第六章 奇跡依存社会
奇跡は減った。
だが、願いは減らなかった。
むしろ、増えた。
「今しかない」
そんな空気が、街に漂っていた。
駅前では、見知らぬ大人が神に縋りついている。
コンビニの前で泣きながら契約する高校生。
病院の待合室で、必死に何かを祈る母親。
“最後のチャンス”という言葉が流行った。
奇跡がなくなる前に。
叶えるなら今のうちに。
ニュースでは、成功例ばかりが取り上げられる。
難関試験合格。
奇跡的回復。
事故回避。
代償については、触れない。
触れられない。
学校でも、空気が変わった。
「お前、もう願った?」
「まだ。でも今日やる」
焦燥が伝染している。
奇跡を持たないことが、不安になる。
持たない者が、遅れているように見える。
僕はその中心から、外れていた。
視線を感じる。
廊下ですれ違うときの小さな距離。
「神殺し」
誰かが小声で言う。
直接は言わない。
でも、伝わる。
奇跡を減らした張本人。
凛は――
少しずつ、孤立し始めていた。
彼女はまだ願っていない。
だが、神を持っている。
それが、逆に目立つ。
「なんで使わないの?」
女子グループが囲む。
「弟のこと、本気じゃないの?」
悪意ではない。
純粋な疑問。
奇跡があるのに、使わない理由が理解できない。
凛は微笑む。
「考えてるだけ」
強い声。
でも。
その隣で神が、囁き続けている。
甘く。
優しく。
「時間は減っている」
「世界は壊れていく」
「君が救えるのは、今だけ」
放課後。
凛は一人、教室に残っていた。
僕はドアの外で立ち止まる。
中から、小さな声が聞こえる。
「……どうして、あの日」
独り言。
机に伏せる肩が、震えている。
神は隣に立ち、静かに手を差し出している。
「罪悪感は消える」
「後悔も消える」
「弟は笑う」
凛の指先が、わずかに動く。
その瞬間。
教室の電気が、ちらついた。
窓の外で、急ブレーキの音。
悲鳴。
僕は走る。
校門前で、バイクが倒れている。
幸い、軽傷。
でも。
最近、こういう“紙一重”が増えている。
偶然が、うまくいかない。
幸運が、働かない。
世界が、緩衝材を失っている。
その夜。
凛からメッセージが届く。
《もし、願ったら》
《私、本当に消えるかな》
言葉の意味を読む。
物理的にではない。
存在として。
《消えない》
即答する。
数秒後。
《でも、愛されなくなるんだよ?》
指が止まる。
愛されない。
それは。
《誰からも?》
送信。
既読がつかない。
代わりに、別の通知。
【奇跡発動者、急増】
記事を開く。
成功者の裏で。
感情障害。
対人関係崩壊。
原因不明の孤立。
代償は、静かに現れる。
派手ではない。
でも確実に、削っていく。
翌日。
凛は教室にいなかった。
欠席。
理由不明。
彼女の席の横に、神だけが立っている。
静かに。
微笑んで。
「彼女は限界だ」
頭に直接、声が届く。
「世界が崩れる前に、彼女は決める」
「黙れ」
神は楽しそうだ。
「君が選ばせた」
胸が痛む。
奇跡を否定した。
でも、代わりに何を示せた?
何もない。
ただの拒絶。
神は言う。
「奇跡を奪うなら」
その目が、鋭くなる。
「代わりを示せ」
教室の空気が重くなる。
僕は理解する。
これは思想の戦いじゃない。
感情の戦いだ。
凛の家へ向かう。
インターホンを押す。
しばらくして、ドアが開く。
凛は、泣いていなかった。
ただ。
疲れていた。
その隣で神が、優しく微笑む。
「時間がない」
神が言う。
「奇跡を奪うなら」
その目が、鋭くなる。
「代わりを示せ」
教室の空気が重くなる。
僕は理解する。
これは思想の戦いじゃない。
感情の戦いだ。
凛の家へ向かう。
インターホンを押す。
しばらくして、ドアが開く。
凛は、泣いていなかった。
ただ。
疲れていた。
その隣で神が、優しく微笑む。
「時間がない」
神が言う。
凛の指が、また光に触れようとしている。
奇跡は、すぐそこだ。
代償も。
僕は、一歩踏み出す。
ここで止めなければ。
彼女は、自分を罰する。
そして世界は。
さらに、歪む。




