第五章 神の正体
政府の会見は、何も解決しなかった。
「現在調査中です」
「科学的根拠は確認されていません」
「冷静な行動を」
テレビを消す。
冷蔵庫のモーター音だけが残る。
奇跡発生率の低下。
神の消失。
増える事故。
原因不明。
でも僕は、原因を知っている。
あの夜。
光が砕けた瞬間。
何かが、確かに減った。
眠れない夜が続いた。
目を閉じると、あの日の病室が蘇る。
母の指先。
白いシーツ。
「ごめんね」と言った声。
そして。
“もしも”という言葉。
もし、あと五分早く救急車を呼んでいたら。
もし、もっと強く引き止めていたら。
もし、神様がいたなら。
――神様がいたなら。
そこで、目が開いた。
天井を見つめる。
息が浅い。
「……そういうことか」
部屋の空気が、わずかに揺らぐ。
光の粒が、集まり始める。
心臓が止まりそうになる。
「君は理解が早い」
声。
振り返る。
そこに、いた。
あの夜、殺したはずの神。
だが輪郭は薄い。
半透明。
今にも消えそうだ。
「……なんで」
「完全には消えていない」
神は静かに言う。
「君が、まだ望んでいるから」
否定しようとして、言葉が出ない。
望んでいない。
奇跡なんて。
「私は、君の絶望から生まれた」
神は胸に手を当てる。
「母を救えなかった後悔。“もしも”という願い。消えない未練」
喉が締まる。
「十八歳で見えるのではない。十八歳で“自覚する”のだ」
神は続ける。
「自分が、何を願い続けていたか」
思い出す。
毎晩、同じ夢を見ていた。
心電図が止まる前の、ほんの数秒。
手を伸ばせば届いたかもしれない時間。
「君は願わないと決めた。だから私を殺した」
神は微笑む。
あの夜と同じ顔。
「でも、願いそのものは消えていない」
部屋の隅に、影が揺れる。
淡い光。
他の家々からも、同じ気配が立ち上っているのがわかる。
「神は人の絶望から生まれる」
神の声が、やけに静かだ。
「奇跡を望むほど、強くなる」
「じゃあ、殺せば」
「絶望が消えるわけではない」
言葉が止まる。
「形を失うだけだ」
窓の外を見る。
夜の街。
ところどころ、光が揺れている。
人々の願い。
後悔。
未練。
それらが、形になって立っている。
「奇跡が減っているのは」
神が言う。
「君のように、“願いを否定する者”が増えたから」
「悪いことか」
「いい悪いではない」
神は首を振る。
「均衡が崩れているだけだ」
「均衡?」
「奇跡は絶望を中和する。代償で痛みを分散する」
理解が追いつかない。
「神が消えれば、絶望は行き場を失う」
その瞬間。
交差点の事故が浮かぶ。
小さな不運の連鎖。
「それが……」
「今の世界だ」
神は一歩近づく。
透けている。
触れれば、消えそうだ。
「私は消えたいと言った」
第一章の記憶が蘇る。
涙。
震える声。
「殺して」と言った神。
「君を縛る存在でいたくなかった」
神は、穏やかに笑う。
「未練が形を持ち続ければ、君は前に進めない」
胸が痛い。
「笑っていたのは」
問いかける。
神は頷く。
「解放されたから」
世界が、静まる。
あの夜。
神は救われた顔をしていた。
僕を、救ったのか。
「だが」
神の輪郭がさらに薄くなる。
「世界は、まだ未熟だ」
「……何が言いたい」
「凛」
その名前が出た瞬間、息が止まる。
「彼女の絶望は深い」
部屋の空気が重くなる。
「もし彼女が願えば」
神は静かに言う。
「私のように、笑っては消えない」
背筋が凍る。
「代償は、痛みの再配分だ」
「……再配分?」
「彼女一人で背負うはずだった絶望が」
神の瞳が、真っ直ぐ僕を見る。
「世界に広がる」
意味を理解した瞬間、血の気が引いた。
「弟は戻る。だが彼女は、世界から切り離される」
孤独。
愛されない。
誰にも必要とされない。
それは、死よりも重い。
神は、ほとんど見えなくなっている。
「蒼」
初めて、名前を呼ばれた。
「君は不完全だ」
第二章の言葉が重なる。
「だが」
神は微笑む。
「不完全だから、選べる」
光が、ほどける。
「次は、願いではなく」
最後の声。
「選択で、救え」
そして。
完全に、消えた。
部屋に残るのは、静寂だけ。
奇跡はない。
でも。
選択は、ある。
僕は理解する。
神は救いではない。
逃げ道だ。
そして今。
凛は、その逃げ道に手を伸ばしている。
止めなければならない。
奇跡のためじゃない。
世界のためでもない。
彼女が、自分を消してしまう前に。




