57 相原花菜が幸せになる理由
「えっ……ちょっと待って……。失恋って、単に私が引っ越したことじゃないってこと……?」
花菜から告げられた衝撃の事実に対して、記憶を掘り起こす響。
「もしかして、あれのことを言っている?」
思い当たることが一つ、ある。
「私達が会った最後の夏休み……。はなちゃんが……響ちゃん、私と結婚してって言ってきた……あれ?」
「えーっ……はい、そうです……」
「あれっ! あれは違うんだよ! いえその、もしそれが花菜さんの一世一代の告白だったのなら申し訳ございません!」
あのころの花菜は今より内向的だったので、告白する勇気もひとしおだったと響は考えたのかもしれない。
「いいんだよ、あれは今でも響ちゃんが正しいもの」
「確かに、あのとき私は女の子同士は結婚できないんだよって答えましたぁ……」
懺悔をするように、苦悶の表情を浮かべる響。
花菜は諦念の笑みを浮かべて、それを見守っている。
「でも本当に違くて! あのころの私は、結婚なんてしなくてもずっと一緒にいられると思ってたの! 私とはなちゃんがずっと仲よく家族みたいに、一緒にいられると思ってたんだ! だから、それに関しては本当に誤解で……。むしろ……私が事前にはなちゃんと結婚したいって姉さんに言って……! 女の子同士は結婚できないよって言われてて、先に知識を仕入れていたぐらいで……!」
過去の行き違いが、響の必死の説得で明らかになっていく。
「本当なの信じてぇ……」
懇願するような響の悲痛な声が漏れ出る。
「でも……事実ではあるから……」
だが、花菜はあくまで諦念の顔を曲げない。
「そうだけど、そうじゃなくってぇ! はなちゃんのこと、大好きって何度も言ってたじゃん!」
花菜は幼いころ、響に何度も言われた大好きを覚えている。
忘れられるわけがない。
「大体、前も言ったけど……昔好きになったことがある女性って……はなちゃんのことだし……花菜のことだし……! 初恋だし!」
「私だって初恋だよ……。でも、私……振られてますしぃ……」
お互いが初恋の相手だと発覚するも、花菜は少し不貞腐れたように響から視線を外す。
響はそれに対して、言外の圧をヒシヒシと感じていた。
そこで、思い至る。
「まさか自分のことに気付かないことばかりじゃなくて、それにプラスして花菜に告白してきたこと自体を根に持ってる⁉ 初恋の君を捨てて別の女に現を抜かすクソ女だと思ってらっしゃる花菜さん⁉」
「いや、それは…………そんなことないよ!」
「ちょっとは思ってる間じゃん! それは、ちょっとは思ってないと出ない間じゃん!」
花菜のたっぷり時間を掛けた否定に、響は思わず地団太を踏んでしまう。
「大体……花菜がはなちゃんだって分かったなら、幸せになれなくてもって話は別だからね! 私になにしてもいいっていうのは本当だけど!」
響が花菜の幸せに関して、意見を変えてくる。
先程の気落ちしたような、神妙な面持ちの響が鳴りを潜める。
花菜としては元の響に戻ってくれたようで嬉しくはあるのだが、これはこれで困ってしまう。
「なにさ! 幸せになっちゃダメって! 女の子同士が認められないって!」
花菜に向けて手足を大きく動かしながら、響が訴えかけてくる。
「絶対私が幸せにして、みんなから祝福されるような花菜にしてやるんだから!」
響が高らかに宣言する。
それは花菜が何度も思い描いては、何度も諦めた未来。
それを絵空事と割り切らない真摯な瞳が、花菜を射貫いていた。
「大体、こちとら数年振りに再開した初恋の人に惚れ直すなんて運命みたいなことしてるんだから……花菜はもっとときめいていいでしょ……!」
言っていることはもっともなのだが、体のいい逆ギレである。
もちろん花菜は嬉しかった。
だが、それ以上に恐ろしかった。
響が花菜を好きになることは、花菜の持っていた考えとしては響が不幸になるということなのだから。
「もうこっちはね! 花菜がいないと幸せになれない段階まで来てるの! 責任取ってよね!」
「ええっ⁉」
責任まで押し付けられ、花菜は思わずといった声が出た。
花菜の思い描く、響の不幸。
だが、響はそれこそが幸せなのだと言い切る。
「大体花菜ずっと片思いしてくれてたの気持ち悪くなんかないし! 嬉しいし! というか、元居た場所まで会いに行ってる私だって相当でしょ⁉」
「それはまぁ……確かに聞いたときちょっと嬉しかったかもです……」
花菜は詰まりながらも、素直な意見を述べる。
その気概は……こんな状況ではあるが、やはり嬉しさを感じてしまう。
「じゃあもう……花菜が話してくれたんだから、私もいろいろ話すよ……」
先程まであった響の勢いが急に陰る。
「ちょっと、これから話すことは……花菜にとって気分のいい話じゃないだろうから心して聞いてね……」
響は意を決したかのような口調で切り出した。
「う、うん……」
真剣な口調に花菜は少し気圧されてしまう。
「私ね、引っ越したあと……はなちゃんに会えなくなったのは父さんと母さんが悪いってかなり暴れて超絶反抗期を起こしたんだ……。それで、今でもちょっと家族と仲が微妙で……。一応当たり障りない程度には回復したんだけど……」
かなりバツが悪いといった感じであったが、響は視線を花菜から逸らさない。
「えっ……ええっ……」
花菜は自分が原因で芳川家の家族関係まで影響を及ぼしているとは想像もしていなかった。
両親にはよくしてもらっているように見えていたが、なにかしら確執があるのだろうか。
「それもあって、非行とかまではしてないんだけど……中学ほとんど出席しないわ先生と揉めるわで……相当荒んでて……」
語る響の口調は、相当に苦々しいものが滲んでいた。
「ほぁっ……?」
現状との乖離に花菜が戸惑い、思わず変な声が出る。
少なくとも優等生芳川響からは想像できない。
「でも小学校から自習することだけはしてたから、通わなくてもテストの点だけはよくて……。それがまた先生方と親にまで確執を生んで……」
学業さえできればなんとかなる、学生の本分は勉強などと言っていた響の根源を知る。
「だから、私も花菜のこと言えないぐらいには引きずってたんだよ……。気持ち悪さで言ったら、私の方がよっぽどでしょ⁉」
響はことここに至って、優等生の仮面を着けている事情の裏側までを打ち明けた。
確かに人との接触を絶っていた響では、なにかしらの役割が無ければ人付き合い自体が難しかったのかもしれない。
以前響が中学で告白などされたことがないと言っていたが、この状況なのであれば納得である。
自身の美貌に関して無頓着なのも、この辺りが原因なのかもしれない。
「…………。そんなことないもん……。響ちゃん気持ち悪くなんかないもん……」
花菜は暫しの無言のあと、むくれた顔で再度そっぽを向く。
花菜とて実際響の変わりように少々どころではない驚きがあったのだが、よもや原因に自分が絡んでいるとは思いもよらなかった。
だが、ここは譲ることができない。
「なにさ! 花菜の強情っぱり!」
「強情なのは、響ちゃんの方でしょう!」
お互い譲らない言葉がぶつかり合う。
「というか……」
響がベッドで隣に座る花菜に顔を近付け腰へと手を回す。
二人の距離が一気にグッと近付いた。
「花菜がはなちゃんだって分かったんなら、なにも手加減なんて要らないよね……?」
響は剣呑な目付きで花菜を見詰め、そう宣言する。
「いや、なにごとにも加減は必要かなぁなんて……」
そう言いながら花菜は後退ろうとするが、響の回した腕がそれを許さない。
「花菜、この伸ばした髪だって……元々は周りに言われてなんて言ってたけど……本当ははなちゃんに綺麗だって言われたから伸ばしてたんだよ……?」
響は空いた手で自分の髪を一掬いしてみせる。
「はい……凄く綺麗で素敵だと思います……!」
事実は事実なので、花菜は肯定するしかできない。
花菜は昔、響の髪が年々長くなっていっていたのを知っている。
「ねぇ花菜、私今凄いんだ! 好きと好きが重なり合って、大好き過ぎて頭がおかしくなりそうなんだ……! 分かる? これはね、思春期特有の錯覚とかじゃあ、絶対にないよ?」
あの日花菜が言った言葉を、響は真っ向から否定してくる。
それは花菜も、響の長い説得で分かってしまった。
「それとも、花菜は私に幸せになっちゃダメだなんて言うの?」
花菜は、響に幸せになって欲しいと心から思っている。
咄嗟にその言葉を否定することができない。
沈黙の間に、響は花菜を強くかき抱いた。
「好きなんだ、花菜……! 私の気持ちを……そして花菜の気持ちを否定しないでよ……!」
二人の気持ちを包み隠さず晒した上での真っ向からの告白。
そして、花菜の真の気持ちの肯定。
「私ぃ……私はぁ……」
絞り出すように声が漏れた。
「やだよぉ……響ちゃん……。諦めさせてよぉ……」
今まで、花菜は諦めることを前提に生きてきた。
だから、希望を掴むことを知らない。
「嫌だ、私は花菜のこと諦めない。何度だって……縋りついたって……愛を乞うよ」
響の言葉が……求める心が、花菜に希望に向かえと強く肩を押してくる。
「花菜……何年も私を想ってくれていてありがとう……。一途で、本当にかわいいよ……。というか、いや……これは正直な話……私が固執するタイプだから花菜ぐらいじゃないと釣り合わない……」
自身を否定していた言葉を響は肯定の言葉に変えてくる。
これまでの行動が、すべて間違いでなかったと言ってくる。
「大体……花菜はプロポーズしてるんだから、責任とって私を貰ってよ!」
話が一気に飛躍し、過去の自分の言葉が重く圧しかかった。
「断ってるじゃない響ちゃん……」
だが、それは断られているのだ。
「あれは無知故のことだよ! 知ってたら、受けてるよ! だから、今受けますぅ!」
響が子供のような言い回しで、ムードもなにもなく告げてくる。
どうやら、花菜の失恋……プロポーズ失敗は撤回されて現在受け入れられているらしい。
「なっ、なにそれぇ!」
花菜とてあの日のことはショックだったのだ、そんな軽々に撤回されてなるものかという気持ちも少なからずある。
「結婚を前提にお付き合いしてって言ってるの!」
だが花菜がなにか言い返す前、響に勢いそのまま逆にプロポーズを宣言されてしまった。
「うえっ……ええっ⁉ ひ、飛躍し過ぎでしょう……。それに、だからできないって……」
「ヤダ、私は花菜とずっと一緒にいるの! いつかできるようになるかもしれないし、私達二人ならなんとかなるでしょ!」
「なぁにそれぇ……」
好きな人が、自分を逃がしてくれない。
そして響の言葉が、じわじわと花菜の胸に染み込んでいく。
今までは自分一人だけだったが、響と二人なら……どうにかなるのかもしれないと感じ始めていた。
いや、勢いのまま感じさせられたのかもしれない。
「それに、花菜は秘密主義者過ぎ! 話してみればなんとかなることだってあるかもでしょ!」
「えぇ……無理ですぅ……気付いたころには言っちゃダメって思ってきたから、もう無理ですぅ……」
花菜はそういう意味では早熟だったため、秘密主義歴が長い。
こればかりは、なかなか治りそうにはない。
「そんなこと言ったら、響ちゃんだってそうじゃない……」
「私の場合は学校では優等生でいるって言ってるけど、大体素でいること自体本当に久しぶりだったんだから! 中学では学校でも家でもほとんど人と関わらなかったし! みんなを騙しているというより、一人暮らしになって最近ようやく素を取り戻してきた状態なんだよ……。家族とだって、こんな喋り方しないよ……」
「ええっ⁉ そんなに深いの……家族との溝……」
花菜にとって驚きの新事実だったものから、更に飛び出してきた。
「それだって、花菜のためなら……なんとかしてみせるから! さっきも言ったでしょ! 私は誰からも祝福される花菜にするの!」
響は花菜が考えたこともないことを、事もなげに何度も口にする。
響だって、花菜を失い……迷って……今がある。
なのに、こんなにも前に進む発言を花菜に投げかけてくる。
花菜はそんな響を、とても眩しく感じた。
「響ちゃんは……凄いな……」
「花菜だって凄いんだ! 私をこんな長い間想ってくれて、一人でずっと心を抱えて……。辛かったでしょ? 不幸にならくなくちゃいけないなんて考えちゃうんだから……」
それは、花菜が欲していた言葉かもしれなかった。
初めて理解者を得て、孤独の中から光が差し込んだかのような錯覚に捕らわれる。
「私っ……はっ、私はっ……」
言葉に、詰まる。
「だから……これからは、それを私にも抱えさせて……二人のものにさせて……。これからの花菜の力は、不幸になるためじゃなくて……幸せになるために使って……! 花菜のために……私のために……私達、二人のために!」
響は花菜が隠し通すために使っていたものを、二人で幸せになるために使えと言う。
花菜はこれまでなにに対しても、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
だから、誰にも深く踏み込まずにいた。
響は、花菜を知ったあとも構わず踏み込んでくる。
それに、花菜も……響に踏み込み過ぎたのかもしれない。
花菜はこの気持ちを隠し通すためなら、あの日……響にバレて呼び出された日に断るべきだったのだ。
「私って……前を向いて……歩いていいの?」
響の胸の中でおずおずといった感じで、花菜が聞き返した。
本人の中で、まだ完全に飲み込めていない。
まだ勘違いかなにかなのかとさえ感じている。
「当たり前だよ……。むしろ、今までの分取り返していかなきゃ!」
抱きしめられた響から、ドキドキと一緒に温かい気持ちが伝わってくる。
花菜はされるがままだった腕を恐る恐る、響へと伸ばしていく。
「ねぇ……響ちゃん……。私……二人で幸せになるとか……ほとんど考えたこともなくて……」
伸ばされた花菜の手の感触を感じながら、響は花菜の言葉に耳を傾けた。
「こういうことに関しては……何度も何度も……転びそうになるかもだけど……。そんな私でも……一緒にっ……歩いてもいいのかな……?」
途切れ途切れになる花菜の言葉を、響は抱きしめながらジッと聞いてくれていた。
それだけで嬉しかった。
言葉にする勇気をくれたことが、幸いだった。
「もちろんだよ。何度だって、何度だって花菜のことを支えさせて欲しい……。こんなこと言ってる私だって、転んじゃうかもしれないけど……」
響は花菜を抱きしめる力を強めながら答える。
「そのときは、私が支えてあげられるかな……?」
「花菜なら……ううん、二人ならできるよ……きっとできる」
力強い響の言葉が、花菜を鼓舞する。
その一つ一つが、花菜の中の扉を開いていくようだった。
「ありがとう……響ちゃん。私ね……響ちゃんのことが好き……。大好き……」
だから、心からの言葉を貴女に送ろう。
「ありがとう花菜。初めて花菜から好きって言ってくれたね」
「気付いてたんだ……」
花菜は響と秘密の関係になってから、響自身のことを直接好きと言っていない。
「だって、ダメだって思ってたから……。戻れなくなりそうだったから……」
好きの言葉は、諦めを前提としていた花菜にとっては呪いのような言葉であった。
だが、今このとき祝福の言葉に変わる。
「これからは、もっとたくさん言って……。私もたくさん言うよ……」
心からの言葉、優しい言葉が心に溶けていく。
「うん、響ちゃん大好き……」
「花菜、私も大好きだよ……」
お互いの好きが混ざり合う。
抱きしめ合って早くなった鼓動が重なっていくように、心が重なっていく。
二人がお互いの存在を確かに感じ合う。
幸せの形を感じ合う。
これまで花菜が描いた幸せは、マッチで灯った泡沫の夢のようなものであった。
それを、これからは現実に変えていかなければならなくなった。
相原花菜は今まで踏み出せなかった、大きな大きな一歩を……芳川響と共に踏み出すことになった。




