げて考える。仕草が少女のようで愛らしい。
「子どもはいらないので嫁いでくれと言われていたから、何かあるだろうと思っていたの。だから何も感じないわ」
子どもはいらない? 女性が嫁ぐということは、その家の跡継ぎを産まなければならないということ。それなのに子どもはいらないということは。
「伯爵家に居た頃から探偵を雇って、この家のことを調べさせてもらったのよ。そうしたら正式に婚約なさってない女性がいたから、そういうことなのねって」
「いくらなんでもそんな婚約に奥様のご両親が納得されるとは思いませんが……」
すると奥様はいつもの調子で言った。
「わたくし、子が産めない体なの。子爵家は我が家に多額の約束金を支払うと言っていたから、わたくしの処遇にはちょうど良かったのだわ」
「それだと奥様がお金で売られたみたいじゃありませんか……!」
「考え方によってはそう思えるわね。でも、わたくしは、全てのことに意味があると思っているの。この結婚も意味があること。だから悲しくないわ」
奥様はそう言うが、私は納得いかなかった。まるで物のように扱われている奥様が不憫だ。
すると奥様は私の頬を小さな手で包んで、優しく、諭すように話してくれる。
「家族仲は良いのよ。変人の集まりだから、あなたから見れば薄情な家族に見えるだろうけど。ちゃんと愛されていたわ」
「でも……」
腑に落ちない。もやもやした気持ちを隠そうとせず、私は唇を噛む。
すると、奥様はふふっと笑って言う。
「あなたはわたくしのために怒ってくれるのね」
それがとても幸せなことのように奥様は言う。目を細めて幸せそうに。
「当たり前です。自分のご主人様が辛い状況に遭うのは誰だって耐えられないと思います」
「そうかしら。あなたは特別優しいのよ」
ふわりと奥様が身に纏っている香水が私の鼻孔をくすぐった。
涼しげな花の香りだった。
*
「ねえ、あなた。わたしの部屋にこの荷物を運んでおいて」
私が奥様の部屋に飾る花を庭から選ぼうと、玄関に向かったとき、旦那様の愛人に出くわしてしまった。彼女はここの女主人でもないのに、傲慢な態度で指示を出す。同じ平民のはずだけど、私は彼女に頭を下げなければならない。なぜなら旦那様の愛人だから。
「私は奥様の侍女ですので別の者を手配させていただきます」
すると、愛人は舌打ちをして不機嫌そうな顔を隠さず、私を見下ろした。彼女の瞳はぞっとするようなほど冷たい。私を蔑んでいるのが分かる。
「今すぐ運んで欲しいからあんたに言ってるの!」
「申し訳ございませんが、私は奥様の侍女です。私の仕事は奥様の身の回りのお世話をさせていただくことです」
愛人は怒りで顔が真っ赤になる。おそらく自分は愛されているのに、正妻になることは決してない。その歯がゆさや悔しさが怒りとなって、奥様の侍女である私に向かうのだろう。
「生意気な! わたしがやれって言ってるの!」
乾いた音が響いた。頬をはたかれたのだと気付くには、時間がかかった。右の頬がだんだんと熱を帯び、じんじんとした痛みを生み出す。
愛人の金切り声に慌てて部屋から出てくる足音がいくつかある。
「おい、どうした!」
一人は旦那様だった。
「何事ですの!?」
もう一人は奥様だった。
旦那様は金切り声で私を罵る愛人を見つけると、すぐさま駆け寄って背中を撫でてやる。
「おお、大丈夫だ。私が来たよ、ハニー。何があったのか教えてくれるかい」
旦那様は背中から寒気がするような甘ったるい声で愛人の機嫌をとる。
愛人は泣き始め、私を睨みながら旦那様に言う。
「あの使用人が……わたしの言う事は聞けないって……差別だわ」
愛人の言葉に旦那様は顔色をさっと変える。冷徹な仮面を被ったかのように、表情をくるりと変え、私の方を見やった。奥様の手のぬくもりを背中に感じなければ、私は震えていたかもしれない。
「たとえ正妻でなかったとしても、彼女の言う事はこの家で働く使用人なら聞くべきだ。職務怠慢だぞ」
旦那様の言葉に奥様が私を庇うようにして前に出る。
「お待ちくださいませ、この子はわたくしの侍女。わたくしの世話をするのが仕事ですわ。それ以外の仕事を請け負うこと自体が職務怠慢ということですわ」
すると、旦那様は奥様のことを冷たい眼差しで見た。妻に向ける視線とは思えないほど、冷たいものだった。
「子も成せぬような出来損ないの女が口答えをするな!」
「きゃあ!」
旦那様は奥様を突き飛ばす。小柄で華奢な体格の奥様は、突き飛ばされ地面に倒れ込んでしまう。
私が駆け寄ろうとすると、旦那様が私の左手を掴んだ。
「だ、旦那様……!」
私の言葉など聞こえていない様子で旦那様は愛人が差し出した鞭を手に取る。いつの間に用意していたのだろう。愛人はにやにやと下卑た笑みを浮かべて、私が罰を受けるのを楽しみにしている。
ひゅっと空気を裂く音がした。
左手の甲に鋭い痛みと燃え上がるような熱を感じる。鞭で叩かれたのだ。
泣きたくなくても痛みで自然と涙が出る。私は呻き声を上げながら痛みに耐える。
「おやめください、旦那様!」
奥様の悲鳴が聞こえる。何度もやめてと懇願している。奥様の声が枯れても旦那様は愛人が満足するまで、私をぶつのをやめなかった。
*
「本当にごめんなさい」
もう何度目だろう。奥様はずっと謝っている。
旦那様に鞭でぶたれた左手の甲は、皮膚が裂けて肉が出てしまった。奥様自ら手当てをしてくださったのだが、それからずっと謝っているのだ。
「良いんですよ、奥様のせいではありませんし」
包帯が巻かれた左手を見ながら言った。
「いいえ、いいえ。わたくしが止められていたら、あなたが傷付くことなど無かった……」
奥様の大きな目からぽろぽろと雫がこぼれる。涙さえも宝石のように美しいんだと私は場違いなことを考えていた。
「ちょっとよろしいかしら」
奥様の部屋の扉から貫録のある女性の声が聞こえた。大奥様の声である。
「どうぞ」
奥様は涙を拭きながら大奥様を部屋に入れる。恰幅の良い女性は、じろじろと私を見た。
「あなたね? 息子を怒らせた使用人というのは」
大奥様が一体何の用だろうと思っていたが、やはり先ほどのことだったのだ。
「わたくしの侍女に何用ですか」
珍しく奥様が厳しい声音で問いかけると、大奥様はふんっと鼻で笑った。
「自分の侍女のしつけくらいきちんとなさいな。あなた、それでも伯爵令嬢だったのかしら」
大奥様は子爵家の令嬢だ。先代の当主様が商売で成功し、子爵令嬢だった大奥様と結婚したという。そんな大奥様は自分よりも爵位の高い令嬢にコンプレックスを抱いているのか、奥様に何かと「伯爵令嬢のくせに」といびる。
「しつけだなんて。彼女は一人の人間ですわ」
奥様はそう言ってくれるが、大奥様には響いていない様子だ。
「とにかく息子を怒らせないでちょうだい。あの子は仕事で忙しいんだから余計な問題を作らないで」
旦那様が仕事をしているところなど見た事がないが、なんて口が裂けても言えないのが悔しい。
この家の仕事を担っているのは、嫁いで間もない奥様だというのに。
私は顔を伏せたまま、唇を噛んで耐えた。口の中に金属のような味がする。血が出るほど強く噛みしめていた。
*
ある日、伯爵家から客人がやって来た。奥様の兄だという。
私は侍女なので奥様と兄の近くに控えている。
「お前、そっちでうまくやれているのか?」
「ええ、とっても。彼女がとても良くしてくれていますわ」
奥様は言いながら、兄に私を紹介してくれる。奥様は自身の美しい髪を指差しながら言う。
「手先がとても器用ですの。ほら、髪で薔薇を形作っているでしょう? 侍女がしてくれたの」
「ほう、素晴らしいな」
「でしょう? 自慢の侍女ですの」
奥様の兄は、奥様とよく似た笑い方をする。やはり兄妹なのだなと私は思った。
「ところで頼まれていたものを持って来たぞ」
兄は鞄からガラス製の入れ物に入った何かを奥様に渡した。
「まあ、ありがとうございます。お兄さまならきっと手に入れてくださると思っていたの」
「これを手に入れるのは大変苦労したぞ。大事に使えよな」
あとで奥様に何をもらったんですか、と聞いたが「内緒よ」とはぐらかされてしまった。
でも、この時のものが何なのかはすぐ知ることになる。
*
ある日、奥様が机に向かって一生懸命に何かを書いていた。
「誰かへの手紙ですか? それにしては随分と量が多いですね」
すると、奥様は少し疲れの見える笑顔を浮かべて答える。
「紹介状なの。子爵家の使用人で転職を考えている人には、紹介状を書いているのよ」
「こんなに多くの使用人が辞めることを希望しているんですか?」
机上にある紹介状は、山をつくるほどにある。これほどまで転職希望者がいるのか、と私は絶句した。
「わたくしが領地経営に携わり始めてから気付いたのだけど、先代の当主様が頑張って増やした資産を旦那様が溶かしてしまったようでね。子爵家にはお金がないの。むしろ赤字で借金まで膨れている状態よ」
「どうして……」
「旦那様があの愛人の方に贅沢な暮らしをさせたがった結果かしらね。あの方、旦那様からたくさん高価な衣服や宝石を贈られているでしょう?」
奥様には一度も贈り物をしたことがないくせに。奥様ほど美しい方なら宝石や服で着飾らなくても十分に美しいけれども。
こんな優しくて、有能で、美しい奥様をないがしろにする旦那様に対し、私は腹が立った。腹が立つどころではないかもしれない。憎しみさえ覚え始めていた。
「あなたにも紹介状を書きましょうか?」
奥様は書く手を止めて、私の意見を求める。
私はすぐに首を横に振った。
「私の居場所は奥様の隣ですから。死ぬまで一緒です」
奥様は太陽のような笑みを浮かべて言った。
「ありがとう」
*
ある夜、奥様から声をかけた食事会が開かれることになった。
食事をするテーブルには、大奥様と旦那様、そして愛人。どうして愛人までもが、と使用人である私達は怪訝な表情を隠せなかった。奥様が虐げられていると言っても、愛人が同じテーブルで食事をすることなどあり得ないし、今までも別々で食事をしていた。どうして今? と思ったのは、私だけではないようだった。
「あなたから一緒に夕食をどうだなんて珍しいわね」
大奥様はたぷたぷとした顎の肉を揺らしながら言った。
「兄から東方の珍しい食材を手に入れましたの。ですから皆様にも是非と思いまして」
その言葉に大奥様をはじめ、旦那様と愛人は喜色を浮かべた。
「調理法もわたくしと料理長で考えましたの。どうぞ召し上がってくださいませ」
奥様の言葉を合図に、次々と料理が運ばれていく。
何故だか奥様は料理に手を一切つけなかったが、大奥様や旦那様達は気にする様子もなく、むしゃむしゃと料理を平らげていった。
*
普段なら大奥様達が残された食事は、使用人達にも下げられるが、全部食べたのか私達におさがりはなかった。
使用人に用意されるいつもの食事をお腹に入れ、眠っていると、ふと目が覚めた。
なんとなく嫌な気配がした。私はろうそくに火を灯し、ろうそく立てにさす。ぼんやりとした灯りを頼りに屋敷を歩く。どうしてそうしようとしたのか分からない。
ただ、嫌な空気が肌に纏わりつくのが気持ち悪い。
奥様の部屋へ行こうとして足を止める。地下の方から音がする。
心臓が早鐘を打つのを感じながら、足を踏み入れたことのない地下室へと向かう。
いつも閉じられている地下室の扉が開いていた。誰かいる。一人で入るのは危険だと頭で分かっていても、体は扉の方へと向かう。
そっと扉を押すと、軋んだ音を立てながら部屋への入り口を完全に開放する。
部屋の奥からじゃらじゃらと金属の擦れる重い音が聞こえて来た。
「うう……」
誰かの呻き声だろうか。くぐもったような音だ。
私は近付いていく。地下室の奥には明かりがいくつか用意されている。最初からあったのか、それとも用意したのか分からないが、おかげで近付くと奥の様子がはっきりと見えた。
「……なに、これ……」
じゃらじゃらと金属が擦れる音を立てていたのは、鎖だ。鎖に拘束されている「何か」が動く度に音が鳴る。
拘束されている「何か」は、人間と姿形は同じだが、皮膚は腐っていて、目も白く濁っている。一見すると死んでいるように見えるが、それは動いている。ところどころ、腐敗した部分から中身が飛び出ていた。
「あら」
聞き覚えのある声が背後から聞こえてきた。
「奥様……!」
奥様はいつもと変わらない様子で目の前の化け物を見やる。
「上手に出来たでしょう?」
出来た、とは何を……?
私の疑問を感じ取ったのか、奥様はいつもの優しい口調で話す。
「お兄さまから東方の珍しい粘菌をいただいたの。この粘菌は人間の体内に入ると、宿主を屍人化する性質を持っていてね。貴重な生体だったから屍人を作ってみようと思って」
ふと奥様と兄の会話を思い出す。手に入れるのが難しかったとかどうとか。
「屍人って……死んだ人間から生まれた化け物のことですよね。この人たちは……?」
嫌な汗が流れる。
「ああ、大奥様と旦那様、愛人の方よ。奥で粘菌の苗床になっているのが大奥様。屍人になるほどの体力はお持ちではなかったみたいで、粘菌を食してから亡くなられてしまったわ。その死体を粘菌が苗床にして繁殖している状態ね」
心配しないで、と奥様は付け加える。
「あの粘菌は経口摂取さえしなければ、生きている人間を屍人化しないわ。だからあなたは大丈夫。呼吸器からは寄生されないわ」
けろりと何でもないように言ってのける。
経口摂取ということは。
「あの料理が……粘菌?」
だから奥様は一口も食べなかったのだ。使用人達にも分けられることが無かったのだ。
「うう、ああぁ……」
男物の服を着た屍人が奥様に向かって歩き出そうとするが、鎖が邪魔をする。
「あら、旦那様。いけないわ、立っていいなんて言ってませんもの」
そう言うと、奥様は小さな手には大きすぎるくらいの拳銃を取り出し、旦那様と呼んだ屍人の足を撃った。耳を塞ぎたくなるような発砲音と共に、弾丸が肉を裂く音がする。
旦那様は呻き声を上げながら地面に倒れた。じたばたと手を振り回すが虚しく宙を掻く。
「そうでしたわ、あなた、わたくしの侍女の左手に鞭を打ちましたわよね? 同じようにあなたの左手も撃ってさしあげますわ」
また発砲音がした。奥様は射撃に慣れているのか、弾を外すことなく命中させていく。
屍人になっても痛覚はあるのか、化け物は暴れ出す。旦那様の左手に穴が開き、血が噴き出ていた。
「そしてあなたは、わたくしの侍女の頬を叩きましたわよね」
奥様は露出の多い服を着ている屍人に向かって話しかける。愛人の屍人だ。
「旦那様もですけど、わたくしの侍女に汚い手で触らないでくださいまし」
言うや否や、奥様はまた発砲する。今度は愛人の頬を撃ち抜いた。
奥様はくるりと振り返る。屍人を撃ったときに浴びた返り血が顔や髪、服についてしまっていた。
あぁ、天使のようなあなたが穢れた人間の血に染まる必要などないのに。
「これで、邪魔者は居なくなりましたわ」
奥様はすっきりとした顔で言う。
「あなたを傷付ける者はどこにもいませんわ。わたくしが守ってさしあげます。だからずっと傍にいて」
私は震える手で自分より小さな奥様を抱き締める。
「私の居場所は奥様の隣ですから。死ぬまで一緒です」




