最終章 奇跡のあとで
神が消えてから、一週間が経った。
世界は――
何も変わっていないように見えた。
朝は来る。
学校はある。
人は笑う。
ニュースでは、相変わらず事故が起きて、病気で人が亡くなる。
「奇跡的回復」という言葉だけが、使われなくなった。
それだけ。
「最近、医者も現実的になったよね」
誰かが言う。
「前なら助かったかも、って言わなくなった」
“かも”が消えた世界。
それは、残酷で。
そして、不思議なほど、静かだった。
凛は、前より泣かなくなった。
強くなったわけじゃない。
むしろ、弱いままだ。
でも、逃げなくなった。
放課後、河川敷に並んで座る。
ここが、始まりで、終わりの場所。
「ねえ」
凛が言う。
「弟のこと、思い出すとき」
少し間を置く。
「前は、もしも、って考えてた」
声は穏やかだ。
「もし生きてたら、とか」
「今は?」
聞く。
「いた、って思う」
小さく笑う。
「確かに、ここにいた」
それで十分だと、言うように。
風が吹く。
夕焼け。
奇跡のない色。
病院の前を通る。
見覚えのある場所。
僕は、足を止める。
母が死んだ病室は、もう別の患者が使っている。
当たり前だ。
世界は、続く。
「……後悔してない?」
凛が聞く。
奇跡を消したこと。
世界を、選ばなかったこと。
少し考える。
「してる」
正直に言う。
「たぶん、一生する」
凛は驚かない。
「でも」
続ける。
「後悔してる自分が、ここにいる」
凛が、僕を見る。
「それが」
胸に手を当てる。
「奇跡だと思ってる」
凛は、しばらく黙ってから、言った。
「私も」
同じだ。
その夜、夢を見た。
神はいない。
光もない。
ただ、母が夢に出てきた。
笑ってはいない。
怒ってもいない。
ただ、そこにいる。
「蒼」
名前を呼ばれる。
「ちゃんと、生きてる?」
「うん」
即答する。
「じゃあ、いい」
それだけ言って、消える。
目が覚める。
涙が、枕を濡らしている。
奇跡じゃない。
ただの夢。
でも。
取り戻さなくていい。
春が来る。
桜が咲く。
誰も生き返らない。
誰も救われない。
それでも、人は花を見る。
凛が言う。
「不思議だね」
「何が」
「奇跡がなくなっても」
空を見上げる。
「世界、終わらなかった」
「うん」
むしろ。
「ちゃんと、続いてる」
凛は、そっと僕の手を握る。
温かい。
確かな感触。
認識できる存在。
「ねえ、蒼」
「なに」
「もし、また神が現れたら」
少し考える。
「もう一回、同じ選択する?」
答えは、決まっている。
「する」
凛は、笑う。
「私も」
奇跡は、いらない。
誰か一人を切り離す救いなんて、いらない。
失ったまま。
後悔したまま。
それでも、隣に誰かがいる。
それは、神には作れない。
人間だけの選択だ。
世界は今日も、理不尽だ。
理屈通りに壊れて、理屈通りに終わる。
でも。
理屈通りに、誰かと生きていける。
それが、奇跡のあとで残ったもの。




